「私は今、迷っている。伝えるべきか否かを…」  
そうつぶやくのは、フリューテッドに身を固めた男。オストラヴァである。  
「彼女には幾度と助けられてきた。だからこそ、教えるべきかどうか…」  
彼のつぶやきは非常に小さくて外には漏れず、もごもごとフルフェイスの中で響いているのみだ。  
彼の視線は目下。楔の神殿で嵐の要石と坑道の要石をつなぐ一本の道に腰をかけ、目下で行きかう人を見下ろしていた。  
「彼女自身知っているのだろうか。それとも、知らないのだろうか。いや、知っているはず」  
行きかう人達といえど、この呪われしボーレタリアで生き残ったわずかな人々と、混乱に乗じて来た、良く言えば新しき勇者達である。  
大きな神殿には少なすぎるほど、わずかな人数だ。  
「彼女の服は貧相でも女性らしさを強調したぼろ布の服。でも、彼女自身は貧相な体つ…んんっ、貧相な服が似合う体とは言い難い…」  
そのわずかな人たちの中でも、彼が目を留めているのはただ一人。自身の窮地を幾度と無く助けてくれた、恩人。新しき勇者の一人だ。  
「女性らしさを強調した服だからこそ、その服に体が追いついていない事が…。上から見下ろすと、良く分かるんだ…」  
彼も健全な青年男子。女性の体に興味があるのだろう。しきりに、恩人である彼女の肢体を見つめている…とは違うようだ。  
「その…。胸が…すっかすかなんだよな…。胸元が」  
目線こそ、健全男子釘付けの、女性の胸元。だが、その眼差しは憧れの的を見ている目とは言い難い。  
「ここにいる皆は座っているから、彼女の胸元より視線が下だ。だから気付かないのかもしれない」  
なんともさびしそうな眼差し。哀れみを帯びたその視線。  
「上げ底しているのならまだしも、ただ膨らみをごまかしているだけだから、上から見ると、すっかすかなんだよ…」  
彼の声はさらに小さくなっていく。  
意識的に小さくしているのか、それとも落胆からの無意識からなのかは分からないが。  
「いや、確か…。黒い鎧を着た人が、座らずに立っていたよな。その人、彼女よりも背が高かった…。もしかしたら…彼も気付いて…。  
いや、黒い鎧だから暗殺者ユルトだって分かったから、彼女はデーモンを殺す者として彼と戦い勝ったんだ。けっして証拠隠滅では…」  
彼の彼女への視線が変わる。  
「ユルトの鎧は女性も着れるくらい、胸元に余裕があるって鍛冶屋のおじさんが言ってた。ということは、彼女よりボインって事…。  
って何を僕は言ってるんだ。そんな事より、彼女に教えるかどうかだよ」  
フリューテッドのフルフェイスを激しく左右に振る。  
彼の声こそ漏れはしなかったが、鋼で固められた鎧は揺さぶられた振動でガシャガシャと大きく音を立てた。  
その音に気付いたのか、視線の先の彼女が彼に気付いたようだ。  
目線を合わせて彼の元へ歩み寄る。  
「あんた、此処にいたんだ。そんな装備でこんな所いたら、落ちたら大変だよ」  
彼女のセリフは、よこしまとは言い難いオストラヴァの妄想とは違い、彼を気遣うものである。  
オストラヴァは、目線を上に上げ、彼女を見上げた。見上げた視線は見下ろす視線とは違い、彼女を女性として見ることができた。  
だからこそ、その落胆が激しいのかもしれないのだが…。  
「言うべきか…言わぬべきか…」  
彼はまた、ぼそぼそと口内でつぶやく。  
「ん?何?何か言った?」  
彼女との距離が近すぎたのか、彼のつぶやきがどうやら彼女の耳に入ったようだ。だが、何を言ったかまでは聞き取れなかったようだ。  
「どうかしたの?」  
いつもは出会い頭に彼の方から声をかけるというのに、何も言わない彼に違和感を隠せない。  
彼女は具合でも悪いのかと、彼の視線にさらに自身の視線を近づけた。オストラヴァは再度、フルフェイスを左右に振る。  
「いえ、ただ…。その…」  
彼女の視線は彼の視線とは大いに違い、その視線が彼の何かに触れたようで、男オストラヴァは意をけっした。  
「服装は、選んだ方がいいですよ」  
彼らしい、いかにも遠まわしな言葉。だが、あまりにも遠回りで、寄り道にしかならない。  
「何よ!べ、別にいいじゃない!何を着ようと私の勝手じゃない!」  
それでも何か察したのか、彼女の声が若干うわずる。それがさらに、オストラヴァの心に触れる。  
 
「や、やっぱり気付いていたのですね」  
だからつい思っていた事を口に出し、その声が近くに寄っていた彼女にも聞こえてしまうのだ。  
「どういう意味よ」  
彼女の声のトーンが変わる。でも、もう言い出してしまっては、止める事はできない。  
教えた方がいいかもしれないと思っていた事もあり、オストラヴァは彼女に教える事にしたのだが。  
「その、胸元。すっかすか…って、あ、あの、そ、そのっ!!!」  
「このとーへんぼく!どこ見て言ってる!!」  
「ちょっ!!こんな所でそんなの振り回したら危ないって!あ、ブラムドだけは止めて!ブラムd」  
教えるも何も、聴く耳持たない相手には通じるわけもなく。  
パキャッ。と、何かが壊れる音がした直後、オストラヴァは蹴落とされ、床へと転がる。  
「おいおい、何をそんなにはしゃいでおるんじゃ」  
「お、お嬢ちゃん!危ないよ、どうしたっていうんだい」  
二人の声を聞きつけ、鍛冶屋のおじさんことボールドウィンが声を上げ、心配性の荷物番トマスが慌てて駆けつけた。  
「あ、その、彼女がいきなり…」  
「そ、その口が言う!!」  
丸い円の床で逃げ腰のオストラヴァを、自身の上半身よりも大きな武器を担いだ彼女が、にじり寄る。  
「いったい、どうしたんだい。二人とも」  
心配性のトマスが二人の間に入る。オストラヴァがトマスの顔を見て、事の次第を述べようとした時、強いオーラを察した。  
『本当の事言ったら、殺す。潰す。刺す』  
彼女のオーラが無言の言葉を発しているようで、それに気付く男オストラヴァは、慌ててもごもごと言葉を消した。  
「はっはっはっは!若い男女がケンカと言えば、ささいな事であろうに。トマスも心配せんでもええじゃろ」  
間に入るどころか、まったく動こうとしないボールドウィンは、座ったまま大声で笑い出した。  
その笑いではなく、その言葉に虫の居所が悪かった彼女は、的をオストラヴァから切り替えたようだ。  
「ちょっと、何?若い男女ってどういう意味よ!ボールドウィン!」  
と、声を荒げてボールドウィンの下へと歩み寄る彼女。  
「ちょっと君!目上の人を呼び捨てにするなんて、だめじゃないか!」  
と、今度はオストラヴァが彼女の後について声を上げる。  
「わーっはっはっはっは!はっはっはっは!ささいな事じゃないか、のう?トマス」  
ボールドウィンは、そんな二人を笑い飛ばした。  
間に入っていたトマスはボールドウィンの豪快な笑いに苦笑し、ボールドウィンに歩み寄った彼女の肩に軽く触れた。  
「どんな事情か知らないけど、ささいな事が男にとって大きな事だったりするもんだ。彼に代わって男の一人として、謝るよ。  
どうか私に免じて収めてくれないかな」  
人の良いトマスの、優しい視線になだめられる彼女。だが心までは収まらなかったようで、彼女は大いにふて腐れた。  
「トマスの方が断っ然!いい男。優しい男!オストラヴァは女の敵!ヘタレ!とうへんぼく!!」  
ぷーっと頬を膨らませている彼女を目を細めてみつめるトマスは、亡くなった自身の娘を思い出しているかのようであった。  
それを知っている彼女はトマスを気遣い、大きく舌を出してオストラヴァに「いーっだ!」っと言うと、目の前の要石に触れた。  
そのまま彼女の体は、蒸発するように消えた。  
「いーっだ、じゃなくて、べーっだ、じゃないかな」  
変なところが気になる、オストラヴァである。  
「まあ、何を言って怒らせたかまでは詮索しないけど、あんまり彼女をからかわないでやってくれよ」  
彼女の体が蒸発したのを確認すると、トマスは傍にいるオストラヴァに視線を移して言った。  
「彼女も、あんな小さな体で、俺らには到底できやしないデーモンと戦っているんだ。それに比べて、俺ときたら…」  
そして大きくため息を吐くと、元の場所へと歩みを進めた。  
彼の悲しみを帯びた表情にオストラヴァは少しばかりの罪悪感を覚え、つと言葉を発した。  
「どうか、したのですか?」  
 
自身の事で精一杯だった彼は、神殿内で人と話しをすることはなかった。だからトマスの事などましてや彼女の事など、知らないのだ。  
トマスは困ったように眉を顰めたが、彼もまた彼女と同じくらいの年齢であった事が、トマスの親心をくすぐったのだろう。  
「彼女が、妻と娘の仇を討ってくれているんだよ」  
と、悲しみを帯びた視線でトマスは、オストラヴァにも彼女に話したように湿っぽい話しをついしてしまった。  
「そうだったのですか…」  
オストラヴァはトマスの話しを聞き終わり、少し鼻声でそう言った。  
「はは…はははは…。俺にとって、彼女は家族みたいなものさ…。取り戻す事ができない、大切な家族の一員さ…」  
オストラヴァの鼻声がトマスにも移ったようで、鼻をすする音がしばらく神殿内に響いた。  
 
そんなこんなしていたら、思いのほか早く彼女が帰って来た。要石の前からではなく、女神像の前で。  
オストラヴァは自身の非礼をわびようと彼女の元へと急いだが、彼女の姿に詫びの心はすっとんだ。  
「あんた!なんて格好してるんですかっ!!」  
と、大声をあげたようだが、彼女はそんな事気にもせず。  
「いや〜、燃えた燃えた。やっぱブラムド一本で炎に潜むものは辛いわ」  
まるで漫画のように全身からぷすぷすと音と煙を立たせ、ぼろ布はこげ落ち、半ば裸だったのだ。  
それを見たオストラヴァが大声を出したのだが。  
「今度青つれていこうかな。でもD青だったら黒よりもやっかいだし…ど〜しよ」  
大声を出す彼など眼中にないように素通りすると、彼女は真っ先にトマスの所へ行き、荷物の整理を行う。  
そして、アイテムの中からソウルを取り出し使用すると、すぐさまボールドウィンの下へ。  
「またやっちゃった。ボールドウィン、お願い!」  
と、元気の良い声とともに着ていた装備を脱ぐと、恥ずかしげもなく、燃え尽きたぼろ布をボールドウィンに渡す彼女。  
「はっはっは。今回はまた、派手にしてくれたのぉ」  
ボールドウィンも気にする事なく受け取る。  
「まぁね。ちゃんと直してね!特に、胸元は私の命だからね。しっかり膨らませておいてよ」  
「まかせておけ。嬢ちゃん用に、とびきり丈夫に仕立てておこう」  
「んー。ちょっとニュアンス違うけど、丈夫なのはうれしいわ。ありがと!」  
と、さも当たり前のような会話。どうやら、一度や二度ではないようだ。だが、装備をそのまま渡したということは。  
「半裸ならまだしも!!こらーっ!」  
侘びの心どころか、とうとう怒り出すオストラヴァ。  
オストラヴァは、装備を脱いだ彼女を指差し、声を荒げるが、彼女は舌を出して全く反省の色を見せない。だから、とうとう。  
「こっちに来なさい!」  
「なっ、何よ!!」  
と、男オストラヴァは彼女の手を引き、トマスの傍を素通りする。  
トマスの前の階段を下りていくと、先人たちの有りがたいお言葉が床に敷き詰めてある、円形状の部屋に彼女を連れて行く。  
そして、小さくも強い口調で彼女に言った。  
「君ね!女性でしょ!なんて格好で、しかも、男性の前で!恥を知りなさい!恥を!!」  
だが彼女は、きょとんとして言った。  
「ちゃんと短パンに肌着、つけてるじゃない」  
その悪げもない感じの彼女が、どうやらオストラヴァには受け入れがたいようだ。男たるもの、気になるのは女性以上のようで。  
「短パンなんて、男性が履くものです!それに、肌着って…は、肌着って…。ぶ、ブラジャーつけてないじゃないですか!」  
と、気になる部分を大いに直接に、言ってしまったのだ。  
「ぶ!ブラジャー!あんた、男でしょ!男のあんたに言われたくないわよ!」  
「男だからこそ、気になるんです!気にしてください!!いくらブラジャーが必要ないおっぱい6だからって、男と違うんですよ!」  
と、やっぱりケンカになってしまった。  
というか、デモンズソウルの世界は中世を模しているようなのでブラジャーの存在すらないはずだが、そこはまあ、ネタって事で。  
 
「てめぇなんかに言われたか無いんだよ!」  
ガキィィーン!どっすーん!  
「キャイーン!」  
突如、丸い部屋から彼女のドスの利いた声と、鈍く重い爆音。そして、甲高い男の悲鳴が上がった。  
音がよく響く楔の神殿内に、こだまするように、それらの音が広がっていく。  
トマスは慌てふためき、鼻歌交じりで裁縫に勤しんでいたボールドウィンがそのまま昇天するくらいの勢いで全身をびくつかせ、  
三角すわりで「のの字」を書いていたかぼたんが誰もソウルを求めに来ていないのに立ち上がり、腰掛けていた魔法使いがずり落ち  
魔法使いの帽子もそれぞれずり落ち、二人のアンバサが即座に聖者の後ろに座り供に深い祈りを捧げ、寝ていた剣士が目を覚まし、  
盗人が要石の前から落っこちた。  
「一体、どうした!」  
トマスは二人が行く所を見ていたので、慌てふためき二人を追い、丸い部屋へと駆けつけた。  
「何をするんですか!あなたのこと、友達だと思っていたのに!」  
「何が友達よ!こっちはいい迷惑だっての!それに、友達ならなおさら!傷つくような事言わないはずよ!」  
二人が大声で言い合っているのだが、トマスの目には大きく振りかぶった彼女に踏みつけられているオストラヴァが入る。  
さすがに、目によろしくない状況で。  
「ふ、二人とも!止めなさい、止めなさい。落ちついて、一体何があったんだ!」  
振りかぶっていた彼女の腕を押さえ、トマスが間に入る。  
トマスがいなかったら、メフェストフェレスが彼女を見初め、彼女は獣のタリスマンを手に入れていたかもしれない。  
まあ、それは冗談であってほしいが。  
「トマス!私に代わって、こいつをアイアンなっこーでフルボッコしておいて!」  
トマスに止められた彼女は、鼻息荒く担いでいた鉄製のほうきをおろした。  
そしてぶつぶつと何やら言いながらボールドウィンの所に行き、ぼろ布を再び着ると要石に触れて神殿を後にした。  
「何を言ったか知らないけど…。彼女をからかわないで欲しいって、言ったの。忘れたのかな」  
寂しそうに、そう言いながらトマスは、踏み潰されて一人では起きられないオストラヴァの手を引き、起こす。  
「そうは言っても。彼女、下着姿だったんですよ!恥らいを持てまでは言いませんが、常識的に考えても…」  
ぜひ恥じらいはもって欲しいものだが、どうしても納得がいかないのか、オストラヴァは不機嫌な口調だ。  
確かにそうだと、本来なら同意の言葉が返ってくるはずであったが、トマスは無言で引き上げた彼の手を引っ張る。  
「っと、どうしたんですか?」  
引っ張られた力が思わず強く、オストラヴァは足をもつれさせながらも、早足に歩くトマスについていった。  
「あの服は、俺の妻が最後に来ていたであろう服なんだ」  
「え?」  
早足に歩くトマスは、彼にしか聞こえない声で、そう言った。オストラヴァは、その意外な言葉に驚いた。  
驚くというよりは、胸に何かが刺さったような、そんな感覚である。  
トマスは荷物のある場所まで彼を引き連れると手を離して、言った。  
「貧金の鎧、暗銀の鎧、聖者の衣、フリューテッドメイル、ミルドの鎧、柴染の鎧。どれも高価で手に入れがたい物ばかりだ。  
それでも、彼女はぼろ布の服を着ているんだ。どんな形であれ、俺の妻子の遺体を見たんだ。実際はデーモンに殺されたのだが  
自分が殺したように、思ったんだろう。優しい彼女は、それ以来ずっと、あの装備なんだよ。どんなに良い装備を手に入れてもな」  
トマスの目は怒りにこそ彩られていなかったが、悲しみを帯びた視線は、若い彼にはこたえたようだ。  
「すみません…。そんなこと、知らずに…」  
オストラヴァは、頭を下げた。下げた頭を、しばらく、上げられなかった。  
「ははは。もう、過ぎた事だよ。きっと彼女も、けろっとして帰って来るさ。そういう娘なんだよ」  
トマスは小さく笑った。頭を上げようとしない彼が、十分反省したのが、分かったからだ。  
「ですが、私は…。知らなかったといえ、ひどい事を…」  
トマスは気にするなと笑いながら言ったが、オストラヴァにはそれが返って堪えたようで。  
彼女の帰りを待つのに、本来なら定位置の一本道に座っているはずが、彼女が消え去った要石の前に立ちすくんでいた。  
 
「やっぱむしゃくしゃした時は、爺フルボッコよね。ホストはつらぬきだったし、私のブラムドが最高に役に立った一戦だったわ!」  
やがて彼女が上機嫌で坑道の要石から出てきた。入っていったのは、塔の要石だったような。  
「まあ、その前にうっかりバイトしちゃって、コロネ手に入れちゃったし。D青のプレゼントにしようかな」  
小さく笑いながらも彼女は、真っ先に見せびらかしたい相手が居る一本道に視線を移した。だが、そこに彼の姿はなかった。  
彼女の心に彼女らしくなく不安がこみ上げる。もしかしたら、何者かに狙われたか襲われているのではないか、と…。  
まさかと思いながら、周囲を見渡す彼女。  
「オストラヴァ!」  
不安が的中したのか、彼のフル装備が折りたたまれたような形で、自身が入って行ったラトリアの要石の前にあった。  
まさか、死体…。いや、ユルトはもういないはず…。そんなの…。  
胸中が一気にざわつき、彼女の瞳が小さく震える。だが、一気に駆け上がった彼女は要石の前まで来たとたん、どっと疲れた。  
「どうも、すみませんでした…。私の無礼を許して下さい」  
要石の前で土下座する彼を見たとたん、腰が抜ける思いであった彼女。  
フリューテッドの鎧で土下座など、ありえない事であるが、その折りたたんだ体の形がまるで転がった死体のように見えたのだ。  
「何ふざけてんのよ!いい加減にしなさぃ!」  
と、半ば笑いかけての大声だが、その声色は心底ホッとしたようだった。だが、そこは彼女。床に額を付けている彼の頭を蹴り上げる。  
「あ、いたっ」  
「ああ、そうでしょうね!あんたなんか、これがお似合いよ!」  
頭を蹴られたので痛みに顔をあげたオストラヴァの頭に、彼女は持っていたコロネを巻きつけた。  
「わっ、何をするんです!前が、前が見えないっ!」  
「何よっ!人の心配も知らずに!バカッ!このう○こターバン!」  
「なっ!何て事を言うのですか!もう少しデリカシーを」  
「デリカシーが無いのはどっちよ!」  
と、今では珍しくもなくなった、いつものパターンに隣でしゃがんでいた盗人がへらへらと笑い出した。  
「ひひひっ。前途多難だね、お二人さん」  
そして、一言多い盗人。だからまた、彼女は振りかぶるのだ。  
「何おーっ!」  
「こらっ!や、やめなさぃっ!」  
振りかぶった彼女に、オストラヴァは反射的に後ろから抱きついた。そして、彼女を抑えようと胸に手を回した時。  
「きゃぁっ」  
と、彼女にしては有り得ないような、小さく甲高い悲鳴をあげた。  
「え?」  
と、すぐさまオストラヴァはコロネを剥ぎ取り彼女から手を離すが、今何をしたのかまでは意識していないようだ。  
コロネで目の前が見えなかったとはいえ、潤んだ目をして彼女が自分を睨みつけていた事に、頭が回らない。  
「ばかっ」  
そして彼女はまた、らしくなく小さな声でそう言うと、彼の隣を素通りし走り去っていった。  
走り去った彼女を追いかける事ができないほど、オストラヴァにとって、理解できなかったようだったが。  
「あんた、彼女の言うとおりだな。デリカシーねぇよ」  
と、傍でしゃがんでいた盗人の言葉は、理解したようだ。むっとした視線で盗人を見下ろすオストラヴァ。  
「彼女はね。ああ見えても、この神殿内じゃ火防女に並ぶアイドルなんだぜ?へへへ。彼女がもう少し腕っ節が弱かったら  
彼女のハァトは盗めなくても、体は奪ってみたいって思ってるんだぜ?ひひひひひ」  
盗人らしい下賎な言葉に、オストラヴァは無言で彼の襟首を掴みあげた。  
「貴様のような下賎な輩には、指一本も触れさせやしない」  
と、自分でも思わず低い声で相手をののしるオストラヴァ。だが、相手はそんな事日常茶飯事のようで、ヘラリと笑っていた。  
そのまま殴り飛ばしたいほどに自身の胸中が騒ぐ彼だが、その行為は瞬時に止まる事となる。  
と、その時、彼女の盛大なる大声が、神殿内に響いた。  
 
「あ〜いきゃ〜ん、ふら〜いっ!ヒャッハー!」  
走り去った彼女の行き先は、神殿内の最上階。要人が並ぶ階のど真ん中である。彼女はデモンズ恒例の、神殿ダイブを繰り広げたのだ。  
「うわぁあああっっ!!」  
それを目の前で見せられたオストラヴァは悲鳴を上げ、掴んでいた盗人を放り出し、慌てて彼女が落ちたであろう場所へと駆け寄った。  
だが、フリューテッドのフル装備。足の速さまでは望めず、彼女の下へ駆けつけた時は遅く、おびただしい血痕が床を汚していた。  
「うわぁああっ!わぁあーっ!」  
オストラヴァは頭が真っ白になり、泣き叫ぶ。だが、その背後で、けろっとした声が上がったのだ。  
「あんた、何そんなに反応してるのよ」  
その声に顔を上げたオストラヴァは驚き、声の方へと振り向く。そこには、ぼんやりとしたソウルを漲らせている彼女が、立っていた。  
「ただ、ソウル体に戻っただけじゃん。大げさっ」  
そして、彼女はけらけらと笑う。その表情は、彼の胸中を大きく騒がした。  
彼女の笑顔を見たオストラヴァは、無言で自身の右手にはめているガントレットを外す。  
「でも、びっくりしたでしょ。まあ、私の胸を触ったんだから、これでおあいこ…」  
パンっ!  
彼女のから笑いは、乾いた音と頬に広がる熱い痛みによって、止められる。  
ガントレットを外したオストラヴァの右手のひらが、彼女の頬をはたいていたのだ。  
普段なら彼女の反撃?が続くのだが、重い沈黙が続いた。が、沈黙を破ったのは、オストラヴァの一言。  
「命を、大切にして下さい。もっと、自分を大切に、して下さい」  
殴られた方が本来なら涙するはずだが、一言を述べる彼の声の方が震えていた。  
冗談のつもり…ではないにしろ、彼女は彼の言葉に小さくうなずくが、直後、首を左右に振った。  
「命は大切にする。でも、自分は大切にしない。大切にできない立場だから」  
彼女は小さくそう言うと、彼の顔を見る事なく再び要石へと行った。坑道とは正反対の、嵐へと。  
 
彼女を追うどころか、顔すら上げる事ができないで突っ立っているオストラヴァに、一部始終を黙って見ていたトマスが、声をかけた。  
「オストラヴァ君。ちょっと、いいかな?」  
「あ、はい」  
トマスの声にようやく時間を戻せたオストラヴァは、彼の傍に行った。  
トマスは彼女の袋の中からアイアンナックルを取り出し、右手に持った。そして立ち上がる。  
「ちょっと、ごめんよ」  
と、言った直後、オストラヴァのフルフェイスめがけて、右こぶしを振った。  
ガシャと、金属音が響く。フルフェイスで固めたオストラヴァに、痛みはなかったが。  
「これで、チャラにしないか?してくれないかな?」  
トマスの言う言葉が胸に刺さったように、オストラヴァは下を向いたまま、顔を上げれないでいた。  
何故、自身が殴られるのだろう。当たり前の事を、言っただけなのに。  
そんな憤りもあったが、トマスの悲しみを帯びた表情を見たとき、オストラヴァの憤りも冷めていく。  
「君は、彼女の事、知らなさ過ぎる。もちろん、俺だって何も知らないさ。でも…。知っていて欲しい」  
トマスは右手のナックルを外し、彼女の袋の中に治すと座り、顔を上げないオストラヴァを見上げて言った。  
「彼女の事、理解してほしいとまでは、言わないさ。ただ、知って欲しいんだ。お願いできるかな?」  
トマスの穏やかな声に、オストラヴァはハッとしたように顔を上げた。そして、言う。  
「もちろんです。教えてください。私は、彼女の事。もっと、知りたいんです」  
「ああ。俺が知っている範囲でしか、できないけど…」  
オストラヴァの真剣な視線にトマスは、照れくさそうに頭を掻いた。  
トマスに言った言葉が、そのまま自身にも響くオストラヴァ。  
あの盗人が言った時にざわついた自身の胸中が、余計に、そうさせるのだろうとも思いはじめていた。  
この騒ぐ胸中が何なのか分かるには、もう少し時間が必要なようだ。  
 
 

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