出来事は正午を少し回った時だった。  
「レナモン、あれ見てっ!」  
「あれは…デジタルゾーン」  
ルキの言葉で空を見た私は、出現する白い霧のフィールドを捉えた。  
 
たまたま町を歩いていたルキと私からかなり近い地点にそれは発生している。  
道行く人間たちもその発生に気付いてざわざわと喧騒が広がった。  
このような街中でデジモンが現れれば大変な被害となるだろう。  
 
そしてすぐ向こう側から、こちら側へとリアライズしてくる存在を感じる。  
「ルキ、デジモンが現れる」  
「うん、そういう事だから…………。タカトとジェンには連絡しといた。じゃあいくよ、レナモン!」  
携帯の通話を切ってルキが走り出し、私もそれに続いた。  
 
「―――――レナモン進化!」  
 
ルキと私。二つの存在が重なり、究極の進化が誕生する。  
 
 
 
サクヤモンへと進化を果たし、とあるビルの屋上に発生していた、  
デジタルゾーンへ入った私が目撃したのは、何とも言えぬ微妙な光景だった。  
「あれは一体何なの?」  
まず見えたのは、マイクだった。  
 
マイクだ。歌をうたうためのマイク。  
それを握って気持ち良さそうに歌っているデジモンが一体。  
 
「ルキ、あのデジモンは何だか分かる?」  
『あれは、確かボルケーモンよ。完全体だったはず』  
ルキはあのデジモンを見ただけで名前と世代まで答えてくれた。  
人型だが体中を金属のアーマーで覆い、背中に火山をのせ、腰に瓶を吊るしたデジモン。  
 
そうか、奴はボルケーモンというのか。  
完全体とはいえ、どうやらパワータイプのデジモンらしいから戦闘能力は高いだろう。  
しかし奴は何をしているんだ。  
 
『何か歌ってるみたいだけど、ヘタな歌ねぇ』  
ルキ、ヘタとはいえそういう事は言ってはいけない。  
と心の中で思いつつ私も同じ感想を抱いた。  
 
『とりあえず暴れまわるとかそういう感じじゃなさそうだし、戦うのは話を聞いてみてからでいいんじゃない?』  
多少ルキも困惑しているようだ。  
さすがに今まで現実世界にあられたデジモンが、気持ち良さそうに歌をうたっている所に出くわした事はない。  
「そうね、まず話だけでもしてみましょう」  
 
ここまで私が近づいても気付いていない様子のボルケーモンに声を掛けてみる。  
「あなた…ボルケーモンというのかしら?」  
「あ〜〜〜〜♪……あ?あ!?お前いつの間に現れやがった!」  
音程の外れた歌声を止めたボルケーモンは、やはり私には気付いていなかったらしい。  
 
「私はサクヤモン。ここにゾーンが出来ていたから様子を見に来たの。あなたはここで何をしているの?」  
「こ、この感じ。お前は究極体だな!俺をロードしにきやがったんだろう!そうだろう!?」  
「いや、だから私は……」  
「うるせえ!こうなったらロードされる前にロードしてやるっ!」  
 
全く私の話を取り合わずボルケーモンは距離をとって、戦闘態勢に入った。  
「くらえぇ!ビッグバン・ボイスッ!」  
マイク片手にボルケーモンは、ただ叫んだ。  
いや、これは叫びというレベルではない。これはもはや音の塊だ!  
 
私は宙へと舞い上がり、目に見えない声の攻撃を回避した。  
ビリビリと大気が震えているのが分かる。  
そして私が先ほどまでいた場所はみるみる砕け、粉砕された。  
 
『やれやれ、せっかく話し合いで解決してあげようと思ったのに』  
「それもしょうがない事よ!」  
再び宙を舞う私に放たれた声の衝撃波。  
それを迎撃するため、使役する4匹の管狐をあらわす。  
 
「飯綱!」  
見えないが私向かって、一直線に飛んでくる衝撃波を打ち落とすのは容易い。  
管狐たちは衝撃波を簡単に霧散させてしまった。  
 
「ううっ。ちきしょう、このままじゃヤベエ!一旦逃げるぜ!!」  
自分の必殺技を簡単に打ち破られて実力差を思い知ったのだろう。  
ボルケーモンは素早く身を翻してビル屋上のを走り出す。  
 
「待ちなさい!」  
パワータイプなのでそこまで速くは無いが、よほどロードされるのがいやなのだろう。  
かなりのスピードで全力疾走している。でもこのまま逃がす訳にはいかない。  
 
ボルケーモンを追う私。しかしそこで予想外の事が起きた。  
背を向けるボルケーモンの背中の火山が、突然火を噴いたのだ!  
突然の炎に私たちは目をくらまされ、一瞬ボルケーモンの姿を見失ってしまう。  
それが不味かった。  
 
その一瞬の内に火山の噴火で加速したボルケーモンは、私から距離を稼いでしまい、もう捉えられない。  
しまった、と舌打ちしそうな衝動が満ちる。これは完全な失策だった。  
だがそれでも、まだ悪魔は、私たちを見捨ててはいなかったようだ。  
 
突如ビルの外からデジタルゾーンに突入してきた黒い影。  
同時に突き出された鋼の二連銃が火を吹いた。  
「何だとぉ!」  
弾丸はボルケーモンの足元へと炸裂し、その余波で体は吹き飛ぶ。  
 
「珍しいな。これぐれーのデジモンに手こずってるなんてよ」  
いつも通りの笑い声と共に、彼が完全に白い霧の中から現れた。  
「ベルゼブモン」『たまたま運が悪かっただけよ!』  
ルキが意地を張ってベルゼブモンに言った。  
 
彼がまたいつも通りに苦笑する。  
「ありがとう、助かったわ」  
「気にすんな。さっさと終わらせんぞ」  
そう言ってベルゼブモンは2丁のショットガンを構えた。  
 
「待って。戦闘不能にするだけでいい」  
「あぁ、任せろ!」  
さすがに人を傷つけようとしている訳ではないらしいデジモンを、データに帰すのは躊躇われる。  
ベルゼブモンもそこは弁えているようで、多少弾丸の軌道を計算して撃った。  
 
しかしボルケーモンも、ただ黙っている訳ではなかった。  
弾丸から逃げるように、身を捩って逃げ出そうとする。  
そのため弾丸はボルケーモンの腰の辺りをかすめ、吊るしてあった瓶の紐を撃ち抜くにとどまる。  
だけど元より破壊力の高い、ベルゼブモンのショットガン「ベレンヘーナ」で捕らえるつもりはない。  
 
「飯綱!」  
狙いはこっち。管狐たちに動きを止めさせる。  
「くそうっ!こんなちっこいのに、動けねぇ!!」  
狙い通り弾丸を避けて、足元がふらついていたボルケーモンは管狐たちにあっさりと捕まった。  
 
―――――だけど私はこの時、気が付かなかった。  
ベルゼブモンの放った弾丸が、ボルケーモンの瓶の吊り紐を撃ち抜き、  
その衝撃で宙に舞った瓶の栓は開いて、私の頭上から中身が降り注いできた事を。  
 
ばしゃりっ!  
 
そんな音と共に私たちは少々の冷たさを感じた。  
「え?」『きゃっ』  
私は液体をかぶったのだと気付いたのは数秒後。  
そして更に数秒掛かって、鼻をつく匂いを感じた。  
 
「お、おい。大丈夫かっ?」  
「ええ、まぁ。けどこれ何かしら、凄くキツイ匂いがするのだけれど」  
ベルゼブモンが傍に飛んで来たが、一体これは何かしら。  
初めてかいだ匂いだけれど、少しクラクラするような………え?  
 
その瞬間本当にグラリときた。宙を舞っているのに、足元がふらつく。  
「何……これ…飛んで、いられない………」  
私は力が抜け、フラフラとビルの屋上に落下してしまう。  
おかしい、頭までぼうっとして、ぐるぐるしてくる。  
 
そして術を行使するための力さえ弱まり、ボルケーモンを拘束していた管狐たちが消えてしまった。  
「やった、ツイてるぜ!」  
大喜びではしゃぐボルケーモン。しかし頭上から冷や水を浴びせかけられる。  
「―――おい、何がツイてるんだって?」  
 
はっとしてボルケーモンは宙を仰ぐ。  
そこには未だショットガンを構えたベルゼブモンがいた。  
「お前一体どうしたってんだよ?」  
ベルゼブモンはゆっくりとビルの屋上に着地し私に寄り添う。  
 
そう言われても何か変だとしか。  
『サクヤモン…私ちょっと眠くなってきた……変なの…でも、ゴメン………』  
ルキ?ルキっ?  
問いかけても返事が無い。本当に眠ってしまったの?  
 
でも、私も力が抜けて、膝がぐらつく。もう立ってもいられない。  
「あ…っ」  
「おいっ!?本当にどうしたんだよ、おいッ!?」  
 
錫杖で体を支えようともしたが、どうしても無理だ。  
私はベルゼブモンの、広い胸の中へ倒れこむ事しか出来なかった。  
あぁ、でもとても暖かくて、気持ちがいい。  
 
「はは、この隙に!」  
視界の片隅でボルケーモンが背中の火山を噴火させ、その推進力で宙を飛んでいくのが見えた。  
「テメー!待ちやがれッ!!」  
ベルゼブモンはそれを追うため、私を振り払ってゆこうとする。  
 
 
――――――――――嫌だ、離れたくない。  
 
 
そう脳裏に閃いた瞬間、私は行ってしまおうとするベルゼブモンのコートを掴んでいた。  
「どわっ!な、何すんだよ!?」  
後ろから引っ張られたため、苦しそうにベルゼブモンが文句を言う。  
確かに今の私の行動はボルケーモンを取り逃がす行動でしかない。  
 
でも、それでも、置いていかれたくない。  
「や………や、だ」  
「はぁ?」  
 
交互に私と逃げるボルケーモンを見やるベルゼブモン。  
だがもう今からでは追いつく事は出来ないだろう。  
「ああ、ちくしょう!だから何なんだよ!?」  
頭を掻きながらショットガンを収め、苛立たしげに問われた。  
 
でも、理由なんて無い。ただ傍にいたかっただけ。  
そんな事を言えば、ベルゼブモンはとても怒るだろう。  
けれど何も言わなければもっと怒るかもしれない。  
 
もう、私はそれが辛くって、悲しくって、気が付いていたら、泣いていた。  
「うっ……うん…ひぃ……く…ふぁ………」  
「は、はぁっ?ちょっと、待てよ!オイ!どうなってんだっての?!」  
 
涙が頬を伝って落ちる。やけにそれだけは冷静に感じ取れた。  
足に力が入らない私は、ベルゼブモンのコートの端に掴まっていたがもう限界だ。  
私はベルゼブモンへのしかかるように倒れこむ。  
 
「うお」  
私の涙もあって動揺していたのか、ベルゼブモンは私に潰されるように尻餅をつく。  
未だ止まらぬ涙。それを隠すように私は彼に抱きつき、胸元に顔をうずめる。  
こうしていると、悲しさと、暖かさが、同時に感じられてとても不思議な気分になった。  
 
「…………ぁ?」  
訳も分からず、なされるがままのベルゼブモンが何かに気づいたように、  
近くに転がっていた、私が被った液体の入った瓶を拾った。  
ベルゼブモンは深く呆れたような、納得したかのような雰囲気でそれをじっと眺めている。  
 
この時、私からは反対側になっていて分からなかったが、瓶の表にはこう記されていた。  
 
ただ一文字『酒』と。  
 

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