イノセンスの適合者は、三度戦闘を経験したらエクソシストと称される。
一瞬たりとも気の抜けない悪魔との戦闘、ある特有の興奮状態、血の匂い。
適合者が一歳の子供から六十歳の老人までと差があるように、人によってそれに慣れるまでは差
があるに違いない。
――しかし、三度。
全てが組織化され統率されたここでは、適合者も一つの道具として見なされる。
まだ戦闘に不安を残す能力の者でも、訓練として"三度"戦闘に参加すればエクソシストなのだ。
適合者達の精神状態、適応能力の差など、初めから、なかったように。
「神田ぁ……、私、怖い、怖いよぉっ……」
「……大丈夫だ、リナリー。ここにはもう、奴らは……」
「やだ、もう。血、ばっかり。どこも私も、血、ばっかりだわ……倒せたって倒せなくたって、同じなのよ……っ!」
「……ああ」
自分にしがみついて泣きじゃくるリナリーを、神田は必死であやしつづけた。
震える彼女の髪には、べとりとした赤い液体が纏わりついている。本来なら艶を称えた美しい髪
なのだろうが、今それには鉄錆にも似た生臭さがあるばかりで、至近距離から見れば砕けた肉片が
あるのも見て取れた。
(畜生……)
少女の肩を抱きながら、神田はギリ、と歯噛みした。
同じ時期に入団した神田とリナリーは、これまで多くの訓練を供に受けており、"エクソシスト"
としての初任務も、供に命じられた。
『よろしくね、神田。 私、足で纏いにならないよう、頑張るから……』
どこか青ざめた顔で、微笑を浮かべたリナリーに、一抹の不安があった。
しかし、上層部の決定に逆らうことは出来ない。
"エクソシスト"と称された立場は、自分の全てを生け贄にされただけ、という事は、とっくの
昔に学んでいたから。
『ああ……。』
頷きながら神田は、何があってもこの少女だけは自分が守ろうと誓っていた。
(……それが、このザマか)
神田の腕の中で、リナリーは泣く事をやめない。
アクマはもう倒し、血の匂いが漂う現場からは出来る限り離れたのに。
口にする事の要旨は掴みにくく、(おそらく自分でも整理できていないのだろう)目の焦点も合
う気配はなかった。
指令とは異なる、予期せぬ、街中での襲撃だった。
―――――――伏せろ!―――誰か助けて!―――アクマだ!!―――いや、助けて!―――こっちヘ!―――逃げろ、殺される!―――――――
逃げまどう人々の悲鳴と怒号の中、自分達の声はかき消され、訓練と戦闘は違うのだと思い知ら
された。
血の匂い、悲鳴、アクマの嘲笑。
リナリーの眼前で、街の住人だった子供の頭が砕け音もなく倒れたとき、疲労の頂点にあったそ
の心に亀裂がはいった。
『……ゃ、嫌、もぅ……!』
『リナリー!?』
『嫌ぁ――――――!』
その後、自分がどうやってその場を脱したか神田は覚えていない。
たった一つ、絶叫するリナリーの正面に立ったアクマを、六幻で牽制したという記憶があるだけ
で。
おそらくは、この先どんな戦闘があっても、今日以上に自分のイノセンスが遠距離型だった事を感謝する日はないだろう、
と思う。