住めば都、という言葉があるが、斯様なこの世の地獄ともいえる不浄の地においても適用できる便利な言葉だったとは、思いもよらなかった。  
第六聖女――静かに目を閉じ、祈りによって「奇跡」を奉じているアストラエア様の隣に座り込み、ただなんとはなしに私は目の前の光景を見渡した。  
 
聖女の護衛という、神殿騎士として栄えある使命を帯びてここを訪れたが、やってきた当初は、不浄の沼から立ち上ってくる悪臭と見るも無惨なこの地の惨状とで、  
目と鼻がつぶれそうになり逃げ出したくなったことも、今では懐かしきことだ。この地を目にしてなお聖女としての気品を崩さず、  
神に捨てられた者たちを慈しみ、神の非情さに悲しみ震え、そしてその姿を民に見られまいと気丈に振る舞う彼女を見れば、そんな気など消し飛ぶものであったが。  
 
――思えば、希有な人生であったとしみじみ思う。  
 
名門たるヴィンランド家に生まれ落ちたとはいえ、神殿騎士としての将来を確約された人生など、幼き頃の私にとっては路傍の石ころ並にどうでもいいことであった。  
同じ年の頃の子どもたちが集まって日が暮れるまで遊びまわっている間、私は厳しい姉と共に修練に明け暮れた。  
子どもたちが木の枝をとり戦争ごっこをしている間、私は本物の得物を用いて、極限の闘争状態に心身を委ねた。  
家は豪奢なものであったが、凡百の騎士の一族のそれよりもさらに格調と形式を重んじるヴィンランド家は、暖かみのある家庭などとは無縁で、休まることのない息の詰まる家柄であった。  
 
その頃、私は平々凡々な暮らしを望んでいた。  
食べる量に困る食卓よりも、どう腹を満たすかに困る食卓のほうが望ましく、緊張感漂う闘いよりも、遊び半分の戦争ごっこが羨ましかった。  
もちろん、あの日父に連れ立たれ、神殿の謁見場で頭を垂れていたときも、例に漏れず仏頂面でそう思っていたのだ。  
しかし、その日は私にとって、不謹慎ではあるが神の生誕日よりも特別な日となった。人生の転換期。人はこれをそう呼ぶのであろう。  
「どうぞ頭をおあげください」、という鳥の囀りもかくやと思えるような清らかな声に促されて顔を上げれば、そこには聖女がいらっしゃったのだ。  
 
聖女アストラエア――年の頃は私とそう変わりないというのに、その聡明さ、そしてなによりも敬虔さが認められ、幼少にもかかわらず聖女となった才人。  
彼女のことを知ったのは、馬車での帰り道、熱に当てられたように呆けていた私へ向けた父の言葉からだった。  
ステンドグラスからの光を浴びて、女神の如く輝く彼女の淡い微笑みが、私の頭の中に焼き付いていた。  
 
姉曰く、その後の私を形容するなら、まさに「神憑り」だったのだという。  
武芸のみならず学問にも打ち込み、日々邁進し続ける私からは、在りし日の不機嫌な姿はなくなった。  
思えば、なんとも現金なことだろうか。  
いつぞやは生まれの不幸を呪っていたのにもかかわらず、その日以来はその地位に生まれついたことを感謝するようになったのだ。  
きっと私は、あのお方をお守りするために生まれついたのだ。天啓にも似た衝撃が、延々と体中を駆け巡っていた。  
 
名門の神殿騎士の家系であるヴィンランド家の地位、それに真摯な上昇志向を手にしていた私が、  
神殿勤めを経てすぐに聖女の護衛という栄えある任務をまかされたのは、ある種の必然でもあった。  
その頃の私は、群を抜いて強い膂力と技量をもち、また知力と敬虔さに長ける、と風評されていたのだ。  
 
年月を経て大人の女性へと変貌を遂げた彼女は、いつか見た清らかな美しさを失っておらず、  
身体からにじみ出る聡明さと敬虔さも在りし日のままで、私は高鳴る胸を抑えることすら出来なかった。  
 
彼女もまた、私のことを覚えていた。  
ヴィンランド家の、仏頂面の長男。あの日見たときのあなたとは、別人のようです。私も人を見る目がありませんね。と彼女は私に笑いかけてみせた。  
私はただただ顔を赤くして口をくぐもらせることしかできず、彼女はそんな私を見て「力持ちの恥ずかしがり屋さん」と評した。  
なおも赤面するより他ならなかった。  
 
連れだって救いの旅に出た私と彼女は、最終的に訪れたこの谷で、神に打ち捨てられた存在を目にした。  
デーモンと同じ立場になってまで、住人たちの苦痛の取り除こうとする真摯な彼女を、私に止められただろうか?  
止められるわけがない。彼女の眼差しは真剣そのもので、わずかに涙を浮かべてすらいた。  
あなたまで、私とともに貶められる必要はありません――彼女はそういったが、私は彼女とともに在り続けることを選んだ。  
ヴィンランド家の宝具であるこの大槌があれば、不浄の地においても生存することは出来る。  
私は、デーモンとなった彼女を守り続ける決心をした。護衛として、時には話し相手として――。  
 
 
「――ガル、ガル」  
 
はっとして飛び起きた。隣では、怪訝そうな顔をした彼女が私を見つめており、小首を傾げていた。  
「申し訳ありません、アストラエア様……少し、眠ってしまっていたようです」  
「そう、こちらこそごめんなさい。具合が悪いのかと思って……」  
そういって彼女は、いつかと少しも変わらない、清らかな微笑みを浮かべてみせた。  
それを見た瞬間、私の胸中に、春の陽射しのようなあたたかさがこみ上げてくるのを感じた。  
少しも、少しも彼女は変わらない。この美しさもも、聡明さも、敬虔さも、真摯さも。  
たとえ彼女がデーモンであったとしても、ソウルの業は、彼女からこの微笑みを奪うことは出来なかった。  
彼女は少しも変わらない、あの時のままの彼女なのだ。私の護るべき、彼女のままなのだ。  
 
「ガル、やはり具合が……?」  
我に返ると、彼女がまたも不思議そうに私を見つめていた。  
私はいよいよ赤面していたが、頭全体を覆う暗銀の兜のおかげで、それを悟られた様子はなかった。  
 
このくすぐったくなるやりとりも、不穏なソウルの動きによって終止符が打たれた。  
彼女も「敵」の気配に気づいたようだった。無言で立ち上がった私を、不安そうな目で見上げている。  
この雰囲気、かなりの強者だが……。しかし私に立ち止まることは許されない。  
私は彼女を、この微笑みを護るのだ。そのためだけに、ここに在り続けている。  
 
「すみません、ガル・ヴィンランド」  
不浄の沼を渡る私に、彼女はつぶやいた。  
「ご無事で」  
その言葉だけで、どんな強大な敵とも戦える気がする。霧を抜けて現れたデーモンを殺す者を目の前にして、私は暗銀の盾を構えた。  
 
きっと、きっとこの先も私は彼女を護り続ける。ずっと、永遠に……。  
 
 

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