桧山太陽には悩みがある。  
 
 僕の名前は、桧山太陽。現在、某国立大学の医科学研究所に所属している研究員。24歳。  
この研究所に配属されて二年目になる。日々、研究に論文に大忙しだ。僕の得意とする分野は、  
簡単に言ってしまえば、遺伝子と、それが生物に与える影響の解析、といったところだ。  
去年発表した、分子擬態についての論文は、各方面で高く評価され、  
とある権威のある賞にも候補として挙がった(結局、落選しちゃったけどね)。  
だけど、僕の目標は、こういった賞を取る事では無い。僕がやりたい事は、沢山の人の身体と、そして心を治療する事だ。  
こういった目標は、確かに、青臭くて、周りの見えていない若造の言う事なのかもしれない。  
でも、僕は、中学校の頃の、恩師とも呼べるような先生に教えられた。  
信念を持って行動すれば、それは必ず人を助ける事が出来る、って。  
だから僕は、日々、情熱を燃やしながら研究に取り組んでいる。必ず、病気で困っている人を助けてみせる。  
 
 しかし。  
 
 そんな僕にも、大きな悩みが一つあった。  
 
 
 太陽は今、自宅のドアの前で立ち尽くしている。  
太陽の自宅は、七階建てのマンションの三階にあり、都心に近く、綺麗な造りのわりに、  
家賃は相場から比較してもずいぶんと安いので、まだ若い太陽にとっては贅沢ともいえるような家だ。  
本来ならば、日々の仕事の疲れを癒すため、すぐにでも風呂へ直行し、  
一日の疲れと垢を洗い流したいのだが、なかなかドアを開ける事が出来なかった。  
 太陽は意を決し、インターホンを押す。しばらくして、ドアの向こうから、  
パタパタと小走りにこちらへと向かってくる足音がする。  
 
 「太陽くーん!おかえりー!」  
 
 一人の女性が、勢いよくドアを開け、そのまま太陽に抱きついてくる。  
 
 「太陽くーん。美咲、ずぅーっと一人でお留守番してて、さみしかったんだよぉー?」  
 
 女性は、甘えた声を出しながら、グリグリと顔を太陽の胸に押し付けてくる。  
 
 「あ、ああ。ごめんね、美咲ちゃん。それと、ちょ、ちょっと苦しい・・・・」  
 
 しかし、美咲と呼ばれた女性は、そんな太陽の意など関せず、太陽を抱きしめる腕にますます力を込め、  
エヘヘ、太陽くぅーん、などと呟きながら、鼻をスンスン鳴らして、太陽の匂いを嗅いでいる。まるで犬だ。  
 太陽は、これから行われる、美咲との攻防戦を考えると、少しだけ憂鬱になり、ため息を漏らした。  
 
 この女性は、月山美咲。今は、結婚して籍を桧山家に入れたので、姓は桧山だ。  
美咲は、太陽と小さい頃からの幼馴染みで、ずっと太陽と一緒だった。もともと仲は良かったのだが、  
中学三年の頃に起きた数々の出来事が、彼等の絆をより一層固いものとし、気がついたら、お互い、  
どちらとも言い出す事なく、自然に交際していた。高校、大学の間は離れ離れになったが(主に学力の差のため)、  
家も近かったし、それでお互いが疎遠になってしまう事もなく、大学を卒業し、  
太陽が研究所に就職を決めた頃(太陽の学力が余りに秀でていたため、卒業と同時に、  
飛び級するかのように修士課程などをすっ飛ばし、そのまま研究所に受け入れられた)、すぐに結婚した。  
つまり、今年で結婚2年目である。  
 大抵の場合、結婚して一年も経てば、赤の他人が二人で暮らすという新鮮さも、  
結婚当初に比べれば幾分薄れ、イチャイチャしたり、ケンカをしたりする頻度も、少しは減ろうかというものだが、  
美咲の場合、かなりの長期間、太陽との付き合いを続けているにも関わらず、  
まるで初めて彼氏が出来た女子高生のように、日々笑い、はしゃぎ、泣いて、甘えた。  
そして、それは所謂「夜の夫婦生活」と呼ばれるような場においても、同様だった。  
 
 食事を終え、太陽が明日の会議のための資料を自室でチェックしていると、背後のドアがノックされた。  
 
 「太陽くーん、お風呂沸いたよー」  
 
 「ああ、ありがとう美咲ちゃん」  
 
 太陽が返事を返すと、美咲は「どういたしまして」と嬉しそうに言いながら、ドアの前から離れていった。  
太陽は資料を机の上に放り、眼鏡を外して、風呂場へと向かう。  
 洗面所で服を脱ぎ、タオルを持って浴槽へと通じるドアを開ける。湯が張られた浴槽から湯気が立ち上り、  
太陽の視界を一瞬遮る。太陽はシャワーで軽く身体を流し、湯船に浸かった。  
身体中の細胞が弛緩し、張っていた気が解放されるようなこの気分は、何度味わっても最高だと思う。  
太陽は目を瞑り、しばし、その快感に酔いしれていた。  
 
 すると、廊下と洗面所を繋ぐドアが開く音がする。いつものように、美咲が着替えとバスタオルを置いてくれたのだろう。  
 
 「太陽くん。ここに置いておくよ?」  
 
 「うん。ありがとう」  
 
 太陽は返事をし、また湯船の中で羽を伸ばそうと思った、その時だった。  
 バタン。洗面所のドアが閉じる。それはいい。用を終えた美咲が出て行くのならば、何らおかしい事はない。  
だが、風呂場と洗面所を隔てているドアの向こうに明らかに人の気配がし、その人物は、耳に届いている、  
衣服と肌が擦れるような音から判断すれば、服を脱いでいる事になる。この家には、太陽と美咲以外いない。  
泥棒が侵入したという可能性も無いわけではないが、ドアの向こうに人がいるというのに、  
悠長に服を脱ぐ泥棒などいないだろう。となると、考えられる可能性は、一つ。  
ガチャリ。風呂場のドアが開く。  
 
 「エヘヘ、あーなーた。お背中、流しましょうか?」  
 
 美咲だった。一糸まとわぬ姿を、手で胸の辺りを押さえたタオルで身体の前面を隠すようにし、  
無邪気な笑顔を浮かべながら、風呂場の入り口に立っていた。  
 
 「い、いいよ、美咲ちゃん!一人で出来から!」  
 
 「まあまあ、そう言わずに。ホラホラ、座って座って」  
 
 美咲は太陽を湯船から上がるように促し、太陽も仕方なく上がる。そして、床に置いてある椅子に座り、  
美咲の方に背を向ける。すると美咲は、どこで覚えたのか、大きくはないが、均整の取れた美しい形の乳房にボディローションを垂らし、  
手を太陽の身体に回し、胸を太陽の背中に押し付け、身体を上下に動かして泡立て始めた。  
 
 「み、美咲ちゃん!ふ、普通に洗ってくれればいいから!」  
 
 「えー?そんなのつまんないよう。そーれーにー、男の人って、こういうの好きなんでしょ?美咲、結構勉強してるんだよ?」  
 
 どこでこんなの教えてくれるんだ、と思いながら、美咲のまるで赤ん坊の頬のように柔らかな胸の感触を背中で感じてる内に、  
太陽の下半身が、それにいち早く反応し始めた。  
 
 「あー、太陽くーん。まだダーメ。そっちはぁ、ベッドに行った時に・・・ね?」  
 
 美咲は悪戯っぽく笑みを浮かべて、再び「んしょ、んしょ」と言いながら、身体ごと上下させ、背中を胸で洗うのに集中しはじめた。  
 太陽は、こうした美咲のアプローチに対して、真剣に困り始めていた。  
もちろん、太陽も男である。こういった行為を女性、しかも、愛する女性にされるのは、単純に嬉しい。  
だが、他のカップルや夫婦はどうなのかはわからないが、美咲のそれは、  
太陽が真面目な性格であるという事を考慮しても、多少、度が過ぎている部分もあるのではないか、と思うようになっていた。  
 
 例えば。あれは結婚してまだ数ヶ月の頃。新人である太陽は、雑務と研究に忙殺され、  
その日もクタクタに疲れて家に着いた。すると、美咲は疲れた太陽を見て  
「太陽君、大変そう。はい、このお薬飲んで」と、水と錠剤を渡してきた。  
てっきり太陽は疲労回復や滋養強壮のためのビタミン剤か何かだと思い、躊躇わずに飲み干した。  
その後、美咲に何て薬か尋ねると、  
 
 「んーっとねえ、バイアグラ、って言ったっけな?」  
 
 思わず太陽は噴出した。今更説明するまでもない、使用方法を間違えれば劇薬にもなりかねない、強力な精力剤である。  
なぜそんなものを飲ましたのか訊くと、  
 
 「だってだってぇー、太陽君、最近元気なかったでしょ?だったら、いっぱいエッチすれば、元気が出るかな、って・・・」  
 
 と、真剣な顔で説いた。当然、その効果は絶大で、太陽の意志に関わらず、強力に身体は反応し始め、  
その夜、疲労ですぐにも眠りたいのにも関わらず、下半身は太陽が眠りにつくのを許さず、美咲の目論見通り、  
遅くまで何回戦もする羽目になった。次の日、遅刻して教授に叱られたのは、言うまでも無い。  
 
 こういった事例が重なり、最初は美咲の、自分を喜ばせようとする気持ちが嬉しかったが、段々重荷になってきた。  
 
 しかし、美咲にそれらを注意する事など、出来なかった。  
太陽は顔を上げ、目の前の鏡に映りこんでいる、自分の肩の後ろに見え隠れする、美咲の顔を眺めた。  
身体は年を経る毎に、どんどん女らしくなった。中学生の頃にはまだまだ少女らしいスタイルと言えた美咲の身体も、  
高校に上がり、日を重ねるたびに、女のそれへと変わっていった。胸は膨らみ、腰は引き締まりつつも、  
女性らしい穏やかで色っぽい丸みを帯び、所謂モデル体型ではないが、  
どこか男性を安心させるような、母性本能が滲みでているような体つきだった。  
 しかし、心は違った。美咲の心は、子供の頃から変わってない。これは、美咲の心が成長していないという意味ではなく、  
美咲は、初めて太陽と出会った時のような純真さを、全く汚さないまま、ここまで来てしまったかのようだった。  
他人を責める事が出来ず、全ての罪を自分で受けこもうとする、闇とも言えるほどの、純粋さ。  
頼れる人がいない時、近寄ってきた人物を簡単に信用してしまうような、弱さと裏返しの、純粋さ。  
そこを、ある人物につけこまれ、自殺未遂を起こした事もある。  
 鏡の中の美咲の顔を再び眺める。確かに成長しているようで、瞳は幼さを残している。  
年相応に見えなくもないが、中学生の時から変わっていないようにも見える。  
 太陽は、美咲と付き合い始めた頃、美咲を抱く事に対して、時々、罪悪感を抱く事もあった。  
自分は、美咲が自分を好きだという気持ちにつけこんで、自分の性欲を解消しているだけではないのか、と。  
そういった、今から見れば、思春期特有の、お決まりの悩みとも言える考えを、美咲に、率直に話してみた事があった。  
すると美咲は、少し悩んだ末に、  
 
 「うーん・・・・よく、分かんないけど・・・・でもね、美咲は、太陽君が喜んでくれると、一番嬉しいの!だから、怒ってなんかないよ!太陽君といっぱいして、いっぱい嬉しくなりたい!」  
 
 そう言ったあと、ちょっと恥ずかしそうに、「あと、気持ちいいし・・・・」と、舌を出してエヘヘと笑いながら付け加えていた。  
 
 美咲は、ただ単に、自分が喜ぶ顔を見たいだけなのだ。その為に、こういった行動をするのだ。  
それは、美咲の純粋さを知っている一人の人間として、痛いほど心に突き刺さった。  
そんな美咲の気持ちを、無碍に拒否する事は、絶対に出来ない。  
   
 しかし。  
   
 人間の体力には限界というものがある。  
 
 自分でも分かる。このままいけば、自分は近い将来、間違いなく死ぬ。それも、腹上死。  
 
 それだけは絶対に避けねばならない。医学者としての目標を達成出来ないと困るとか、それ以前の問題だ。  
末代までの恥を晒す訳にはいかない。  
 
 どうやって美咲を傷つけないように、毎日のように行われる、夜の営みへのお誘いを断るか。それが、太陽の悩みだった。  
 
 風呂場で色々と、のぼせてしまうようなやり取りを経た後、太陽は再び自室へ戻り、  
椅子の背もたれに背中を預け、断熱材で覆われた白い天井を眺めながら、美咲への対策を考え始めた。  
ここしばらく、いや、少なくとも結婚して以来、太陽は、十分な睡眠を摂れた事は無かったように思える。  
学生時代は、同居をしていなかったし、太陽も美咲もお互い、色々と忙しくしていた。  
会えるのも、まあ平均して週に一度くらいだったと思う。ただ、それまで携帯やメールでしか会話が出来なかった反動か、  
その週に一度の逢瀬は、特に激しく美咲が求めてきた。だが、せいぜい週に一度である。  
今は違う。恐らく、美咲に生理が来た時や、あるいは太陽が風邪などに罹った場合を除き、毎日、求められていたのではないだろうか。  
いや、確か、風邪の時も美咲は「風邪なんて汗かいちゃえばすぐ治るよ!」とかいって、  
医科学の研究員である太陽ですら知らないような説を展開して、布団に潜り込んできたような・・・・。  
 まあ、それはともかく。このままではいけない。  
身体と精神の疲れを癒さなければ、研究にも身が入らない。  
睡眠が十分に摂れれば、身体はもちろん、心にもゆとりが出てきて、より早く、研究や論文での成果を期待出来るだろうし、  
仕事が上手くいけば、美咲も喜んでくれるだろう。そう、これは美咲のためでもあるのだ。  
そう太陽は自分に言い聞かせ、気合を入れると、具体的に対策を練ろうとした。が。  
 
 もともと、太陽は口下手であるし、性格的にも、やや引っ込み思案なところがあるので、  
いくら考えても、効果的な策は出てこない。女の子との経験も、美咲以外には皆無なので、  
女性の心理を捕らえるのも苦手だ。太陽は、もう少し同級生などからアドバイスを受けておくんだったと後悔した。  
 まず、直接的に「やめてくれ」と言う方法。これは駄目だ。美咲の場合、そんな事を言われたら、  
「・・・美咲じゃ、駄目なの?もう、美咲に、飽きちゃったの?」などと言い出し、烈火の如く泣き出すだろう。  
そんな事をしたら、近所迷惑にもなるし、その後のフォローに使う神経と体力と時間を考えたら、  
とてもこの策は実行出来ない。没。  
 では、言葉ではなく、それとなく態度で示してみるのは?  
例えば、夜、美咲に電話をかけ、「今日は研究が長引くから、研究所に泊まっていくよ」などと伝える。  
もちろん、実際には今は長引いている仕事など無いが、しばらくそれを続ければ、美咲も、  
「ひょっとして太陽君、私が誘うの、迷惑なのかなあ・・・」などと考え・・・・・駄目だ。  
そんな事をしたら、浮気したと勘違いされ、美咲に追及される。嘘をついていたとバレたら、その理由を答えざるを得ないし、  
そうしたらまた最初の案での結果に逆戻りだ。いや、それだけならまだしも、美咲は思い込みが激しいタイプなので、  
浮気していると決め付け、何らかの行動を起こすかもしれない。下手したら、昔の、あの時みたいに・・・・・。  
太陽はブルッと身震いをし、この案も没にした。  
 
 駄目だ。さっぱり良い案が浮かばない。  
机の前で頭を抱えながらうんうん唸っていると、急に背後でドアを叩く音がし、驚きの余り身体が少し跳ねた。  
上ずった声で「は、はい!」と返事をすると、  
 
 「あ・な・た。お休みの準備が出来ましたよ?ウフフ」  
 
 と、美咲の、いかにも二時間ドラマで学んだような、お約束の色っぽい言葉が耳に届いた。  
慌てて時計を見る。いつの間にか、針は午後11時を指していた。  
太陽は、今日こそは、と決意し、椅子から立ち上がった。  
 
 太陽が寝室のドアを開けると、そこにはいち早くベッドに潜り込み、シーツで口を隠すように顔の方まで上げ、  
照れ笑いをしている美咲がいた。美咲は「太陽くーん、早く早く!」と言いながら、美咲の枕の隣にある太陽の枕を、  
嬉しそうにバシバシと叩きながら、こちらへと来るようにアピールした。太陽は美咲の隣に潜り込むと、  
「じゃ、じゃあ、おやすみ、美咲ちゃん」と言葉をかける。美咲も「はーい。おやすみー」と言いながら、  
立ち上がって蛍光灯の紐を引っ張り、電気を消した。  
 
 暗闇の中で、太陽がやや緊張して天井を眺める。すると、まだ電気を消してから十秒と経っていないにも関わらず、  
美咲の手が顔に伸びてきた。美咲の暖かい手が、無理やり太陽の顔を美咲の方に向ける。  
眼鏡を外しているので、いまいち美咲の表情はよく分からないが、恐らく、いつも通り、照れ笑いを浮かべ、  
期待と慈愛に満ちた潤んだ瞳でこちらを眺めているのだろう。  
美咲は「太陽君・・・・」と言いながら、ゆっくりと顔を近づけ、唇を重ねてくる。  
ややぽってりとした美咲の柔らかい唇が触れると、美咲は目を閉じ、静かに舌を入れてくる。  
太陽も条件反射的にそれに応え、お互いの口腔内を舌で愛撫しながら、舌を絡める。  
それがしばらく続いた後、少し苦しくなったのか、美咲が顔を離す。  
二人の唇と唇を繋ぐ唾液が闇の中でわずかに光を放ち、艶かしい雰囲気を作り出す。美咲の呼吸が少し荒い。  
それは、今の口づけで、呼吸がし辛かったのと、それによって、美咲の中での情欲が、燃えるように湧き出してきたのと、両方だろう。  
美咲は静かに太陽の手を取り、自らの胸へと導き、パジャマの上から弄るように促す。  
ブラを着けていないのだろう、太陽の手のひらに、美咲の硬くなった乳首の感触が伝わる。  
 ヤバい。  
このままでは、いつも通り夜明け近くまで相手をする羽目になる。太陽の股間も美咲に反応し始めている。  
言うなら今しかない。太陽は慌てて美咲の胸から手を放し、枕元にあった眼鏡をかけ、一つ咳払いをし、  
美咲の方へと向き直る。美咲はキョトンとした顔で、太陽の顔を見つめている。  
 
 「どうしたの?太陽君」  
 
 美咲が、小動物のようにクリクリさせた瞳で、太陽の目を覗き込む。うっ。  
こういう時の美咲は、思わず抱きしめたくなるほど愛らしい。一瞬ひるんで、決意が鈍りそうになるが、  
ここは踏ん張りどころである。太陽は、大きく深呼吸して、今にも破裂しそうな程激しいリズムを打っている心臓を何とかなだめようとしてから、話し始めた。  
 
 「あ、あの、美咲ちゃん。一つ、提案があるんだ」  
 
 「なぁに?あっ、分かった!先にお口でして欲しいんでしょ。もぉー、太陽君たらエッチなんだからぁー」  
 
 美咲は嬉しそうに笑い、シーツに潜り込み、太陽自身の位置まで顔を下げようとする。  
 
 「ちっ、違うんだよ、美咲ちゃん。ちょ、ちょっと待って」  
 
 太陽は慌てて美咲の脇の下に手を入れ、再び顔が向き合うように上まで引っ張る。  
 
 「えー、違うのー?」  
 
 と、美咲は頬を膨らませながら、引っ張り出される。  
 
 「あの、大事な話なんだ。お、落ち着いて聞いてもらえるかな?」  
 
 「うん、いいよ。なぁに?」  
 
 「あ、あのさ、僕達、もう結婚してから、今年で二年目だよね?」  
 
 「そうだけど・・・・あっ!今度こそ分かった!太陽君、赤ちゃんが欲しいんだね!うん、美咲もそろそろ欲しいと思ってたんだ!  
美咲、がんばって産むから、たっくさん作ろうね!よーし、とりあえず、今日はゴム無しだね!  
わぁ、太陽君、男の子と女の子、どっちが欲しい?あっ、両方産めばいいんだね!エヘヘ、名前はどうしようか?  
最低でも五人は欲しいから、名前も考えるのも大変だねぇー。そうだねー、男の子だったら・・・」  
 
 目を輝かせながら、一人で激しい妄想に浸っている美咲を見て、慌てて太陽は  
 
 「そ、それも違うんだ、美咲ちゃん。子供は僕も欲しいけど、今はその話じゃないんだよ」  
 
 と、美咲の肩をがしっと掴みながら付け加える。美咲は急に現実に戻され、ハッとした顔になると、また少し考え込んで、  
 
 「うーん・・・・もう、思いつかないよぅ。太陽君、どんな事を美咲にして欲しいの?」  
 
 と、心底困り果てた顔で、小首を傾げながら太陽の方に向き直る。  
 チャンスだ。太陽は、下を向いてもう一度咳払いをし、顔を上げ、美咲の目を見ながら話し始めた。  
 
 「な、何もしなくていいんだよ、美咲ちゃん」  
 
 「え・・・・・?」  
 
 太陽の真意が酌めない美咲に対して、太陽は続ける。  
 
 「あ、あのさ、美咲ちゃん、僕、いつも結構早くに家を出るだろ?だ、だからさ、こういう事も、その・・・  
出来れば、もうちょっと、回数を減らして欲しいかな、って・・・・・・あっ!い、いや、美咲ちゃんとするのが嫌だとか、  
ましてや、他に好きな人が出来たとかじゃないよ!で、でも、僕、ほら、そんなに体力ある方じゃないし、  
低血圧だから、意外と朝とかキツいからさ、だから・・・その・・・・」  
 
 太陽がだんだん小声になるにつれて、美咲もだんだん下を俯いていく。しまった。絶対に泣く。  
太陽は自分の女性にかける言葉のボキャブラリーの貧相さを、この時ほど後悔した事はない。  
もっと柔らかい言い方をすれば良かった。また美咲ちゃんを泣かせてしまう。何とか必死にフォローをしようとするが、  
言葉はこれ以上出てこず、ただオロオロするばかりだった。  
しばらく下を俯いていた美咲が、突然、顔を上げる。美咲の行動に驚き、一瞬、ビクッと太陽の動きが止まる。  
すると、美咲は声を震わせながら話し始めた。  
 
 「・・・・ごめんね、太陽君・・・・。美咲も気付いてたんだ・・・・・たぶん、太陽君の迷惑になってるかな、って・・・・  
でも、美咲、馬鹿だから・・・・太陽君の元気が出る事、他には、思いつかなくて・・・・・。それに、美咲・・・・太陽君の事、  
ほんとに好きだから・・・・太陽君の顔を見ると、すぐに嬉しくなっちゃって・・・・抱きついたり・・・チューしたり・・・・  
エッチしたり・・・・したくなっちゃうんだ・・・・。でも・・・・こんなの、太陽君を、余計疲れさせちゃうだけだよね・・・・。  
こんなんじゃ、いい奥さんとは呼べないよね・・・・・。  
ごめんね、太陽君・・・・・。もう、これから、あんまり甘えないようにするから・・・・だから、美咲の事・・・・」  
 
 美咲がそこまで言うと、突然、太陽は、美咲を強く抱きしめた。  
 
 「絶対に嫌いになんかならないよ」  
 
 美咲の耳元で囁く。  
 
 「え・・・・?で、でも・・・」  
 
 「美咲ちゃんは馬鹿なんかじゃない。美咲ちゃんは、常に僕の事を考えてくれてる、世界一の奥さんだよ。  
僕は、美咲ちゃんが自分のお嫁さんでいてくれて、世界一の幸せ者だよ。」  
 
 そこまで言うと、美咲は太陽の顔を見上げた。目には溢れんばかりの涙が溜まっている。  
美咲は、目に涙を浮かべたまま、「エヘヘ、それは言いすぎだよ、太陽君」と笑った。  
 
 僕は、もう美咲ちゃんを泣くのは見たくない。僕が美咲ちゃんを守るんだ。  
そう、昔に誓ったはずなのに、気がつけば、そんな事は忘れていた。いつでも、美咲が泣いてるのは、自分のせいだった。  
 
 あの日。美咲ちゃんが、橋の上で、僕に言ってくれた言葉。あれが、僕が自分だけの世界から飛び出すきっかけだった。  
大人達なんて自分の事しか考えてない。子供の事なんて、これっぽっちも考えてくれていない。そう考えていた僕に、  
美咲ちゃんは、そんな事ない、そんな人ばっかりじゃない、そう言って、先生と僕を引き合わせてくれた。  
もし、先生とのあの出会いが無ければ、僕は今、ここにはいない。  
なのに、今、大人になった僕は、自分の都合だけ考えて、美咲ちゃんを悲しませている。  
 美咲ちゃんは、確かに勉強は出来ないかもしれない。でも、美咲ちゃんは、きっと、誰よりも頭がいい。  
僕は、何度も美咲ちゃんに教えられてきた。人の心を癒す事が出来るのは、人の心だけだって事を。  
僕が、研究が上手くいかなかったり、或いは、教授達との間で意見の対立をしたりといった事で悩んでいた時、  
いつでも美咲ちゃんは僕のそばにいてくれた。僕を励まそうと、一生懸命考え、あの手この手を尽くしてくれた。  
美咲ちゃんのそういった行為が、何度僕の励みになったか、数え切れない。  
僕はそういう時、美咲ちゃんを好きで良かったと、毎回思っていた。  
 そして、今、また美咲ちゃんに教えられている。それは、医学者以前に、人として、決して忘れてはいけない事だろう。  
僕がその基本を忘れそうになった時、いつでも美咲ちゃんは教えてくれる。  
研究に没頭するのも、論文を発表するのもいいだろう。  
だが、自分の最も愛する人も救えない人間が、他人の心や身体を治せるはずがない。  
頭の中では、理解しているつもりだったのに。美咲ちゃんに、また教えられてしまった。  
僕は、美咲ちゃんは、どんな医者よりも優れた名医だと思う。美咲ちゃんを好きで、本当に良かった。  
 
 「太陽君・・・・?」  
 
 考え事をしていた太陽に、美咲が不思議そうな顔をして言う。  
 
 「美咲ちゃん、ごめんね。もう、さっきみたいな事、言わないから」  
 
 頭を撫でながら太陽が言うと、  
 
 「ううん・・・美咲が悪かったの。もう、これからは、少し控えるね?」  
 
 美咲が顔に優しい笑みを浮かべながら返してきた。もう涙は止まっていた。  
良かった。美咲ちゃんの笑顔が見れて、本当に良かった。美咲ちゃんの純粋さを汚す事は、やはり僕には出来なかった。  
でも、どうやらこの流れなら、今までほどには、しなくてもいいかもしれない。  
太陽が内心ガッツポーズを取っていた、その時。  
 
 「いっ!?」  
 
 美咲の手が、パジャマの上から太陽自身をガシッと握り、意地悪そうな笑みを浮かべて、こう言った。  
 
 「でーもぉー、太陽君、さっき、こう言ったよねぇ?『子供は僕も欲しいけど』って」  
 
 「え・・・そ、そんな事言ったかな・・・・」  
 
 「言ったよお!でぇー、子供を作るためにはぁー、一つ、しなきゃいけない事があるよねえ?」  
 
 体勢を変え、太陽を下にし、美咲は太陽の上に馬乗りになる。一方の手で太陽の頬を撫でつつ、  
もう一方の手で美咲は自らのパジャマのボタンをプチプチと外し、上着を脱ぐ。下着は着けていない。  
美咲の胸が露わになる。  
 
 「ま、まさか・・・・」  
 
 太陽が喉をグビリと鳴らす。いつの間にか太陽の服は美咲の手によって脱がされ、残るは下着だけになっていた。  
 
 「これからは、もっともっと頑張ろうね!太陽君!」  
 
 美咲もパジャマの下を脱ぎ捨て、太陽に抱きついてくる。  
 
 「だ、誰かーー!助けてーーーーー!!!」  
 
 
 
 
 桧山太陽には悩みがある。  
 
 凄く嬉しくて、ほんの少しだけ困っている、悩みが。  
 

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