「済まない、言っていることの意味がよく分からないんだ」  
ユーリアは聡明な女性であったが、今日に限っては何度も男に聞き返した。  
「俺もよく分からんのだがな…うん、どうやら人のままでもいられるが、デー  
モンにもなってしまう可能性もあるんだそうだ」  
「貴方が?デーモンに?…フフフ、そんな訳ないだろう…」  
気がつけば痣が出来るほど強く自分の二の腕を握っていた。震えている。男の  
言葉が真実であることを、理性が、心が、体が、ユーリアの全てが拒んでいた。  
唯一無二の最愛の人が、数多のデーモンを殺したことで、およそ人が持ち得ぬ  
ほどのソウルを身に宿した。それは皮肉にも人よりもデーモンに近しい存在に  
なったことを意味するなど、受け入れられるはずがない。  
「まぁ多分デーモンになることはないんだろうけどな。それでも俺はここに残  
らなくちゃならん」  
「何故!?」  
「ポーレタリアにソウルは戻らなかった。だから楔にならなくてはならない…  
つまりは要人を引き継がなくちゃならないって事らしい…」  
「そんな……」  
目の奥が痛い。喉が渇く。舌が締め付けられたように痛み、声がでない。息が  
苦しくなり、浅い呼吸を何度もしたが、意識が薄れる。  
体が現実を拒絶する。  
「ユーリア!?」  
立つことすら敵わなくなり、その場で崩れる。支えてくれた男から伝わる体温  
や匂い。何度も触れた体の感触。何も変わっていない。  
「名を……」  
呼んでくれるだけでも良いんだ−  
言葉は恐らく発せていない。それでも、そこに男が居てくれるのなら。ユーリ  
アはそこで意識を失った。  
 
 
何もかも終わった。老王の成れの果てを討った時はそう信じていた。  
しかし、ここからが本当の−  
「デモンズソウル…か」  
正直なところ、人なのかデーモンなのか、自分でも分からない。あの汚濁の極  
致で出会った乙女のように、存在自体が罪になってしまうというなら、ユーリ  
アと共には生きて行くことはできない。デーモンにならずともこの呪われたポ  
ーレタリアで要の人として永久に生きていかなくてはならないのだろう。ユー  
リアを巻き込むことは避けたかった。  
「寒いな…」  
久しぶりに一人で寝た。あの安心した寝顔も、かわいらしい寝息ももう聞けぬ  
やもしれぬ。そう思うと、急に体が冷えた気がして、男は毛布の中で震えた。  
 
起き上がることも辛いと感じるのは、何時以来であろうか。監禁されていた時  
ですら、割り切って諦めるようになっていたものだ。  
今は諦められぬ。諦めたら、自分の希望は途絶えてしまうだろう。あるのは死  
よりも辛い生。そう考え、ユーリアはもう五日も寝たきりであった。  
いっそこのまま腐り果ててしまえれば−  
自分の肩を抱きしめながらユーリアは啜り泣いた。男の言わんとしていること  
は分かる。だが、だからといって受け入れられるかと言われたら、答えは「無  
理」なのである。  
受け入れられぬ故に気を失い、受け入れられぬ故にこうして床に臥しているの  
だ。  
「のわっ!?」  
「…お前は……」  
「な、なんだ…居たのかよ……」  
パッチ−−人は彼をハイエナと呼ぶ。性根卑しく、人品は下劣であると彼に関  
わった者は口を揃えて言う。ただ、ユーリアはパッチの事を嫌いになれなかっ  
た。殊に彼を嫌う聖職者達と険悪であることも一因やもしれぬ。婉曲しながら  
も他を見下す彼等をユーリアは好きになれなかった。まだ、堂々と言ってみせ  
るパッチのほうがマシと思えるのだ。ユーリアの愛する男も、パッチのことを  
『誰よりも俗物だが、嫌いになれぬ』と言っていた。  
そのパッチがユーリアから何かを盗った。  
「何を盗った?ろくな物もないだろう…」  
「へへ…なんのことだ?俺は……」  
「はみ出ているぞ?」  
「えっ!?」  
「嘘だ」  
思わずパッチが隠したブーツの方に目をやる。細い、光る棒が見えた。ユーリ  
アの使っている銀製の触媒だろう。  
「こ、これはさっき神殿の上で拾ったんだっ…!もうここを出るからよ、なん  
か捨てられ…」  
「構わん。持って行ってくれ…」  
「い、良いのか!?」  
「魔女の業から抜け出す…それが今の望みだ」  
もうパッチはユーリアの言うことなど聞いていなかった。頭のなかにはこの銀  
の棒がいくらの価値があるのかということでいっぱいだった。  
「へへへ、悪いな。遠慮せず貰ってくぜ!」  
「あぁ…」  
「あっ、そうだあんた。あの男のオンナだろ?ならよ、さっさと行った方が良  
いんじゃねぇか?」  
「なに?」  
「さっき鍛治家の爺と殴り合ってたぜ?まぁあいつに限って負けることもない  
ろうけどよ」  
 
(確かトマスと話していたんだが…何故こうなった……)  
気を抜こうものならボールドウィンの鉄拳が的確に急所を狙ってくる。  
「爺さん…一体…!?」  
「ふんっ!!」  
聞く耳を持たず、顔面に一発貰った。口野仲を切り、血が飛んだ。酔狂の域で  
はない。  
「っ!!この…!!」  
男は自分よりいくつも上の老人を思い切り殴り飛ばした。  
 
 
「あんたがデーモンに?ハハハ、まさか」  
「いや火防女のソウルを手に入れていよいよ人かどうか怪しくなってしまった」  
数分前、男はトマスと話していた。古きの獣の中であったこと。聞かされたこ  
と。与えられた使命とこれからのこと。  
気心知れたトマスだったが、今度ばかりは反応に困っていた。  
「ふむ…でもそう…まったくデーモンとかには見えないからなあ。見た目も今  
までとなんら変わらんし、理性もあるし」  
「まぁな…でも、もしもの事を思ってな……。トマス、頼みがある」  
「なんだ?あんたの頼みだ。どんと来い」  
「お前がここを離れるとき、ユーリアを一緒に連れていってほしい」  
「なっ!?」  
「安全なところにあいつを。出来れば魔女も魔法も知らぬ村に」  
トマスは明らかに動揺していた。当然だろうと男は思ったが、静かに続けた。  
「このまま俺と一緒に居ることは…もう……」  
「暫く考えさせてくれ……そう、事の段取りを…だから、何言ってるんだろう  
な俺、ハハハ…」  
次に、ボールドウィンにも挨拶を、と視線をやったときには既に老人は立ち上  
がり、男に拳を向けていた。  
 
 
「…つぅ……ふざけんなよ爺さん!!」  
階段を転げ落ちたボールドウィンだったが、立ち上がると口腔に溜まった血を  
吐き捨てる。この時にはもう神殿中の者が、何があったのだと周りに集まって  
いた。  
「がーはははは、こんなものか!ワシでもデーモンを倒せたのう!!」  
「あっ!?」  
「トカゲ共以下の気のない拳じゃ」  
嗤ったボールドウィンはステップを踏むと、ぎゅっと地面を蹴って男と距離を  
詰める。下からえぐるようにして腹に拳が入った。  
「げぅ!」  
「情けないのう…まだいくぞ!」  
「…!!」  
そこからはもう赤子の喧嘩と変わりなかった。避けることなくお互い力任せに  
殴り合った。  
 
 
「っ…はぁ…はぁ……」  
「ふむ…やめじゃ」  
あたりが血で染まった頃、ボールドウィンはいつものように丸椅子に腰掛けた。  
「デーモンがいるというから久々に動いてみたが、ふんっ…老いぼれの拳が効  
く紛うことなき人間じゃったわ」  
「爺さん…」  
「ひよっこが、大仰に騒ぎよって」  
皮が敗れた手の甲をごわごわした布で拭うと、ボールドウィンは何もなかった  
ように空を睨んだ。  
「まぁ…気が楽にはなった、かな……」  
さっきまで青ざめていたトマスは苦笑まじりに痣の出来た男の顔を見ている。  
「あぁ、そうだ…さっきの頼みなんだが。悪いが、どうしても荷物が多くて引  
き受けられそうにないなぁ」  
「……ありがとう」  
「ほら、早く行ってやらないと」  
ポーレタリアの兵が携帯する止血用のロートスを握りしめたユーリアが、今に  
も泣きだしそうな顔をして見つめていた。  
「ユーリア……ごめんな…」  
俯いきながらユーリアが頭を振る。それに合わせて目から光るものが散った。  
「一緒に居てくれるか?」  
「………うん……うん…!!」  
魔女が人目も憚らずに泣いた。抱き留めてくれる人がいるから、泣ける。ユー  
リアはその事実に心から感謝した。  
 
 
「じゃあ、頼む」  
数日後、ポーレタリア城の広間で男は木を積んでいた。かつて凶悪なソウルの  
亡者達が狂ったように襲ってきた場だが、すでに誰もいない。居たとしても今  
や全てのデーモンを討ったこの男に敵うものはない。  
「随分と律義だな」  
「正直好きじゃなかったけど、まぁ、死んだらいがみ合いもおしまいだろ」  
「貴方のそういうところ、良いな。人を信じてみたくなる」  
組んだ枯木の中に鎮座する幾つもの小さな体。永くの間、楔の神殿で活ける人  
柱になっていた『要人』達である。名前も合ったのだろうが、男もユーリアも  
ただ『要人』としか彼女を指す言葉を知らなかった。  
その要人の最後の一人が、死んだ。その役目は男に引き継がれ、先日、気がつ  
けば座したまま息絶えていた。  
「付けるぞ」  
ユーリアの発した炎が枯木に移り、間もなく夜空を焼かん勢いで赫赫と燃える。  
この炎が消える頃には、要人らの体も灰になっていることだろう。火葬を望ん  
でいたかどうかは分からない。分からないが、弔いをせぬよりは良いだろう、  
と男は楽に考えていた。  
 
 

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