ボーレタリアのジャパン横丁。  
 この日、毎年恒例の夏祭りが行われていた。  
「えいっ!」  
 浴衣姿の縮れた赤毛の女が放った弾丸が、黒兎のぬいぐるみを射止めた。  
「これで三つ目ですか……君にこんな才能があったなんて」  
 蒼い瞳に濃紺の髪をもった男――こちらも浴衣姿――が意外そうな声を上げた。  
「ヘタレ王子にそんな顔されたくないなぁ〜……ア・リ・オ・ナ」  
 女は意地の悪い笑みを浮かべて射的用の銃を肩にのせ、男にそう述べた。  
 男は狼狽して、小声で女に話しかけた。  
「ケリー、本名で呼ぶのはやめてください……!」  
「分かってるよ、オストラヴァ――おっちゃん、ありがと」  
 ケリーはふん、と鼻を鳴らしてから、射的屋の店主に銃を返す。  
「さて、次はどこ行く?」  
 オストラヴァは腕組してしばらく思案してから、口を開いた。  
「そうですね、『ノウ』と呼ばれるジャパンの古典芸能を披露している場所があると聞きました」  
「で?」  
「え? いや、見に行きませんか?」  
 キョトンとした顔のオストラヴァを見て、ケリーはたちまち般若のような形相になった。  
「おい、おい、なんで夏祭りにきてそんな眠くなりそうなもんみなきゃなんないのさ」  
 それを聞いて、オストラヴァは残念そうに肩を落とした。  
「……じゃあ君が決めてください」  
「うーん、決めろって言われると困るのよね」  
 オストラヴァがあきれたように溜息をついたとき、大通りに歓声が響いた。  
 二人がそちらの方へ視線を移すと、男達が煌びやかに飾られた木製の小さな社を担いでいた。  
「おっ、“ミコシ”だな!」  
「へぇ、あれがミコシですか」  
 やがて、神輿は二人の前を通過して行く。  
「ワッショイ、ワッショイ、おにぎりワッショイ!」  
 二人はそんな様子を見て目を輝かせる。ケリーは単純な物珍しさ、オストラヴァは知的好奇心をもって。  
「オストラヴァ、やることないから神輿を追いかけようか」  
「そうですね、途中で何か見つかるかもしれませんし」  
 ケリーはそれを聞いて、また唇の端を持ち上げた。  
「ふっ、でもオストラヴァは追いかけられる方が得意?」  
「全く君はっ!」  
 オストラヴァが顔を赤くすると、ケリーは人込みへと駆け出した。  
「ほら、たまには追いかけてみなさいよ! 迷子になって徘徊王子にならないようにね!」  
 オストラヴァは雑踏にかき消されないように大きく息を吸って叫んだ。  
「ボーレタリアのオストラヴァ、君ごとき逃がしませんよ!」  
 それと同時に駆け出しながら、心の中で呟いた。  
 ――父上、あの赤い飛竜に似てませんか? 彼女。  
 
 
 
「メフィストよ。なぜこのような場所へ私を連れてきたのだ」  
 人込みを眺めながら、黒い鎧の男が静かに問うた。  
「ふん、愚物が。仮装の出し物と思わせれば暗殺も容易いであろう」  
 男にメフィストと呼ばれた金色の仮面をつけた女が、それに返事をする。  
「それとも、“沈黙”の長ユルトは静かな場所でなくては仕事は出来ないかな?」  
 ユルトは目を細めて、言葉少なに答えた。  
「侮るな」  
 二人はずんずんと大通りをあるく。  
 ふと、メフィストが団子屋の前で足を止めた。  
 そして、威圧感と共に一言。  
「みたらし二つ」  
「へ、へいっ!」  
 団子屋の主人はやたらに高圧的な客に戸惑いながらも、みたらしを二つ差し出した。  
「ご苦労」  
 メフィストは満足げにそれを受け取ると、代金を手渡した。  
 そんな一部始終を後ろで見守っていたユルトが一言。  
「メフィストよ、その食べ物はなんだ」  
「愚物が。ジャパンではこれを喉に詰まらせて死ぬ輩が多く居るのだぞ」  
「なに……?」  
「暗殺者として、一度賞味しておくべきだとは思わないか?」  
 メフィストはそう言って、みたらし団子をさし出した。  
「……ふむ」  
 ユルトはそれを受け取り、一口。  
 もぐ、もぐ、ごくん。  
「真に恐ろしき毒というのは、甘美なものだな」  
 もぐ、もぐ、ごくん。  
「ああ……そうに違いない」  
 二人はずんずんと大通りをあるく。  
 ふと、メフィストは水あめ屋の前で足を止めた。  
 そして、威圧感と共に一言。  
「みずあめ二つ」  
 
 
 
 祭りの只中からは相当離れた神社の裏手。  
 二人の女が縁側に腰掛けて、満月を眺めていた。  
 方や純白の法衣を纏い、方や淡い色の浴衣を着ている。  
 その右後ろでは、鼠色の浴衣を着た男があぐらをかいている。  
 法衣を着た女が振り返り、柔らかな笑みを浮かべて男に声をかけた。  
「こちらへ座りませんか? ガル・ヴィンランド」  
 ガルはやや目を泳がせて、言葉を詰まらせた。  
「いえ、それは……」  
 そんな歯切れの悪い返事に、もう一人の女が口を挟んだ。  
「ガル、私も居るのだから問題ありませんよ」  
 ガルはその言葉に、多少曖昧な返事をしてから、法衣の女の隣に腰掛けた。  
 女はそんなガルの様子をみて、満足げに月に視線を戻し  
「私も、セレンさんや貴方のような服を着てみたかったのですが……」  
 少し名残惜しげに、そう呟いた。  
 ガルは何も言わず、腕を組んだ。  
「そうですね……何か屋台のものを買ってきましょうか。アストラエア様も祭りの気分を楽しめるように」  
「じゃあ、イカメシとイカヤキとヤキイカと……」  
 ガルはアストラエアの注文をあらかた書き留めると、たちあがった。   
「では、行って参ります」  
 軽く頭を下げ、長い廊下を歩いていった。  
 アストラエアはそんなガルの背中を見えなくなるまで眺めて、また月を眺めた。  
「イカが、お好きですか?」  
 セレンはぽつりと問いかけた。  
「……ええ、世界で一番」  
「そうですか……」  
 二人が哀しげな笑みを浮かべたのを、月の光が照らした。  
 
 

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