「また来たの…懲りないわね」
あたしだけの世界に、領域に、入ってきた者たちを一瞥し
気怠るい躯を持ち上げる。
異界のものたち。その世界の―――魔王なのだと、そう云っていた。
「ハ−ッハッハッハッ! 今日こそは引導を渡してやるぞ、異界の魔王よ!
お前もとうとうオレ様の軍門にくだる時が来たのだ!」
一段高い所で目付きの悪い子供がひとを無遠慮に指さし、声も高らかに言い放つ。
…こいつが、魔王ねえ。
「殿下、13回目の"今日こそは"ですね」
「引導渡されっぱなしッス」
「愛を持って闘うんですラハ−ルさん!かのモンスターじいさんもそう云ってましたっ」
「だああああああっっっ!!五月蝿い五月蝿過ぎるぞ外野あああっっ」
相も変わらず騒がしい。
自称魔王――確か、ラハ−ルとか云ったか――とその配下たち。
ここ最近、時空ゲートの先からやって来てあたしにちょっかいを出しては
返り討ちに遭い退散していくという珍妙な騒々しい集団である。略して珍騒団である。
既にこの世界には、あたしに匹するだけの者など居ない。
総て、斃してしまった。
熱に浮かされたようひたすらに強さの果てを垣間見んと欲し
力を―――破壊し、粉砕し、殺害し、消滅し、制圧するための力を求め続けて
いつしかあたしは人であるのを辞めた…ことにさえ気付かないまま
悠久とも呼べる滑稽な長さの刻を過ごしていたのだ。
その頃の記憶も想い出も、今となってはもう霞掛りおぼろである。
あたしが憶えているのはただ明け暮れた闘争の記憶。
鮮明な紅い記憶だけは…今も確(しか)と…この躯が憶えている。
ゆえにこの闖入者たちの存在は、実を云えばそう悪いものでも無かった。
退屈と無気力の無限連鎖からいっときでも意識を引き離してくれる…
それは今のあたしにとって希少な娯楽であると云えた。
「では往くぞ、異界の魔王ッ! でああああっっ!」
ラハ−ルが咆哮し跳躍、脳天めがけて大剣を振り下ろす。
あたしはいつもそうしたように片手を翳し、その一撃を受け止めた。
魔界の静謐を乱すがごとくに激しく弾け散る火花と金属の大音響。
と、そこで以前には無かった手応えを感じた。
(へえ…)
「でぁぁあっ、だああぁっ!」
連続で繰り出される剣戟の雨を受け流しながら、あたしは目の前の少年を見つめた。
(一撃が重い… ちょっとの間に…随分と力をつけたものね)
初めてまみえた時にはロクに触れる事すらできなかったハズなのに。
「おっお前らーなに呑気してる! とっととオレ様を援護しろぉ〜っ」
「えーだってソイツ強いし。勝てないし。痛いのイヤだし」
「ここで勝利のダンスでも舞ってるッス」
うわ、やる気ねぇ。
このラハ−ルの肩を持つと云うワケでは無いのだが
正直この程度ではとても物足りないのである。
こいつが腕を上げたとは言っても決してあたしとサシでやり合えるレベルでは無いのだ。
(…だから)
よそ見していたラハ−ルのマフラーをわしっと掴んで
(アンタたちにも…)
「ラハ−ルさんっっ! 今フロンが助太刀に参ります! てぇぇぇ…」
(本気出して貰うわよ…っと)
ギュ―――ン
「…え゛!?」「どどどどけええええフロ―――ン(ドップラー効果)」
ドンガラガッシャーン。
もひとつおまけに
「うっわわ危なッ」「人がサンダ−バキュームボールのようッス!」
ひらり。ドンガラドゴシャカシャーン。
…魔球、サンダーラハ−ルボール。
時速ン百キロの魔王のかたまりは助太刀に入った天使(堕天使?)の娘を吹き飛ばし
直線軌道上のペンギンもどき数体をさながらボウリングピンのように薙ぎ払うと
部下の悪魔っ子に―――あ、よけた。
「わーあっぶね〜、死ぬなら独りでお願いしますね殿下−」
彼女が安堵に胸を撫で下ろした瞬間、しかし周囲でカッときらめく物体がひうふうみい。
アドン(*プリニーA)「もうダメだ!…ッス」
サムソン(*プリニーB)「兄貴ィ!…ッス」
プリニーC「この際エトナ様もぶっとんどくッス(はぁと」
「な゛っっ…なにがはぁとじゃこの際じゃああ!このおたんこな―――」
ボグォォォォォォォォォンン…!!!
大絶叫そして大爆発。やがて一帯は灰褐色の爆煙に包まれる。
風に乗り流れてきた煙と埃を避け、あたしは ばさりと両翼を広げ宙へ逃れた。
(ま、このくらいで)
「うぐぅぅ…げほげほげへげへ!」「み、みなしゃぁぁん、いきれまふかぁぁぁ〜」
(くたばるタマじゃあ…)
「あの女(アマ)ァァァァァ!! 殺すコロス殺しKILLぅぅぅぅッッ!!!」
―――にやり。
「ないわよね♪」
もうもうと煙る視界の先、三人分のシルエットが浮かび上がる。
コブのできた頭をさすりながらお子さま魔王。
両目をぐるぐる回しよたよたと可憐な堕天使。
そして殺気立ち検閲削除な語句を叫ぶ悪魔娘。
そうそうそれでいい。独りでは勝てなくとも修羅を共にした仲間となら。
…さあ、かかってきなさい。愉しませなさい。全力で!
時空ゲートからは控えていた配下達であろう、武装した数人が出現し主君らを取り巻く。
そしてあたしの内心の歓喜に呼応するように、彼らは臨戦体勢に入った。
「殿下ー!あのボンレス女、シメて捌いて魔界肉屋にグラム100ヘルで
売っぱらっちゃいましょーねッッ!!」
「…お? おお、うむ…(目がヤバいぞエトナ…)」
「ラハールさん」
「ん? なんだフロン」
「あのひと…微笑ってます」
ちらり、と一瞥を寄越す一同。
そっか。
あたし、笑ってるんだ… 云われて初めて気付く。
昂揚、久方振りに五体に沸き上がる闘争の悦び。
それと同時に、彼らを見てなぜか脳裏を過る悠久の彼方へと仕舞い込んだはずの想い出。
皆で力を合わせ、互いを補いながら、強大な敵へと立ち向かった…
それはきっと、あたしがまだ人間だった頃の記憶―――独りじゃなかった頃の記憶。
本能が示唆する激闘の予感と一抹の寂しさを伴う郷愁は溶けて混ざさり
あたしは――そうしたのはいつ以来の事だろうか――
驚くほど穏やかに笑うことができたのだった。
……………
激闘は一時間余に及んだ。
この永き静謐の領域は先までの喧噪すら
もう時の彼方に置き忘れてきてしまったのだろうか…
静けさが支配する亜空の魔界。
折れ砕けた刀剣。くの字に背を曲げた矢。死闘の傷跡を刻み込んだ大地。
そして語る言葉ももう持たぬ、力尽きたる死屍累々。
あたしは―――空を視ていた。
大の字に横たえた躯をそよ風が撫でてゆく。
(こんなふうに空を眺めたこと、なかったな)
何故だろう清清しい。もう四肢の末端までも動かないというのに。
彼らは真に強かった。独りでは決して持ち得ない強さに溢れていた。
それは今の自分が得た強さの代わりに失くしてしまったもの、
かつての「あたしたち」が持っていた強さ…
ジャリ、と引き摺るような音がして枕元に誰かが立った。
「オレ様の―――勝ちだな」
華奢な身体じゅう血と泥にまみれ、折れた剣を杖にし、ふらふらとよろめきながら。
それでも小さな魔王は己の足で確(しっか)と地を踏みしめていた。
「…違うわ」
目を閉じて溜息をつくように吐き出した。
「―――"オレ様たち"の、勝ちよ」
ラハールは軽く眉をひそめ、改めて目を細めると荒野を見渡す。
「…そうだな。オレ様たちの勝ち、だな」
悪くない闘争だった。全身全霊を出し尽くしたその果てにあるものは
例え敗北だとて存外に心地よかった。
地に臥した者たちも処置が早ければ一命を取り留めるであろう。
彼らの生命力は先の鬩ぎ合いで充分過ぎるほど良くわかっている…大丈夫だ。
「とどめ、刺さないの?」
早くなさいな、そう催促を込めてラハールに問うた。
「…刺さぬ」「はあ?」
何を云っているのだろうこいつは。
情でもかけたつもりか、この魔王に。このあたしに。
やはり子供である。敗者への礼儀というものがまるでなってない。
今はこうして臥したる身とは云え、放っておけば
半刻も経たずに恢復してしまうというのに。
あたしはこの満ち足りた気持ちのまま逝きたいのだ。
それを解さぬとは何たる不粋だろう。
「敗者ならば勝者に従うものだな、異界の魔王」
…。
「お前はこのラハールさまの軍門にくだった。
これからは…そう、我が配下として付き従うのだ!」
ハーッハッハッハ、大口を開けて高笑う。辺りにこだまする大音声。
…心底呆れた。
「ハッ、何云ってるのアンタ…? 魔界の住人――仮にも魔王たるものが――まるで…」
そうまるで、
―――人間、のような。
(……ッ!?)
ぎくり、と脳の裏が凍てつく。
(な、何よ…コレ)
かつての自分ならば、きっと同じ事を云っていた。
そして今の自分にはそんなことすらも―――思い付かなかった。
「あ…」
何故か涙が零れた、数千年ぶりの涙が。
頬を伝い地面に吸い込まれやがて消えて失せる。
遠くに、あまりにも遠くに来てしまったと思った。
永く色褪せていた記憶がたちまちに色彩を取り戻しはじめた。
(やだ… 全部、思い出しちゃった…)
魔王として、ただただ闘いに生きる前の暖かく懐かしい日々…
抜け落ちていた心の欠損が今、ジグソーパズルのように総て嵌まった―――
……………
「…わかった、一緒に行くわ。どこへでも、ね」
あたしは意志を伝えた。もうここに居てもしょうがない。
こいつらの道連れと云うのも悪くないだろう、そう思った。
「フッ、ならばオレ様の事を心から敬い身命を賭して仕えるのだぞ」
「はいはい」
「あとオレ様はお前のようにムチムチした女は苦手だ。無闇に触るな近付くな」
「はいはい」
…なんだろう、この馬鹿馬鹿しさは。思わず頬が緩んでしまう。
「ではまずそいつらを魔界病院に運ぶからな、手伝え異界の魔王」
「はいはい」
まあ、こんなのもいいかも知れない。
人の心を思い出したあたしには何もかもが新鮮で懐かしい。
これまでの事、この先の事、まだ何も判らないけれども
取り敢えず膝抱えてうずくまってるのはあたしの性分じゃないから…
「おい」
ふいに振り向いたラハールがあたしを指さす。
初めて逢った日から変わらぬ無遠慮さで。
「ところでイイカゲン名ぐらい名乗れ、異界の魔王よ」
くす、と笑みが漏れた。そうね、まだ名前も云ってなかったのよねコイツには。
あたしはすっくと立ち上がると、軽く会釈してから掌をさしだした。
―――はじめまして。
―――あたしの名はプリエ。
闇の聖女―――プリエペシエ―――
fin