怪しげな男が一人、ボーレタリアの城門をくぐる。鈍色に輝く甲冑を身につけ、白銀の直剣を携えている。無造作に短くカットされた黒髪、前髪の奥で燃える瞳。  
 唯一露出している頭部も下半分は布で覆われ、その表情を窺うことはできない。漆黒の双眸はきりりと前を見据え、曇る空に聳える城を映していた。  
 男には記憶がない。失われた記憶を求めた旅の途中で敵からの猛攻に遭い、気がついた時には神殿にいた。  
 どこか見覚えのある人々、知っているようで知らないこの空間に懐かしさを感じた。記憶が呼び起こされようとしているのだろうか。  
 要石から転送されたこの城も、完全に未知のものとは思えなかった。  
 来る者を拒む堅牢な城壁。悠然と天空を舞う翼竜。初めて見る。しかし逆に、またか、という気もする。  
――ここに、俺の過去があるのかもしれない――  
 男は直剣を握り直して気合いを入れると、全速力で駆け出した。数人の奴隷兵士が、薄笑いを浮かべて飛びかかってくる。  
「……食らえ……!」  
 男は敵を睨みつけると、前方を大きく薙ぎ払った。  
 
 「ふう……」  
 敵の姿が見えなくなったところで、男は額の汗を拭った。  
 広大な城にも関わらず一度も迷わなかったことから、やはりここは男の知る城と一致しているらしい。しかし敵が格段に強くなっている。  
 男は路銀を稼ぐために、傭兵として剣を振るうこともあった。それもかなりの場数を踏んできたつもりでいた。  
 強い奴は一度戦ったら忘れない。ならば、この城の奴等は一体何者か。覚えのある世界の一部分だけが未知のものに侵食されたようで、気味悪さを感じずにはいられなかった。  
 装備品のコンディションを整え、自身も携行食で小腹を満たすと男は立ち上がった。  
 
 先に進むと、何やら騒がしい声が聞こえてきた。奴隷兵士のものだろうか。声から判断するに、随分人数が多いようだ。  
 ここは避けるべきか。デーモンの気配を濃厚に感じる今、雑魚相手に力を使うことは得策ではないと思われた。  
 面倒なのはごめんだと踵を返した瞬間、罵声や下卑た笑い声に、微かに別のものが混じっていた。  
「誰か……助けてください!」  
若い男の声。どこだ。声の主はどこにいる。  
 男は無意識のうちに焦っていた。早く助けなくては、それだけを考える。声に導かれるように疾走する。  
「お願いです! どうか……」  
だいぶ近くなってきた。今では助けを求める声がはっきりと聞こえる。向かってくる兵士を切り捨て、細い道を抜ける。  
 揺らめく炎が見えた。剣を掲げる奴隷兵士。そして、鎧を纏った声の主。高台に追い詰められ、身を震わせている。  
 奴隷兵士は青年に気を取られ、男の存在に気づいていない。青年の目は男をとらえていたが、驚きのためか敵に悟らせない配慮のためか口を噤んでいる。  
 男はしめたものだと背後に近づき、次々に腹を貫く。致命の一撃を食らった奴隷兵士は絶命の声を上げる間もなく、その場に突っ伏した。  
 
 周囲を見回して残党がいないことを確認すると、男は青年に降りてくるよう手で促した。  
「怪我はないか」  
「あ……あなたは……」  
「名乗る名前はない。あんたが無事でよかった」  
「私はオストラヴァと言います。助けてくださってありがとうございました」  
「何だって……?」  
その名には聞き覚えがあった。名どころか、彼の佇まいや、こうして出会った場面も、記憶の彼方で霞んでいる。頼りにならない朧な記憶であるが、確かに男はこの青年を知っていた。  
「やっぱりあんたは、俺の知ってるオストラヴァなのか?」  
「?」  
何を言っているんだと言わんばかりに首を傾げる。兜の下では呆れた表情を浮かべていることだろう。  
 まだはっきりと思い出すことはできない。しかし、こうして二人で向き合って得られる心地よさは身体が覚えていた。  
「私の他に、同じ名前の人物がいるのでしょう……なっ、何を!」  
男は躊躇いもなく青年を抱き寄せた。最後に青年を身近に感じたのはいつだったか、もう覚えていない。それほど長い時が経ったように思えた。  
「ずっと、こうしたかった。もうどこにも行くな」  
二人とも鎧を着込んでいるため、どんなに力を込めても密着することはできない。その距離感がもどかしい反面、また愛おしくもあった。  
 
 二人で神殿まで戻って一息つくと、青年は男を質問責めにした。王子という身分柄、歳の近い者と話すことは普段ないのだという。  
 記憶を失っていることもあり、男は話すのが得意ではなかった。だが目の前の青年が目を輝かせて話に聞き入っているために、何とか楽しませてやろうと努力した。  
 記憶喪失になってから、どこを旅して、そこでどんな人間に出会ったのか。思えば青年に促されるまで回想したことすらなかったので、男にとってもこの談話は実り多いものだった。  
「もっとお話聞かせてください。私の世界が広がるようで、凄くわくわくするんです。」  
「そう言ってくれるのは嬉しいが、もう殆ど話してしまったぞ。旅とはいっても、戦ってばかりだったからな」  
「……あの、疑問に思っていたのですが、いいですか? あなたの知っているオストラヴァという方は、どんな方だったのでしょう」  
「あぁ……。無鉄砲だが優しく、責任感の強い奴だった。初めて俺と会った時から友達だと言ってくれて……にわかには信じられないかもしれないが、互いに愛していた」  
「愛する……」  
「あいつはおっちょこちょいでな、すぐ敵に捕まるんだ。その度に俺が助けてやってた。その後大人しく神殿に戻ればいいのに、無茶して一緒に戦おうとしてたっけな」  
そこまで一気に話すと、男は溜め息をついた。足元を見つめていた瞳には急に暗い陰がさす。  
「どうしていなくなっちまったんだ。それも何の相談もなく、急に。生死だってわからない」  
「私であなたの気持ちは満たされますか? お話を聞く限り、無関係ではいられないように思えるのです。あなたが望むなら、私を彼と同じようにしてください」  
「オストラヴァ……お前はこの世界でも俺に優しいのか」  
「はい……。あなたが私を助けてくださったように」  
「……上に行くぞ。最上部の秘密の部屋なら誰も入ってこない」  
これから何をされるのかわからないほど子供ではない。青年は頬を赤らめると、こくりと頷いた。  
 
 神殿最上部の壁の一箇所に触れると、二人の前に先人の勇者を称える霊廟のような空間が広がった。  
「凄い……。神殿にこんな部屋が隠されていたなんて」  
「ここなら大きな声をあげても気づかれることはないだろう。冷たくないか?」  
床に青年を座らせて、男は問うた。青年は黙って首を縦に振る。  
 床の冷たさや硬さを軽減するために柔らかい外套があるとよかったのだが、生憎トマスに預けたままになっていた。が、わざわざ下に取りに行く雰囲気でもなかったため、次の作業に移る。  
 怖がらせないよう慎重に防具に手をかけ、慣れた手つきでそれを外していく。脱がしやすい体位をとるのに協力したおかげで、瞬く間に本来の身体が表れた。  
 均整のとれた身体の線は戦士としては細かったが、それでも相当な筋肉を蓄えている。白くきめの細かい肌には傷一つなく、まるで神を象ったオブジェのようであった。  
 欲を必要としない肉体的な美しさとは、まさにこのことを言うのだろう。凛々しく端正な顔は男の記憶の彼方の青年と一致していた。何度見ても愛らしい。頬を染め、恥ずかしげにちらちらと男に視線を向ける。  
 これからの行為、同性との交わりは禁忌とされてきたもの。青年もそれはよく理解している。だからこそ、理性と欲望の狭間で揺れているのだ。  
「可愛いよ、オストラヴァ……」  
男は暗殺者の覆いを外し、青年の柔らかい唇を塞いだ。それだけに収まるわけもなく、舌を絡ませ、混ざり合ってどちらのものともつかない唾液を嚥下する。  
「ふっ……んぁ……」  
舌の動きに合わせるように胸の突起を摘んでこねると、青年が甘い声をあげる。こうした愛撫は初めてなのだろう。敏感な二つの芽はたちまち固く尖り、感度を高めた。  
 
 思えば、青年はこれまで男の素顔を見たことがなかった。男は常に暗殺者の覆いで顔を隠していたからだ。  
 彼は一体何者なんだろう。重装備にもかかわらず軽やかな身のこなし。どのような師の下で修行したのかと問いたくなるほど洗練された剣技。  
 蛮族顔負けの頑強と豪胆さ。武勇一辺倒かと思えば、魔法や奇跡さえも操ってしまう。  
 何でもできて凄い人だと青年は感心し、憧れを抱いた。弱々しく、助けを求めるばかりの自分とは大違いだ。  
 輝いて見える彼に、昔読んだ物語に登場する英雄の姿を重ね合わせる。格好良い。  
 色々なものを背負っていると思われる、広く逞しい背中。恥ずかしいことに、ずっと守ってもらいたいと思ってしまう。  
 今までのお付きの騎士の誰よりも、男には惹きつけるものがあった。  
 その憧れの彼に今、青年は組み敷かれている。雰囲気や口調から粗雑な行為を想像していたが、性感帯を愛撫する舌や指は驚くほど優しい。  
 快感に瞑っていた目を開き、男を見つめた。と同時に突然唇が離れ、呼吸が自由になる。  
「はあっ……はぁ……っ」  
「そんな目で見んなよ。いじめたくなるだろ」  
「だって、こんなこと……初めてだったから……」  
「これから色々経験させてやる。……俺も脱ぐぞ」  
言うが早いか男は無造作に鎧を脱ぎ捨てる。肌着の上からでもわかるほどの筋肉に、青年は目を見張った。  
 露出した腕や太ももには多数の傷痕が刻まれている。古傷に混ざって、幾つか新しい傷も見受けられた。  
 負傷した戦士を見慣れない青年は、すぐに心配そうな顔になった。  
「酷い傷……すぐに手当てしないと」  
「ああ。こんなもの、ほっときゃ治る。ありがとうな、心配してくれて」  
男は微笑むと、くしゃくしゃと青年の頭を撫でた。品の良い金髪は柔らかな触感を手に残す。  
 青年を見ると、また顔を紅潮させて男を見つめている。王子である青年の周りには、がさつな男などいなかったのだろう。  
「あなたの手……大きくて温かい。もっと私に触れて……ください」  
男は慈しむように白い頬に触れた後、力強く青年を抱き締めた。  
 
 憧れの男に身体を蹂躙され、青年のものは歓喜の蜜を滴らせていた。自慰もあまりしないのだろう。与えられる刺激はどんなものでも反応し、腰をくねらせる。  
 露出している桃色の先端はてらてらと濡れ、官能的な香りが漂う。窪みから湧く露を指ですくうと、指に乗りきらなかった分が糸を引いて垂れた。快感が深い証拠だ。  
「どうしてほしい?」  
「どうしてって……?」  
「もっと気持ちよくなりたいんだろ。手伝ってやるから、どうされたいか言え」  
「そ……んな……そんなはしたないこと……」  
「じゃあ、俺の身体を使ってもいいから、射精してみせろ。お前が主体になってやるんだぞ」  
「……では、失礼して……。あぁっ……あまり見ないでください!」  
青年は男の節くれだった手を掴み、猛ったそれを握らせる。蜜は先端から溢れ続け、淫棒全体を濡らしていた。  
 小さな穴や裏筋を爪で軽く引っかき、蜜の分泌を促す。部屋には卑猥な水音と荒い息づかいだけが響いた。  
 茎を握る反対側の手は睾丸に添えられ、痛みを感じない程度にやんわりと圧力をかける。  
「ううっ……はあぁ……もっと……」  
時間が経つほど、竿を握る手には力が込められていった。青年は必死で男根への愛撫を続けたが、より強い快感を得るやり方に気づいたようだ。  
 今は手を動かすよりも腰を突き出し、手に擦り付けている。始めは遠慮がちだった腰も、快感の前には恥すら忘れ、大胆になっていた。  
「あぁ! もう……もう限界です! 出てしまう……っ!」  
思い切り腰を動かし、青年の身体がびくりびくりと震える。その度に先端からは若い白濁が放出された。よほど溜まっていたのか、何発も何発も出されたそれは男の掌を汚す。  
「はあっ、ん……はあっ……」  
「よくできたね、オストラヴァ。ほら、こんなにべたついてる」  
男は男根から手離すと、掌を逆さにしてみせた。精液はどろりと粘り、床にぽつりぽつりと染みを作った。  
「やぁ……見せないで……」  
射精の余韻に浸る青年。上気した顔や熱に浮かされたような虚ろな瞳が扇情的だ。  
「もっと見たい。オストラヴァが感じてるところ」  
粘液の付着した手で自らの男根を弄びながら、男は青年の耳元で囁いた。  
 
 自分の身体はどうなってしまったのだろう。青年は奥から沸き起こる疼きに理性を奪われながらも考えた。  
 元々性欲は強くなかったのに、不思議なことに男の手にかかると止めどもない欲に支配されてしまう。  
 男同士だから感じる部分がわかっているのだろうか。あるいは自身にそちらの気があったのか。どちらにせよ青年はこの甘い刺激を楽しんでいた。  
 今まで誰にも触れられたことのない一点をつつかれ、青年は身を仰け反らせた。反射的に力が入り、侵入しようとする指を拒絶する。  
「おい、ほぐさないと裂けるぞ」  
「すみません……初めてだから怖くて……」  
「怖い、か。ならずっと俺を見ていろ」  
「えっ……」  
「目、瞑ってるから余計怖くなるんだ。俺が視界に入ってたら少しはマシになるだろ」  
「少しの間、抱き付いていてもいいですか? そうすれば何とか……」  
「少しなんて、ケチくさいこと言わないでいい」  
男はゆっくりと、傷をつけないように指を押しつける。  
 やはり恐怖は拭えないのか、青年はしがみついて小刻みに震えていた。薄く開いた瞳は、涙で潤んでいる。  
 男は、遠い昔の青年との行為を思い出していた。その時も彼は怯え、なかなか侵入を許そうとしなかった。  
 慎重に何とか指を奥まで到達させる。それから後は早かった。一番の性感帯がすぐに見つかったからだ。そこをかすめただけで無垢な青年は喘ぎ、達していた。  
 ――こんな俺に夢中になってくれた。あいつは――  
 つい勢いで、第二関節まで埋め込んでしまう。急に中に異物を感じ、青年は穴を締め付ける。  
 少し顔をしかめていたが、痛がっている様子はない。男は青年の顔を窺いながら、徐々に奥に進めていった。  
 
 刺激にも慣れてきたのか、青年の秘所は広がりを見せるようになった。  
 指を二本に増やしてももう嫌がる素振りは見せないが、指を曲げて中を探ると急に落ち着きを失う。理性を保つのが難しくなっているのかもしれない。  
 それは男とて同じである。自分の肉体の一部でこれほど感じてくれるのは嬉しい。もっと欲で狂わせたいと思ってしまう。  
 乱暴に己を打ちつけるやり方は単純に気持ちが良い。しかし、こうして時間をかけて開発していくのもまた一興だった。  
「滑りがよくなってきたぞ」  
「あっ、あっ……だ……め……」  
「駄目なのは俺も同じだよ。もう、いいよな」  
男は怒張した己をちらつかせ、濡れた蕾にあてがった。指とは明らかに質量の違うそれが体内に入ろうとしている。正気でいろと言う方が無理がある。  
「そんなに太いものっ……!」  
「指だけで我慢できるのか?」  
「っ……意地悪……」  
「癖にさせてやる」  
まずは臀部を撫でまわして注意が一点に集中しないようにする。割れ目を開いて狙いを定め、少しずつ結合させていく。  
「くっ……ううん……!」  
柔らかくなった青年の秘所はずぶずぶと男根をくわえ込んだ。誰も踏み入ったことのない青年の領域はきつく温かい。  
 最奥部まで到達すると、軽く何度か腰を打ちつける。防ぎようのない無防備な部分を擦と、身体がびくんと跳ねた。  
 ある部分を刺激する度に青年は切なそうに喘ぐ。それを男は見逃さなかった。  
「はあっ! あぁ! あ……!」  
「見つけた。お前の弱点」  
一旦腰を引き、再度挿入する。脇目も振らずに敏感な奥の箇所を責め立てる。男の的確な狙いに、青年はよがり狂った。  
 先程大量に精を放った陰茎は充血し、透明な露で濡れている。  
 肌と肌がぶつかる音や粘りつく水音が余計に本能を刺激する。これで最後だと言わんばかりに根元まで一気に挿入すると、目の奥で火花が散った。  
 愛する者の嬌声は、もはや男の耳には届かない。身体にかかる熱い液体だけが、青年が達したことを教えていた。  
 
 男は戸惑った。こうして青年と繋がれたことは確かに嬉しい。  
 しかし、己の名前すらも思い出せない重度の記憶喪失に陥っている自分が、なぜか青年の名前を覚えている。名前だけではない。共に過ごした日々のことも思い出されるのは気がかりだった。  
 青年の方に男の記憶があるかは定かではない。初対面の時から友好の姿勢を保っているのは、高貴な生まれが影響しているのではないかと思われた。男が過去に知るオストラヴァもまたそのような人物だった。  
「ん……」  
隣でぐったりとしていた青年が、だるそうに身を起こした。まだ頬には赤みが残っており、とろりとした眠そうな目を擦っている。  
「具合はどうだ?」  
「え……あの……」  
青年は行為を思い出すと、ただでさえ快楽の余韻の残る顔を真っ赤にし、しどろもどろになりながら答えた。  
「気持ちよかったです……。このところ一人で戦い続けてきた私にとって、あなたの抱擁はとても温かくて……幸せでした」  
「こんなこと面と向かって言うのは柄じゃないが、もう一度言わせてくれ。大好きだ」  
「もっと……もっと言ってください。私も心の底から、あなたを愛しています」  
「好きだ。俺の大切なオストラヴァ」  
言うと、男は青年の濡れた唇に口づけた。燃えるような激しさはなく、ただ触れるだけ。それでも男の青年を愛する気持ちは十分に伝わった。  
 そして男は誓ったのだった。今度こそ、今度こそオストラヴァを守り抜くのだと。  
 
 ボーレタリアの城も、ようやく全てが攻略されようとしていた。襲い来る数々のデーモンや欲深な公使をねじ伏せ、城の中枢に歩みを進める。  
 要所に近づいているためか、敵の攻撃は苛烈を極める一方だった。鍛えられた剣の一撃も受け流されることが増え、地形や敵の配置もあって苦戦を強いられる。  
 ――これから先、何が起こるかわからない。一度帰還して、装備を整えてから出直すか――  
 武器だけでなく、防具の状態も悪化している。この先敵が弱くなることはまずないだろう。それも初めての場所に足を踏み入れるのだから、慎重過ぎるくらいで丁度良い。  
 男は現地点から一番近い要石に歩みを進めた。  
 
 神殿の鍛冶屋に装備品を渡してから修理が終わるまで、男は階段に腰かけて身体を休めた。と、あることに気がつく。  
 いつも明るい顔で出迎えてくれる青年の姿が見当たらないのだ。心配になって神殿を隈無く探しまわったが、気配すらもなくなっている。  
 一瞬にして男の顔から血の気が失せる。青年はやはり、ここでも王子としての責任と義務を棄てていなかった。  
 青年には何回も、単独行動をしないよう言い聞かせてきた。今のボーレタリアは危険だ。お前には行かせられない、と。  
 だが、国を想う王子の志は、俗の一言で簡単に雲散してしまうものだろうか。いや、そのような筈がない。  
 最悪のシナリオで頭が一杯になる。悲劇はまた繰り返されるのか。  
「おい坊主! 修理が終わったぞ!」  
鍛冶屋の声で、男ははっと我に帰る。こうしてはいられない。  
「助かった。釣りはいらない!」  
 ――まさか……。まさか!――  
修理代に充分なソウルを差し出すと、男は急いで装備を身につける。  
「何があったか知らんが、早く追いかけてやれ。あの若造、寂しそうな目しとったぞ」  
「……!!」  
鍛冶屋の優しさに胸が締め付けられた。急がなくては。急いで合流しなくては手遅れになる。  
 今の男には、神殿から城に転送される短い間すらもどかしく感じられた。  
 
 一体青年はどこにいるのだろう。城の牢屋や小部屋の一つ一つを虱潰しに探してみても見当たらない。もう失望する時間も惜しかった。  
 曲がり角を曲がった所で、赤目の騎士にばったりと遭遇する。これは道中の敵の中でも上位の実力を持つ。  
 このような敵からすれば、戦い慣れていない青年など赤子同然だろう。  
「くそっ、こんな時に……!」  
最大限まで性能が引き出された直剣で、敵の喉元を貫く。経験を積んで体得した、致命の一撃だ。  
 期待して死体を漁っても、手がかりになるものは何一つ持っていなかった。  
 男はひたすら走る。城全体を駆け回り、疲労はピークに達していた。それでも立ち止まることは許されない。こうしている間にも、また青年が危機に陥っているかもしれないからだ。  
「オストラヴァをどこにやった!? 返せ、俺のオストラヴァを返せよ!!」  
敵も男の剣幕に怯み、次々に致命を決められていく。男は狙ってやっているわけではなかった。半狂乱になりながら、戦いの本能に身を任せている。  
 敵を倒す毎に正気を失い、目は血走り、歯はぎちぎちと音を立てた。  
 奥まった小部屋にいた公使を張り倒し、息の根を止める。巨躯が倒れた衝撃で、棚から何かが落ちた。それは金属音を響かせながら、公使の朽ちた身体の側に転がった。  
 それを見て、男の全身の血が凍る。どうか見間違いであってほしい。おもむろにそれを掴み、薄暗い小部屋から外に出た。  
 恐る恐る握った手を開く。見間違いなどではなかった。自然と涙が溢れてくる。  
「また……守れなかった……。俺の……大切な、人……」  
太陽は残酷だった。その光をもって、男の掌のものを照らしている。偽りの一切ない現実を無遠慮に突きつけている。涙に濡れた掌のそれは冷たく、眩い輝きを放っていた。  
「終わらせる……。これを最後の悲劇にするために……」  
男はそれを丁寧に道具袋にしまうときつく口を紐で縛った。そして、きっと城の一点を睨む。  
 ――これが終わったらまた、会えるよな――  
 再び男は歩み出した。不安を抱く必要がなくなった今、もう慌てることはない。その横顔は強い信念と、決意に満ちていた。  
 
 城門前に、一人の男が立っている。再びこの地に赴いたのは、明確な目的があったためだ。デーモンを殺すこと。そして、愛する者との再会を果たすこと。  
 放浪者の彼が愛したのは、ボーレタリアの王子だった。常に共にあるという誓いを交わすも、世界の終焉を二人で見届けたことはなかった。  
 彼に謝りたい。そして、本来王子が持つべきであるものを返したい。今の男には、デーモンよりもそちらの方が重大だと思われた。  
 幾度となく訪れた城。青年の居場所は既に把握している。また奴隷兵士に囲まれていることだろう。  
 向かってくる敵を薙ぎ倒しながら、青年のいる場所に直行する。やはり、いつもの所にいた。高台に追い詰められ、逃げるに逃げられなくなっている。  
 男は段差に足をかけ、高台めがけて軽やかに落下した。  
「オストラヴァ。お前を助けに来た」  
青年はきょとんとしている。一体どこから湧いてきたのだ、とでも言いたそうに男をまじまじと見る。  
「またあいつらか……。ちょっと掃除してくるから、終わるまでここで待っててくれ」  
「あ……あの……」  
言うが早いか男は飛び降りて行ってしまう。次の瞬間、青年をここまで追い詰めた奴隷兵士の断末魔が上がる。  
「もう大丈夫だ。降りて来られるか?」  
鎧を着ていた青年は着地の際によろめいた。それを男は支えてやる。無愛想なのにどこか優しい男に、青年は心を動かされた。  
 ――なぜだろう。この感じ、とても懐かしい――  
「話がしたい。一緒に神殿まで来てくれ」  
青年に断る理由はなかった。頷くと、前を歩く男に続く。  
「迷子になるなよ」  
突然手を繋がれ、青年はどきりとした。懐かしい、手。篭手のせいで隔たりはあるけれども、青年はこの手を知っていた。  
 
 神殿に戻る道すがら、男は青年に向かって言った。これだけは伝えたかった謝罪の気持ちを。言ってしまうことで、自身を縛る重い鎖から解き放たれるように思われた。  
「お前の気持ち、わかってやれなくてごめん。危ないから戦うな、神殿で待ってろなんて言って。  
 怪我するのを見てるのは辛い。けど、これはお前の国の、お前が片付けなきゃいけない問題なんだよな。王子として背は向けられない……。  
 なのに、縛りつけるようなことばかり言って悪かった」  
「……えっと……」  
「それと、これ。お前がいつも首から下げてたものだろ。いなくなったお前の代わりだと思ってずっと大事に持ってたけど、やっと返せる」  
「それは霊廟の鍵! 今までどこを探しても見つからなくて……。  
 あの……勘違いだったらすみません。以前、あなたにお会いしたことありますよね……? 記憶が無くて、それを求めるために戦う騎士様……」  
「勘違いなんかじゃない。『初めまして』なんて言わなくても会話が噛み合ってる。これが証拠だろ」  
「やっぱり、あの時のあなたなんですね! また会えて、とても嬉しい……」  
「顔、見せてくれるか」  
青年を正視するのが気恥ずかしく、男は視線を少しずらして言った。自分も口元の覆いをずり下げる。  
 兜の下から表れた顔、覆いの取り除かれた顔はお互いによく知っているものだった。  
「あぁ、あぁ、オストラヴァ……。いつ見ても可愛いな」  
「や、やめてください! 恥ずかしいです!」  
ようやく念願の叶った男は暴走しつつあった。長い間抑圧されてきた欲望が肥大してくる。鎧のまま抱き締め、頬擦りする。  
 青年の柔らかな頬を楽しんだ後は、いつもしていたように唇を重ねる。久し振りの濃厚な口づけ。すぐに終わる筈もなく、二人はしばらく絡み合っていた。  
 
 いつ来てもここは落ち着きますねと青年は言い、笑顔を見せた。男は素直に同意する。要石の向こうが殺伐としているだけに、こうして人と談話ができる空間が尚更穏やかに思えた。  
 神殿の隅に腰を下ろすと、青年はそわそわした様子で切り出した。男と同じく、彼にも言いたいことがあったのだろう。  
「実は私も、あなたに言いたいことがあるんです」  
「何だ?」  
「お帰りなさい、って。あの時は黙って出て行ってしまって……言うことができなかったから。すみません。今更……遅いですよね」  
青年はあのような悲劇を迎えても、男のことを想っていた。その一途さに胸を打たれる。  
 彼がどんなに寂しいおもいをしていたか、今ならわかる気がした。それは、愛しているなら尚更させてはいけないこと。  
 人を、愛を失いたくなければ危険から遠ざかれば良い。そのような単純な問題ではなかった。そして、その答えも一つとは限らない。  
「お前も辛かったろうに、そんなこと考えてくれてたのか。嬉しいよ。でも、もうやめにしないか」  
「えっ……」  
「我が儘かもしれないが、これからは一緒に戦ってほしい。一人が戦ってる最中もう一人は待つことしかできないなんて、戦士として悔しいし、寂しいと思うから」  
「……」  
「それに、俺はお前を、その……恋人として大切に思ってるけど、友達としても大切にしたい。だからいつも隣にいてほしい。お願いだ」  
「……っ……っく……」  
「ごめんな。もう一人にしない。絶対」  
「私……私も……っ」  
しがみついて嗚咽を漏らす青年の頭を優しく撫でる。  
 過去の寂しさは消せないが、少しでも空いた穴を埋められたら。過去の分までこれから愛することができたら。  
「オストラヴァ」  
「……なんです……?」  
「約束、しよう」  
涙の跡を指で拭うと、男は顔を近づける。触れるぎりぎりの距離を保ったのは、彼の意思の確認をするためだった。  
 青年は溢れる涙を止められなかったが、それでも構わずに唇を合わせた。  
 
 
 
           完      
 
 

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