ガラガラッ
「丹羽くんいる?…」
美術室の入り口から室内を覗くと、奥の方で絵を描いている大助がいた。
「あ、丹羽…く…ん……」
真剣な顔で絵を描く大助の横顔に見とれてしまい、話しかけた梨紅の声が止まった。
ポォッとしていた自分に思わず赤面していると、此方に気づいた大助が、いつもと変わらぬ笑顔を見せた。
「あっ梨紅さん」
大助の無邪気な微笑みに見つめられ、梨紅の顔はよけい赤くなった。
「どうかしたんですか?顔が赤いですけど……」
「何でもないの!」
「………」
恥ずかしさに、思わず強い調子で返事をしてしまい、大助を驚かせてしまった。
(私って何でいつもこうなのかな……)
黙ってしまった大助を見ると、心配そうな表情で此方を窺っていた。
「ごめんね、ホントに大丈夫だから……」
「うん、それならいいよ」
素直に頭を下げると大助もホッとしたように笑顔になった。
「ところで梨紅さん、どうかしたんですか」
「ううん…、丹羽くんが絵を描いてるって聞いたから見に来たの」
「ええ、そんな……見てもらえるほど大したこと絵じゃ無いですよ……」
「そんなことないよ、この間もらった絵だってとても綺麗だったし、丹羽くんの絵の感じ私好きだな」
「そう?それだと嬉しいけど……」
顔を赤くしながら照れる大助に近づくと、今描いている絵を見せてもらった。
「うわあ、すご〜い綺麗。これ○△町の古い教会の建物よね」
「うん、夜の教会なんだけどね。先週の満月の夜、月の光に浮かんだ教会の建物をスケッチしていたんだ」
「これ、油絵だよね」
「そうだよ、夜の月光を自分の感じたままに表現できればいいと思って描いてるんだけど…………」
(ドキン……。あっ、また……)
自分の作品を語る大助の横顔に梨紅の胸の鼓動が高鳴った。
(絵を描いているときの真剣なまなざしも、こうして自分の絵やその思いを優しく話すのも、どっちも好きだな……)
「誰もいない夜の教会で、周りは闇に包まれているけど、建物が月明かりに静かに照らされている、そんな闇と光の
混じり合った………」
(丹羽くんの心に写る……丹羽くんの目を透した……丹羽くんだけの絵………)
(私は丹羽くんにどう写っているんだろう……私もこんな風に心に感じてもらいたい……)
「………!。あ、ごめん……つまんないよねこんな話し……」
大助は、自分の心の中の思いを人に語っていることに恥ずかしくなったのか、照れたように話を止めた。
「ううん、丹羽くんの絵の世界が感じられたみたいでよかったよ……」
「そんなかっこいいことじゃないよ……」
梨紅の感動した様子に大助は照れながらも嬉しそうに微笑んだ。
「あの…梨紅さん、明日の日曜日空いてるかな」
「うん…予定は無いけど……」
(もしかして、デートの誘いかな………ドキドキ……)
少し緊張気味に話し始めた大助に、梨紅も緊張しながら答えた。
「もしよければ、一緒に美術館に行って欲しいな……と思って……」
「うん、いいよ。丹羽くんの絵の話も聞かせてね……」
「え、あ…うん。じゃあ、10時頃迎えに行くから」
「わかった。楽しみに待ってるから」
大助は、梨紅が喜んでOKしてくれたことに、ホッとしたような表情をすると、描きかけの画材を片付け始めた。
「もう止めちゃうの?描いてるとこ見たかったのに」
「うん、それに見られていると恥ずかしいよ……」
照れながら片付けをする大助が棚の方に離れると、梨紅は小さく呟いた。
「残念だな。丹羽くんの描いてる姿かっこいいのに…」
「え……なにか言いました?」
「何でもない、何でもない!」
振り返った大助に手を振って誤魔化す梨紅の顔は真っ赤になっていた。
日曜日の朝、梨紅の家に大助がやってきた。緊張した顔がテレビカメラに写っていた。
《ピンポーン》
『はい』
「あ、あの丹羽と言います。梨紅さんをお願いします」
『丹羽くん、私よ。今行くからチョット待ってて』
「あ、梨紅さんだったのか……」
ホッとした表情を浮かべる大助に、梨紅の隣にいた梨紗がマイクで話しかけた。
『あっ丹羽くん、梨紗だけど。梨紅のボーイフレンドにお父さんとお母さんが会いたいって、今開けるから入ってきて』
「え、梨紗さん……ちょっちょっと待ってください……そんな…急に………」
梨紗はモニターの中で慌てる大助を横目に玄関に急いだ。
「ちょっと、梨紗ぁ!」
追いかけるように梨紅も走ると玄関を丁度開けるところだった。
がちゃっ
「君が丹羽くんか」
扉を開けると同時に、梨紗が思い切り低くした声で話しかけると
「は、初めまして丹羽大助です」
と、思い切り頭を下げてお辞儀をした大助がいて、梨紗と梨紅は思わず吹き出してしまった。
「えっ…あれ……梨紗さん……梨紅さんも」
頭を上げてキョトンとする大助に、涙を滲ませながら笑う梨紗と必死に笑いをこらえている梨紅が謝った。
「丹羽くんごめんなさい、梨紗の冗談だったの……」
「ごめんね、でも丹羽くんが私の声真似にだまされるほど緊張してるとは思わなかったから」
「…………」
「あの丹羽くん……怒った?」
(あ〜もう、梨紗の馬鹿ぁ!これからデートなのに怒って帰ったらどうするの)
黙ってしまった大助におそるおそる梨紅が話しかけると、大助は大きく息を吐き出して苦笑した。
「梨紅さん、怒ってませんよ。でも、梨紗さんこういう悪戯は止めてくださいね」
涙を拭きながらようやく笑いをおさめた梨紗が謝ってきた。
「ごめんね丹羽くん、昨日から梨紅が一人だけ楽しそうにしてたからチョット意地悪したくなったの」
「なっ、何言うのよ梨紗っ」
「梨紅ったら、昨日から服はどれにしようか、靴はどうだって大変だったんだから」
「梨紗ぁっ」
「じゃ、デートの邪魔しちゃ悪いから私はこの辺で………」
今にも飛びかかりそうな梨紅から逃げるように、梨紗が家に入ると梨紅は気まずそうに大助の方を向いた。
「丹羽くん……本当にごめんね……」
「ううん、気にしてないから。でも、梨紅さんが楽しみにしてくれていたのは嬉しいな」
俯いて謝る梨紅に大助は笑顔で近づくと、手を握ってきた。
「梨紅さん、美術館に行こう」
「うん……」
梨紅は大助の優しさを嬉しく思い、小さく頷くと手を握り返して一緒に歩き始めた。
ふと、家の方に振り返ると窓から寂しそうに見つめる梨紗が一瞬見えた気がした。
(ごめんね……梨紗……)
ダークにあこがれる梨紗の思いにチクリと梨紅の胸は痛んだ。
美術館に着くと、大助は熱心に見て回り、梨紅はパンフレット片手に大助の後ろを付いていった。
作品一点ごとに簡単な説明が描いてあり、また、大助の説明もわかりやすく、絵画や像などに詳しくない梨紅にも
何となく理解できた。
「あ……これ……」
梨紅は、片隅にひっそりと展示してある絵を見ると、思わず声を出した。
それは髪の長い少女の裸婦画で、胸の前で祈るように手を組んで幸せそうに微笑んでいる少女が月光で闇に浮かんで
いるようであった。題名は【月夜の奇跡】と表示されていた。
「なんだか丹羽くんの絵と感じが似ているね」
「うん、あまり有名じゃないけど、この絵が好きなんだ……」
「ふ〜ん。でも、なんかわかる気がする……」
「次行こうか」
「うん」
その後、展示品を一通り見て回るとお昼を少し過ぎていた。
「梨紅さん、そろそろお昼にしようか」
「そうね《ぐ〜…》」
「……………」
「……………」
(恥ずかしい〜。何でこんな時にお腹がなるのよ………)
梨紅は顔を真っ赤にして俯くと、黙っている大助の方をそっと窺った。
大助は横を向いて必死に聞かなかった振りをしていた。そして、しばらくしてから再び「食事に行こう」と声をかけた。
「うん……笑わないでくれてありがとう………」
梨紅は頷くと、小さく感謝の言葉を呟いた。
大助は、優しく微笑むと梨紅の手を握り、出口へと歩き出した。
昼食は天気がいいので外で食べようと、近くのファーストフード店でサンドイッチのセットを買って、美術館横の
公園で食べた。
その後、大助に誘われて公園内をゆっくりと散歩し、屋根付きのベンチを見つけると座って大助の絵の話をした。
「丹羽くんは人物画は描かないの?」
「描いてみたいよ………さっきの【月夜の奇跡】みたいな絵を……」
「ふ〜ん……」
「それに描いてみたい人もいるし………」
「え……」
少し俯きながら話していた大助が、絵を描いている時のような真剣な眼差しで梨紅の顔を見つめてきた。
「……………僕、梨紅さんの絵を、……人物画を描いてみたいんだ」
「…………丹羽くん」
「梨紅さん、僕の絵のモデルになってもらえませんか………」
「え、あ…あの……」
「別に急いで返事をしなくていいから……いつか、梨紅さんを僕に描かせて欲しいんだ」
「………………」
「ごめん……、突然こんな事言って……梨紅さんを困らせるつもりは無かったんだけど……」
「ううん、いいの……でも、私なんか描いても……」
「梨紅さんだから描きたいんだ……、ただ、その事だけは信じてもらいたい……」
「ごめんね、返事はもう少し待って……」
「うん、待ってるから」
そう言うと、大助はいつもの優しい笑顔で笑った。
その後、家まで送ってもらいその日は別れた。
「モデルか………モデルになったら、絵を描いてる丹羽くんとずっと一緒にいられるかな……?」
梨紅はその日の夜、お風呂の中で今日のことを思い出していた。
(丹羽くんに描いてもらうのは嬉しいけど………)
先日、美術室で自分を感じてもらいたいという思いが、自分の気持ちの中に有ることを知ったばかりだった。
(でも、自分が丹羽くんの心にどう写っているのか知るのも怖い………)
(『僕の【月夜の奇跡】を描きたい……』か……私もあんな風に写っているといいな……)
梨紅は湯船から出ると、壁にある大きな鏡に映る自分を見つめた。
「………そういえば、【月夜の奇跡】って裸婦画よね……ヌードモデル……?」
(丹羽くん、私のことモデルに描きたいって……私のヌードを描きたいってこと?)
鏡に映る自分の裸を見て顔が赤くなっていった。
(裸婦画は芸術なんだからいやらしいこと無いし……でも丹羽くんの前で裸になるのは……)
「もしかして……だから返事を急がなかったとか……そんなこと無いよね……」
梨紅は、お風呂から上がってベットに入っても答えを出せずに夜遅くまで悩んでいた。