「うむぅ……参りましたねぇ……」  
 フロンは自室の椅子に座って唸っていた。  
 「エトナさんを素晴らしきS&Mの世界にご招待して、愛に目覚めていただこうとは思ったものの」  
 手には例のエロ本。そんな物を真剣に読んでいることからも分かるとおり、フロンの思考回路は未だに狂いっぱなしだった。  
 今の彼女の頭の中では愛=性欲の等式が成り立っているのである。ギシギシアンアン=愛の最大表現な訳だ。  
 そういう思考に従って、彼女は地下室から自室に戻ってくる途中にも様々なカップルを無理矢理成立させてきた。  
 彼女の通った後には獣のような嬌態を繰り広げる男女が延々と残されたのである。  
 たとえばガサツな戦士(♂)と素直になれない格闘家(♀)をくっつけてみたり、  
 人肌を恋しく思っていた魔人とそんな彼を影から見つめてため息を吐いていたアーチャーを交わらせてみたり、  
 極めつけは誘惑に耐えていた僧侶(♂)とサキュバスをベッドに直行させた件。  
 他にも罪を償うべきプリニーが乱交してみたり盗賊が魔法剣士のハートを奪ってみたりと現在の魔王城はエロスのるつぼと化していた。  
 ここまで広範囲に影響を及ぼすフロンの魔力、推して計るべしである。  
 しかし、そんな彼女もエトナに対しては慎重にならざるを得なかった。  
 なにせエトナである。イジメ嫌がらせ大好き、まさに悪魔の鑑とも言うべき女なのだ。  
 「他の人たちみたいに内に眠る愛を呼び覚ましても、エトナさんと一号さんではいつもどおりになるだけな気がします」  
 つまり、S=エトナ、M=一号である。それではだめだ。フロン的にいつもどおりのその光景に愛を感じないから。  
 「やはりここはS=一号さん、M=エトナさんを実現して互いの気持ちを分かっていただかなくては」  
 そうやって互いのことを芯まで知ることによって、互いを思いやる気持ちが生まれる=愛ということらしい。  
 「でもでも、そうするにはお二人に心の底からSとMになりきっていただかなくては……」  
 一号に関しては大丈夫だろう、とフロンは考えている。いかに心優しき天使見習い一号とは言え、普段あれだけいじめられていれば少しは怒りがたまっているはずである。Mの役割を与えられたエトナを前にすれば、一号とて自然にSの快感に目覚めるであろう。  
 となると、  
 「やっぱり問題はエトナさんですね……」  
 他人に苦痛を与えるのが趣味のような女だ。そんな女が根っこまでSの性質だろうということは、子供でも分かる簡単な図式である。  
 「どうしたらいいんでしょう」  
 首を傾げたフロンは、ふとエロ本のあるページに目を奪われた。  
 「雌奴隷過激調教日記……」  
 文面を読んでいく内に、フロンの瞳が輝きを増していく。  
 一通りそのページを読み終わった彼女は、興奮した面持ちで立ち上がった。  
 「これです!」  
 ……この一言で、これから数ヶ月先までのエトナの運命は決まったも同然だった。  
 
 
 「あー、あっつー」  
 エトナは自室のベッドでのびていた。  
 その日の午後になって、何だか城内の気温が一気に上がったようなのである。  
 ついでに言えば何だかそこかしこから悲鳴のような変な声が聞こえてくるようで、  
 「なんなんだかねー、ったく」  
 気だるげに呟いたとき、部屋のドアが勢いよく開かれ、エトナの弟子の天使見習い一号が入ってきた。  
 「おーお帰り一号……どったのゆでダコみたいな顔して?」  
 一号は真っ赤な顔のまま、勢いよくドアを閉めた。ついでに厳重に鍵までかける。  
 まるで外に何か恐ろしい怪物でもいるような、切迫した雰囲気である。エトナは眉根を寄せた。  
 「……? あんた、外の様子見に行ったんでしょ?」  
 頼んだのがエトナ自身だから、それは確かである。一号はドアを背に荒い呼吸を落ち着かせて、  
 「そ、そうだったんですけど……」  
 と、恥ずかしそうに俯いた。もごもごと何か言っているが、声が小さすぎてエトナには聞こえない。  
 「なに? 何かあったの?」  
 「いえ、あの……だって、皆さんがあんなことをなさってるなんて、そんな……」  
 要領を得ない一号の答えに、エトナはだんだんイラついてくる。  
 「……ったくあんたって子はいつまで経っても役に立たないわねー」  
 吐き捨てるように言って、エトナは立ち上がった。  
 「いいわ、自分で見てくるから」  
 「えっ!?」  
 驚いて顔を上げる一号が見えていないかのように、エトナは部屋のドアに向かって歩き出す。  
 「だ、ダメですエトナ様! 今外に出られては危険」  
 「どきな」  
 冷たく言いながら、一号を横に蹴り飛ばすエトナ。加減のない一撃に、一号は壁まで吹き飛ばされる。  
 背中を思い切り打ち付けて咳き込む一号に、エトナはにやりと笑いながら言った。  
 
 「あんた、何か勘違いしてない? あたしはね、別に弟子が欲しかった訳じゃないのよ。サンドバッグが欲しかったの。  
 でも普通のじゃつまんないから、悲鳴を上げてのた打ち回ってゲロ吐いて苦しむサンドバッグがいいなぁって、そう思っただけ。  
 ついでに、それが高貴で純粋で絶世の美貌を誇る天使様だったら最高だなぁってね。あんたを作ったときそう言ったでしょ? 覚えてる?」  
 小首を傾げるエトナに、一号は咳き込み、苦しみながらも頷いた。  
 「……はい。よく……覚えています……」  
 「そう。じゃ、言ってみな? あんたはなぁに、一号?」  
 訊ねかけるエトナに、一号はグッと唇を噛み、俯きながら答える。  
 「……私、天使見習い一号は……エトナ様の、エトナ様だけの奴隷です。この魔界で一番劣った生き物です。何の役にも立たない、どうしようもないクズです……」  
 「それだけ?」  
 「……私の役目は、エトナ様のストレスを解消することです。エトナ様のご気分を晴らすためなら、喜んでこの命すら捧げます。それが私のような出来損ないの天使にとっては至上の喜びです……」  
 そのやり取りは、何度か繰り返されたものらしい。一号は苦しげにそう言ったものの、言葉の途中でつまることはなかった。  
 エトナは実に満足げな、嗜虐の喜びに満ちた微笑を浮かべた。  
 「……じゃ、アタシが帰ってきたらお仕置きね?」  
 「……はい、喜んで。エトナ様の望まれるままに、哀れで卑小な私をお嬲りください……」  
 悪魔である自分に対し、見習いとは言え絶世の美貌を誇る天使がこんなことを言っている。  
 その快感に背筋を震わせながら、エトナは部屋を出て行った。  
 一人残された一号は、壁を背に座り込み、膝の間に顔を埋めた。  
 「……エトナ様……どうかご無事でお帰りくださいますよう」  
 祈るような呟き。その裏にどのような感情が潜んでいるのか、それを知る者は一号本人のみであった。  
 
 
 「これは……一体」  
 魔王ラハールの弟子であり魔王軍随一のアーチャーであるチャコは、  
 目の前で繰り広げられている光景に唖然として立ち尽くしていた。  
 手足と手足で絡み合い、肌を重ねて嬌声を上げる、数え切れないほどの男と女。  
 まさに狂乱の宴。痴態嬌態破廉恥卑猥。そういった類の表現が、次々と脳裏を通り過ぎていく。  
 とは言え、チャコが間抜けにもその場に突っ立っているのは、そういったものに対して耐性がないからではない。  
 人間の基準で言えば若々しい外見をしたチャコだが、これでも3000を超える齢である。  
 現在の天使長であるブルカノが3649歳だから、むしろ立派な大人のオンナと言ってもいいのだ。下手をすれば年増の領域だ。  
 だから、そういったことに対する知識はあるし、経験だって豊富とは言えないにしろあるにはあるのである。  
 彼女が唖然としているのは、そうした痴態が繰り広げられている場所が問題だからだった。  
 「こ、ここは魔王ラハール様の寝所も兼ねる魔王城なのよ……!?  
  いや、ある意味この上なく悪魔らしいと言えば悪魔らしいと言えなくもないんだけど!」  
 飛び交う嬌声と淫靡な音に囲まれながら、頭を抱えて煩悶するチャコ。  
 普段は凛とした態度で部下を叱咤し軍団をまとめる彼女も、  
 さすがに「魔王城の廊下で乱交パーティが繰り広げられている」というこの異常極まりない事態には思考停止を起こしかけていた。  
 「ほんと、すっごいわよねぇ」  
 突然後ろから声がして、チャコは思わず飛び上がってしまった。反射的に振り向くと、そこには見知った顔が一人。  
 「エトナ、か」  
 息を整えながら、言う。いつの間にやら背後に立っていたエトナは、  
 チャコの肩越しに魔王軍一同の乱痴気騒ぎを眺めながら「うわぁすっごーい」などとのん気な感想を漏らしている。  
 「何だろーねこりゃ。発情期でも来たのかな?」  
 「知らんな。私はてっきり貴様が何かしたのではないかと思っていたが?」  
 軍人モードの冷徹な口調で皮肉を飛ばすチャコ。人格や口調も使い分けているのである。  
 「うっわひどいねチャコ。何を根拠にそんなことを?」  
 「こういった趣向を好みそうな者など貴様ぐらいしか思いつかん」  
 チャコは嫌悪感も露わに吐き捨てる。彼女もラハールの弟子=側近である以上、エトナとは同等の立場なので、遠慮など欠片もない。  
 「またまた、ンなお堅いこと言っちゃって。んなことより部下の痴態見て楽しもーよ」  
 言葉どおりに乱交騒ぎを見物しつつ、チャコに向かってぴらぴらと気軽に手を振るエトナ。チャコのこめかみに青筋が立つ。  
 「貴様……仮にも自分の指揮下にある者がこうもおおっぴらに規律を乱しているというのに……!」  
 「いーじゃん別に。悪魔が規律とか何とか気にしたってどうにもならないっしょ? うわすっごーい、あんな体位真似できないって」  
 チャコの苦言を全く無視して一人きゃいきゃい騒ぐエトナ。チャコの顔が引きつる。  
 このようにこの二人、同じような立場にありながら全く気が合わないのであった。  
 「うーん、でも誰だか知らないけどなかなか粋なことしてくれるわねぇ。こんなこと滅多にないわ」  
 「当たり前だ、こんな気狂いじみた騒ぎがそうそうあってたまるか」  
 「まあまあそう言わずにさ、折角だから仲良く鑑賞しようじゃない。たとえばあれなんかどう?」  
 
 と、エトナが指差したのは、柱の辺りで絡み合う二人の魔法使い(♀)だった。赤魔法使いと青魔法使いである。  
 妖しく微笑む赤魔法使いが、服を脱いで上半身をさらした青魔法使いの乳房に執拗に舌を這わせている。  
 どうもその辺りに「弱い」部分があるらしく、赤魔法使いが唾液を擦り付けるように舌を動かす度に、  
青魔法使いは悩ましげな吐息を漏らしながらビクリと体を震わせる。  
 あらぬ方向を見つめている瞳は快楽に濁りきっており、普段魔法を操る際の冷静な色は微塵もない。  
 「あの二人って、戦うときいっつもペア組んでんのよねー。青い方が赤い方を『お姉様』とか呼んでてさー。  
  怪しい怪しいと思ってたけどやっぱりレズだったか」  
 「嘆かわしい……!」  
 「まあまあ。じゃ、あれなんかどーよ?」  
 エトナの指が他の方向を指す。  
 そこでは、僧侶(♀)が四人の格闘家(♂)によって床に組み伏せられていた。  
 「あ、あれは強姦ではないのか!? さすがに黙っては……」  
 「いやいや、よく見なさいって」  
 慌てるチャコを、エトナは軽く制した。  
 僧侶は三人の格闘家に押さえつけられ、残りの一人に挿入されている。レイプにしか見えない光景だが、  
 しかし僧侶の顔には明らかな悦楽の色が浮かんでいるようだった。しかも挿入している格闘家が  
 彼女に腰を打ちつける度に、その口から出てくるのは明らかに悲鳴ではなく嬌声。  
 「な……え? あれ?」  
 「お客さんお客さん、世の中にはSMってもんがあるんですぜ。どっちかってーとイメクラっぽいけど」  
 混乱するチャコに、下品な笑みを浮かべながら変な解説をするエトナ。  
 実際そういうプレイをしていたものらしい。その体裁すらその内どうでもよくなってきたらしく、  
 僧侶はよがり声を上げながら格闘家を押し倒し、彼の腰に跨って自ら腰を上下させ始めた。  
 いわゆる騎乗位というやつである。その上残りの三人の格闘家の内、二人の陰茎を手でしごき、  
もう一人の物を口に咥えるという離れ業もやってのける。いつもの清楚な様子からは想像もつかない、大した雌犬ぶりだった。  
 「……」  
 「いやー、やっぱあの噂って本当だったんだなぁ」  
 「……噂?」  
 「そ。あの僧侶、普段は清純ぶってるけど、実は性欲有り余ってる上に筋肉マニアだって噂があったのよ。  
  格闘家治療するときだけやたらと肌触りたがってたとか、そういうときだけ頬が赤かったり息が荒かったり」  
 嬉々として話すエトナ。チャコは脳がクラクラするような錯覚を覚えた。  
 彼女とて、あの僧侶に治療してもらったことは何度もあったのである。  
 その度に優しい微笑みに包まれ、精神すら癒されるような心地よい気持ちになったものだ。  
 そんな、僧侶の鑑として尊敬していた悪魔が実はそういう嗜好の持ち主だったとは。  
 「……私は一体何を信じればいいのだ……」  
 「まーまー、難しいことは考えずに素直に楽しんでおこうよ、ね?」  
 
 気楽にぽんぽんチャコの肩を叩くエトナ。人の気も知らないで、とチャコは脳天気な同僚を睨みつける。  
 しかし、実際には部下たちの嬌態から目を離せずにいた。  
 むせ返るような精液の臭いを嗅ぎその場に満ちる生の叫び声を聞いていると、だんだん思考が鈍ってくる錯覚すら覚えてしまう。  
 後ろから格闘家(♀)を責め立てている戦士(♂)がいる。  
 よくよく見てみると、性器ではなく菊門に挿入しているのが分かり、さらに嫌な気分になる。  
 僧侶(♂)の目の部分を黒い布で縛り、裸に剥いた挙句に数人で彼の体に絡み付いているサキュバスの一団がいる。  
 こういう場になれば彼女らの本領発揮というものだろうが、僧侶の方が「神よお許しください」と叫びつつ自分の物を勃起させ、  
 なおかつ射精の度に喜びの声を上げているのはいささか情けない光景である。  
 ゴーレムやらドラゴンやらの異形のモンスターに体中を弄くり回されて、悶絶寸前の戦士(♀)がいる。  
 モンスターの触手によって性器と口を塞がれてなお、その顔には薄らと喜悦の色が窺える。何と言うか正気の沙汰ではない。  
 他にも数匹のプリニーに囲まれてバイブやら何やらを突っ込まれた挙句、馬のように背に乗っかられている侍やら、  
 覆面被った魔法使い(♂)数人に逆さづりにされて鞭で叩かれたりしている天使兵やら、  
 獣のような姿勢で放尿プレイをしているネコマタやら、プレイのバリエーションも様々である。  
 しかし、それら以上にチャコを驚かせたのは、少し離れたところにできている人だかりであった。  
 アーチャーらしく目のいいチャコは、そこで何が行われているのか一瞬で悟り、目を見開いた。  
 「馬鹿な……!」  
 舌打ちしつつ、チャコは駆け出した。立ちふさがる男たちの背中を押しのけ、人だかりの中央に出る。  
 「……!」  
 絶句する。嘘だと思いたい、現実だと認めたくない光景が眼前に広がっている。  
 大勢の男たちに囲まれて、その人だかりの中央には三人のアーチャーがいた。  
 皆一様に、全身を白い液体で汚している。そんな無残な格好だというのに、三人のアーチャーの顔には恍惚の表情が浮かんでおり、  
 自分たちが大勢の男たちによって汚されているという現実を喜んでいるらしかった。  
 同じアーチャーであるチャコには、三人のアーチャーが誰であるかはすぐに見分けがついた。皆、自分の直属の部下だ。  
 「お前たち……!」  
 胸に渦巻く感情をどう表現していいか分からなかったが、ともかくも声をかける。  
 三人の内二人は緩慢な動作で振り返り、精液で汚れた顔に白痴めいた笑顔を浮かべた。  
 「あー、たいちょーだー」  
 「たいちょー……きもちいいですぅ……」  
 その瞳には、理性の輝きが欠片も浮かんでいなかった。  
 口から出る言葉も呂律が回っておらず、彼女らが正気でないことの証拠になっている。  
 チャコは自分の顔面に血が上ってくるのを自覚しながら、叫んだ。  
 「貴様ら! こんなところで何をやっている!? 自分が何をしているのか……!」  
 込みあげる激情に邪魔されて、それ以上言葉が繋がらない。  
 普段ならこんな風にチャコに怒鳴れればすぐに居住まいを正すはずの二人は、しかしあの虚ろな笑顔を浮かべたままだった。  
 「そんなこといわないでぇ……たいちょーもごいっしょにぃ……」  
 「そーですよぉ……せーえきかけてもらうの、とってもきもちいいんですよぅ……」  
 「何を……!?」  
 
 チャコが部下と話している間にも、周囲の男たちは己の男根をしごき続けていた。  
 その内一人の物の先から、白い液体が飛び出して、チャコの部下の頬にべっとりと張り付く。  
 普段なら悲鳴でも上げるであろう部下たちは、しかしこの上なく気持ち良さそうに目を細めるだけである。  
 「ああ……いいのぉ……もっとぉ……」  
 「かけてぇ……せーえきほしいのぉ……」  
 二人の懇願に答えるように、周囲の男たちから次々と白い液体が注がれる。全身にそれを浴びて、二人は喜びに全身を震わせた。  
 あまりのことに気を失いそうになりながら、チャコは残りの部下に目を移す。  
 一番後に魔王軍入りした、同郷の部下。人一倍気が弱く、動きがトロくて不器用で、その上泣き虫な部下。  
 夜中に怖くて眠れないというから添い寝してやったことすらある、一番頼りない部下。  
 女だけの社会で育ってきたアーチャーらしく男性恐怖症の気があり、男戦士に言い寄られて恐怖のあまり泣き出してしまったような、  
 弱弱しくも可愛らしい、妹のような女の子。  
 そんな彼女が、全裸で床に這いつくばり、精液を舌でなめ取っていた。まるで犬のような……  
 いや、これならば犬の方がまだマシとすら言える嬌態を、あれだけ怖がっていた男たちの前に曝け出している。  
 「ああ……せーえきとってもおいしいのぉ……もっとちょーだいぃ……もっともっとわたしをよごしてぇ……」  
 呂律の回らない舌でそんなことを口にしながら、彼女は指で自分の性器を弄くっている。  
 男たちが精液を飛ばす勢いが鈍ってきたと感じたのか、不満顔で彼らに歩み寄り、自ら彼らの男根を口に咥える。  
 竿を舌で躊躇いもなく舐め回しながら、その上自慰も止めない彼女の痴態を見て、  
 チャコはどうすることもできずに立ち尽くすしかなかった。  
 最早異常という言葉すら生ぬるい、狂気の沙汰であった。  
 「あー、なるほど、アーチャーって木から生まれて来るんだもんね。精液かけられて喜ぶってのも道理っちゃー道理か」  
 いつの間にやら隣に来ていたエトナが、そんなことを口にする。チャコは弾かれたように振り向くと、彼女に掴みかかった。  
 「貴様! やはり貴様か! 今すぐ私の部下を元に戻せ!」  
 「いやだから違うってば。大体あたしの魔力じゃここまでできないっての」  
 チャコの手を払いのけながら、エトナはきっぱりと言う。  
 それが事実であることはチャコ自身承知していたので、反論することはできなかった。  
 「ならば……一体誰が……」  
 「さぁねぇ……でもさ、魔力の問題だけで言うなら、この城ん中に一人だけできそうな子がいるよねぇ」  
 示唆するようなエトナの言葉に、チャコはハッと目を見開く。  
 
 「まさか、フロン様が!? 馬鹿な、あの清楚なお方がこんな……」  
 「でも、それ以外にゃ考えられないんじゃないの? 外部から誰かが入り込んだってんなら別だけどさ」  
 エトナの言うとおりだった。軍団長としてトップクラスの実力を誇る彼女らも、  
 魔王軍最強の斧天使の名を欲しいままにするフロンには手も足も出ない。彼女との魔力差はそれ程のものなのである。  
 「しかし……いや、だが……」  
 「ま、誰がどうやったにしたってあたしはどうでもいいんだけどさ」  
 肩をすくめるエトナを、チャコはキッと睨みつける。  
 「貴様、よくもそんな気楽に……」  
 「しっかしさぁ」  
 エトナは苦笑する。  
 「こういう、強大な魔力の持ち主は誰だーって話になってるのに、名前すら挙がらない魔王様ってのもなっさけないよねー」  
 その言葉に、チャコはまたハッとさせられた。  
 魔王様。チャコの師匠でもある、魔王ラハール。  
 (そうよ……忘れてた……城中がこんな状態になっているとしたら、ラハール様は……!?)  
 チャコの顔が見る見る内に青ざめていく。  
 一瞬の後、チャコはその場から全速力で駆け出していた。  
 男たちに囲まれている部下のアーチャーたちも、痴態を繰り広げる他の部下達も全てほっぽり出して。  
 「あーらら冷たいの。ま、チャコは殿下大好き悪魔だし、仕方ないっちゃ仕方ないけどね」  
 気楽に肩をすくめたあと、エトナは楽しそうに周囲を見回す。  
 「しっかし、ホントに誰だか知らないけど面白いことしてくれたもんよねー」  
 少女の顔に似合わぬ、妖艶な笑みが口もとに浮かぶ。  
 「フロンちゃん……じゃないよわよねさすがに、あの性格だし……それに今地下の掃除してるはずだし」  
 チャコに話したとおり、エトナはこの事態を大して重くは見ていなかった。  
 元来悪魔は騒動大好きな動物である。エトナはその代表格、危機感よりも期待感が勝るのだ。  
 「はぁ……だけど、こいつら見てたら何だかアタシまで燃えてきちゃったわねー」  
 呟きながら、エトナはそっと下半身に指先を滑らせる。  
 (……濡れてる……)  
 それを確認し、エトナはニヤリと微笑み、自室の方へと踵を返した。  
 「一号へのお仕置き……冗談のつもりだったけどマジでやっちゃおっかなー」  
 そんなことを、楽しげに呟きながら。  
 
 
 (……ラハール様、ラハール様、ラハール様……!)  
 心の中で主君の名を連呼しながら、チャコは全力で狂乱の城内を駆けていた。  
 廊下の隅で痴態を繰り広げる男女の姿を認める度に、胸を締め付ける不安が大きくなっていく。  
 (ああ、ラハール様、どうかご無事で……!)  
 仮にも魔王であるラハールを、弟子であるチャコがこうも心配するのにはもちろん訳がある。  
 魔王ラハールは弱いのだった。レベルで言えば5である。最強の斧天使フロンはもちろんのこと、  
 側近であるエトナやチャコは言うに及ばず、下手すれば下っ端のプリニーにすら勝てるかどうか怪しいところだ。  
 そしてこうなった原因は、他ならぬチャコにあるのだった。  
 (ああ、ラハール様の御身に傷がつかないようにって頑張ってたのが、まさかこんなことになるだなんて!)  
 チャコはラハールの最初にして最後の弟子である。  
 弓のエキスパートとして幼い頃から厳しい訓練を積んできた彼女。  
 青春はもちろん婚期も逃して修行に明け暮れた彼女にとって、魔王の弟子になるというのはこの上もない名誉だった。  
 一体どんな人なのかしら、と期待に胸をふくらませて魔王ラハールと対面した彼女は、初対面で胸を射抜かれることになる。  
 半裸でやせっぽちで小さな体、生意気そうな赤い目に自信満々の悪がきのような口もと、ぷっくらした子供らしい頬。  
 魔王ラハールという悪魔を構成するそれらのパーツ全てが、チャコのハートを一瞬にして奪い去ってしまったのである。  
 そんな、ただでさえ参っていたチャコに止めを刺したのは、ラハールのこの一言である。  
 「なあチャコ、セックスとは何だ?」  
 心底不思議そうにラハールが聞いてきたときは、思わず鼻血を噴きそうになったチャコだ。  
 1300歳を越える年齢の、その上悪魔であるラハールが、性交に関する知識を持ち合わせていない。  
 奇跡だった。天然記念物だった。国宝だった。  
 (この人は私がお守りする!)  
 更に大きな決意を固めた彼女は、持ち前の弓の腕を活かし、敵をラハールに近づけさせなかった。  
 ラハール自身も「指揮官は前線に出ず、戦況を見渡せる場所にいるのが正しい姿」やら  
 「魔王たるもの自らの手は下さず、最後の障害となって敵の前に立ちふさがるべし」といったチャコの進言に乗せられて、  
 戦闘中敵の前に出ることはなくなった。  
 そうして、結果的に魔王が最弱の魔王軍という不思議な軍隊が出来上がったのである。  
 チャコが守り抜いたのは、ラハールの体だけでなく、あのガキ大将のような純粋さも同様だった。  
 綿密な計画を立てて情報規制を行い、ラハールの耳に性的な情報が入るのを完全に遮断したのである。  
 苦労の甲斐あって、ラハールは未だに性交について知らない。  
 本人がムチムチした……いわゆる大人の女の体が苦手だったことも、成功要因の一つだろう。  
 しかし、今それが危機に晒されている。  
 
 ラハールは昼寝中のはずだから、少なくともこの城中で繰り広げられている異常事態については知らないはずである。  
 だが、思い余った誰かがラハールの寝所に侵入しないとは言い切れないのだった。  
 (ああ、早く、早く行かなきゃ……!)  
 あの真っ白で無垢な心が汚されてしまう。そんなことを想像して、チャコは一人青ざめる。  
 そうして全速力で城を駆け抜け、王座の間の扉を開け放った瞬間、ラハールの声がチャコの耳に飛び込んできた。  
 「こら貴様、何をする、止めろ!」  
 遅かったか。  
 一瞬絶望的な気分になりながらも、チャコは王座に続く階段を駆け上る。  
 「ラハール様!」  
 叫んだとき、ちょうど王座が見えた。  
 「チャコか!? 早く来い!」  
 ラハールも必死な声で叫び返す。  
 そして階段を上りきったところで、チャコは彼女的にこの世で一番おぞましいものを見た。  
 王座にラハールが座っている。  
 いや、正確には王座に座っているのではない。王座に座る誰かの膝の上に、ラハールが無理矢理座らされている。  
 そしてその誰かとは、魔王軍の一員である魔法剣士だった。  
 頬を赤らめた魔法剣士が、明らかにイッちゃってる目で嫌がるラハールを拘束し、彼の顔に頬を摺り寄せている。  
 「ああ……ぷにぷにほっぺ……」  
 「ええい、何を意味不明なことをほざいているか! 離せー!」  
 じたばた暴れるラハールだが、いかんせんレベル5の実力で魔法剣士の拘束を振りほどくのは無理なようだった。  
 魔法剣士はうっとりした表情のままラハールに顔を近づけ、おもむろに彼の耳を口に含んだ。  
 「ひっ!?」  
 おそらく生まれて初めてであろう気色悪い感触に、ラハールが引きつった悲鳴を上げる。  
 魔法剣士はしばらくラハールの耳を口に含んだままもごもごと味わっていたようだったが、おもむろに口を離し、  
 「ハァハァ……とっても可愛いラハールきゅん……食べちゃいたい」  
 「死にさらせコラァァァァ!」  
 怒りの咆哮と共に跳躍したチャコの蹴りが、魔法剣士の顔面に突き刺さる。敵の動きが止まったと見るや、  
 チャコはラハールと魔法剣士の体を無理矢理引き剥がし、魔法剣士を王座の間の入り口に向かって投げ飛ばした。  
 さらに敵の身体が空中にある内に必殺の大技ドッペルゲンガーをお見舞いする。分身して弓を射掛けるアレである。  
 増殖したアーチャーに四方八方から攻め立てられてハァハァなどと不届きな妄想をした諸兄も多いであろう。  
 容赦のないチャコの攻撃に、魔法剣士の体は床に打ちつけられる前に既にボロ雑巾と化していた。  
 しかしチャコはまだ許さず、一気に階段を下りて敵に駆け寄り、胸倉をつかんでその体を無理矢理引きずり起こす。  
 「何がラハールきゅんよこのクソアマ! 私だってまだそんな風に呼んだことないっての!  
  その上耳を口の中でもきゅもきゅなんてやりたくてもできないこと平気でやってくれちゃって! ちょっと、聞いてるのあなた!?」  
 ガクガクと体を揺さぶりながら怒りの声を叩きつけるチャコに、魔法剣士はしばらく無反応だったが、不意にへらっと笑い、   
 「えへへぇ……ラハールきゅんのちっちゃなお尻を思う存分さわさわ」  
 「いっぺん魂滅しろやコラァ!」  
 チャコは絶叫しながら魔法剣士を廊下に放り投げ、王座の間の扉を閉めて厳重に施錠した。  
 施錠するだけでなく、出来うる限りの魔術的な封印も施しておく。  
 これで、城内でこの部屋に入れるのはせいぜいフロンかエトナぐらいのものとなった。  
 
 「これでよし、と」  
 一息吐く暇もなく、チャコは階段を駆け上る。  
 (ラハール様……!)  
 敬愛する彼女の主君は、王座の前に倒れ伏していた。  
 まさか……と、最悪の想像が頭をよぎる。しかし、ラハールのうめき声が聞こえてきたので、チャコはひとまず安心した。  
 「ラハール様、ご無事ですか?」  
 「……無事なわけないだろうが」  
 かろうじてそれだけを口にするラハール。どうやら消耗していて自分の力で立てないらしい。チャコは、彼の小さな体を抱き起こした。  
 「ラハール様……」  
 「……一体どうなっているのだ。昼寝していたら突然あの女がやってきて、  
  体をべたべた触られるはムチムチした胸を押し付けてくるわ……」  
 ここまで消耗しているのは、どうやらそれが原因らしい。  
 (ああ……ラハール様が汚されてしまった……!)  
 半ば大袈裟にショックを受けるチャコ。  
 「申し訳ありません、ラハール様……! お側に仕えていながら、お守りすることもできず……!」  
 頭を下げるチャコの瞳から、涙が零れ落ちる。それを見て、ラハールは少し痩せこけた顔に焦りの表情を浮かべた。  
 「お、おい、何故泣くのだ? 少し身体がだるくなっただけで、怪我なんぞはしとらん」  
 「で、でも、私、ラハール様を……」  
 「罰なら後で与える。いちいち泣くな、鬱陶しい」  
 ぶっきらぼうにそう言うラハール。自分で泣かすのならともかく、勝手に泣かれるのは苦手らしい。  
 「は、はい。申し訳ありません……」  
 涙を拭って詫びるチャコに、ラハールはフンと鼻を鳴らす。そして、ふと不思議そうに聞いた。  
 「しかし、何だったのだあの女は。魔王の座を狙う輩にしては武器も持っていなかったし……  
  何やら妙に股間を擦り付けてきたが、一体あの行為には何の意味が」  
 「らららら、ラハール様! お疲れになったのではありませんか!? すぐにお休みになられませませませ!」  
 あからさまに動揺しつつ、チャコはラハールを抱きかかえたまま立ち上がる。  
 が、慌てていたせいか何もないところで足を絡めて躓いてしまい、王座に尻をうちつけてしまった。  
 「おい!」  
 「も、申し訳ありません!」  
 腕の中で文句を言うラハールに、焦って頭を下げるチャコ。  
 普段は毅然とした態度で部下をまとめる彼女も、ラハールの前では形無しである。  
 (……でも、よかった。ラハール様の貞操は守られたみたい……)  
 ある意味どうでもいいことにチャコが胸を撫で下ろしたとき、ラハールが一つ欠伸をした。  
 「……ったく、昼寝の途中で起こされるはムチムチした女に擦り寄られるは、ロクなことがない」  
 「あ、お休みになられますか?」  
 ラハールを抱きかかえたまま王座から立ち上がりかけたチャコを、当の本人が制した。  
 「いらん。ここでいい」  
 「え、ここって……」  
 「ここだ」  
 再び座りなおしたチャコのふとももに頭を乗せ、ラハールは王座の上で体を丸めた。  
 「ラハール様?」  
 「いちいち戻るのも面倒くさい。チャコ、枕になれ」  
 「え、でも」  
 「命令だ。また変なのが来たらおちおち寝てもいられんからな……起こすなよ?」  
 厳命するように念を押したあと、ラハールはすぐに寝息を立て始めた。  
 最初は戸惑っていたチャコだったが、険が取れて柔和になっていくラハールの寝顔に、思わず頬を緩ませる。  
 (……ま、いっか)  
 王座の間の外では未だに痴態が繰り広げられているのだろうが、まあそれはそれである。  
 チャコにとってはラハールが何よりも優先すべき存在なので、とりあえず彼の安全が守られていれば問題なしなのだ。  
 
 「……ん……」  
 ラハールがもぞもぞと寝返りを打つ。その無防備な姿に、チャコは苦笑した。  
 (ふふ、こうしてると、本物の子供みたい……やっぱり可愛いなぁ、ラハール様)  
 何となく、ぷにぷにと頬を突っついてみたりする。ラハールは煩わしそうに顔をしかめた。  
 そういった仕草一つ一つが可愛らしく、チャコはますます頬を緩ませた、が。  
 (……って、ちょっと待って)  
 その一瞬で不意に冷静さを取り戻し、固まる。  
 王座の間に二人っきりで、邪魔が入る余地はまずなし。ラハールは就寝中で、無防備な寝顔をさらして膝の上。  
 (うわぁ……何この状況!? 何この状況!?)  
 気がついてしまうといても立ってもいられず、チャコは無駄に周囲を見回してみたり、落ち着きなく体を揺すってみたりした。  
 「……ん〜?」  
 「あ……」  
 ラハールが顔をしかめたので、チャコは慌てて動きを止めた。そのまま黙っているとラハールはまた静かな寝息を立て始める。  
 ほっと息を吐いたあと、チャコはじっとラハールの寝顔を見つめた。  
 子供のような安らかな表情、小さな吐息を零す唇、かすかに震える睫毛、柔らかそうな頬……  
 (……ああ、何だか顔が熱くなってきた……)  
 落ち着け、落ち着け、と自分に言い聞かせてみるも、高鳴りだした鼓動は収まりそうにない。  
 (……ちょっとだけなら、いいよね?)  
 チャコはごくりと生唾を飲み込みながら、ゆっくりとラハールの頭に向かって片手を伸ばす。  
 普段ならば出来るはずもないその行為に、自然と腕が震えるのが分かる。  
 (べ、別にいやらしいことをするわけじゃないわ。ただ、ラハール様に気持ちよく眠ってもらおうと、ね?)  
 一人心の中で言い訳しながら、チャコは慎重にラハールの髪の隙間に手を差し入れ、優しく彼の頭を撫でた。  
 すると、  
 「……ん……」  
 と、ラハールの顔に気持ち良さそうな笑みが浮かび、  
 ボンッ。  
 (うわーやっばいやばいやばいって! 今私絶対顔赤いってもうどうしよー!)  
 ラハールの頭を撫で続けながら、一人心の中で騒ぐチャコ。  
 そのとき、ラハールが不意にチャコのスカートを引っ張り、  
 「……かあさまぁ……」  
 ブッ。  
 (うわーやっばいやっばい出た出た出ちゃった鼻血出ちゃいましたー!)  
 混乱するチャコだったが、ラハールの寝顔を見ている内にどうでもよくなってきたらしく、  
 (ああ……幸せってこういうことを言うのね……今なら私死んじゃってもいいかも……)  
 などと、最終的には感涙にむせぶばかりになった。  
 「鼻血と涙に顔を濡らしつつ膝枕にした少年の頭を笑顔で撫で続ける女」というのが  
 ある意味先ほどの魔法剣士以上にヤバイ物に見えるという事実に、彼女が気付いているかどうかは不明である。  
 
 そして、彼女が王座の間に篭りきりになることにより、フロンの暴走を止める人物は完全にいなくなったしまったのだった。  
 

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