吸血鬼ヴァルバトーゼは困惑していた。目の前の美しい天使が晒した白い首筋に、どうしてよいか分からなかった。 
 ヴァルバトーゼは血に飢えていた。吸血鬼の主食たるそれを口にしなくなって、もう何百年たったろうか。永遠に続くと思われたおあずけが唐突に終わった今、彼の本能は全力で吸血のゴングを打ち鳴らし続けていた。 
 
「アルティナよ、何度も同じ事を言わせるな。俺はまだ、自分がお前との約束を果たせたとは思っておらん」 
 
 ありったけの理性を動員し、本能を押さえ込む。内心の葛藤をおくびにも出さないあたりは、流石に暴君と言われた者の貫禄であった。 
 
「何を頑なになっていらっしゃるの? 私は良いと言っておりますのに」 
 
 天使アルティナは涼しい顔で言い放った。彼女はヴァルバトーゼが平静な顔の下で死闘を繰り広げていることを知っている。というか、普段の熱血漢からすれば明らかに平静すぎるのである。彼を知る人からすれば、バレバレであった。 
 
「お前がどう思っていようが問題ではない。俺自身が認めなければならん事なのだ」 
「ではさっさとお認めになってしまえばよろしいのに」 
「そうはいかんのだ」 
 
 完全な押し問答である。必死で本能と闘っているヴァルバトーゼはそれどころではないが、余裕があるアルティナは分かってやっている。彼女とて、ヴァルバトーゼを説得できるとは思っていない。ただ彼の無駄に強靱な理性がいつまで保つのか、そして理性が敗れたとき、彼がどうなるのかが気になって、連日このような挑発を続けているのである。ちなみにこの点については珍しくフェンリッヒと意見が一致した。執事としては主の力が戻るのは喜ばしいことなので妥当ではあるのだが、腹黒い彼のことだから、何か企んでいるのであろうとアルティナは睨んでいた。それが何かまでは分からなかったが。 
 
「ほら、吸血鬼さん、遠慮なさらずに」 
「ぐ、ぬ……」 
 
 ヴァルバトーゼは初めて唸り声を発した。彼の精神はいよいよ臨界に達しつつあった。俗っぽく言えば「辛抱たまらん」状態になりつつあったのである。彼がこうまでして血を拒んでいる理由は、一度血を吸えば自分がどうなるか分からないということであった。イワシによって健康を保っているとはいえ、彼の肉体は、血液に関して言えば極度の飢餓状態にある。人間のように脆弱ではないからいきなり血を飲んでも死ぬということはないだろうが、解放された欲望が暴走することは充分ありえる。恐怖の大王との戦いを終えてなまじ力を取り戻している今、下手をすればアルティナを殺してしまいかねない。ヴァルバトーゼは、彼女の首筋から直接血を吸うのは危険と判断していた。ならばどうするのかと言えば、イワシで少しずつ慣らしていこうと考えているあたり、彼も救いようのない状態であったが。 
 
「それとも、首からではお嫌かしら」 
 
 アルティナがはだけていた襟元をさらに露出させた。もはや首筋どころか、乳首の上あたりまで外気に晒されている状態であり、食い気で駄目ならば色気、という作戦である。 
 
「ぬんぐぐぐ……」 
 
 青白い顔を赤くして苦悶するヴァルバトーゼ。アルティナから見れば正直滑稽で、可愛らしいが本人は必死である。彼の心中では、理性と本能が両側から語りかけ、論争していた。 
 
(おいヴァルバトーゼ、もういい、やっちまおうぜ! これ以上我慢するともっとヤバいことになりかねんぞ) 
(何を言うか! ここはイワシで慣らしてからだ! アルティナを傷つけるつもりか?) 
(本人が良いって言ってるんだからいいじゃねえか。据え膳食わぬは男の恥だぜ) 
(駄目だ駄目だ! まだ血を飲んではいかん!) 
(は? 血? ……ああ、イワシで慣らすってそういうことか。俺の言いたいのは血の事じゃなくってさあ……) 
(血のことじゃない?…………はっ、き、貴様、今まで何を想像していた!?イワシを侮辱する気か!?) 
 
 もっとも論議の方向は果てしなくずれつつあったが。 
 ともかく、ヴァルバトーゼはアルティナの胸元に釘付けになりそうな視線を根性で引き剥がし、彼女に背を向けた。 
 
「とにかく、今は駄目なのだ! 悪いがアルティナ、出ていってくれんか」 
「まあ、つれませんわね」 
 
 今日の所はここまで。普段ならそうしていただろう。だが今日、アルティナには秘密兵器があったのである。 
 
「ああっと、足が滑りましたわあっ」 
 
 わざとらしくその場でバランスを崩すアルティナ。歩いてもいないのに何故転ぶんだとか言ってはいけない。彼女はよろけ、背を向けていたヴァルバトーゼにしなだれかかった。 
 むにゅにゅっ、という擬音じみた感触がヴァルバトーゼの背に伝わった。言うまでもなくアルティナの胸が押しつぶされたのである。吸血鬼は目を見開いた。彼の脳裏では、本能の固めた握り拳が、理性の顔にめり込んでいた。 
 
 
 
「あっ、あっ、あっ……」 
 
 どこか遠くで、女の喘ぎ声が聞こえた。ヴァルバトーゼは朦朧とした意識の中でアルティナを見た。胸を肌蹴られた彼女は、執務用の机に手をつかされ、細身の男に背後から貫かれて、切なく鳴いていた。 
 あの男は誰だろうか、そう思った。なぜか嫉妬はおぼえなかった。ただ、犯されているアルティナが、儚くも美しく見えた。 
 二人の結合部からは、赤と白が混じりあったものが滴っていた。もう、何度か放たれているらしかった。 
 
「あぅ、う……、もう、許、して……ゆるしてぇ」 
 
 アルティナの力のない懇願を聞いているうちに、ヴァルバトーゼは自分の中で何かがたぎってゆくのを感じていた。 
 
「どうしたアルティナ。自分から誘ってきたにしては早いギブアップだな……っ」 
 
 男が激しく動かしていた腰を止めた。同時に、アルティナの喉から切ない喘ぎが漏れた。 
 
「あ、あぁ……ま、た中に……っん」 
「まだ終わらんぞ、まだ、まだだ」 
 
 アルティナの反応から、彼女の中に男の精が注ぎ込まれているのが分かった。だが果てたはずの男は、休むことなく律動を再会した。 
 
「ふぁ、あっ、あんっ、もう、いやぁ……!」 
「アルティナ、アルティナっ……!」 
 
 熱に浮かされたように彼女の名を呼び、男は腰を振り続けた。律動が徐々に速まっていく中、アルティナは喘ぎを堪えるように歯を食いしばっている。その様子を見て取って、男は唐突に結合を解いた。 
 
「はぁ、はぁ……ふぁっ!?」 
 
 終わったと思ったのか、安堵したように息をついていたアルティナは、男に尻穴をいじられて悲鳴を上げた。 
 
「や、やめ……そこは、うあぁっ!」 
「天使のくせに、尻をいじられて感じるのか」 
 
 男の声は冷たい。アルティナは怯えたように涙を流し、イヤイヤと首を振ったが、男は容赦なく指を突っ込んだ。そのまま内壁をいじっていると、固かったアルティナの声が、わずかに甘みを帯びてきた。 
 
「この変態め。今の今まで処女だったとは思えんな。それとも人間だった頃には、何人もくわえこんでいたのか?」 
「ち、違いますわ。私、変態なんかじゃ……」 
「ほう?」 
 
 男の指が尻から引き抜かれ、ひくひくと痙攣して愛液と精液、そして僅かな血を垂れ流していたアルティナの秘所に突き込まれた。そのまま抉るようにかき回すと、アルティナは切ない悲鳴を上げた。 
 
「その割に、ここは随分増水しているようだが?」 
  
 男が秘所に差し込んでいた二本の指を引き抜き、アルティナに見えるように開くと、透明な粘液の橋が指を繋いだ。アルティナは羞恥に顔を真っ赤にして俯いた。 
 
「変態ではないんじゃなかったのか? これをどう説明する?」 
「……」 
「だんまりか。では変態ではなことを行為で証明してもらわねばな」 
 
 男は突如として、左手でアルティナの尻穴を、右手で彼女の豊かな胸を責めたて始めた。たまらず声を上げるアルティナを無視し、男は円を描くように乳房を撫ぜ、時折乳首を刺激して、アルティナの意識がそちらに向いた隙をついて尻をいじる。為すすべもなく上り詰めていく彼女の上気した顔と、細い首筋を見て、男の喉が鳴った。 
 そしてアルティナが絶頂を迎えるぎりぎりの所で、男は唐突に全ての動きを止めた。 
 
「あ……?」 
 
 絶頂にお預けを食わされ、ぼーっとした表情のアルティナが後ろを振り返ると、男は唇の端をつり上げて笑んでいた。尻の穴に、何か熱いものが押しつけられるのを、アルティナは感じた。 
 
「さて、証明するときだアルティナ。まさか今まで処女だったお前が、いきなり後ろに突っ込まれてイクわけはあるまい。……変態でない限りな」 
「ま、まさか……」 
 
 アルティナの顔から、さっと血の気が引いていく。快感を与えられ続けてぼんやりしていた意識が、急速にクリアになっていき、残った感情は純粋な、恐怖。 
 
「い、いや、いやよ。それだけは、やめて……」 
「! ーーーっはははははは! そうだ、その顔だ!」 
 
 男が高笑いをしながら、アルティナの尻穴を無慈悲に貫いた。 
 
「ひぎぃっ! いや! 抜いて、抜いてぇ! 痛い!」 
 
 アルティナの顔が苦痛に歪むが、男に気にした様子はなく、ただただ抽送を繰り返した。 
 
「お願い、抜いて! あ、ああっ!」 
「はっ、何が抜いてだ、こんなに濡らしているくせに」 
 
 男の腕が前にまわり、指がアルティナの陰核を捻りつぶした。秘所は男の言葉通り、しとどに濡れそぼっていた。 
 
「ち、違う! 違うの! 私、感じてなんかあっ!」 
「こんなに乱暴にされて、痛いのが良いのか? やはりお前は変態だな!」 
 
 激しい抽送とは対照的に甘い秘所への愛撫に、アルティナは確実に追いつめられていった。男も限界が近いのか、呼吸が荒くなり、抽送が加速していく。 
 
「……くっ、出すぞ、アルティナ!」 
「ああ! ふぁっ、いや! 来る、来ちゃううう!!!」 
 
 アルティナの腸内に、男の欲望が流し込まれた。絶頂した彼女は、ひくひくと痙攣しながら、それを受け入れた。 
 
「……ふぅ」 
 
 陰茎を引き抜くと、ごぽり、と精液がこぼれた。立っていられずに背中を預けてくるアルティナを支えながら、男は耳元で囁いた。 
 
「見事にイったようだな。これで決まりだ。さあアルティナ、次はどっちに挿れてほしい? お前の嫌な方に挿れてやろう。その方が、変態のお前は感じるだろう?」 
「お願い、もう、やめてぇ、……吸血鬼さん」 
 
 彼女のかすれた声を聞いて、ヴァルバトーゼの意識は霧が晴れるように覚醒した。アルティナを犯していたのは、他の誰でもない、ヴァルバトーゼ自身であった。彼はしばらくの間呆然と突っ立っていたが、やがてすすり泣くアルティナに気づくと、慌てて彼女に自分のマントを着せると、その上から抱きしめた。 
 
「すまん、アルティナ。……どうかしていたようだ」 
「吸血鬼さん、正気に戻ったの?」 
 
 力の抜けた身体で、どこか気だるげにアルティナは訊いた。マント越しに柔らかい感触を伝えてくるその身体は思った以上に華奢で、愛おしく思う一方、先ほどの己の仕打ちを思うと胸が痛んだ。 
 
「痛かっただろう。悪かった」 
「そんな……どうか謝らないで下さい。私の自業自得ですわ」 
 
 アルティナの秘密兵器。それは天使長フロンから手渡された、「ラブ香水(仮)」であった。読んで字のごとく、人のラブを増幅する香水だと天使長は力説しているが、後日の実験でただの媚薬であることが判明している。今回アルティナは天使長の言うことを鵜呑みにして、ちょっとしたいたずらのつもりで使用したのだが、その結果が今までの陵辱劇だったというわけだ。 
 
「あの人の言うことを信じた私のせいですわ……」 
「自分のせいにしているのか他人のせいにしているのか分からんな」 
 
 ヴァルバトーゼはぐったりとしたアルティナの背と膝の裏を支えて持ち上げると、優しくベッド(といっても棺桶だが)に運んだ。散々犯され、喘がされた後で疲れているのだろう、アルティナはすぐにうとうととし始めた。 
 さて、どうしたものか、とヴァルバトーゼはため息をついた。我ながらあんまりである。まさか数百年生きてきて、今更あんなセックスを行うとは思ってもみなかった。アルティナの髪を優しく撫でながら、押し寄せる後悔と自己嫌悪の念と格闘していると、くい、と袖を引かれた。 
 
「アルティナ……?」 
 
 目を瞑ったまま、何も言わずにアルティナは袖を引いてくる。ヴァルバトーゼは少し躊躇ったが、観念したように彼女と唇を重ねた。 
 
「次は、もう少し優しく」 
 
 口づけの後でそう言われ、ヴァルバトーゼは微笑んだ。 
 
「ああ。――――――約束だ」 
 
 
 
 
 後日。 
 
「ちっ、あのアホ天使め。何がうっかり忘れてただ。閣下に血も吸わせず帰ってきおって。お前が注がれてどうするんだ!」 
「まあまあいいじゃないですか、愛ですよ愛」 
「良くない!あの訳の分からん香水のせいだろうが。だから俺は吸血衝動薬だけでいいと言ったのに」 
「ええー、でも血を吸うだけじゃラブが生まれるとは限らないじゃないですか」 
「だから要らんのだ、ラブは!!」 
「ふっふっふ、分かっていませんね、フェンリッヒさん、良いでしょう、私が愛とは何か教えてあげましょう!このビデオで!」 
 
 フロンの熱心な布教によって、「愛って何さ」と問えば「ためらわないことさ!」という答えが即座に帰ってくる奇怪な状況が、地獄に実現していた。 
 

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