[Good Night, Sweethearts]  
 
 
「そして、失った魔力を取り戻して。  
暴君ヴァルバトーゼ、……わたくしの吸血鬼さん」  
 
煉獄のような牢獄。  
罪人たちの贖いの始まりでもある『地獄』で  
場違いのような甘い声が吐かれる。  
天界の住人いわゆる天使であるアルティナは  
白磁のような胸元に腕を当て、滑らかな首筋を目の前の男に向けた。  
 
男――吸血鬼。  
 
ある者からは閣下と呼ばれ、  
ある者からは暴君と恐れられる  
結果的に人間界そして魔界を救うことになった  
プリニー教育係――ヴァルバトーゼ。  
 
「……わかった」  
 
彼の低く唸るような声にアルティナは安堵の笑みを浮かべた。  
長年に渡り彼を縛り続けた約束。  
それが今果されようとしていたのだ。  
400年。  
長かった――本当に長かった。  
待ちに待ち、待ち望んだ契約の執行。  
 
一歩ずつ彼は近づいてくる。  
その目はこちらをただひたすらに見つめている。  
だからアルティナも彼を見る。  
この時間は二人だけのものとでも言うように。  
400年前の続きであるように。  
彼は人一人収まるスペースもないぐらいに肉薄し、アルティナの肩を抱いた。  
 
それを合図とするように彼女は瞳を閉じた。  
それを合図とするように彼は口唇を開いた。  
 
吸血鬼の口の中に覗く刃のような牙が灯りを受けて妖しく光る。  
だというのに、彼女の顔はとても穏やかで。  
吸血行為は悪魔による天使への攻撃であるというのに、  
それはとても神聖な儀式でもあるかのようで。  
彼女はその瞬間を待ち、不意に重力からの解放を知覚した。  
 
「は? え?」  
 
戸惑いを表す言葉ととも目を開けると、自分の身体が抱きかかえられていること、  
しかもそれが「お姫様だっこ」と呼ばれるものであることを知り、  
彼女は頬を淡く染めた。  
しかし、それも束の間。  
彼は何も言わず、室内にあるソファのそばまで歩むと、彼女の身体がソファの上に落下した。  
 
「きゃっ」  
 
落下――投げ出されるともいう。  
短い悲鳴の後、抗議の意を向けようとアルティナは顔を上げた。  
 
「いきなり何するん――」  
「……吸血鬼の吸血行為には二つの意味がある」  
 
彼女は自分の言葉を遮ったことと告げられた言葉に目を細める。  
その瞳には彼の言葉の真意を掴みとれない若干の困惑があった。  
 
「一つは純粋な食事行為としての吸血。精神的な意味合いも含めてな」  
 
アルティナは一つ頷き、血を吸わないことの代償である魔力の消失について思考する。  
魔力には生き物の精神が大きく関わる。  
つまり吸血鬼の吸血行為は《畏れ》エネルギーの摂取であり精神の充足でもあるのだ。  
 
「そしてもう一つの意味」  
 
アルティナは彼の瞳がこちらを捉えるのに気づく。  
だから彼女も彼を見た。  
彼が告げる吸血行為のもう一つの意味。  
それは、  
 
「生殖だ」  
 
「……、……は?」  
 
思わず間の抜けた声が漏れた。  
彼の言葉の意味がすぐに理解できなくて、  
 
「だから生殖だ」  
 
彼が告げる二度目の言葉に理解を得た。  
しゅぼっ小さな爆発音とともに赤面する。  
生殖。  
つまり子を作る。  
子作り。  
それには何が必要か。  
雄である男が必要である。  
雌である女が必要である。  
自分は天使とはいえ女としての機能を持っている。  
そしてこの場には男であるヴァルバトーゼと自分の二人しかいない。  
男と女、必要なものは揃っている。  
 
「……あのぉ、吸血鬼さん?」  
 
その辺りについておそるおそる且つ背中にはダラダラと汗を垂らしながら窺う――が。  
彼の身体が覆いかぶさるようにこちらに降りてくる。  
彼はアルティナの顔の左右に両腕をつき、不敵な笑みを浮かべた。  
 
「吸血も生殖も同じなのだ。なら『こちら』でも問題あるまい」  
「……ええっとぉ……『こちら』というのは……?」  
「そういうことだ」  
 
答えになっていない答えを放ち、ヴァルバトーゼは  
眼下にいるアルティナの首筋に白くやせ細った手を当てた。  
 
「400年も待ったのだ。それでは美味しく頂くとしよう」  
 
彼女はその言葉に一度目を丸くすると、すぐに笑みを浮かべてその目を閉じた。  
そして悪魔は天使の首筋にゆっくりとその口づけを落としたのだった。  
 
 
                         Fin  
 
 

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