アンバサと言うセレンの祈りを背に、彼女は再び谷奥へと歩みを戻した。谷奥に進みながら、これからの事を思う。
今すぐにでも要石の破片を使って神殿に戻りたいのだが、それもちょっと気が引けた。
オストラヴァに自身を見られたせいもあるからだ。それだけではない。下着が無くては神殿での着替えが、できない。
“もし、オストラヴァが何か言い出したら、この格好はそうだな。お!ローリング骸骨にやられたって事にしよう!”
嵐でゴロゴロと転がって剣を振る骸骨モンスターが居たのを思い出した彼女は、自分なりに良い案を思いついたと指を鳴らした。
だが、たとえ彼女は言い訳?を考えていたとしても、オストラヴァは彼女の事を察して何も言えないだろう。
「物売りのおばさんはきっと、売ってくれないだろうな。って、売ってたら、こんな固いズボンなんかよりも先にそっち買うよ」
彼女はまだ、ぶつぶつ言って沼地をさまよっていた。セレンの姿はとうに見えなくなっていた。
「そうだ!塔にも、物売りのおばさんいたよ!あのおばさん、貴婦人だって言ってた。だったら、きっと。持ってるかも」
彼女の次なる行動は決まったようだ。彼女は不潔な巨像の要石に触れ、楔の神殿へと戻った。
谷の要石の前で、彼女は小さく深呼吸をする。そして、振り返り視線を少し上に向けた。
いつもはそれだけで、金属質なブーツがぶら下がっているのが見えるはずだが、あるはずの鎧はそこに腰掛けては居なかった。
だが、彼の居場所はすぐに分かった。絶え間なく鳴り響く金属音が、その位置を教えていた。
彼女は声を出さずに音の方向に視線を移し、彼らに気付かれないように、さらに不審な行動にならないようにできるだけ自然に、
塔の石碑へと歩いていく。だが、どうしても塔の石碑の前に陣取る一人には見つかってしまうのだ。
「ヒューッ!お嬢ちゃん、イメチェンかい?下半身はいただけねぇけど、上半身は艶めかしいぜぇ〜」
盗人らしい言い草に彼女はムカっ腹が立ち、思いっきり盗人を蹴り上げていた。盗人は勢い余って要石より下階へ落っこちる。
「ちくしょう!何だってんだよ!俺が何かしたかよぉー!!」
盗人は尻をさすりながら彼女にさらに何か言おうとしたが、彼女の腰にある武器を見て、言おうとした言葉が総代わりした。
「うっひょー!イスタレルに月明かりの大剣!ビトーとリザイヤの武器じゃねぇか!ど、どうしたんだよそれ?」
盗人の声に、彼女はハッとした。ビトーにリザイヤ。二人の名はウルベインから聞いた事がある。谷に向かった、勇者の名だ。
セレンを探している最中、ほぼ迷子になった時に手に入れた物で、ビトーにもリザイヤにも会っていない。
武器の真意を知る事はできないが、そんな事を考える前に、盗人が落っこちた為に剣を置いた二人が彼女の存在に気付いた。
「あ、あの。貴女、だ、大丈夫ですか?」
たどたどしく声をかけるオストラヴァに、彼女は平然(胸中は穏やかではないが)として手を振った。
「ただいま〜」
「あ、お、おかえりなさい」
彼女の彼女らしい声に、オストラヴァは半ば反射的にそう答えていた。
「な、な。その武器、どうしたんだよ。ちょっとだけでいいから、見せてくれねぇなかぁ〜」
盗人は彼女を見上げて、手を振る。だが、彼女は舌を出した。それでも盗人は、さらに懇願するように彼女に言った。
「ちょっと、だけでいいからよ。お願いだよ。な、な!」
彼女はさらに舌を出し、盗人を指差しながらオストラヴァに言った。
「オストラヴァ。こいつのハゲ頭、研石で磨いてぴっかぴかにしといて」
言われたオストラヴァは、思わず盗人の頭を見つめる。
「おいおい、冗談だろ?」
盗人は思わずそう言って、しり込みしていた。オストラヴァは盗人の見事なハゲっぷりに、小さく笑った。
「じゃあ、私。ちょっと塔で買い物してくるからね〜」
彼女はそのままのノリで、塔の要石に触れる。
「じゃあ、いってきま〜っす」
「あ、いってらっしゃい」
彼女の声に、また反射的に答えるオストラヴァは、手を振って彼女を見送っていた。
「強い子だな」
谷の石碑の前で立ち尽くすオストラヴァを見た時に彼女の身を案じたビヨールだが、彼女の笑みを見て何かを悟ったように
オストラヴァにそう言った。オストラヴァはこぶしを強く握り締めた。
「ええ。強い女性です。私よりも、誰よりも」
オストラヴァはしばらく、塔の要石から視線を外せなかった。
ラトリアの要石をくぐった彼女は、鉄格子の前で大きく息を吐いた。
「よかったぁ…。とりあえず、何も無かったように振舞えたと思う」
まだドキドキが収まらない胸を押さえながら、彼女は深呼吸を繰り返す。
「ビトーとリザイヤの武器…。パッチがそう言ったのなら、きっと本物だわ。あのハゲ盗人だから貴重品には詳しいだろうし…」
胸中が落ち着くと、彼女は腰に留めていた武器が気になった。
「トマスに預けるのも危なっかしいから…そうだな。帰ったらウルベインさんに渡そう。それならいいかも」
彼女は二つの武器を握り締めると、背中に担ぐ袋に押し込み、貴婦人の下へと行った。
道中タコを倒し、ある程度のソウルが手に入っている。これで、なんとかして欲しいとゴリ押し…ではなくお願いしてみるのだ。
「え?下着ですって?」
さすがに驚く貴婦人。それもそうだろう。今までに下着を売ってくれと言う人など、あるはずがない。
もちろん無い。ある訳が無い。もちろん、コレはネタって事で…。ご了承くださいませ。
「その…。そう、ゴロゴロ転がってくる骸骨がいてね!そいつが、大きな剣を持っていてね!それでっ」
彼女はオストラヴァに説明しようとして考えていたセリフで、何とか説明を試みていた。
貴婦人は小さくうなずくと、彼女の方を見た。見た、と言っても、貴婦人の瞳はすでに潰され彼女自身を映してはいない。
「ひどいこと、されたのね」
貴婦人の優しい声に、しどろもどろだった彼女は言葉を失った。
「私、こんな姿になってしまったのだから、あなたの気持ち少しだけ、分かるの」
その貴婦人の優しい声と言葉とは裏腹に、その容姿は直視に耐え難いモノ…。
そうなるまでの間に、どれだけの苦痛をこの女性はその身に受けてきたのだろうと思うと、彼女は涙が溢れる衝動に駆られた。
「それに、骸骨がゴロゴロ転がって剣を振り回すだなんて。そんな冗談すぐにわかっちゃうわよ」
本当は冗談ではないのだが、彼女はウソが苦手なのだろうか。それとも、貴婦人には見えない物が見えるのだろうか。
「心配しないで。世の中はひどい男ばかりじゃないわ。こんな身になってしまった私を救って下さった男性もいるのよ」
貴婦人が彼女に触れようと、手を伸ばしてきた。彼女はその腕を見た。自分の細腕よりもさらに細い、骨と皮だけの女性の腕。
貴婦人は変わらず優しい声で言い、彼女の手に触れる。
「本当なら、あなたが見てきた囚人たちのように、私も上を目指す者の一人になっていたわ。でも、私を不憫に思って下さった
方が私をその列から逃がしてくれたのよ。そして、私にソウルを分けてくださった。それ以来私はこうして、歌っていられるの」女性は優しい声で言いながら、彼女の手を胸に抱く。
「その方に愛する妻がいらっしゃらなければきっと、私は夫がいる身でも、その方に心を寄せていたかもしれないわ。ううん。
今でも此処で歌い続けているのはきっと、その方に思いを寄せているから…かもしれないわ」
彼女は、見えるはずもない貴婦人の瞳を見つめた。貴婦人は笑顔を湛えることはできないが、声のみで小さく笑った。
「妻が居る身でありながら、危険を顧みず私のようなモンスターを助けてくださったあの人への想いが。きっと。今の私を支え
ているの。ふふふ。ひどい男もいるけど、そうじゃない男も居るのよ?まだ、お嬢ちゃんには、分からないかな」
彼女を見つめ返す貴婦人を見上げながら、彼女はようやく言葉を発した。
「おばさんは、モンスターなんかじゃないわ。私なんかよりも、ずっとずっと、綺麗よ」
彼女の言葉を、貴婦人は小さく笑って答えた。
「そんな冗談言っても、モンスターに違いないわ」
貴婦人の言う事は、事実だ。だが、彼女は大きく首を振る。
「冗談なんかじゃない。もし、私がそんな姿になっちゃったらきっと、立ち直れないもの」
彼女らしくない小さな声でそう言った。だが、力ないその言葉が、貴婦人には冗談には聞こえなかった。
「じゃあ、私の勝ち。こんな非力な私でも、デモンズスレイヤーに勝てるのね。ふふふ」
貴婦人の声色は明るくなった。貴婦人は、胸に抱いていた彼女の手をさらに自身に引き、彼女の頭を胸に抱いた。
「これが、私の戦い方。どんな姿になっても、人として生き続ける。泣けない姿になっても、まだ私は歌うことができるもの」
泣けない姿。貴婦人のその言葉が、彼女の胸に刺さった。自身は今までに、どれだけ泣いてきただろうか。
だが貴婦人は、泣くことさえできないのだ。そう思うと、押さえ込んでいた涙が溢れてしまった。
「でも、私の前で泣くのは今日だけよ。だって、私はもう泣けないの。少しだけど、嫉妬しちゃうから、ね?」
爛れた顔につぶれた瞳を見上げて彼女は、見えるはずもない笑顔を湛えた。
「ありがとう。おばさん」
彼女は貴婦人の手を取り、貴婦人から離れた。そして、ぼろぼろになった服で涙をふき取る。
「それと、こんな話しの後で悪いんだけど…」
彼女は頭を掻きながら、彼女には珍しく小さな声で言った。
「あの…。し、下着…。売ってくれるかな?」
彼女の小さい声に、小さかった貴婦人の笑いは大きくなった。
「いいわよ。ただし、条件があるわ」
そういう貴婦人の声は、明るい。彼女は少しばかり緊張して貴婦人の言葉を待った。が。
「恋をして、欲しいの。素適な男性とね。それが、条件。せっかくの勝負下着なんだから、それくらいはして欲しいわ」
貴婦人の冗談じみた言葉に彼女は顔を赤らめ俯いたが、すぐに顔を上げ貴婦人を見上げて言った。
「じつわ…。恋…をして…ないわけでは…ない」
その声は彼女にとって、有り得ないほど小さな声だったが。
「まあ!本当に!おばさんの大好物。おばさん、ちょっと年だけど、ガールズトーク大好きなのよ」
貴婦人の明るい声と、その姿には似合わないかわいらしさに彼女はすっかり打ち解けてしまった。
さすがに名前までは言わないが、今気になるあいつの事や、青の事は同じデモンズスレイヤーと位置づけて語っていた。
だが、嵐での事までは言えなかった。貴婦人も彼女を気遣い、詮索はしなかった。
貴婦人は楽しいひと時のお礼にと、未使用の下着を数枚彼女にあげた。
彼女はようやく神殿に戻ることができるのだが、別れ際に貴婦人が言った言葉が気になっていた。
『神殿の彼には、ちゃんと本当の事を言ってあげてね。きっと、責任を感じているわ』
貴婦人の人の良さと、人生の経験を感じた彼女は、自身の辱められた姿を見られた事だけは、貴婦人に相談していた。
オストラヴァのことだから、何も感じないことはないだろう。それに、何より自身の胸中が苦しかったのだ。
このままずっと、すっとぼけ続けた方が楽だろうとは思う。だがそれでは、自身の胸中の苦しさを拭えはしない。
彼女は答えが出せぬまま、楔の神殿へと戻っていた。
塔の要石の前で彼女は、いつもどおり盗人を蹴落とすと、二人のチャンバラ音が聞こえないのが気になった。
下着を着用したので、ようやくトマスの前で着替えが出来る彼女は、着替えついでに二人が居ない事をトマスに聞いた。
聞いたトマスではなく、隣で鍛冶道具の手入れをしていたボールドウィンが言った。
「あの二人は、坑道に水汲みに行かせたわ。二人揃ってチャンバラなんぞ始めよって、そんなに力が余っておるんじゃったら、
ストーンファングで水でも汲んで来いと言ってやったわ。アンバサの娘さんなんか、自分の飲み水を工面してまで身を清める
水を確保しておるのに、まったく。汗臭いことしよってからに」
ボールドウィンはいつも以上に不機嫌そうに、ぶつぶつと言った。確かに汗臭そうだなと、彼女は小さく笑った。
「ふ〜ん。でも、ビヨさんが一緒なら、大丈夫だね」
彼女はぼろぼろになったぼろ布の服を脱いた。そして、それをトマスに渡す。
「ごめんね、トマス。もうこれ、ぼろぼろになりすぎちゃったから、別の服を着るよ」
トマスは彼女から服を受取ると、俯きながら言った。
「いや、別にいいんだよ。今まで役に立てたことが、何よりだ」
そして受取ったぼろ布の服を自身用の大袋に入れると、頭をかいてさらに俯いた。
彼女はトマスに預けている大袋の中身を、ごそごそと無造作に探しだす。
「このズボン履き心地はちょっとだけど、結構防御あるし。上だけ変えようかな。あ、魔術師の服がちょうどいいかも」
無造作に探しながらも見つけた魔術師の服を、彼女は取り出して見た。
「あっと。これ、ちょっと胸元が強調されて作られてるっぽいなぁ。ま、でも今はちゃんとブラしてるから、大丈夫かな」
そして彼女は服に袖を通して着替える。その時、俯いたままのトマスが小さく咳払いをして、そのまた小さくつぶやく。
「あ、あの。お嬢ちゃん。これからはその…。向こうで着替えた方が…。その、いいかなって。思うんだ」
トマスの小さいつぶやきを聞いた彼女は、魔術師の服を整えながらトマスを見下ろした。
握り締めた髪飾りをしきりに触りながら、ずっと俯いたままだ。そして彼女は、横目で隣のボールドウィンを見る。
ボールドウィンは鍛冶道具の手入れをしている。だが、その道具は手入れをしなくとも、ぴっかぴかに磨き上げられていた。
つまりは二人とも、目のやり場に困っているのだ。彼女はあせったように、言った。
「し、しょうがないじゃない。だって、オストラヴァにあんな風に言われちゃ。そりゃ私だって、乙女心傷つくわよ。だから、
さっき塔の貴婦人の所に行って、わざわざ買ってきたのよっ」
多少の脚色はあるが、彼女は下着の存在をごまかした。内心、うまくごまかせたとも、思う彼女。
今までは彼女の年の割には幼い体と、全く持って色気も無ければ、ソレ、本当に下着か?と思うほどの格好で大人な二人も、
子供の着替えだからと彼女の好きにさせていたのだろう。
だが、今は貴婦人お墨付きの、勝負下着なのである。そりゃ〜目のやり場に困るってぇものさ。
「そ、そうかい。オストラヴァ君に言われたもんな。そりゃ、傷つくよな。うん」
そういうトマスだが、何故か声色が良い。隣のボールドウィンも、しかめっ面を緩めていた。
あせった彼女は、二人の大人の小さな変わりようには、気付けないでいた。
「しょうがないな。もう、トマスの前は、卒業かな」
さすがに彼女も、トマスといえど男性の前で下着姿になるには、気が引けたのだろう。上だけ着替え、下は着替えなかった。
あせりにも似た胸中であったが、彼女は不自然にならないように背伸びをすると、ウルベインの方へ行った。
彼女の背に視線だけ向けたトマスが、彼女には聞こえないが隣のボールドウィンには聞こえる程度の声で言った。
「俺の前は卒業だってよ。へへへ」
その笑顔は、うれしそうにも悲しそうにも見て取れた。
「もし、彼女に子供できたら、女の子だったらコレ。あげるんだ。オストラヴァ君に似て、おしとやかなんだろうな」
トマスは髪飾りに目を落し、握り締めた。隣のボールドウィンは小さく息を吐くと、ようやく道具を置いた。
「だったらわしは、男子だったら鍛冶をさせるかの。彼女に似て、腕っ節は良いじゃろうなぁ。はっはっは」
と、言った所で二人は小さく笑った。その表情は小さくとも、明るいものであった。
「きっと、似合うだろうな、髪飾り。もし、コレを渡せたら…。俺も、俺も卒業できるかも…しれないんだ…」
トマスは誰にも聞こえぬ小さな声でそう言うと、ぎゅっと髪飾りを握り締めた。