塩見「今年も…夏が来ちまったな…」
桜中を卒業し、3度目の夏。俺はまたこの場所に立っている。…いや、この場所でくすぶっている…
そう言った方が良いのかもしれない。
外は嫌気のさすほど日射しが眩しいと言うのに、此処は相変わらず薄暗く、陰気だ。
最も…今の俺には似合いの場所で在ることに変わりはない。
此処は不思議と落ち着く。心が安らぐ。
あの人と心で分かりあえた初めての場所。
俺は此処に来る度にあの時のことを思い出す。あの人の声、あの人の涙、あの人の痛み…。
全てが愛おしく、悲しかった。
俺の想いはあの時から何も変わりはしなかった。其どころか日に日に痛みは増え、想いが募る…。
そんな時はいつもこの場所に足を運ぶ。
そしてあの人の面影を探している。
りん子「塩見…くん…?」
俺は目を疑った。
あの人が此処にいる。
りん子「やっぱり塩見くんだぁ。少し背がのびたんじゃない?
すっかり男っぽくなっちゃって〜!」
塩見「……」
りん子「あははっ。どうしたの塩見くん。私が此処に居るのが、そんなにおかしい?」
塩見「いえ…」
目の前にあの人が居る。3年前のあの日から何も変わらない笑顔で、俺の目を真っ直ぐ見つている。
塩見「先生…何で…此処に?」
りん子「そうよね…いきなり現れたら塩見くんも驚くわよね…」
少しだけ笑って、少しだけ悲しい瞳で、りん子先生は壊れた窓ガラスから差し込む光を見つめた。
りん子「あれから…もう3年も経つのね…」
りん子「あの時の事、今でも良く覚えてるわ…。教師になって、あなた達3Bの生徒に出会って…。
中でも塩見くんはやっぱり私にとって特別な生徒…かな。」
塩見「……」
りん子「あの時、塩見くんが私にぶつけてくれた想い…塩見くんのおかげで、今の私があるの。」
塩見「そんな…」
りん子「本当よ?本当に、塩見くんと出会えて良かったって思えるもの。」
りん子先生はそう言うと、あの時のまま置き去りにしてあった椅子に腰掛けた。
あの時の映像がよぎる。
りん子「実はね…塩見くんが此処に入っていくのを、時々見掛けてたの。」
塩見「え…?」
りん子先生は座ったまま、また窓の方を見て、話し続けた。
りん子「そう…塩見くんが此処に来る時は決まって、悲しいくらいに青い空が広がっている日…違った?」
塩見「……」
りん子「やっぱりそうなんだ…。
此処に入る塩見くんは、いつも悲しい顔をしてた。ずっと、気になってたの。
一体何を思って、何を考えに此処に来てるんだろうって…。
もし、あの時の事を考えてまだ塩見くんが苦しんでいるなら…
そう想うと胸がはりさけそうだった…。」
塩見「それは違う!」
りん子「塩見くん…」
塩見「俺は、あの時と何も変わらない想いだけど…後悔なんかしてないし、苦しんだりしてない。」
りん子先生は、俺を見つめて、微笑んだ。
りん子「ありがと、塩見くん。
…私怖かったの。3年間あなたが此処に入っていくのを見ていたのに、何も…言えなかったから…
ほんと…ダメな教師よね…。あの頃と何にも変わってないのは私だけなのかもしれない…。」
塩見「いいよ。
あいつ…、あの先生も言ってたじゃん。
人として…答えろって。俺…、りん子先生にあの時殴ってもらって、泣いてもらって…
それだけで救われた…。それで…それだけでいいんだ…」
りん子「塩見くん…」
塩見「先生?」
りん子「え…?」
塩見「俺はあの時のまま、ずっと想い続けてる。だから先生の辛い顔見るなら死んだ方がマシだ。
笑っててよ。ずっと。」
りん子「塩見くん…
うん。ありがとう。」
りん子先生は少しだけ涙ぐんだ顔のまま、立ち上がって、俺を見つめながら言った。
りん子「塩見くん。少しだけ後ろ…向いて。」
塩見「え…なんで…?」
りん子「い〜いから!早く早く!」
俺は言われるがまま、りん子先生に背中を向けた。
その瞬間柔らかく、暖かい感覚を感じた。
俺の背中に頬を寄せ、両腕でしっかり俺を抱き締めた。
俺は胸が高鳴るのを押さえきれなかった。
りん子「このまま…聞いて…?」
俺を声にならない返事をした。
りん子「私、この街を離れるかもしれないの…。」
俺は驚きの余り体がピクっと動いたが、先生は話し続けた。
りん子「お母さんの具合いが悪くて…田舎に帰って地元の中学で教師を続けようかなって…。
でもその前に塩見くんに会っておきたかったの…。私の強さを取り戻す為…
あと…」
塩見「あと…って…?」
俺は無意識に先生の両腕を掴み、正面から先生を抱き寄せた。
愛しい。こんなに愛しい人が、俺の前から消えようとしている。
塩見「あと…あと何だよ!先生…」
りん子先生は今にも泣きそうな声で言った。
りん子「あなたに会えなくなるかもしれないと想うと、あなたに会いたかったの…
教師としてじゃなく…ひとりの…女として…」
塩見「先生…」
俺はりん子先生をきつく抱き締めた。
先生の気持ちが先生の暖かさから伝わってくる。
先生も俺を強く、震えながら抱き締めた。
りん子「まだ高校生のあなたに、こんな事言うなんて…本当に私は教師失格ね…」
先生はそう言うと俺から少しだけ離れた。
りん子「あなたが…好きよ…」
その瞬間…りん子先生は背伸びをして、俺の顔を引き寄せ口付けた。
先生の柔らかい唇が一瞬触れ、見つめ合い、もう1度、今度は長く触れた。
りん子「もう…行かなきゃ…。」
そう呟くとりん子先生は微笑んだ。
りん子「また…、会おうね…」
そう言うと勢い良く先生は俺から離れ、ドアの方に走った。
振り向いた先生は涙を溜めていた。
りん子「塩見くん…、バイバイ。」
溜めていた涙が溢れ出すと同時に、先生は階段を駆け下りていった。
ーーりん子『あなたが…好きよ…』ーー
俺は先生の去った、薄暗い此処にまた立っていた。
先生の温もりを感じながら。