少女は一心不乱に机に向かっていた。
机は何時ものようにボールドウィンがぼやきながら手早く、使いやすく仕立て上げていた。
かつて辺境卿と謳われた男は、少女と同じように神殿に囚われた存在となっていた。
死して尚戦い続けなければならない、少女がそのような境遇であった事に同情をするが、
当の本人は実にのほほんとしているのだからどう接してよいか正直戸惑っている。
「何を書いている」
「んー、見てみる?」
あの塔の一件以来、少女はライデルに対し言葉を崩すようになっている。
少女は筆を休めずに、すでに書き終えたらしい一枚をライデルに差し出した。
「どれ…プリィィィィィィィィズッッヘルプミィィィィィィッッ!!助けを求める私のまえに現れたのは、
天使のように可憐で花も恥らうであろう美しき魔女…っておい。」
「えー?じゃこっちは」
「プリーズ!プリーズヘルプミー!ライデルは泣き叫ぶ私の事などお構い無しに固くて長い竿状武器を
私の秘所に宛がうと…うん本当に申し訳ない。」
度々このネタで弄られるのはたまったものではないが、男としてやってはいけない事をやってしまったのは事実である。
「あ、今動いた…」
「?」
「貴方のこども…」
ライデルはローリングした。見えない何かから逃げるようにローリングした。
少し考えればそんなはずは無い事が分かるのにローリングし続けた。
「冗談にきまってるし」
その様子をふてくされたように見ている。トマスの目が少女を向けられていたことには気付かない。
うちのかみさんはこっちからプロポーズしたんだよなぁと、遠い日を空に浮かべていた。
スタミナが切れたライデルが息を切らせながら戻ってくる。
塔での一件はかつて冒険者として養った高等で巧みな話術で難?を逃れたが何時までも答えを出さない訳にはいかない。
彼女の容姿は、顔は幼くくりっとした童顔は寧ろ好み。
体つきは豊かとは言えない。しかし魔女の体は痩せているもの、それがよいのだ。
背は低く、これもまた好材料。
幼女趣味ではない、偶々愛した者がそうだっただけだと何時かの酒の趣味で豪語したものだが
まるで説得力が無かったのは言うまでもない。
ライデルは自分を許していなかった。妻に対してではなく、あの黄衣の怪物から国を守れなかったことに。
牢に囚われてからも自分に助けを求めた声が、自分を恨んで消えていった声がライデルを縛っていた。
自分だけが、あの地獄から逃げ出だせた。
あの時あのまま消え去れば悩む事もなかったのに、未練たらしく現世にしがみついている自分は許されない、と。
とは言え彼女に対しても罪を償わなければとも思っている。
ただ彼女が言う「責任」を取れば、それは自分にとっても幸福に?がるのではないかと恐れていた。
「全く、娘っこ一人面倒見れないで何が英雄じゃ」
ボールドウィンは鍛冶道具の手入れをしながら、聞こえるように呟いた。
そういえばこの老人と自分は話した事がないと思いながら、無遠慮なその呟きに言葉を返す。
「英雄。牢に囚われ死ぬまで助けを求めた人間が英雄か、ご老人」
「はっ、これだから若いもんは。おい、こんな奴は止めておいた方がいいじゃろう」
自分の事を何も知らない老人にこんな奴扱いされライデルは怒気を込める。
「そんな事は彼女が決める事だ」
「ほう、ならとっとと受け入れろ。それが出来ないなら男をやめるんじゃな」
「それとこれとは話が別だ。他人に口を出される事ではない」
ボールドウィンは立ち上がると、ライデルの顔面に長年の鍛冶仕事で鍛え上げられた熱い拳をお見舞いした。
驚くべき速度で振りぬかれた拳は、ライデルの体を軽々と吹き飛ばす。
「男だったら体で示すもんじゃ。その軽い口じゃ誰も納得してくれりゃせんわい」
「何が分かると言う。あそこに居なかった人間が何を言う!」
右の頬を打てば今度は左。
「なぁ、ライデル様。一度ちゃんとあの子と話してくれませんかい。」
心配そうに近づいてきたトマスを払いのけると、ボールドウィンに固く握った拳を向ける。
「生意気なガキじゃ」
その言葉を引き金にライデルは拳を振り下ろしたが、この老人はびくともしない。
「口も軽ければ拳も軽い、確かに英雄じゃなかったようじゃな」
割れた眼鏡と投げ捨てると、屈み込んで渾身の一撃をライデルの腹に突き刺す。
重い鉄塊の如き衝撃は、人間の意識を飛ばすには過ぎたる物であった。
*
少女は泣きそうな顔をして見つめていた。いや、泣いていたのだ。
私の頭に濡れた布巾が乗っている、私が意識を取り戻すまで看病してくれていたのか。
彼女の泣き顔は、あの日の事を思い出す。
妻は泣いて私に訴え、そして私は受け入れた。
「私は、そんなに強くない…」
ぽつりと、心を零すようなか細い声。
「でも、貴方のためなら頑張れた。貴方のようになりたかったから。」
今の私には余りにも重い言葉。
「心が折れそうになった時、貴方の物語を思い出した。貴方はどんなことだって諦めなかった」
彼女は再び泣いていた。心が言葉では足りないというように。
「他のどんな物語よりも、私には貴方が一番だった。貴方に認められなかったら私は、わたしは…」
「もういい。」
今、目の前で泣いている少女を助けずして何が男か。
そうだ、生き残ったからには何かを成さねばならないのだ。彼女を支え、あの黄衣を除く事が何よりの供養ではないか。
私は彼女と口付けを交す。
彼女に言われるまま指を差し出すと、彼女は薬指に指輪をはめた。
「これは窮鼠の指輪?」
私がそう言うと、彼女は嬉し恥かしといった顔付でこちらにも指を見せる。
「えへへ、お揃いだね」
彼女の指には私が渡したこの窮鼠の指輪の片割れが。
「ね、ウルベインさん。見てたでしょ」
えっ?
「ふむ、お互いの気持ちが通じ合っているのならば私はそれ祝福するだけです。アンバサ」
「ウルベインさんが証人だからね。じゃ皆飲もうか!」
えっ?
「いやぁまさかたった3発で気を失うとは思わなかったわい」
「ボールドウィンさjんは手加減できない人だからねー」
「いやぁめでたいよ。おめでとう」
「ありがと、トマスさん」
えっ?
「ソウルの業は人の業。人の心を操るもまた人の業か」
「まるで私が誘導したみたいなこと言わないでよねー、フレーキのおじさんったら」
「フレーキ様は私のものだ」
「酔った勢いでさらっと言うな。この薄情者の馬鹿弟子が」
「いや、私はフレーキ様の事を思い、一番確実な方法で」
「はいはい、馬鹿はほっといてほらライデル…貴方も飲んで」
渡されたワイングラスを一気に飲み干すと私は言った。
「えっ?」
「なに、そんな難しい事じゃないわい。お前さんの背中を後押ししただけじゃよ」
いや、殴られただけな気が。
「予定じゃ喧嘩が盛り上がったところで私が泣きながら止めにはいるつもりらったんらけろねー」
あぁ成るほど。
そういうことか。
いや、ここまでさせた私が悪い。酔ったからそう思うんじゃない。
私は今生きている。笑えている。今を生きてい者達がいる。
私は生きよう。彼女と供に行こう。
妻よ、貴女も一緒だ。その時が来るまで私達を見守っていてくれ。