「ん…」  
アッシュは夢を見ていた。今まで、ファントムになってからと言うものそんな事は無かった。  
目を閉じても意識が無くなるだけだったのだが、今回だけは違っていた。確かに今アッシュは夢の中にいたのだ。  
 
真っ白な景色の中で、声が聞こえる。  
「アッシュ…」  
若い男の声。思いあたる相手は一人しかいない。  
「ヘイズ?ヘイズなのか?」  
別の方からも、若い女の声。  
「アッシュ…」  
「ジャスミン?ジャスミンか?」  
姿は見えないが、確かに二人はソコにいる。アッシュは叫んだ。  
「ヘイズ!ジャスミン!」  
「時間よ…」  
「時間だ…」  
時間。  
アッシュがいつか迎えなければならない時。アッシュが忘れている筈は無かった。  
「時間…」  
ポウ  
光と共に、目の前には二人が現れる。  
「ヘイズ!ジャスミン!」  
「アッシュ。今までマローネを助けてくれて有難う…」  
「私達の娘は逞しく成長したようだ。ここからだが、ずっと見ていたよ…」  
二人はどこか憂えた目でアッシュを見た。  
「二日だけだ…」  
「え?」  
「二日だけ時間をあげるわ。その間にお別れを済ませて…」  
唐突すぎた。アッシュは返事に困る。  
「二日…」  
アッシュの動揺は声からも読み取れた。  
 
マローネと別れる。  
 
遂にその時らしい。目の前の景色は霞が解けるかのように消えていった。  
 
 
「ん…」  
朝日に目を刺されアッシュは起きた。階段の横の壁を背もたれにしていたようだ。  
体に違和感を感じる。明らかに何かが体の中を流れていた。  
それだけではない。自分の体越しに向こう側を見通せない。マローネはまだ寝ている筈。コンファインはしていない筈だ。  
少しだけ手の甲をつねった。痛い。同時に体温を感じた。  
「二日だけ…」  
夢の言葉を反芻する。どうやらこれが二人がくれた最後の時間。  
アッシュは二日間だけ、人に戻った。  
 
 
「うーん…」  
アッシュはテーブルで頬杖をついていた。時計をちらりと見ればまだ六時。マローネを起こすまで後一時間ある。  
「どうしよう…」  
アッシュは頭を抱えた。  
人間に戻った事。  
後二日しか時間が無い事。  
 
人間に戻れた事は嬉しかった。ファントムと人間では時々すれ違いが起きる。食事など。それが無くなるのだ。  
問題は後二日しか時間が無いこと。  
マローネに素直に話すべきだろうか?ちゃんとお別れした方がいいのだろうか。  
思い出したのはサルファーの一件が片づいた後の事。あの時マローネは抱きついてアッシュがここにいる事を確かめた。  
 
今度は実際にお別れなのだ。どれだけショックを受けるのだろう。  
それならいっそ黙って…と思うのはそれが理由だ。  
残り二日が間違いないのならどう過ごすか?とも思う。  
やっぱりマローネと一緒に居るべきか。それとも消息を絶ってその間に逝くか。  
何故人間になったかも説明せねばならない。しかし、それを説明すれば「時間」にも触れてしまう。  
アッシュの悩みは一つ一つが大きかった。  
 
 
「うーん…」  
気が付けば30分程経過していた。  
(あ、朝ご飯作らないと…)  
取りあえず頭を振り、朝食作りに取りかかる。  
 
 
ガシャガシャ  
ジュー  
「ん…」  
布団から上体を起こし、伸びをする。父親譲りの髪には寝癖が付いていた。ピンク色の少々だぶだぶの寝間着。  
時計を見ればそろそろ起床時間だ。マローネは下へ向かった。  
 
「ん…おふぁようアッシュ…」  
欠伸混じりに階段の上から挨拶をする。アッシュは階段の近くの食器を取り出していた。  
「あ…おはようマローネ…」  
どこか曖昧に返した。マローネはまだ寝ぼけているのか足取りがおぼつかない。次の段を踏む、その時だった。  
ガタッ  
「えっ…」  
「マローネ!危ない」  
脚を踏み外し、盛大に転落した。アッシュは手の食器を放り出しその落下地点にまわる。  
ドスッ  
「あたた…」  
「イテテ…」  
マローネを胸に受け止める形でアッシュは下敷きになった。マローネはアッシュの胸に頭を載せ、アッシュに抱き締められる形で横たわっていた。  
トク…トク…  
マローネの耳には、存在しない筈の音が聞こえている。それだけではない。抱き締めた体が温かい。  
「アッ…シュ?」  
「大丈夫かい?マローネ」  
「うん…それより…」  
ガバッ  
強くマローネは頭を載せた。  
「マ!マローネ!」  
「なんで?アッシュから心臓の音が…」  
良くも悪くも、一つの悩みが片づくきっかけになった。  
 
「ホント?アッシュ?」  
「うん。事情があって今日と明日人間に戻れたんだ…」  
マローネに事情を説明する。二日後にはどうなるかを隠して。  
マローネは瞳を輝かせる。  
「アッシュー!」  
「うわっ!」  
そのままマローネは首に腕を巻き付け、アッシュを押し倒した。全身でアッシュの存在を感じるように。  
「アッシュが戻ったー!」  
無邪気に首などを擦り寄せ、甘えるように飛びついている。  
「マ、マローネ…苦しい…」  
「あ、ゴメン」  
少々青ざめたアッシュを見て漸くマローネは退き、アッシュは上体を起こした。  
「さぁ、朝ご飯にするよ」  
「はーい!」  
 
カチャカチャと食器の触れる音。アッシュが作った目玉焼きをつつき、マローネは向かい合うように座っていた。  
ぐぅ〜  
情けない音が鳴る。  
「あ…」  
「アッシュ?お腹すいてるんじゃないの?」  
その通り。人に戻った以上、生理現象は起きる。にも関わらずアッシュはいつもの感覚で一人前しか朝食を作っていなかった。  
「だ、大丈夫だよ!」  
ぐぅ〜  
マローネにジト目で見られてアッシュはタジタジだ。マローネは少し考える素振りを見せると、おかずのウインナーを串刺しにした。  
「マローネ?」  
「あ〜ん」  
ウインナーを片手にマローネはテーブル越しに迫ってきた。アッシュの口元にウインナーを持っていく。  
「え…と」  
「あ〜ん」  
マローネは満面の笑みで迫る。  
(ちょっと、恥ずかしいな…)  
アッシュは目を閉じ、恐る恐る口を開いた。マローネはその口にフォークの先を突っ込む。  
パクッ  
「美味しい?アッシュ?」  
「うん…美味しい…」  
「じゃあもっと食べさせてあげる!」  
「ええー!」  
「やっと人間になったんだからこれ位してくれても良いじゃない?」  
「わ…わかったよ…」  
結局マローネと朝食は半分こにし、マローネが満足するまでアッシュは食事を「させられた」。  
 
今日明日は仕事を入れていない。今朝いつも通りに起きたのは習慣のせいだ。  
マローネは部屋に戻り、服を着替えている。  
(アッシュが戻った…)  
その喜びは大きかった。ファントムと人間では色々不便がある。でも今は人と人。男と女なのだ。  
少々大胆でも責めて行く。マローネはそう決めた。  
 
結局、1日目は家にいる事にした。  
 
 
それからは大変だった。  
マローネは今までの希望を一気に叶えようと、アッシュに迫る。  
アッシュがソファーに座っていればその膝の上に乗り、アッシュの顔を覗き込んで、ニコニコしていた。  
また、読書などをしていればお茶を勧めに来た。  
マローネとしては必死のアプローチなのだが、この少年は気付かない。  
返す言葉は、  
「ありがとう。マローネ」  
という言葉ばかりで、  
そうじゃないのに…  
と、自分の意に気づいてくれないアッシュを恨めしく思った。  
 
その内マローネは部屋に帰って、考え込んでしまった。  
「どうして気づいてくれないのかな…」  
机に頬杖をついて、溜め息を吐く。  
もしかしたら、ずっと保護の対象としてしか見てくれないのではないか。  
正直自分はまだ少女と言える年頃で、保護の対象でもおかしくはない。  
それでも、アッシュに対し、はっきり思っていた事がある。  
「好きなのに…ずっと側にいて欲しいのに…」  
ポツリと虚ろな目で呟いた。幼い恋とはわかっている。  
しかし、辛いとき、淋しいとき、必ず居てくれたのだ。いつしかその思いは、別の思いを芽生えさせた。  
「アッシュ…」  
言える訳が無い。面と向かってなんて。  
そう思うとマローネはまた憂鬱になる。  
 
このままでは絶対に思いを遂げる事などできない。  
それが解っているからこそマローネは、それ以外の所で大胆に攻めて見たのだ。  
結果としては…実らないようだが。  
 
マローネが溜め息をついていた時、アッシュもテーブルに着いて、溜め息をついていた。  
「やっぱり…応えてあげないといけないかな…」  
マローネの行動は全て解っている。彼女が何を言いたいのか、何故そうしたのか。  
マローネの心の底にある気持ち。  
解っているのに、応えられない。堪らなくなり、頭をかきむしった。  
マローネが嫌いな訳では無い。いや、  
好きだ。  
初恋の相手はヘイズの妻、ジャスミンだった(ファミ通文庫小説参照)。マローネが成長するのを実感した、その度にその姿が重なる。  
ただ自分はファントムで、相手は親友の娘。そう思う事でその思いを自制して来たのだ。  
しかし今度は時間が無い。ここで思いを告げても明日にはお別れである。  
同時に最初で最後の機会か、体を戻して貰っているのだ。まだ10代のままの体を。マローネと釣り合う程に若い肉体を。  
「マローネ…」  
僕は、君が堪らなく愛おしいんだ。  
そう言えば、幸せになれる。その分だけ、いや、それ以上の悲しみも与えられる。  
マローネを悲しませたくは無い…  
それが、アッシュの本能を抑える最後の砦になっていた。  
気が付けば日が落ちようとしている。なんとかアッシュは席を立ち、夕飯作りに取りかかった。  
 
 

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