「お、誰かと思えば何時ぞやの貧弱なお姉サンでないの。元気?」  
 
 
ぼう、と立ち尽すミランダの耳に、夜闇を透かして瓢とした声が届いた。  
 
一緒に居た探索部隊の人間達は息をしていない。それどころか、既にもう人の形ですら。  
 
さっきまで普通に言葉を交わして居た人の頭が風船が割れるみたいな音と一緒に突然に弾け飛んで、頬に浴びた生温い液体が何であるかを探り当てる前に縦続けに同じ音が何度も鳴って。  
 
夜は暗い。  
森の中であれば尚更。  
でも、この日は雲一つない満月で、枝葉を掻い潜った青白い光が辺りを仄かに照らして居て明るかった。  
少なくとも、探索部隊だった肉片に張り付いた布の、その所々を染め上げて居る生臭い液体が赤い色だと判断出来る位には。  
 
気付いた頃にはミランダを囲む様にして血と肉の畑が出来て居り、それを耕したのはこれまた何時の間にか前方に佇んで居たティキだった。  
 
「ね、元気?」  
 
意図して答えずに居た訳じゃないのに、まるでミランダが焦らして居るとでも言いたげに笑いながら同じ問掛けをしてくるその男は以前見た時とは違って随分優雅な格好をして居た。  
 
帽子の鍔をちょっと持ち上げて、にこやかな笑みを作る。  
年頃の娘が見たら思わず頬を染めて仕舞う様な笑顔だが、ミランダには帽子が上にずれた事で彼の額の刻印が垣間見え、出会った当初からの恐怖が更に増しただけだった。  
もっとも、向こうとて親愛を示す為に笑った訳では無いのだろうが。  
 
突然の出来事で現状を把握し切れて居ないのと相手が恐いのとで何も言えずに立ちすくんで居るミランダに痺れを切らしたのか、ティキはやれやれといった様子で軽く両肩を上げると帽子から手を離してそのままゆったりとミランダの方へ足を運び始めた。  
 
思わずミランダが後退りをしようとか細い足を後ろに動かせば情けない事に膝が震え出し、身を保ち直そうと右手で左の二の腕を掴んで唇を噛むが、今にも奥歯が鳴りそうで必死に顎を閉じる。  
視線はティキに向けられて居たが、気丈な訳でも、況してや勇敢な訳でもない。恐いから目が離せないのだ。  
 
そんな様子に淡い侮蔑の様な、憐れみの様な視線を投げ掛けつつティキはミランダの目の前で立ち止まる。  
おもむろに視線を降ろすと息を飲む様がよく分かって滑稽だった。少し見る場所をずらせば小刻みに震える肩にも気付いただろう。  
 
「…ま、元気でもそうでなくても、アンタには此処で死んでもらうんだけど」  
 
口調は相変わらずだがティキの眼は殺人への快楽を予期して歪な光を宿した。それを目前にしたミランダの口から、ひ、と蚊の鳴くよりも細い声が洩れる。  
備わった生存本能は逃げろと体に命令を下すが、ティキの放つ圧倒的な気に圧されて身動きは叶わない。今にも悲鳴を上げそうな喉だけは何とか抑えて居るものの、次第に呼吸すらかそけくなってミランダは苦し紛れに目元を歪めながら俯く。  
すると、急に頭上から前髪を掴まれてぐいと無理矢理に顔を上げさせられた。  
 
「う、っ……」  
「折角の機会なんだからさ、顔見せてよ。あー、ちょっと不健康そうだけど、悪かないか。うん、目一杯イイ顔して…死ねよ」  
 
 
頭皮を引っ張られる痛みで眉間に皺を刻みながら恐々ティキを仰ぐとまるで玩具を見る子供の様に笑って居る。  
上げさせられた顔の表面を這う視線が突き刺さる様だ。命を奪う宣告と共に髪を掴まない方の手が持ち上がったのを視界の隅に見て、ああ、自分は死ぬのだなと冷たい実感がミランダの心を満たす。抵抗らしい抵抗も出来ずに。  
最後まで情けない人生だったと思えば自然と鼻の奥がつんと痛くなって涙が溢れて来た。自分をこの道に誘ってくれた少年と少女の顔がふと浮かぶ。役に立てなくてごめんなさいと心の中で呟いた。  
 
「……死ぬのが恐いか?」  
 
ミランダの事情なぞ知る由もないティキは突然に流れ出した涙を何の感慨もなしに眺めてそう問うた。病的な青白さを持つこの女の顔にはひどく涙が似合うなどと思いながら。  
 
答えを待たずに持ち上げた手をミランダの左胸に文字通り差し入れる。薄っぺらい肩が更に強張って、青褪さめた顔の中の瞳が揺らいだ。もう少し恐がらせてやろうかなどと嗜虐心が煽られるに任せてミランダの心臓を掴む動作をする。  
指先に早鐘の様な脈が伝わった。  
 
「ああ、恐いんだ。物凄くばくばく言ってるよアンタの心臓。…ね、命乞いとかしない訳?」  
 
今ならちょっとだけ考えてあげる、と相変わらず涙を垂れ流して居るミランダの耳元で殊更優しげに囁く。無論長く生かすつもりは更々ない。  
エクソシストの利用価値はスーマンの時に体験済みで、この意志薄弱極まりなさそうな女なら少しぐらつかせてやれば良い駒になりそうな気がしたのだ。  
 
何よりは、この泣き顔の哀れっぽさが楽しくて堪らないのだが。  
 
 
「し…しま…せ…」  
「ン、何?」  
 
それこそ面白い玩具を見付けたと言わんばかりにミランダの顔を眺めて居ると、不意に痙攣のような動きで唇が動いた。  
洩れた声はかすれ気味でよくは聞こえないので問返す。髪を掴む手に力を込めてミランダの眉が歪むのを眺めながら。  
 
「そ、そんなこと…は、しま…せんっ!」  
 
半ば叫ぶ様な声を上げるとミランダは両手で自分の胸に差し込まれて居るティキの腕を掴んだ。  
抵抗のつもりだとしたら、余りにお粗末だ。腕を引き抜こうにも髪を掴まれた状態では叶わないだろうし、上等な布地に食い込む細い指はティキに痛みを与えるだけの力を持って居ない。  
 
それでも、ミランダが抗う意志を見せたのはティキにとって予想外の事であり、ただ捕食を待つしおらしい獲物よりも興味を惹く存在だと感じた。力も勇気も無い癖に歯向かって来る生意気さが心地良い。もっと反応を見てみたい。  
 
髪を掴む手はそのまま、左胸から腕を引き抜いた。纏わって居たミランダの指は呆気なく接がれて行って、突然に体を脅かす物が離れた驚きで戸惑う様に宙を掻いた。  
 
その隙を見計らって唐突に腕を伸ばす。再び、左胸に。但し、今度は体内に手が吸い込まれて行く事はなかった。  
ローズクロスの上から膨らんだ其処に触れて揉む様に指を動かし、突拍子のない此方の行動に目を見開くミランダの顔を見てにやと笑うと少し手をずらして銀飾の飾り釦をぶつんと引き千切った。  
 
「…ふーん、ミランダ・ロットーさんね…。俺はティキっての、よろしくね」  
 
奪った釦を裏返して刻まれた文字を白々しく敬称付きで読み上げると、今度はミランダの方に視線を寄越して呑気に自己紹介などして来る。  
ミランダとしては相変わらず死の恐怖とアレン達への申し訳無さで頭が一杯だったが、場違いなこの遣り取りに混乱を覚えて戸惑いが瞳を染めた。  
恐いという感情だけでもう、頭が一杯になりそうだというのに。  
 
「さてと。まあちょっとばかし痛いかもしんねーけど、悪いようにはしないから」  
 
いよいよ思考が回転しなくなって来たミランダの顔を愉快そうな笑顔で見つめてそう言うと、彼女がその意味を判ずる前にティキはミランダを地面に引き摺り倒した。掴んだ髪ごと腕を前に押しながら。  
 
「う、ぐ、……っあ、」  
 
仰向けに崩れたミランダが背中に浴びた衝撃にうめいて思わず上体を丸めようとすると、すかさずティキが草を踏み付ける様な無頓着さで彼女の脇腹に片足を乗せた。圧迫の反動を受けてミランダの肩が軽く地面を跳ねる。  
 
ミランダが痛む腹を腕で庇いつつ眇む眼差しで何のつもりだろうと怖ず怖ずティキを見上げれば外した手袋を束ねて帽子を脱いで居る所だった。  
それらはティキが宙に放ると途端に姿を消して行き、最後に上着と先程ミランダから奪った釦を夜闇に紛らせて仕舞うと彼女を踏み付ける足を退けて屈み込んだ。  
体の拘束は解けたのだから今なら逃げ出せるのではないかとミランダは思ったが、ティキの視線に絡め取られて体は微動だにしてくれない。  
 
 

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