首筋に、冷たいなにかが落ちてきた。  
(水滴、か)  
 エトナの意識がゆっくりと覚醒していく。  
(雨漏り? いやね、一号に直させないと)  
 そう考えたところで、エトナはいくつかおかしいところに気がついた。  
 雨漏りにしては雨粒が窓を打つ音が聞こえない。それに、自分が寝ている場所。ベッド  
にしては柔らかくない。いや、それどころか、ごつごつしている。石の床に横たわってい  
るらしかった。そこまで判断したとき、  
「いつまで寝てるんですか」  
 柔らかい声と共に、腹に鈍い痛みが生まれた。衝撃で目が開く。蹴られた、と認識する  
より先に、息が詰まりそうになって激しく咳き込む。胃の中身を吐き戻しそうになるほど  
の強い蹴りだった。  
 うまく呼吸ができずに苦しみながら、エトナは周囲を見回した。薄暗く、苔むした臭い  
のする、石造りの部屋だった。照明は、壁付き燭台に差し込まれた小さな蝋燭一本のみ。  
あとは窓一つない。そんな薄暗い視界の中に、誰かの細い足が見える。まだ痛みから回復  
できずに這いつくばったまま、エトナは目玉だけを動かしてその人物の顔を見上げた。  
「なかなかお似合いの格好ですよ、エトナさん」  
 フロンだった。いつものような、のん気にすら感じる穏やかな微笑を浮かべて、こちら  
を見下ろしている。言葉の内容の割に、侮蔑するような口調ではない。それがかえって不  
気味に感じた。  
「なんのつもり、フロンちゃん」  
 威圧を込めて言ったつもりだったが、声はまだかすれていた。フロンは特に動じず、少  
し首を傾げて返してきた。  
「あれ、説明しませんでしたっけ」  
 エトナは、意識を失う前の記憶を手繰り寄せた。  
「女王と、奴隷?」  
 頭に浮かんだ言葉を口にする。フロンは胸の前で両手を合わせ、嬉しそうに笑った。  
「そうですそうです、なんだ、覚えてるんじゃないですか」  
「でも説明にはなってないわよ」  
 ようやく、うまく声が出せるようになってきた。四肢の感覚も蘇ってくる。そうして腕  
を動かそうとして、エトナは気付いた。うつ伏せに横たわっている自分の体を、数本の黒  
い鎖で繋がれた枷が拘束している。思いきり力をこめて引きちぎろうとしたが、金属がぶ  
つかり合う重苦しい音がしただけで、鎖はびくともしない。  
 
 フロンが口元に手を当てておかしそうに笑う。  
「無駄ですよエトナさん。その鎖、重い罪を犯した人用に、かなり頑丈に作ってあるそ  
うですから。あ、それと、魔法を封じる効果もありますから」  
 フロンは両手を広げた。  
「たとえ魔法が使えても、この部屋を壊して逃げるなんて無理な話ですけどね。バール  
が暴れても壊れない、が売り文句だそうですので」  
 フロンは両手を膝に置いて屈みこみ、エトナの顔を覗き込んできた。絹糸のように柔ら  
かな金髪が無骨な石床に垂れて、かすかな音を響かせる。フロンは、にっこりと実に優し  
げに笑って宣言した。  
「つまり、これからはここがエトナさんのお家になるっていうことなんです」  
 小さな子供に語りかけるように、首を傾げてみせる。  
「なかなか素敵な豚小屋でしょう。エトナさんにはぴったりですね」  
 頭が熱くなった。沸騰した血液が逆流しているかのように、全身が激しく震えてくる。  
しかしエトナは、今にも口から飛び出しそうになる罵声を必死に押さえつけた。冷静にな  
れ、と胸の内で呟きながら、小さく長く、息を吐き出す。そうやって頭を冷やしたあと、  
エトナは頭上のフロンに向かって余裕ありげに笑ってみせた。  
「ちょっと背伸びしすぎなんじゃない、ガキくさいフロンちゃんにしてはさ」  
「はい、わたし、頑張っちゃいました」  
 皮肉に気付かなかったのか、それとも無視したのか。フロンは両頬に手を添えて、ほん  
のりと顔を紅潮させた。  
 育ちのよさすら感じさせるほど、のんびりとした穏やかな物腰。動くときの癖を一つ一  
つ上げてみても、今のフロンにおかしな素振りは感じない。ただ、行動と言っていること  
の内容だけが、普段のフロンとはかけ離れている。  
 もう少し様子を見た方がいい、とエトナの冷静な部分が警告してきた。  
「それで、結局なんのつもりなわけ」  
 フロンは腰に両手を当てて頬をふくらませた。  
「もう。だから、女王様と奴隷ですよ。あ、それともわたしの格好がそれっぽくないで  
すか?」  
 特殊なつくりをした白いワンピースの裾をつまんで、しげしげと眺める。いちいち論点  
がずれていくことにイライラしながら、エトナは問いただす。  
「そんなことはどうでもいいってのよ。こんなふざけたことしてる、その理由を聞いてる  
の」  
 フロンは不満そうに唇を尖らせた。  
「口の利き方がなってないですよエトナさん。ま、そういう態度もその内改まるでしょう  
から、今はいいですけど。そうですね、理由ですか」  
 少しの間唇に指を当てて考えてから、フロンは小さく笑った。  
「やっぱり駄目。教えません。こういうところから立場というものを分かっていただかな  
いと」  
 
 まるで茶化すような言葉だ。エトナは怒りをこらえ切れずに歯を剥いて叫んでいた。  
「なによそれ、ふざけてん」  
 言いかけたところで、頬を張られた。乾いた音が脳を直接揺さぶり、一瞬意識が飛んだ  
首の骨が折れたのではないかと疑ってしまうほどに、強い力がこめられていた。  
「女王様に口ごたえは許しませんよ」  
 フロンは小さく首を傾げる。  
「分かりましたか。分かったらちゃんと返事をしてくださいね」  
 エトナは頬の痛みをこらえながら、フロンを睨み返す。フロンはその視線を正面から受  
け止め、全く動じる気配を見せない。  
「なかなかいいお顔ですよエトナさん。そうでなくては調教する意味がありませんものね  
」  
 フロンは嬉しそうに目を細めた。胸の前で手を組み合わせ、両手の人差し指を突き出し  
印を組む。どこかで見た姿勢だ、とエトナが訝るのとほぼ同時に、フロンは短く叫んだ。  
「ニン!」  
 声と共に、フロンの体から四つの影が飛び出す。影はそれぞれ空中で一回転したあと、  
危なげなく着地する。四つの人影はしばらく片膝を突いたまま微動だにしなかったが、や  
がてゆっくりと顔を上げた。エトナは目を見張る。彼女らは皆、フロンと全く同じ顔をし  
ていた。  
「どうですかエトナさん。ドッペルゲンガーを応用してみたんです。名付けて忍法分身の  
術です」  
 フロンがウインクすると同時に、四つの影が薄ら笑いを浮かべてエトナに近寄ってきた  
エトナは何とかして彼女たちから遠ざかろうとしたが、すぐに拘束されてしまう。四人と  
も、この細腕のどこにそんな力があるのかと疑うほどに強い力で、エトナの四肢を押さえ  
つけている。  
「それじゃ皆さん、やっちゃってください」  
 フロンが指を立てて宣言すると同時に、四つの影が一斉に動き始めた。影たちは手早く  
エトナの服を引き剥がし、肌に手を這わせ始める。エトナの背筋を悪寒が這い登った。ま  
るで、全身に蛇がからみついているような不快感である。  
 
「離れろ、このっ」  
 渾身の力で振り払おうとするが、影たちは離れるどころかますますエトナに密着し、探  
るように体を弄り続ける。エトナはなおも声を張り上げようとしたが、すぐに口も塞がれ  
てしまった。思い切り噛み付いても、口を押さえている影は微笑を浮かべたままだ。まる  
で、痛みという感覚を忘れてしまったかのような、不気味な異様さを感じた。  
 影たちは最初こそ腕や脚をくすぐるように触るだけだった。しかし、その内に腋の下に  
潜り込み、乳房の上を執拗に這い、陰唇を押し開いて膣内をかき回し始める。全身の至る  
ところで不快な感触が暴れ回り、エトナは何とか影たちから逃れようともがいた。しかし  
エトナが抵抗すれば抵抗するほど、影たちの力は増していき、責めも容赦のなさを増して  
いく。  
 その上影たちは、エトナが特に感じやすい部分を触られたときに示す反応を目ざとく捉  
え、じょじょに責める範囲を狭めていく。全身が熱を帯び、頭がぼうっとしてくるまで、  
ものの五分もかからなかった。  
「そろそろOKですね」  
 さらに二十分ほど経ったころ、フロンは軽く指を鳴らした。エトナに絡みついていた影  
たちが、フロンの体に吸い込まれるように消えていく。  
 激しい責めからようやく解放されて、エトナは激しく喘いだ。体の至るところから汗が  
噴き出し、肺が自分の意思とは無関係に収縮を繰り返す。視界が涙で潤んでいた。頭がぼ  
うっとして、物をうまく考えられない。  
「あらあらエトナさん、ずいぶん苦しそうですねえ」  
 エトナの視界に影が落ちる。見上げると、フロンが屈みこんでこちらの顔を覗き込んで  
いた。白く細い指先がエトナの顎を上向かせる。フロンは顔を近づけてきて、エトナの唇  
の端から垂れている涎を舌でゆっくりと舐め取った。  
「わたしが静めてあげますね」  
 にっこり笑ったフロンが立ち上がるのを、エトナは息を荒げたまま見つめることしかで  
きない。  
 フロンは両手を大きく横に広げ、短く何かを呟いた。透き通った声音に呼応するように、  
フロンの小さな翼が不自然に蠢き始める。純白の羽一枚一枚が先端から姿を変え、細長く  
伸びた。蛇のように這いうねる、暗い緑色の物体。  
「触手プレイ、なんて言うんですよね、こういうの」  
 嬉々とした口調で言いながら、フロンは背中から伸びた触手の一本を蠢かして口元に持  
ってきた。どうやら、フロン自身の意思で自在に動かせるらしい。  
 
「これをどんな風に使うか、エトナさんなら分かりますよねえ」  
 フロンの舌が、愛しげに触手の表面を撫ぜる。触手は喜びに身悶えするように細かく震  
えた。目の前の光景のあまりの異様さに、エトナは身震いした。それを見たフロンが、並  
びのいい歯を見せるようにしてにんまりと笑った。  
「それでは、儀式の始まりですよ」  
 フロンが宣言すると同時に、背中から伸びた触手がゆっくりと石の床を進み始める。細  
かくうねりながらエトナの方に向かってくる様子は、さながら獲物を取り囲む蛇の大群の  
ようである。エトナは何とか触手に対応しようとしたが、力の抜けた体はうまく動かず、  
四肢を拘束する鎖を小さく鳴かせるので精一杯だ。  
「あ、これは邪魔ですよね。ごめんなさい」  
 フロンが小さく指を鳴らすと、エトナを拘束する鎖が悲鳴のような音を立てて弾け飛ん  
だ。一瞬で体が軽くなったのを確認するや否や、エトナは後ろに退くのではなく前に向か  
って突進した。迫る触手を踏みつけ、その勢いのまま、フロンの喉元めがけて全力で手刀  
を突き出す。  
「はい、残念でしたー」  
 フロンが眉尻を下げ、肩をすくめてみせる。フロンの喉元まであと少しというところで  
エトナの腕は数本の触手につかまれ、押さえつけられていた。間髪いれずに無数の触手が  
全身に巻きつき、エトナの体を空中で固定する。  
「もう、エトナさんったら、往生際が悪いですよ」  
 フロンは片目を瞑って、エトナの額を軽く突ついた。歯噛みするエトナを、実に機嫌よ  
さそうに眺めてくる。  
「だけど、合格です。最初反抗的な人ほど、屈服させたあとは従順になるって教科書にも  
書いてありましたから。さて、と」  
 フロンは一息吐くと、エトナの体を床に打ちつけた。触手を操り、エトナの両手と両足  
だけをがっちりと固定する。そうしてからフロンはエトナの背後に回りこんだ。  
「もう、エトナさんたら初日から反抗的なんですから。たっぷりお仕置きしてあげなきゃ  
いけませんね」  
 冗談めかした声音が、耳元で響く。エトナの眼前で、触手の先端が興奮しているように  
激しく蠢き始める。  
「あらあら、この子たちも早くエトナさんの中に入りたいって言ってますよ。さ、優しく  
受け入れてあげてくださいね」  
 
 エトナが抗議の声を上げようと口を開いた瞬間、一本の触手が凄まじい勢いでエトナの  
口腔に突っ込んできた。噛み千切ろうと顎に力をいれるが、触手は見た目に反してかなり  
固く、エトナの歯を通さない。そうしている間にも、唇をこじ開けて無数の触手がエトナ  
の口腔に入り込んでくる。太さも大きさもバラバラだったが、どの触手もみな、しゃぶり  
つくすような勢いでエトナの口腔を這い回る。粘り気のある触感と口の中を異物が蹂躙す  
る嫌悪感に、エトナは嘔吐しそうになる。  
 だが、フロンの触手による責め苦はそれだけに留まらない。口の中を満たす異物感と必  
死に戦っていたエトナは、不意に太ももの辺りにねばついたものを感じた。驚いて下を見  
ると、数本の触手がゆっくりとエトナの脚を這い登ってきていた。その先端が陰唇に触れ  
たとき、エトナはたまらず悲鳴を上げていた。いや、上げたつもりだったが、口を塞がれ  
ていたため声にはならなかった。  
「ほらほらエトナさん、少しは抵抗してみてくださいよ。これじゃちっとも面白くありま  
せんよ」  
 背後からエトナの胸に手を回しながら、フロンが囁く。しかし、エトナは先ほどから四  
肢に全力をこめて拘束から逃れようとしていた。それでも、触手を引きちぎることは愚か、  
身をよじることすらできないのでいるのだ。  
 そうこうしている内に、一本の触手の先端がエトナの陰唇を押し分け、膣に侵入した。  
己の体を侵す異物感に、エトナは体を強張らせる。  
「あら、こんなに濡れてるのに、思ってたよりもキツいですね。エトナさんなら当然ガバ  
ガバだと思ったんですけど」  
 場違いにおっとりした口調でフロンが呟く間にも、数本の触手がエトナの膣をかき回す。  
その内の一本の先端が、ついに膣の一番奥に達したのを、エトナは確かに感じ取った。  
「子宮の入り口に到着ですねえ。エトナさん、ここ自分で触ったことあります?」  
 エトナは首を振ろうとしたが、首にも触手が巻きついているせいでうまくできなかった。  
だが、否定の気配は伝わったらしい。  
「そうなんですか。じゃあ、エトナさんにとっても未知の領域なんですねえ」  
 にんまりと笑っているのが、見なくても分かるような声音である。  
「エトナさんが赤ちゃんを育てる場所はどうなってるのかしら。触手さんに調べてもらい  
ましょうか」  
 数瞬、エトナは息を止めた。そんなことをされるとどうなってしまうのか、想像するの  
も恐ろしい。さらにフロンはエトナの首筋に舌を這わせながら囁いた。  
「なんだったら、そのまま卵でも産み付けてあげましょうか。産みの喜び、エトナさんに  
教えてあげますよ」  
 冗談でも言っているような口調だったが、フロンの力ならばそれが十分に実現可能であ  
ることを、エトナは知っていた。だが、緊張に身を強張らせるエトナの背後で、フロンは  
小さく笑う。  
 
「嘘ですよ。そういうのは、もっと進んでからすることですものね。わたしだって勉強し  
てるんですよ」  
 得意げに言うフロン。内容は理解しがたかったが、少なくとも子宮を犯される心配はな  
いらしいと悟り、エトナは内心ほっと息を吐く。  
「その代わり」  
 だが、からかうようなフロンの声に、再び体を強張らせた。何をするつもりなのか、と  
疑った瞬間。  
「今日は、こっちの具合を確かめさせてもらいますね」  
 言葉とほぼ同時に、一本の触手がエトナの肛門を一気に押し破った。文字通り言語を絶  
する痛みに、エトナは眼球が飛び出しかねないほどに目を見開く。  
「びっくりしましたか? いい機会ですからエトナさんの汚い腸をきれいにしてあげます  
よ」  
 楽しげに笑いながら、フロンはさらに触手を推し進めた。エトナの腹の中で、触手が激  
しくのた打ち回る。腸を破りかなねい勢いで押し進むそれは、動くたびにエトナの腹部を  
内側から波立たせる。同時に口を塞ぐ触手と膣を犯す触手も蠢動を再開し、手足を拘束さ  
れているエトナは悲鳴を上げることもできずにただ弄ばれるしかない。  
「いい顔ですねえエトナさん。ほら、鼻水垂れ流しになってますよ、みっともない」  
 フロンの笑い声が聞こえたが、今のエトナには表情を取り繕う余裕すらない。ただ、襲  
い来る激痛と、それに反して脳髄を駆け上る快楽の波に必死に耐えるしかない。  
「さて、そろそろ、もう一度聞いてみましょうか」  
 呟くと同時に、フロンはエトナの口に入り込んでいた触手を全て後退させた。口腔を圧  
迫していた異物感が一息に消失し、エトナは激しく咳き込む。そんなエトナの顔を後ろか  
ら覗き込み、フロンは優しい声音で囁いた。  
「どうですかエトナさん。わたしの奴隷になってくだされば、こんなに苦しい思いをしな  
くてもすむんですよ」  
 激しく喘ぎながら、エトナはぼんやりとフロンの顔を見た。真横に、感情の読めない青  
い瞳があった。  
「反抗的になって苦しむよりも、大人しく従って気持ちよくなりましょうよ。ほら、こう  
いうの、そんなに悪くはないでしょう」  
 フロンはエトナの膣に侵入している触手をゆっくりと蠢かせる。緩やかな刺激に背筋が  
震え、エトナは熱っぽい息を吐いた。  
「気持ちいいですか。エトナさんが素直になってくだされば、もっともっと気持ちよくし  
てあげますよ」  
 天使の口から、悪魔の囁きが漏れ出る。その間にも、フロンは触手を動かし続けていた  
快楽と苦痛が脳の中でグチャグチャに混ざり合い、視界が濁り始める。まるで空を飛んで  
いるかのような浮遊感の中、エトナは小さく、頷いた。  
 
「そうですか。奴隷になって下さるんですねエトナさん」  
 フロンが喜びに満ちた声を上げる。エトナはもう一度こくりと頷き、甘えるように背後  
のフロンにもたれかかった。  
「もっと気持ちよくして」  
「はい、もちろんです」  
「あ、でも」  
「なんですか」  
 きょとんとしたようなフロンの声に、エトナは目をとろんとさせながら答えた。  
「こんな体勢じゃイヤ。フロンちゃんの顔を見ながらイキたいの」  
「我侭な奴隷さんですね。でも、いいですよ」  
 苦笑気味に言いながら、フロンは一度触手の拘束を解いて、ぐったりしたエトナの体を  
自分の方に向けさせた。涙に滲むエトナの視界に、ぼやけたフロンの微笑が映りこむ。  
「さ、エトナさん。これでいいですよね」  
「うん、お願い、フロンちゃん」  
「駄目ですよ、奴隷さんがそんな言葉遣いじゃ」  
 フロンがエトナの腰を軽くつねる。エトナは小さな嬌声を上げながら、こくりと頷いた  
「はい、ごめんなさい、ご主人様」  
「よろしい。可愛いですよ、エトナさん。ご褒美にたくさん可愛がってあげますからね」  
 フロンがゆっくりと、エトナに顔を近づける。その瞬間を、エトナは見逃さなかった。  
(くたばれ)  
 心の中で怒声を張り上げながら、ありったけの力を振り絞って口を開け、フロンの喉笛  
目掛けて首を伸ばす。タイミングは完璧、体勢的に、阻まれる恐れもないはずだった。  
 しかし、エトナの牙が捕らえたのは、フロンの喉ではなく、左腕だった。あり得ないほ  
どの反応速度で、とっさに喉をかばったのである。エトナは悔しさを覚えながらも、フロ  
ンの左腕を噛み千切った。  
「痛いですね」  
 フロンは噛み千切られた左腕を見下ろす。血が流れて骨がむき出しになっている様は見  
るからに痛々しいが、フロンは微笑を保ったまま眉一つ動かさない。エトナはフロンの左  
腕の肉を少し噛んでから、持ち主目掛けて吐き捨てた。  
「やっぱ、薄汚い奴の肉なんて食ってもマズイだけね」  
 挑発するように言い放つと、フロンは少しだけ悲しげに眉尻を下げた。  
 
「嘘吐いたんですねエトナさん」  
「当たり前でしょ。このアタシが誰かの奴隷に? ハッ、馬鹿なこと言わないでよね」  
 会話の最中も、フロンの触手はエトナの膣と腸を嬲るように動き続けている。しかし、  
エトナはその痛みをこらえながら、余裕の笑みを浮かべてみせる。  
「大体ね、ケツの穴犯したぐらいでアタシを屈服させられると、本気で思ってたわけ?   
ナメんのも大概にしなよ、嬢ちゃん」  
 ドスの利いた声で喋りながら、エトナはフロンをせせら笑う。  
「ま、何の苦労もなく育てられた甘ちゃんじゃ、このぐらいが精一杯よね。お子様にしち  
ゃよくやったって褒めてあげてもいいけど、この調子じゃアタシを跪かせるのは一万年か  
かったって不可能よ」  
「そうですか」  
 フロンは落ち込むように小さく肩を落とした。エトナは舌打ちする。目の前の天使が何  
をしたいのか、未だによく分からないのだ。  
「でもエトナさん」  
 言って、フロンは一部が欠けた左腕を掲げてみせる。  
「お友達の喉を噛み千切ろうとするなんて、ひどいんじゃありませんか。そんなことされ  
たら死んじゃいますよ」  
「お友達?」  
 エトナは高らかに笑った。嘲笑は石壁に弾かれ、狭い室内で何重にも反響する。  
「馬鹿なこと言わないでよね。アタシはあんたのことを友達だと思ったことなんて一度も  
ないわよ」  
 別にあんたに限ったことじゃないけどね、と心の中で付け足しながら、エトナはフロン  
の反応を見る。  
 さっきの一言は、フロンの心を大きく抉ったらしかった。あからさまにショックを受け  
た様子で、目には涙が溜まっている。  
「ひどいですエトナさん。わたしはエトナさんのために」  
 言っていることとやっていることが支離滅裂だ。エトナは今だ消えない違和感に苛立ち  
ながら、フロンを鼻で嘲笑う。  
「馬鹿じゃないの。この世界ね、力が全てなのよ。あんたみたいななよなよした奴、あた  
しにとっちゃ都合のいい駒でしかないのよ。お友達ごっこしてたのだってそのために決ま  
ってんでしょ」  
「そんな」  
「悔しかったら、あたしを力で屈服させてみなさいよ。もっとも、あんたが浅知恵振り絞  
ってケツ犯そうが子宮かき回そうが無駄な話だけどね。何度だって騙して、絶対にその喉  
笛噛み千切ってやるわ」  
 声にありったけの殺意を込めながら、エトナは言い放った。先ほどまで成すがままにさ  
れていたことで、思っていた以上に怒りが溜まっていたのかもしれない。  
 だが、これは一種の賭けでもあった。実際に子宮を蹂躙されたりしたら、果たして意志  
が持つかどうか。  
 
(いや、弱気になるな、エトナ。あたしは誰よりも強い悪魔。こんな、苦労知らずのお嬢  
なんかに負ける訳がない)  
 自分に言い聞かせ、エトナはフロンを睨みつける。腕力や魔力ならともかく、精神力や  
気合で負けるつもりは毛頭になかった。  
 こうやって、怒りを露にして睨みつければ、大人しいフロンは必ず引き下がるはずだ。  
この部屋から抜け出せさえすれば、後はいくらでも策の練り様はある。  
(とにかく、今はこいつをビビらせて)  
 そう考えたところで、エトナは目の前の光景にギョッとした。  
 フロンが、こちらを見ていた。ただ無表情に、じっとこちらを見つめている。濁りのな  
い湖を連想させる、澄んだ青い瞳で、じっと。いや、湖というより、それは沼だった。ど  
こまでも青く透き通っているくせに、いくら目を細めても底を見通すことのできないほど  
に、深い深い底なし沼。  
 どれだけ怒りをぶつけようと、どれだけ殺意を投げつけようと、全てを飲み込まれてし  
まう気がした。  
(なんなのよ、こいつ)  
 エトナは小さく身震いした。喉がカラカラに乾き、胃の辺りがぎゅっと収縮する。  
 それは、いつものフロンのはずだった。立ち振る舞いも口調も、癖の一つ一つを取って  
みても、目の前にいるのがフロン本人であることは否定できない。  
 だが、だというのに、嫌悪感すら呼び起こす違和感が、どうしても拭いきれないのだ。  
 緊張に身を強張らせるエトナの前で、フロンはゆっくりと立ち上がった。エトナの体か  
ら全ての触手を引き抜き、再び翼に畳みなおす。  
 そうしてから、無言で部屋を出て行った。  
(逃げた、の)  
 エトナの理性はそう判断した。自分との睨み合いに耐え切れなくなったフロンが、まだ  
余裕のある内に逃げ出したのだと。  
 しかし、本能はそれを否定していた。このままで済むはずがないと、体の奥底から何か  
が警告をよこしているのだ。  
 そして、理性ではなく本能の正しさが、すぐに証明されることとなった。  
 
「エトナさん」  
 扉の向こうから、声が聞こえてきた。返事をすることもできず、エトナは次の言葉を待つ。  
「ごめんなさい。わたし、失礼でしたね」  
 見かけだけは木製の扉が、蝶番をきしませてゆっくりと開いていく。外部から意外なほ  
ど明るい光が差し込み、エトナは眩しさに目を細める。  
「そうですよね、女王様と奴隷の関係を築くには、それ相応の覚悟がいりますよね」  
 強い逆光の中を、フロンは悠然と歩いてくる。  
「分かりました。わたしも今まで以上に真剣に、あなたを調教します」  
 エトナの少し前で立ち止まったフロンの背後で、扉がゆっくりと閉まっていく。  
「わたしの力であなたを屈服させて、身も心も完全な奴隷に作り変えて上げますから」  
 再び訪れた薄暗がりの中で、フロンは手に握った棘だらけの鞭を叩き鳴らして、にっこ  
りと微笑んだ。  
「覚悟してくださいね。これも、愛のためです」  
 その瞬間、エトナは違和感の正体を直感的に理解した。  
(やっぱり、これはいつもどおりのフロンちゃんなんだ)  
 愛を広めることに命を賭ける、愚かなほどの情熱を持った見習い天使。  
(でも、いつもとは違う。この子は今、どうしてだか分からないけど、愛っていう物以外  
が何も見えてない状態なんだ。ううん、その愛の形が歪んでいることにすら気付かない、  
気付けない状態)  
 痛めつけて屈服させ、快楽を体に刻みつける。  
 そんな、明らかに異常な方法を、欠片も異常だと思っていない。  
 だから、エトナに愛を教えるという目的に従って、手段を選ばずなんでもする。  
 重傷の一号を放っておいたり、エトナを無理矢理監禁したり、有無を言わさず陵辱した  
り。  
 それが正しい方法だと信じ込んでいるのだ。この行動の先に、エトナが会いに目覚める  
ことを確信しているのだ。  
 今自分が何をしているのか、本当にこの方法が正しいのかと疑う思考回路自体が、完全  
に遮断されている。  
(どうしてこんなことに)  
 エトナには、フロンがそうなってしまった原因が少しも分からなかった。  
 分かるのは、今のフロンがとても危険な存在であるということと、そんな存在の手の平  
に、自分が成す術もなく転がされているということだけ。  
「さ、それでは始めましょうか」  
 床に鞭を叩きつけながら歩いてくるフロンを見つめて、エトナは大きく体を震わせた。  
 
 

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