だめだ、ちゃんと言わなきゃ心配させちゃう。そう気が急けば急くほど涙は溢れるし、喉の奥に小石がつまったみたいに空気が漏れて声にならない。嗚咽と吃音だけが口から出そうでミミは唇が開けなかった。  
 「……なんなんですかもう!わけわかんないよ!」  
 光子郎らしからぬ怒鳴り声。  
 「すきって、触っていいって言ったのに……急にイヤとかバカとか言われたって止まるわけないじゃないか!」  
 胸がちりちりする。  
 「大体ミミさんはずるいですよ!人の気も知らないでわがまま言いたい放題で……僕は振り回されてばっかりだ」  
 声が震えている。  
 「アメリカ行くとか、帰ってくるとか……髪だっていつのまにかピンクだし……いつだって急で突拍子も無いようなことサラッとやっちゃって、そんで自分だけはいつも平気なんだ」  
 押さえつけられた両腕の下で軋むスプリングの音を悲鳴のようだ、とミミの頭の隅が勝手に感想を述べた。これは一体誰の悲鳴だろうか。  
 「こーしろーくんが何考えてるかわかんない、なんでこんなとこ触るの?」  
 ミミは淡々と質問を投げ掛けた。静かな声は真剣そのもので、目が潤んでいるというのに決して引かぬといった風に意思表示をしている。そして問うていた、彼の行為と意思の在り所を。  
 「な、な、なんでって……あの、まさか、分からないんですか?」  
 「わかんないわけないじゃん。私が一年半どこ住んでたと思ってんのよ」  
 男の子に押し倒された格好のままの女の子にしては肝の据わった声で、ミミが半目で睨むように脱力しかけた光子郎に突っ込みを入れた。  
 「いやって言ってるのになんでやめてくれないのかって訊いてるの。Did you understand?」  
 「It understood。それは言いました、止まらないんだって」  
 表情の和らいだ彼女のクエスチョンに安堵したのか、少年は短いアンサーを述べ、彼女からその身を離した。  
 「ごめんなさい。もうしません」  
 背を向けて謝罪し、彼はベッドからも立ち上がった。硬い声とぎこちない動きで窓際のテーブルセットに足を引っ掛け、椅子に腰掛て窓の方に身体を向ける。  
 「でも逃げるのやだから出て行きませんよ、僕」  
 
 胸のちりちりの正体がなんなのか彼女にはわからなかったが、ベッドに一人ぽつんと取り残され、すぐそこに光子郎が見えているというのに自分がたまらない孤独感を感じている事はわかった。  
 窓の外を見ている光子郎。窓の内に居る自分。  
 「私いやよ、この年でママなんて」  
 ぎょっとしたというのが光子郎の本音だった。しかし自分のした行為というのは当然そこに結実するのは自明の理で、身体をざわめかせていた欲望が背筋と共に冷えてゆく気がした。  
 「……軽率でした……けどっ、ただの衝動的な行動じゃないって……わかって……くれなんて、言えません…けど…」  
 光子郎はもはや窓の外を見ているのではなかった。窓の外しか向けないのだ。情けなくて申し訳なくて、不安と恐怖によって窓の外に向かされている。  
 「…………衝動的、ってどういう意味?」  
 「……無計画にその場の雰囲気に流されて意思もなく行動するという意味です。」  
 「違うんだ」  
 「……証明はできませんけど」  
 ギギギと緩慢な音でスプリングを軋ませてミミがベッドから降り、ゆっくりした足取りでパソコンが置いてある化粧台の椅子に着いてキーボードに手を添えた。  
 「証明させたげようか」  
 たどたどしいキータッチの音に光子郎が思わず振り向くと鏡に映る彼女が見える。鏡の中の女の子は笑いもせず、視線も意識もまるでこちらを向いていない。それはまるっきり自分の姿で、声をかけるのもためらわれた。  
 なるほど、これがいつもの僕か。彼は苦々しく思いながらいつも彼女がそうするようにパソコンを操る肩に手を置くため、石化したように動かない手足を無理矢理前へ出して化粧台の前へ身体を引きずった。  
 先ほどの検索エンジンのサーチバーにはこう入力されている。  
 “ホテルの名前 周辺施設 薬局”。  
 「買ってこれる?」  
 モニターに白く細い指を押し付け、ミミは光子郎の目を見る。  
 「今必要なもの」  
 ぐにゅりと液晶が歪んだ。  
 
 部屋のドアを開け、狭く短い廊下の先にある部屋に足を踏み入れた少年がその部屋を異様だ、と思ったのも仕方がない。  
 「おかえりなさい。いつの間にカードキー持ってっちゃったの?」  
 厚いカーテンが引かれている部屋。まだ日の高い時間に引かれた影は光の筋とのコントラストが強すぎて無数のスポットライトのように見える。小さな舞台に設置されたセットに腰掛けている女の子はいつもと違う静かな声で彼を出迎えた。  
 「た、ただい…ま…」  
 擦れる声で返事を返すのがやっとだった。薄暗く翳る狭いシングルの部屋に癖のあるユリの甘い芳香が充満し、部屋を出てゆくときは開いていたパイナップルパソコンは閉じられていて、少し肌寒い空調が緊張を増大させている気さえする。  
 光子郎が手に持っている茶色の小さな紙袋をちらりと見て、ミミは軽く微笑み目を閉じた。その表情を見た彼の顔が紅潮する。  
 「笑われなかった?」  
 「……む、夢中で……わかりません」  
 視線を走らせるのも躊躇われるほど淫靡な雰囲気を纏っているミミは、いつもの子供っぽくわがままな少女にはとても見えない。彼女の太陽のような明るさは身を潜め、光子郎は匂い立つ艶めかしさすら覚える。  
 「このシャンプーの匂いが好きだっていうから……大急ぎで髪洗っちゃった」  
 彼女の声が聞こえる度にどきどきする。鼓動の振動でべったり汗をかいているシャツが上下するのがわかるほど。  
 ミミが近づいて、光子郎は思わず硬直とも後ずさりともつかない自分の動きに羞恥を隠せなかった。  
 「どう?いいにおい?」  
 いつものような気軽さでミミはぎくりと引きつった光子郎の腕を抱く。柔らかい胸に巻き込まれた全細胞が瞬時に熱を持った。  
 「あ、あの……ぼぼぼく、走ってきたから汗かいてるし、その、あんまり近づかれると」  
 「……ほんとだ。こーしろーくんのにおいがする」  
 肩に顔をうずめて少し低い声でミミが笑った。  
 「…………帰ってこないのかと思っちゃった」  
 胸が詰まる。  
 「頭洗いながら、夢だったりしてって……」  
 閉じられた瞼から涙が流れるよりも早く、光子郎はミミを抱き竦めて口を開く。  
 「僕のせいで30分に二度も泣かないでください」  
 
 力が抜けるように二人同時にベッドに倒れこんだ。軽く跳ね上がったミミの髪が香る。  
 息が切れている言い訳じゃないんだ、と頭の中で何度も反芻した。自分に対する八つ当たりでも彼女に対する責任転嫁もない、と光子郎は支離滅裂な呪文のように唱え続け、自分の意思を自分に強調する。  
 ベッドの上に足を投げ出して寝転ぶ二人は同じ天井を見上げていた。狭いシングルベッドが窮屈で、握っている相手の手に伝わる自分の手の熱が気恥ずかしい。  
 「………続き、しないの?」  
 「……やー、なんていうか……改めて仕切りなおしすると……アレですよね、こういうのって勢いっていうかノリっていうか雰囲気が必要というか、なんかこう、思い切りがつかないというか、つまり……」  
 歯切れ悪く妙に多弁な光子郎の言葉はミミを苛立たせるばかりで、恥ずかしがる素振りを隠すという本来の目的はまるで達成されていない。  
 「そんな煮え切らないこと言ってると……襲っちゃうわよ」  
 鼓動が煩わしいほど高鳴っている。血液の流れすぎで目の前が短いフラッシュを焚かれた様にチカチカと瞬いて、少年は身動きが取れずにミミにされるがまま。  
 「あはは、すごい。ズボンこんなになってる」  
 目を見据えたまま、ミミの手が光子郎の腰を遠慮がちに滑ってゆく。クーラーで冷やされた冷たい肌が熱を持った汗ばむズボンに触れた。悲鳴を上げそうになるのを必死で堪えた光子郎が慌てて目を逸らそうとした瞬間、ミミの妖しい瞳がその視線を絡め取る。  
 「ねえ、恥かしい?恥かしい?」  
 幼い質問が少年の声を封じる。つばも飲み込めないほど胸が詰まり、今まで感じた事のない間隔で激しい動悸が回転数を上げて続いていて、光子郎は自分の状態を把握する事すら出来ない。  
 「……熱い、かな?……ね、痛くないの?こんなになって」  
 無我夢中で首を横に振った。彼の入力は彼女の声と感触だけ、彼の出力は極限まで制限された身振りだけ。光子郎を魅了する瞳は決して逸らされる事がなく、少女の意志の強さが表れている。  
 だが、幻の中を漂って夢うつつな光子郎もさすがに腹部や腰周りの異変に正気を取り戻す。汗をかくほど走り回ってアーミーパンツのボタンが外し難かったことが幸いした。  
 「なななな、なにをしてるんですかぁ!!」  
 
 なにって……ズボンぬぎぬぎ?  
 ミミが軽く答えた途端、腰周りが緩んだ。ああどうして僕はベルトしてないんだと光子郎がファッションを無視した後悔の念に駆られたのは言うまでもない。  
 「おおお男の服を女の人が脱がすなんてとんでもない!」  
 「……女の子の服を脱がすのだってとんでもないわよ。だいたい、こーしろーくんの方がよーっぽどすごい事したじゃないのよー。お仕置きよ、お・し・お・き」  
 横たわる光子郎の身体を押さえ込むようにミミは軽々とスカートを翻し、つま先のほうを向いて馬乗りになる。腹部に彼女の柔らかく温かいヒップが押し付けられ、一層光子郎が困った事になっている事などお構いなしで。  
 「ギャー!なななんて格好ですかミミさん!なにするんです!やめてください!」  
 悲鳴が終るより先に、少年の抵抗も空しく下腹部は憐れにも露わとなった。しかもミミはそれに怯むでもなく、はやし立てる様にパチパチ手を叩く。  
 「キャ〜…なんてことになってるのよぅ〜?こーしろーくんったら、やーらし、やらし〜」  
 嬉々としてオモチャに飛びつく子供のようにミミは“それ”に手を伸ばす。もちろんその行動が読めない光子郎ではない。彼を知る人なら仰天するような必死の形相で彼女の両腕を固めるように身体にしがみ付いて哀願した。  
 「それだけは勘弁してください!僕シャワーすら浴びてないんですよ!」  
 「ミミちゃん気にしないもーん」  
 「僕が気にします!とにかくどいてください、この体勢は男として非常に不本意です!」  
 「じゃあ私が洗ったげる。一緒にお風呂はいろ」  
 中途半端にずり下がっていた光子郎のズボンと下着を人質に、ミミの重さが風に流れるが如くあっという間にユニットバスの方へ消えた。息つく暇もない。  
 あっけにとられた光子郎が下半身には靴下だけ、という間抜けな格好でミミの消えたユニットバスのドアを呆然と見ていると。  
 するりするりと衣擦れの音がして、ミミの着ていたアメリカお化けのような柄のTシャツや、目覆いたくなるような短かさの白いスカートが投げ出されている。  
 ええい、まったくもう、何処でそんなこと覚えてきたんですか。光子郎が腹立たしいやら嬉しいやら恥かしいやら複雑な心境で腹を据え、服を脱いだ。  
 「そこまでやるって事は覚悟の上と取ります。どうなっても知りませんからね!」  
 
 ユニットバスは普通、密閉空間である。当然、電気をつけないままドアを閉めたら真っ暗闇だ。  
 しかし光子郎も電気をつけないんですか、などと無粋は言わない。言えるはずもない。  
 ペラペラの化学繊維で出来たシャワーカーテンに仕切られたバスタブの向こう側に、一糸纏わぬミミがいるのだ。緊張から来る硬直で、一歩進むだけだというのに手と足が同時に出た。  
 ざぁざぁと湯が流れる音がする。華やかで甘く、噎せるような癖のあるユリの香りが熱気に掻き混ぜられて光子郎の理性を侵食していた。  
 さっとカーテンが開かれる。空気の動きとカーテンレールの音で光子郎がそれに気付いたのは時既に遅く、手探りに伸ばされていた手がなにやら柔らかいものを掴んだ後だった。  
 「きゃっ……!」  
 「えっ」  
 「いきなりなんてとこ触ってんのよ…!」  
 一瞬何が起きたのか完全に把握が出来なかった。だが少年には、耳慣れぬ色っぽい罵りが“振り払われたそれが何であったのか”を推理する手がかりになった。  
 「す、すみません!今のは事故です、わざとじゃな…っ……」  
 手の平に残るふわっとした感覚。指先がきめの細やかさを覚えてしまった。触れてしまったと言った方が正しいほど緩やかに掴んだそれを、たった今離れたばかりだというのに手が恋しがる。  
 「どう?」  
 「どっどうって、何が……」  
 「触った感想」  
 「い…一瞬で………いえ…や、やわっこかった……です」  
 言ってしまってから、光子郎はしまったと顔をゆがめた。自分が彼女の何処を触ったのかを知っていると白状してしまった事にではない。彼の膨張している自意識は“一瞬”という部分を拡大解釈しているのだ。  
 つまり裏の言葉、“一瞬でよくわからなかったのでもっと触りたい”という本音が出たことに彼は失策を感じている。  
 しかし当のミミはあまり自慢できない自分のおムネのボリュームについてのリアクションがなかったことにほっとしていた。  
 ここまできてもイマイチ噛み合っていないのが実に彼ららしい。  
 
 身体ぐらい自分で洗います、と言えないのか言わないのか、光子郎は言葉も少なくバスタブのなかに正座しながらミミにいい様に洗われていたというか、遊ばれていた。スポンジで背中を洗われたりあのユリの匂いのシャンプーで頭を洗われたりと、まるで犬のようだ。  
 ときどき「お客さんお痒い所はありませんかぁ?」と笑い、シャワーキャップの音だろう、ガサガサ鳴らせながらミミが甲斐甲斐しく光子郎の身体に小さな手を滑らせて丁寧に泡を落としてゆく。  
 小さな爪が肌に当たって何度か眉を顰めたけれど、光子郎はやっぱり黙ってされるがままに胸や腹に円を描くスポンジを咎めなどしない。  
 「急に静かになったね」  
 「もう観念しました」  
 「とかなんとか言って、気持ちいいんでしょ」  
 「実は……そうです。それに、人とお風呂に入るなんていつ振りだろうと思って」  
 小学校に入りたて、あの運命の夜から彼は両親に気を使うようになった。自分で出来る事は全て自分でしなくてはダメなんだ。できる限り煩わしさを感じさせてはならないんだ。そう思っていることも悟られてはいけないんだ。  
 「私なんか今でも家族みんなで入ったりするわよ。髪の毛洗うの、私が一番上手いんだから」  
 気持ちいいでしょう?彼女が見えもしないのに彼の顔を覗き込んで訊ねた。  
 「……ええ、とても」  
 彼は見えもしないのに笑っているだろう彼女に向かって微笑んだ。今ならこんなことを無駄だなんて思わない。  
 でもあの頃は何をしても一人だという気がして、感情が上手く出せなかった。あんまり長い間寂しいのを我慢していたら感情を出すのが無駄な気がしてきた。いつの間にかとうとう感情を出すのが面倒にすらなっていた。  
 天真爛漫で感情のままに生きる彼女は、光子郎にとって最初モンスターのような存在だった。言葉も感情も選ばない、誰とでも友達になれる、自分とは違う生き物。お互いにとっつきにくくて、もしあの冒険がなければ卒業まで一言も喋らなかったかもしれない。  
 「……なのに今こうして二人で居るなんて、不思議だな」  
 「ん?なにが?」  
 独りごちた光子郎の言葉を耳ざとく、というのだろうか、捉えた彼女が訊ねたが、光子郎はそれに返事をしなかった。  
 その代わりにぐっとミミの頬を引き寄せて、唇で探るようにキスをした。  
 がたん、と少女の手から落ちたシャワーノズルが大きな音を立てる。  
 
 「んっ」  
 頬を引き寄せた手とは逆の腕がミミの身体を光子郎の膝の上に巻き込んだ。ミミは泡で滑るバスタブの側面に摩擦力を奪われ、そのまま上半身を残して光子郎の体に向かって転ぶ。  
 上半身はしっかりと固定し、半回転したミミはまだ続いているキスに、思考能力を全部奪われてしまうのではないかと心配になった。蕩けるような熱くぬめる光子郎の舌が何度も唇の中を行き来するのだ。  
 「あ…ぁ…っ」  
 ごぼごぼと湯が流れる音がする。ところどころに残っているボディシャンプーの泡が、バスルームを埋め尽くさんばかりのユリの匂いが、早鐘を打つ自分の鼓動が、そのすべてが形を無くし、彼と一つになってしまう。  
 まるで許されるようにキスが終り、どきどき猛る炎のような唇がはなれた。  
 「まだ、アワ流してないのに……」  
 ぼうっと熱に浮かされたような声でミミがそう言った。  
 「あとは自分でやります」  
 低く囁くような声で光子郎がまた唇を近づけ……。  
 「だめ!最後まで洗わないと気がすまないの!」  
 ぐっとそのキスをブロックし、ミミが光子郎の傍に転がっていたシャワーノズルを掴んで彼の頭から湯をぶっ掛ける!  
 「ぶわっ」  
 「このぉー悪さばっかりする口めーっ口の中が石鹸の味するじゃないのよーっ!」  
 「熱っ!熱い!熱いですってちょっと!」  
 「当たり前じゃない温度上げてんだから!消毒してやるぅーっ」  
 「あつぅー!……降参!降参です!すいませんでしたー」  
 蛇口を探り当てた光子郎が湯を止め、もうもうと立ち上る湯気と熱湯から逃れきったことを確認してほぉーっと長い溜息をついた。  
 ……ついた所までは良かったのだが。  
 「っっ!?!?」  
 腰と太ももに何かが纏わり付いている。  
 そして、信じられない所にも。  
 
 「き、おひいい?ろう?」  
 たどたどしい舌が這う。  
 ミミはミミではじめて含んだそれはやっぱり石鹸の味がする、と思っていた。  
 「や、め……!」  
 腰が抜けてしまう、と光子郎は最後の理性でタオル掛けにしがみ付いてやっと何とか体勢を保っているような状態のまま、上げるに上げられない悲鳴を持て余している。  
 「ほーひろーふんは、わういんははらえ」  
 「しゃっしゃべらないでー!!」  
 からからの口の中は歯や舌の刺激が強すぎ、滑らずにへばり付く唾液は粘着質で気持ち悪くさえあった。ときどき噎せるのか、ミミのえづく時の表情は痛々しく、とても光子郎にとって愉快なものとは言えない。  
 しかし怒涛の感覚は簡単に光子郎の感情を吹き散らし、ミミの震える喉が別の生き物のようにそれを弄んだ。  
 「離して!離してください!」  
 「やぁほーや……あっ突き放すなんてひどーい!」  
 「いいかげんにしないと本気で怒りますよ!手も離して!」  
 「いーやっ。悪さする子にはお仕置きー」  
 「ミミさんっ!」  
 「やーだー!見るんだもん!せーし出るとこ見るんだもんー!」  
 「見えません!こんなに暗くちゃ無理です!諦めて手を離してください!」  
 「じゃあ手ぇ離すから電気つけて見せてくれるー?」  
 「何でそんなもん見たがるんですか!!おかしーですよ!」  
 「いやーっじゃあ離さないもんねー……ギューだ」  
 「わわわわかりました!わかりましたから!手を離してください!力抜いて!」  
 悪魔の呪縛から開放された光子郎が息つく暇もなく電灯がともり、それはひどく弱々しいぼんやりした明かりだったのにも拘らず、光子郎は瞼が灼かれたのかと思った。  
 ようやく慣れた薄目で隣を窺うと、赤い頬をしたシャワーカーテンで身体を隠す仕草をしながら顔にどうするの?と書かれたわくわくのミミがいて、光子郎は溜息をつくしか仕方がない。  
 
 「手伝ってください。じゃなきゃ出来ません」  
 「うんうん、舐めるの?」  
 ぺろりと舌を出したミミが嬉しそうな顔で身を乗り出す。  
 「舐めませんよ!どこでそんなこと覚えたんですかっ!」  
 「えー、友達とか?みんなの話うらやましーなーと思って聞いてたら覚えちゃった」  
 「……何が羨ましいんですか、まったく」  
 重要警戒地域に非常線を張る光子郎が呆れ声で半目になった。  
 「羨ましいよ、好きな人がすぐ傍に居るの。私の好きな人はいっつも海の向こうに居るんだもん。一緒に居るなんて夢を見るくらいしかできないじゃない」  
 ミミが気楽な声であっけらかんと、それでもすこし彼女らしくもない愁いを帯びて答える。  
 「…………ずるいですよ、そういうの。反則です」  
 こもっていた肩の力を抜き、少年が細く弱々しい声で呟いた。  
 「だーって、こーしろーくん素直じゃないんだもーん」  
 「わかりましたよ、もう……やればいいんでしょ、やれば」  
 わーい!諸手を上げて喜ぶミミとは反対に、やや疲れた表情で光子郎がバスタブの底に胡座をかく。  
 「で、何を手伝えばいいの?」  
 「まずシャワーカーテンを身体から離してください。で、そこに座っててくれればそれでいーです」  
 「やだぁ、恥かしい」  
 男のひみつを掴んだりねぶってたりした人間の台詞じゃないな、と光子郎は思ったが口には出さなかった。  
 「僕が恥かしくないとでも思ってるんですか。お互い様です」  
 「だって私胸ないしー、見ても面白くないんじゃない?」  
 「別に胸の大きな人は好きじゃないです」  
 「えー小さい胸が好きって言われるのもそれはそれでムカつくー」  
 「僕はミミさんじゃないと欲情しません」  
 光子郎の直球なセリフに言葉を失い、説得されるようにミミがシャワーカーテンの影からおずおずと一歩前へ出た。  
 丸い粒の水滴が鈍い光を反射しながら平均値から見ればややスレンダーとはいえ、年頃の女の子らしい丸みを帯びたフォルムの身体を彩っている。薄く紅を刷いたように所々が淡い桜色に染まり、それだけで扇情的だと光子郎の身体が反応を始めた。  
 「……ミミのはだか見ただけで……そんな、になるの?」  
 「他の何でこうなれって言うんですか」  
 
 苦しそう、と少女は偽らざる感想を持った。  
 息はひどく荒く、上下する腕に散っている水滴が揺れている。ときどきミミの方を見上げる目は潤んでいるのに真剣で、小さく呟かれる自分の名がどんどん彼女を居たたまれない気持ちにしてゆく。  
 自分は酷い事をしているのかもしれない。ミミはやめて、もういいよと叫びたいのに、そうする事がまるで罪のようにも感じられた。こんな事をしている光子郎を見ているのが辛い半面、目が離せない。  
 理解不能で奇妙な気持ちが増大し続けながらも、言われた通りに座る事も忘れたミミが立ち尽くしながら赤い顔で、ただ一人耽る光子郎を見下ろしていた。  
 「う…くっ……」  
 鈍いくぐもった悲鳴のような声が聞こえ、光子郎の手に握られた彼自身が白とは形容しにくい粘液を吐き出した。ゾル状のかすかに泡立つそれが溢れるように彼の手の上とバスタブの床に垂れ、息の切れた光子郎がうな垂れて言った。  
 「……これで、満足ですか……」  
 「ごめん……ごめんなさい、ごめんなさい……」  
 枯れて声にならない声でミミは呟いた。瞼の奥が熱く燃えているようで、大きく上下する光子郎の背中が歪む。  
 「…わたし…こーしろーくんに無理矢理、こんなことさせたなんて思ってなくて、こんな事だったなんて知らなくて…」  
 引きつった声がバスルームに響く。喉がからからなのだろう、いつもは高く鈴の音の項に綺麗な声が低くかすれてまるで風邪でも引いたかのようだ。  
 「…………誰でも最初はそうですよ……見ますか、精子」  
 「……うん、みる」  
 普通ならいい、と答えるだろう最初の目的を忘れないところがミミのミミたる所以かもしれないな、と苦笑いをかみ殺しながら、光子郎は指で掬い上げた水に触れて粘り気を失いかけたそれを手の平に広げた。  
 「……女の子のとは違うのね。これが、男の子の」  
 「赤ちゃんの元です。医学用語ではスペルマ、というそうですが」  
 そこまで言って、光子郎はまた度肝を抜かれた。手の平をつかまれたと思った瞬間、手の平にミミの舌が滑ったのだ。  
 「なななななにしてるんですか!ぺーして!ぺーしなさい!」   
 慌てて手を拭って背中をばしばし叩いてパニくる光子郎をよそに、ミミは確かめた味の感想を述べた。  
 「……へんなあじー。にがーい」  
 
 ブーン、と高く唸るドライヤーの音が何故か懐かしかった。自分の髪を滑る細い指が心地いい。  
 「小学生の頃はあーんなにつんつん髪だったのにさらっさらじゃないのー、生意気ー」  
 ときどき叩かれる憎まれ口に小さく頷いたり返事をしたりして、光子郎はなんだかとても安らいだ気持ちで居た。胸がどきどきするのに安心しているだなんて変だなと自分自身が可笑しい。  
 いつの間にかドライヤーの音が消えて、背中から覆い被さるみたいにバスローブ姿のミミがもたれかかる。  
 「いい匂い。なんか和んじゃう」  
 「和ませませんよ、責任は取ってもらいますからね」  
 立ち上がった光子郎がひょいとミミを抱え上げ胸元に唇を添えた。  
 「きゃあ!……すっごぉい、こーしろーくん意外にパワフル!」  
 「……背が低いからって非力と決め付けないで下さい、これでも一応男なんですから」  
 「お姫様抱っこなんて久しぶりだわー……ね、このままベッドまで連れてく気?」  
 「もちろん」  
 「やーん、こーしろーくん意外にロマンチッカー!」  
 「……なんですかロマンチッカーって」  
 「ロマンチックなひと、って意味」  
 「わけわかんない英語作らないで下さい」  
 毛布とシーツの間に軽く投げ出されたミミが、上目遣いで光子郎を見る。光子郎は見下ろすような覆い被さる格好で少し緩んだバスタオルを解き、毛布を被った。  
 「……み、み、ミミ、はじめてだから、よくわかんないんだけど」  
 「はい」  
 「あの、あの。えーとどうしたらいいの?」  
 「どうしてほしいですか?」  
 「……やさしくして……痛くしたら泣いちゃうんだから」  
 「努力はします。ただ僕も初心者なんで確約は出来かねますが」  
 言い終えるか言い終えないかのうちにミミの腕が光子郎の首に絡み、少し震えたキスが与えられる。目を閉じてそのキスを受け取った光子郎は、泣いているミミも怒っているミミもそれはそれで魅力的なんだけどな、と思っていた。  
 
 くちゅくちゅと粘液質な音が耳元で響くのは奇妙な気がした。絡む舌と舌は粘膜のテレパシーを繰り返しながらどんどんと快楽の深みへ二人を引きずり込んでいる。彼の唇が滑る彼女の唇は熟したチェリーのような輝きを放っていた。  
 声が出せない代わりに出る吐息がうるさい。本当は相手の名を呼びたい。なのに出るのは溜息のような自分の喘ぐ呼吸ばかりでそれがもどかしくて恥かしい。必死でなんとか生命維持に必要な酸素を探しているようだ。  
 不意に光子郎が半開きの唇を離すと、カーテンの隙間から伸びる光の筋に照り返されて光の橋が二人の間に掛かっているのが見えた。キラキラと輝く一筋の橋は神々しいのにどこか淫靡で、赤い顔の二人は言葉に困る。  
 光の橋が途切れて消え、細かいストライプが入ったミミの顎にぽたりと粘液が垂れた。張りのある白いきめ細やかな肌に落とされた自分の唾液がひどく卑猥な気がする。光子郎はフラフラ戸惑う指先で唾液を拭おうとした。  
 だがぬかるむシャープな顎先に一筋書いただけで、上手く拭えない。人差し指の腹にビリビリと静電気のような快感が走った。思わず彼が舌をとがらせて新たに唾液を落とし、首筋に繋ぐようにまた一筋線を延ばす。  
 「あ……」  
 ミミのヒクつく閉ざされかけた瞼が光子郎の嗜虐欲を刺激しないわけがない。彼はもう一度唾液を伸ばし、彼女の首筋に新たに線を引いた。今度は親指を除いた4本の指を使い、まるで弧を描くように緩やかなタッチで。  
 「んんっ!あっ!」  
 鋭い痙攣にも似たミミの反応が光子郎に火をつけてしまった。これから先はもう元には戻れない領域に踏み込む、と彼は自覚をしている。だが今までの笑いふざけあう幸せを壊してでも、彼はその先を知りたいと思った。  
 知りたい。彼女の全て、泉光子郎に関わる全ての太刀川ミミを!  
 川の様にきらめく首筋に舌を這わし、ぬめる指を腹から腰、そして薄い茂みへと沿わせた。その先に到達した指が熱く潤う柔らかな粘膜を探し当てるのにそう時間は掛からない。  
 「やぁ……んっ……痛い…から、やさしく触ってよぅ……!」  
 ミミの拗ねるような批難を受け、光子郎が力を抜いて打ち身をさするように優しく中指と薬指を上下に動かした。  
 「……濡れてる?」  
 「びしょびしょです。……えっちですね」  
 「なっ……なによ、自分だっておちんちん立ってるくせに」  
 「ミミさんのこんな場所触ってて勃たなかったらそいつは泉光子郎じゃありませんよ」  
 「……んもう、こんなときでも冷静なんだからぁ」  
 
 …………冷静じゃ、全然冷静なんかじゃない。頭の中がこんなにメチャクチャになってるんだ、嵐みたいに荒れ狂ってる。彼はそう言いそうになったが言葉にはならなかった。  
 「こんなにえっちな人と比べればそりゃあね……見てくださいこの手」  
 光子郎はミミの前で今まで“悪さ”をしていた手の指を広げた。薬指と中指は言うに及ばず、中指と人差し指にまで粘液の橋が掛かっていた。  
 「ミミさんも一人でするんですか?よく解らないけど、よほど慣れてないとこんなに濡れたりはしないですよね?」  
 にっこりと、どこか禍々しい迫力のある声で笑う光子郎に問い質され、ミミは少し怖いと思った。いつも見ている優しくて物事の穏やかな礼儀正しい光子郎ではない。意地悪で狡猾な男の子の顔をしている。  
 「や、やだ……なんかこーしろーくん……コワい……」  
 「さっきはよくもオナニーなんかやらせてくれましたねぇ。今度はミミさんが僕の言うことを聞く番ですよ」  
 「こ、こーしろーくんて意外に根に持つタイプだったんだ」  
 「ええ意外に。自己抑圧の多い性格だから一旦タガが外れるとやばいタイプでもあります」  
 ひょええ、とミミが神に祈るポーズで身を縮めた。一体何をされるんだろう、という不安感の半面、自分が一体どうなってしまうのか興味もあったのだ。  
 強く瞼を閉じていると、耳元に暖かい空気が触れた。そして空気が振動する。  
 「どうやってするんですか?……誰の事を思い浮かべてここを触るんですか?」  
 少年独特の少し高い声が最大限に低く絞られて、じーんと鈍い快感がミミに走る。いつの間にか元に戻っていた“悪さ”をする手が焦らすように細かくスリットに蠢く。  
 「……ゆ、ゆびで……さわります……夜、ベッドの上で……光子郎くんの声とか、顔とか、思い出して」  
 よく出来ましたとでも言うように、光子郎の指が太ももに挟まれて動きを制限されているとは思えない軽やかさできゅきゅ、と動いた。それに身震いするような快感が背筋に走って、ミミが言葉を失う。  
 だがそれを見ても光子郎に容赦する気はないようだ。  
 「自分でするのと僕がするの、どっちが気持ちいいですか?」  
 「………なんかこーしろーくんノリノリなんだけどぉ」  
 「イヤだったら止めますよ」  
 「……うう……こーしろーくんに触ってもらう方……!」  
 
 ああちくしょうかわいいなあもう!等と叫んで抱きしめたい衝動を、顔を逸らしながらぶるぶる震えつつ我慢をする光子郎が深呼吸をして何とか堪えた。それを見ていたミミがなんだ、やっぱり光子郎くんだ、と密かに笑っている。  
 「あ、そうだ。どんなの買ってきたのか見せてよ」  
 「は?」  
 「こ、ん、ど、う、む」  
 悪戯っぽい笑みでことさらに口を大きく開けて発音するミミに、光子郎はぎょっとなったが動揺を隠し切れてない普通の顔で、努めて冷静に開けて見ましょうか、とベッドを立った。  
 小さな茶色い紙袋からこれまた小さなペットボトルの形をした入れ物と、銀色に輝く長方形の箱が転がり出た。  
 「なにこの瓶」  
 「潤滑材です。避妊具売り場で1000円以上お買い上げの方にプレゼントと言われたんで貰ってきました。で、こっちがコンドーム。よく解らなかったので一番高い奴にしたんですけど」  
 「うひゃー!みてみてこーしろーくん!すっごーい!ぬるぬるー!やーらしー!」  
 「……もう開けたんですか……じゃあ僕はこっちを」  
 開け口をさがして銀色のパッケージをひっくり返した光子郎は、底に書かれている“0.03ミリの極超薄!”と踊っている緑の字に赤面しながら、あわててビニールを破いて中の白く連なるパッケージを引っ張り出した。  
 「なんか飴みたい。パルコとかで売ってるじゃん、こういうやつ」  
 「本体が小さいですからね、バラバラにならないようにするには一番理にかなった形態ですよ」  
 「開けてみてよう。極薄、なんでしょ?すごいよねーゴムをこんなに薄くしちゃうなんて」  
 「そういやコンドームってどうやって作るか知ってます?」  
 「なに、急に」  
 「食品用ラップも同じようにして作るらしいんですけど、風船みたいに特殊薬剤を膨らませて作るんだそうですよ」  
 「……変なこと知ってんのねー」  
 「こないだオカモトの起業について書かれた記事をネットで読んでたら書いてました。」  
 「……なに、オカモトって」  
 「日本のコンドームメーカー老舗中の老舗です。因みにラップもつくってます」  
 「なんでそんなもん検索してるのよう!」  
 「使用方法とか載ってないかなーと思いまして。その時の勉強が今役に立ってます」  
 「――――――えっち。」  
 困ったみたいな嬉しそうな、それでいて何処となく批難するような難儀な表情でミミが唇を尖らせた。  
 光子郎は連なっている白いアルミパッケージを丁寧に一つ切り離して中身を取り出した。独特のゴムのにおいがする、油だろうか?なにやら液体が付着しているヌル付いたそれを引っ張り出す。  
 「これがうわさに聞くコンドームですか。実物は始めて見ました。意外に小さいんですねぇ」  
 「こーしろーくんにはぴったしだったりして」  
 にひひひ。ミミの忍び笑いみたいな意地悪犬の笑い声に、少なからずムッとした光子郎はモノのサイトにあったとおりの手順で装着してみせる。その手早さといったら、絶対に初心者だなんて信じられない。  
 「……ちょっとキツイような……ぶんコレでいいんだと思うんですが」  
 「あーっ!ずっるぅーい私がつけようと思ったのにー!」  
 「ひ、引っ張らないで下さいよ、破いたら勿体無いでしょう!」  
 「もっかい!もっかいミミちゃんがつーけーるーのー!」  
 「あーもう、次!次はつけさせてあげますから」  
 自分の台詞にハッとした光子郎が我に帰ったが、時既に遅し。ニヤニヤ笑いのミミが心底悪そうな顔で光子郎を見ている。それに顔を青くした光子郎。下手なフォローなど効きそうにもない。  
 「つぎぃ〜?こーしろーくん、何回やるつもりよぉ。まだお昼だからって夜までずーっとやる気なのぉ〜?」  
 「ち、ちがいます!次というのは……つまり…その…次回、そう次回という意味でですね」  
 「あー、一回だけで満足しちゃうんだ。こーしろーくんて淡白ねー」  
 「いやそーゆー意味ではなくー」  
 わたわたと慌てふためく光子郎はなんともいえずカワイイなあとニヤニヤ顔のミミは意地悪そうに微笑んでいる。  
 「う・そ。何回でもしていーよ。……ううん、しよう?……何回も」  
 ぱたん、とベッドに倒れ込んだミミのピンクの髪がふわっとシーツに広がった。控えめな胸に両手が添えられて、その仕草はいつか見たアイドルのグラビアみたいだと光子郎は思った。  
 「言いましたね……覚悟してくださいよ」  
 悪魔の微笑を浮かべ、光子郎はミミの唇を探り“くちづけ”と呼ぶにふさわしい丁寧でぎこちなく唇を合わせた。  
 
 「……ぃたぁい……」  
 がつん、と鈍い音がして光子郎の頭の上で声がした。  
 「ど、どうしたんですか」  
 「頭うったぁ……」  
 「ほら、どんどん枕の方に登ってくからそんなことに」  
 「だって痛いんだもん……やっぱりそんなおっきいの入るわけないわ!」  
 さっきといってる事が違う、と彼は思ったが内心は初めて感じる充実感に似た満足に頬が緩んでいた。  
 「こんなにぬるぬるなのに入らないものですね。意外に」  
 光子郎はあくせくと彼女に引っ付きたがる身体を根性で引き離して、しきりに己を押し付けていたミミの秘密に触れた。潤う泉はとろとろと滴りすら感じるのに、どうしても挿入に踏み込めない。  
 「だからおっきいんだってば!こーしろーくんのが!」  
 「……そ、そうは言われても……」  
 光子郎が無理にでも割って入ってしまえば片が付くだろう。だが知識は年の割りに多少あるにしても経験が絶対的に足りず、何をどうしていいのかさっぱり解らない。彼は無理強いの得意な性格ではなかったし、彼女もただ受身なだけの女の子ではなかった。  
 「……初えっちなのに締まらないわねぇ、私たちったら」  
 「…………すいません」  
 「なに謝ってるのよ、お互いさまでしょ。まあ時間はたっぷりあるんだし、ゆっくりやりましょ。ね」  
 まるで年上のようにミミが光子郎の頭をなで、その手がゆっくり滑り落ちて彼の赤い頬を辿った。顎をもち、唇を誘う。  
 光子郎は初めて触れる女の子がミミでよかったと思う。そして彼女にも同じように思って欲しいと思う。だからこそ彼女を傷付けたくはなかったし、泣かせたくもなかった。だけどそれは本当に正しいのだろうか?  
 自分はデジタルワールドでたくさんの思いをたくさんの人やデジモンと共有してきた。そこには出来れば思い出したくない痛みや恐怖の思い出もある。でもそれを消してしまうことは少なくとも僕には考えられない。全てが揃ってこその思い出だから。  
 ――――――僕はヒドイ奴かもしれない。痛みの記憶と一緒に僕を覚えてて欲しいと願うなんて。  
 「……わかりました。僕も覚悟を決めます」  
 
 今から10年経って訊ねられても、初めて指を差し込んだ感想を光子郎はきっと鮮明に思い出せるに違いない。それほど衝撃的な体験だった。熱くぬめる粘膜のスリットは今まで触ったことのあるどんなものとも違う柔らかさで彼の指を掴んで離さない。  
 治まりかけていた心臓を裏から叩かれるような振動が一瞬にして蘇る。埋まり込んでしまった少年の中指は弱い痙攣を繰り返しながら蠢くミミの身体の圧迫感を感じずにいられない。  
 「痛くないですか?」  
 「ん、それくらいなら……」  
 「……いつもやってるから?」  
 「ば、ばかっ!」  
 怒りを露わにしかけたミミを慰めるように光子郎はミミの顔を見ながら少し中指をくの字に折り曲げた。  
 「あっ……!」  
 「こうやって……誰の事を考えてやるんでしたっけ」  
 「あん……っばかばか!さっきと同じこと……やっあっあぁ……!」  
 「答えて、ほら、何を思い出してここをこうするんですか?」  
 「……あっあたし、いじめられて喜ぶ癖なんて、ないんだからね!?」  
 「……答えてください。聞きたいんです。……さぁ」  
 「――――――こ、こーしろ…くんよ、あなたの事を思い出して、やらしいトコ触るの……!」  
 いっそう、光子郎の指がきつく握られた。たった中指が一本だけだというのに、もう何処にも余裕などない。  
 「さっきよりもっと溢れてますよ、ミミさん。気持ちいいんですか?」  
 「もう、やぁ……そんなこと聞かないでよぉ……」  
 ジタバタとミミが悶えるに悶えられない悩ましい動きで身体をくねらせるのを見ながら、光子郎はもう一押しとばかりに身を乗り出した。  
 「だって、質問すると感じるみたいですから。……あと、こうやって目を見ると」  
 「っい……ゃぁ!……!」  
 バッチリ光子郎と視線が合ったミミが両手で真っ赤になった顔を覆う。ちゅぷちゅぷと蜜の潤沢をそのまま音にした淫猥なリズムが途切れる事なく部屋に響いているのを聞きながら、ミミは身体が解けてゆくような錯覚を覚えた。  
 
 粘液でふやけたドロドロの中指を引き抜き、光子郎はことさらに彼女の瞳に見せ付けるようにしてそれを舌を露出させたまま啜った。ぢゅるちゅるとわざと音を大きくさせ、ミミの羞恥心を煽り立てる。  
 「やあああああ!だめ、だめよ!ぺーして!ぺーしてぇ!」  
 「ミミさんの味がする」  
 「ばかああぁ!もうばかばかばか!なんでそんなにヤラシーこと思いつくのよう!」  
 「いつもこんな事ばっかり考えてるからです」  
 「さらっとすごいコトゆうなァー!」  
 「心配しないでください、これからもっとすごいことをしますから」  
 「やだもうミミちゃんアメリカかえるぅー!」  
 「逃げられると思ってるんですか。甘いですよ浅はかですよ認識不足ですよ」  
 笑いながら悲鳴を上げるミミの首筋を、光子郎が粘液のついたままの指を滑らせ、またそれを舐め取るように唾液の筋を作った。  
 「……逃げないんですか?」  
 「………こーしろーくんのいじわる……」  
 目と目が合った。ただそれだけで二人は同時に目を閉じて唇を重ねた。ただそれだけで意思が伝わったことに二人は深い喜びと満足感を覚え、決心がついたかのように身体を離した。  
 もう一度二人は相手の身体に視線を這わせて、いま一度改めて抱きしめあう。  
 「さっきのおまけ使おうよ。ちょっとくらい痛くても我慢するから……こーしろーくんだから…我慢してあげる……」  
 「……ありがとう…とても…嬉しいです……」  
 「……もう、こんな時でも敬語なんだから……でもこーしろーくんらしい……」  
 濃厚で長い口付けを惜しむように、少年はひんやり冷たい潤滑剤を避妊具の上からたっぷりかける。  
 「なんか、フランクフルトみたい…ね」  
 「……言うと思った……」  
 呆れ声ながらも悪戯っぽい顔で、少年は両手に流れ落ちた透明のゾルを彼女の秘部にぽたぽたと落とした。  
 ミミは冷たい、と声を上げるのも我慢して「きて」と呟くのが精一杯。  
 
 悲鳴も喘ぎ声もない、ただ自分たちの吐き出す吐息で窒息しないように必死で呼吸をする。さながら酸素を求めて水面を目指す金魚のようだ。まるで溺れているみたいに二人が荒い呼吸を繰り返している。  
 痛いのだろうか、訊ねた方がいいのだろうか、しかし声が出ない、だけど物が考えられない。  
 苦しいのだろうか、聞いたほうがいいのだろうか、しかし言葉にならない、だけど文章にならない。  
 ただ繰り返される振動、ただ繰り返し訪れる鈍い衝撃。それが魅力的かどうかはわからないが、それに囚われているのは事実だった。光子郎の快感と焦燥、ミミの鈍痛に似た未知の感覚が混ざり合って溶けている。  
 何かに耐えるように光子郎の眉間に寄せられたしわが目まぐるしく形を変え、どきどき下ろされる視線の隅で悩ましそうに照れた笑い顔をミミに向けている。  
 ミミはその視線が降りてくるたびに何故か目が合ってしまうので、そのつど慌てて目を逸らしたり顔を覆ったりと忙しく動いている。光子郎はそれを見るのが面白くて愛しくて仕方がない。  
 ああ、僕たちは繋がっている。今この瞬間、間違いなく心も身体も合わさっている。  
 すぐに彼女がアメリカへ帰り、自分がまた長く日本に取り残されたとしても……大丈夫。  
 デジタルワールドでテントモンと初めて心を重ねた時のように、東京で両親とのわだかまりが解けたあの日のように、今彼女と自分の道が重なったのだ。……例えそれがたった数時間の日食のような偶然でも、重なり合った幸福を僕は忘れない。  
 「ミミさん」  
 「なぁに、光子郎くん」  
 「……好き。」  
 まるで懺悔みたく、光子郎はミミにそう一言だけぶつけた。  
 「……me to」  
 その真剣さに少々面食らったものの、勘のいいミミは雨の中の百合のような可憐と淫靡が入り混じった笑顔で応える。  
 それが――――――その魅力的で匂い立つコケティッシュな笑顔がまずかったのだろう。  
 「……あっ!」  
 真っ青になった光子郎が絶望の声を上げて何度かひどく身体をグラインドさせて崩れ落ちるようにミミの身体に体重を預けた。  
 「…ぁ…すごい、こーしろーくんの、びくんびくんってなってる……」  
 恥かしそうな悔しそうな悩ましい表情で、光子郎が掠れたうめき声を上げる。  
 「ごめんなさい……我慢できませんでした……」  
 
 寝起きの悪いミミが目を覚まし、シャワーを浴びてまだ湿っているバスローブをつけ終わっても、光子郎は気を失ったかのように眠っていた。こういうのを泥のように眠る、というのだろう。  
 時計を見ると午後8時半。帰るにしても泊るにしてもそろそろ起して家に電話を掛けさせなければまずい時間帯だというのに、少女はベッドの横に椅子を置き、逆に座って背もたれに腕を掛け、じっとぐうぐうノンキそうな顔をして眠る少年を見ていた。  
 かわいー顔して寝ちゃって……なによ、私もうすぐアメリカ帰っちゃうってのに……ばぁーか。  
 心の中で毒づきながらも、無理に起したりする気のさらさらないミミの顔はしまりなく緩んでいる。  
 だが彼女の心のどこかにそんな自分を鼻で笑っている冷たいミミも同時に存在した。  
 思いが通じ合い、満ち足りた濃厚な時を共有し、それでも何かが足りないような気がする。彼女は少ない材料をそれでも持て余しながらぼんやり思案を重ねていた。  
 一体何が足りないというのか。彼はここにいる。自分もここにいる。愛は……まだ良く解らない。けれど私が危なくなったら何を捨て置いてもきっと助けに来てくれるだろう。そう、パルモンのように。  
 なら自分はどうだろうか、テントモンのように彼を陰に日向に支える杖になり得るのだろうか?  
 答えは出ない。正しくは、解らない、という答えしか出ない。  
 命の危険に晒されればきっと地球の裏側に居たって助けに行くわ。でも。私って意外に鈍感だからなぁ……ほんとは気付かない所でいろいろ迷惑かけてるのかも。ミミは珍しく内証的に自分を振り返る。  
 彼女は自分で思っているほど鈍感でもなければ愚かでもないが、やはり少し回りへの配慮が足りない部分もあった。だがしかしそんなものは年相応のもので、これから先いろんな経験を経て改められてゆくだろう。なにせ自分への拘りなど持っていない自由で柔軟な彼女だ。  
 「……ま、考えたってしょーがないっか。なるよーになるわよ、ね」  
 思う存分光子郎の寝顔を堪能したミミが笑いながらそう言い、ライティングデスクに目をやるとだらしなく口を開いているバッグから覗くパソコン関係のマニュアルやらパンフレットやらが見えた。  
 うふふ、と悪巧みの顔を隠しもせずにミミはそのマニュアルを光子郎の頭に載せてみた。これがまた上手くバランスを取って乗っかるもので、ミミは調子に乗ってそこら中にあるティッシュ箱だとか空のペットボトルだとかを追加してゆく。  
 「くくくくく……あはははは!もうだめ!なんで落ちないのよぉ!!あははははは!か、かめら、カメラどこだっけ!」  
 頭の上は言うに及ばず、身体中が遊園地のように部屋中のもので飾られていてものすごい格好になってしまった光子郎の腰の上に鎮座していた自分のデジカメをそっと引っ張り上げ、ミミは何度も何度もシャッターを切った。  
 「あはははは!まだ起きないよ!ありえなーい!普通重さで起きるでしょー!?いひひひひひ!」  
 お腹を押さえひとしきり転げ回って気が済んだのか、笑いながら身体中の飾りを除けていたミミがふと何やら善からぬこと思いついたのか引きつり笑いを止め、固い声を作って光子郎を揺り起こす。  
 「こらっ光子郎起きなさい!どうしてあなた裸で寝てるの!?」  
 「………あい…もう起き……ぇえぇ!?…お、おかあさん!?」  
 光子郎が眠る前に見せた青さとは違う顔面蒼白で、ばっ!と音を立ててベッドから跳ね起きた。  
 「はずれー。ミミちゃんでーす」  
 「……ですよねぇ……ああびっくりしたぁ……」  
 ホッとしてかぐったり力を抜いてベッドに蕩ける光子郎を横目に、ミミがまた嬉しそうな声を上げた。  
 「もう一つバッドニュース。ただいま夜の8時半でーす」  
 「ええええええ!?うぅそぉ!?」  
 部屋に設置されていたのだろう。ミミの持っている置き時計の時間を慎重に読んで、光子郎はまた脱力した声で唸った。  
 「しっ……信じられない…………今日はケーブルとメモリを買いに行こうと思ってたのに……」  
 
 「どう?泊っていいって?」  
 レストランの席に戻ってきた光子郎に、ミミが声を掛けた。  
 「だからっ!泊りませんよっ。ごはんを食べたらすぐ帰ります」  
 財布の中にテレカをしまい込みながら、頬を染めた光子郎が低く小さい声でミミを嗜める。  
 「やーん、泊ってったらいいじゃなーい」  
 「……あのね、ミミさんの部屋はシングル部屋なんです。宿泊規約違反で追加料金払いたいんですか」  
 「ダブルの部屋を取り直せばいいのよ」  
 「……ツインじゃないんですね……」  
 「だって勿体無いでしょ、ベット一つ空いちゃうの」  
 あっけらかんとミミがロールパンを口に運びながら言い切り、光子郎はきょろきょろ周りを見渡す。  
 「み、ミミさん!公共の場でそういう慎みのない発言は止めてください!」  
 「あら、じゃ二人のときはいいわけだ」  
 にぃ、と口角を持ち上げながら笑うミミの顔を受け、光子郎は真面目な顔をして言った。  
 「もちろん。――――――特に寝具の上で聞くのはやぶさかではありません」  
 しばらくきょとんとしたミミがコロコロ鈴を転がしたような声を上げて、やっぱり光子郎くんも男の子ねと笑った。  
 「……明日はどんなご予定なんですか?」  
 「ん、この帰国のメインイベント、親戚の結婚式。……で、明後日の昼には機上の人ってスケジュール」  
 「えらい強行軍ですね」  
 「まぁね。学校サボって来てる関係上、仕方ないのよ」  
 「そうですか、くれぐれも気をつけて帰ってくださいね」  
 心配性ねえと返したミミが、何気なく手に持っていた水のグラスを取り落としそうになった。目に見えて気落ちした光子郎がぼんやりと手のつけられていないスープに視線を落としたまま固まっていたから。  
 ……んもう、素直じゃないんだから……。  
 「光子郎くんち、電話番号って変わってないわよね?」  
 「……へ?……か、変わってませんけど……なんですか急に」  
 「電話してきてあげる。『光子郎くんの体調が良くないようなので今日はうちに泊ります』って」  
 白のミニスカートを勇ましく翻して、ミミが颯爽と席を離れて行く。唖然とする光子郎が我に返ってその後を追いかけようと立ち上がりかけ、すとんとそのまま席についた。  
 「……こりゃ明日帰ったら質問攻めだな……」  
 光子郎は両親にする言い訳も考えず、恋人がアメリカへ帰る日にちょっと泣くかも知れないなとテーブルに肘を付きながら思う。その日、高揚した気持ちが萎んでゆく自分の有様が目に浮かび、すこし可笑しかった。  
 その日の夜はきっと夢を見るだろう。いろんな彼女を思い出しながら眠るから、きっと賑やかな夢に違いない。  
 少年は満足げに笑い、手を振って駆けて戻るだろう恋人を待つことにした。  
 
 
『てんとう虫は海の向こうの夢を見る』 おわり。  
 

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