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【X周目以降、XX周目以前の世界より】  
 
 楔の神殿広間に、絃の狂った怒号が響いた。  
「もう放っておいてくれ……! お前は俺の何だ?! 関係ないだろう! もう、俺に  
構うんじゃない……!」  
 蹲り頭を抱えて喚き散らす男と、立ち竦み呆然とする女とが発生源だった。  
「わ、私は、」  
「うるせえよ!」  
 伸ばしかけた手がぱしんと振り払われる。実際の衝撃よりも大きく、女がよろめく。  
「お前がデーモンを殺すなら好きにすればいいだろうが! 勝手に死んで、勝手に殺して、  
世界でも何でも救えよ! ──だがな、“英雄様”──俺に構うな! 俺に期待するな!  
 “俺”を“お前”に巻き込むな!」  
 デーモンを殺す女は声もなく心折れた男の前に立つ。  
「俺は、」  
 その。絶望と諦念と自己嫌悪と劣等感と嫉妬と憎悪に満ち溢れた言葉を、唯、聞く。  
「お前とは違うんだ! だから放っておいてくれ──! ──もう、俺に、こんな俺に  
何かを望まないでくれ──!」  
 男の言葉が段々と低く、小さくなり、やがて支離滅裂なものへと変わってゆくのを、女  
は唯見ていた。罰を受ける子どものように震えて、怯えて、見ていた。  
 
 やがて女はぎくしゃくと足を動かし階段を昇る。目指すは塔の要石、ラトリア。彼女が  
殺すべきデーモンのいる場所。彼女の使命がある場所。彼女が“次”へ進むために必要な  
場所。  
 途中、下の遣り取りを眺めていたらしいパッチの脇を通る。と。  
「おい、アンタ、今日は一段とひでえフラれ方したな」  
 揶揄と呆れの篭った口調で話しかけられる。“ハイエナ”はにやにや笑い、  
「これだからお嬢ちゃんはよう。オトコ一人につれなくされたくらいで、世界が終わった  
みたいなツラしなくってもいいんだぜ?」  
 どうということはない、少なくとも発言者にそれほど悪意があったわけではない言葉  
だったし。  
 しかし。言われた側は強く唇を噛み、不意に銀のコロネットをむしり取る。留めていた  
前髪が広がり、額へ落ちた。困惑するパッチの前で女は懐から黒布を取り出し顔に巻き  
つける。黒い髪と黒い布とに顔が隠れる。音のしない黒一色の姿となった彼女の中で、  
緑の瞳だけが澱んで光っていた。  
 女が。手にするコロネットを眼下へ叩きつける。数瞬の間を置き、神殿広間に金属の  
跳ねる澄んだ音が響いた。  
 
「おいおい、勿体ねえな! 要らないなら俺が貰うぞ?」  
「いいよ」  
 女は答える。絞り出す、掠れた声。  
「もう、いい。……もう、いいんだ」  
 女の返答をパッチは聞いていない。承諾を得るより先に飛び降りて獲物を拾いに行って  
いる。  
 目聡いパッチのことだ。拾うついでに心折れた戦士を見、彼が“いけなくなった”こと  
を見抜くだろう。そして。使命を拒否しデーモンを殺さなくなった彼が、とうとう世界に  
“喰われる”瞬間も、見るかもしれない。  
 女は首を振る。  
 何度も。何度も。  
 要石に触れる。デーモンを殺すために。使命を果たすために。この世界を救うために。  
 この世界を救って──“次”に行くために。  
 
 “次に行く”──否。  
 逃げる。そう、彼女は逃げたかったのかもしれない。  
 “彼”を救えなかった世界から。  
 救えなかった“彼”を捨てて次の“彼”に望みを託す、残酷で矮小な自身から。  
 
 
【XX周目かの世界より】  
 
(“逃げる”)(そうだ)(そっちの方が、しっくりくる)  
 頭の中をぐるぐる駆ける、記憶。デーモンスレイヤーの使命、繰り返す世界、世界を  
繋ぐ要人としての終わりなき永久螺旋。  
(“逃げる”)(あと何度繰り返せばいい?)(あと何度、貴方を殺せばいい?)  
 壊れる彼を無力にも見送った。  
 心無い言葉で傷つけて、消滅の期を早めた。  
 自分の手で、刃で、殺した。  
(あと、何度繰り返せば、)  
(私は、諦めるんだろう)  
 諦めて。  
 進むのを止めて。  
 座り込んで。  
 ──彼のいない世界で? 彼を救えなかった世界で?  
 あの。背中を撫でる。不器用で、温かな手の、存在しない世界で、  
 
 何処からも来ない救いを終わりを待て、と?  
 
「い、や、だ」  
 
 拒絶の言葉は確かな音となって滑り出た。  
 
 ソウルとなり世界と同化しかけていた身体が精神が同一化を拒絶する。急激に輪郭を  
取り戻す意識、肉体、──激痛。  
 偽王オーラントの振るうソウルブランドが唸りを上げ、引っ掛けていた華奢な身体を  
跳ね飛ばした。  
 血痕だらけの床にまともに叩きつけられ、衝撃を逃すことも叶わぬ身体はひしゃげ中身  
をはね散らかす。唯の人間か唯の化け物ならばとっくに死んでいるはずの損壊ぶり。  
 しかし。  
「……ぐ、えっ、げほ……っ!」  
 死を拒むソウルの業が彼女の肉体を再構築する。流した血を無理矢理補充し、壊れた  
部分を元の形に戻してゆく。失った体力全てを取り戻すまでには至らずとも、その身体は  
ほんの瞬きひとつの間に戦えるだけの状態にまで回復していた。  
 復活ののち、女は息つく暇もなく床を転がる。先程まで女が存在していた空間を重い刃  
が切り裂いた。女とデーモン、充分にあったはずの両者の間合いは今やゼロにほど近い。  
尚もローリングを繰り返し、場に留まり地の底から響くが如き唸りをあげるデーモンから  
離れる。  
 柱の陰に隠れた彼女のすぐ脇を衝撃波が駆け抜けていった。謁見の間がびりびり震え  
床材が剥げて舞う。  
 タリスマンを手に復活の奇跡を願い、満月草と香料とで体力魔力を継ぎ足す。  
 戦える。まだ戦える。ならば戦わねばならない。  
 相手が死ぬか、自分が死ぬか。そのどちらかの決着がもたらされるまで。  
「──ふッ!」  
 デーモンが一瞬の内に間合いを詰める。女はショーテルを手に迎え撃つ。剣の軌道を  
見切りぎりぎりのところを避ける、避ける。軽量化した装備は脆い代わりに動き易い。  
 
 黒革のブーツが音もなく軋み、女が跳ねる。前へ。脇を晒したデーモンへ。  
 両手で構えたショーテルが、王の似姿をとるデーモンの肩から腹までを袈裟掛けに斬り  
裂いた。裂け目から血の代わりにソウルが飛び散る。  
 デーモンが仰け反る。が、それも一瞬。剣を持たぬ左手を伸ばし女の頭をわし掴みに  
しようとする。  
 白く発光する手が掴んだのは帯電する空気だけだ。女は地を這う姿勢で王の手を避け、  
一気に懐へと潜り込み、  
 その右目に歪んだ刃先を突き立て手首を捻り眼球を引っ掛けるように身体ごと──引く。  
 ごり、と不吉な手ごたえがあって、硬いところに刃が食い入る。抜けない。デーモンが  
吼える。頭を振る。痛みではなく、怒りで。屈辱で。その時には女はもう武器を手放し  
離れている。  
 デーモンの左手が突き刺さったショーテルを掴む。掴んで、眼球ごと引き抜く。  
 床へ落ちる刃にこびりつくのはソウルの名残りのみ。デーモンの両目は何事もなかった  
かのように炯々と光っている。  
 
「……化け物」  
 呟きに、我ながら笑いが零れた。  
 化け物なのはお互い様だ。奇跡を使って何度でも復活する自分が、数多のデーモンの  
ソウルを喰らってきた自分が、何度も何度も何度も世界を繰り返す自分が、まだ、ヒト  
だと。狂っていないとデーモンでもないと胸を張って言えるだろうか?  
 どうだろう。  
 分からない。分かるはずもない。  
「はは、」  
 手に冷たい感触がある。予備の武器。湾曲する刃、突きには向かず抉るための切っ先。  
渋い輝きを放つショーテルが、もう一本。多分、この刃と同じく自分も歪んでいるのだ。  
なんと相応しい武器だろう。  
「ははっ、はははは!」  
 大気が震える。またあの突進が来る。今度こそ殺されるかもしれない。恐い。殺される  
のが恐い。死んでまた蘇ってまた殺し殺されに行くことが恐い。  
 
 けれど。  
 まだ、残っている。  
 
 軽い装備を身に着けること。  
 受けるよりも、避けること。  
 自分のスタイルに合った武器を使うこと。  
 
 全部、彼から教わったことだ。彼女を今まで生かし続けてきたものだ。  
 “これ”を覚えている限り。彼の声が、忘れられない限り、女はデーモンになれない。  
諦めることも出来ない。  
 傷つける。殺してしまう。けれど、次があるから。次は、助けられるかもしれないから。  
 ──次の世界の貴方は、また、私に優しくしてくれるかもしれないから。  
 
「はははは──あああああッ!!!」  
 
 女が、吼える。疾る。デーモンを殺すために。醜い自分を、デーモンに重ねるように。  
 
 
 
 
 楔の神殿に大穴が空いた。  
 神殿の誰もが感じていた。終わりが──変革が、近いのだと。  
 大袋のトマスが不安げな顔をし、鍛冶屋ボールドウィンは不機嫌っ面で砥石の手入れを  
している。  
 聖者ウルベインと信徒たちは静かに祈っていた。  
 
 “拓く者”魔術師フレーキは興奮と思索の内に篭り、その弟子は相変わらずフレーキの  
側に控えていた。  
 ハイエナのパッチは定位置の塔の要石の前で大穴を見下ろし、火防女はともし火を手に  
待ち。  
 そして心折れた戦士は。この異変の原因となった女と向かい合っていた。  
「これを」  
 女が短く告げて無理矢理握らせてきたのは、何の変哲もない鉄の鍵束だ。こんなものを  
渡される理由が分からない。  
「……そいつは、何だ?」  
「ボーレタリア王城の、牢の鍵だ」  
 ますます理由が分からない。この女は心折れた自分に何を望んでいるのやら。  
「貴方に救出をお願いしたいけれど、もしも無理なら、王城にいるオストラヴァという騎士  
に渡して欲しい。高台で困ってる子。“ビヨール殿が捕らわれている牢の鍵だ”と伝えて  
くれ。金の鎧で目立つから直ぐ分かると思う」  
「おい待て、俺にそんなこと」  
 する謂れはない。  
 出来るはずも、ない。  
 
「大丈夫」何が大丈夫なのか、女は黒ずくめの格好の中でそこだけ緑の目を男に向けて。  
「霧はもうすぐ消える」  
 
「……は?」  
 絶句する男の隙をつき、女は口を挟む暇も与えず一方的に喋り続ける。  
「王城には魔女も閉じ込められているが、そちらはビヨール殿が助けてくれると思う。  
あ、王城で、目だし頭巾にこんな」──言って、女は自らの革製の鎧を指差し──「感じ  
の恰好をした女に会ったら、全力で逃げろ。彼女には話が通じない……彼女や、ラトリア  
の職業殺人鬼と祭祀場の性癖殺人鬼はどうにかした方が良かったのかもしれないが、私には  
その決断が出来なかった。ごめん。他の──エドさんや、ブライジやスキルヴィルさん、  
セレン殿は、自分で何とかするだろう。出来る人たちだ」  
 女の言葉は理解し難い。  
 その次々出てくる人名は誰だ。“ビヨール”と言えばボーレタリア王家を支える英傑に  
“双剣のビヨール”なる人物がいたが、まさか同一人物ではあるまい。それに、魔女?  
 わけが分からない。  
「──最後に、これを」  
 そう言って。  
 女が差し出した淡く輝く石は、男の混乱に拍車をかけた。  
 その欠片の名前を、男も知っている。“儚い瞳の石”──如何なる業か、ソウル体に  
失った肉体を取り戻させる石だ。男には意味のないものだ。生身を取り戻したところで、  
戦いから逃げた男には何の影響もない。肉の苦痛が増えるだけだ。  
「──お前」  
 
 彼女の言っていることは根本的におかしい。色の無い霧が晴れることは、有り得ない。  
 ボーレタリアのデーモンを殺し尽くす。そんな奇跡でも起こさない限り、有り得ない。  
「──」  
 まさか。起こったのか。この女は、奇跡を成し遂げたのか。  
 
 彼女は。無言で。彼に。  
 
「……本当は。世界がどうなるか、私は知らない。見たこと、ないから。知らないけれど  
……全部、良い方に向かうよう、祈ってる」  
 彼女が静かに身を離す。  
 聞きたいことは勿論あった。霧が晴れる、のを信じるとして。何故、心折れて何も為せ  
なかった自分に今更話をするのか。何故、自分に後を託すのか。何故。彼女が“そう”  
しないのか。  
 何故。  
 彼女は。  
「ごめんなさい」  
 綺麗な、南の海の色の目を、揺らして。  
「何度も、何も出来なかった代わりに──貴方に、未来を、あげるから」  
 黒髪が翻る。彼女は男に背を向け、大穴の傍の火防女の元へ行く。  
「いいよ。行こう」  
 黒髪の女を、黒髪の女が抱き締める。母親が娘を慰めるように、優しく。  
 そうして──二人が、昏い奈落へと姿を消す。  
 叫ぶ声。男ではない。同じ光景を見ていた者がいたようで、そいつが叫んでいる。けれど  
どうしようもない。二人が消えた穴は今や唯の床に戻っている。最初からそこには何も  
なかったように、二人の女がいなかったかのように静まり返っている。  
 我知らず立ち上がっていた心折れた戦士は、デーモン殺しの女の幻影を呆然と見送る。  
手には、託された鍵束と、儚い瞳の石。  
 
 予感があった。  
 色のない霧は晴れるだろう。世界はきっと救われるだろう。  
 そうして。彼女の救った世界に、彼女はきっと帰ってこない。  
 
 触れなかった唇のぬくもりがまだ残っていた。  
 
 
 
 
【世界ではない何処かにて】  
 
「サイコロを二つ振って、両方とも六の目が出る確率は三十六分の一だそうだよ。単純に  
言えば、三十六回振れば一回は六ゾロが出るってこと」  
 
 色の無い霧の中を、女が一人、歩いてゆく。  
「まあ三十六回振っても一度も出ないこともあるけれど。確率って、そんなものだしな」  
 黒い髪と緑の目の、戦士とも盗賊ともはたまた魔術師ともつかぬ雰囲気の女だ。  
 彼女はひとり、霧の中を歩く。その言葉を誰に届かせるでもなく、足音静かに。  
「だから」  
「──あれは、サイコロを二つ振って、最初に六ゾロが出たような──そういうこと  
だったんだと思う。確率は低くても、有り得ない話じゃない。そういうこと」  
 彼女は笑う。ひとり。独りきり。  
「サイコロ二つじゃ足りない、か」  
 彼女が楔の神殿で何度も死んだこと。彼がそれを止めてくれたこと。隣に座らせてくれた  
こと。優しくしてくれたこと。  
 おかしくない、と。言ってくれたこと。  
「ああ、うん──私はサイコロ百個が全部六の目、みたいなすごい奇跡を、最初に引き当て  
ちゃったんだろうな──」  
 だから戦えた。  
 彼を死なせなくなかった。生きて欲しかった。  
 あの背中を不器用にさする手の温かさがもう一度欲しくて、何度も繰り返した。  
 何度も。何度も。  
 彼女が繰り返し“世界”の霧を晴らすことが出来たのは、“もしかしたら”“次の彼は  
救えるかもしれない”──それだけを考えてのことだった。  
 
 世界とはなんと奇跡的なのだろう。  
 一人では戦えない。“世界を救う”が戦う理由になれない心弱い彼女への、世界からの  
素敵に残酷な贈り物。  
 
「でも、良かった」  
 声がする。澄んだ、優しい、哀しみを帯びた声。歌。  
「分かったから。私が鍵だ、って分かったから」  
 女を呼ぶ声がする。楔の神殿に囚われた、黒衣の娘の声がする。  
「話しかけること。触れること。うん、それが、鍵だったんだ。どうしてだろうね? 私  
がデーモンのソウルを喰らったせいかな? 私は、デーモンなのかな?」  
「──」  
「でも」  
「好きになるのは、大丈夫」  
「好きになっても、話したり、触れたりしなければ、大丈夫」  
 女は一度だけ振り向く。  
 闇が、あった。何もない戻れない道があった。  
「世界の霧は、晴れたかな」  
「貴方は、ちゃんと、戻れたかな」  
「──そうだと、いいな」  
 視線を戻す。光が見える。次の世界。色の無い霧に侵された“次”の世界。  
「大丈夫」  
 声が、近い。もうすぐそこ。  
「“次の貴方”にも、触れない、話さない、決して」「決して」「だから」  
 女は少しだけ立ち止まって──「だい、じょう、ぶ、だから──ごめん、ね、少しだけ、  
待って」  
 彼女の涙を、誰も見ない。  
 世界を繋ぎとめるものは、此処にはひとりしかいないから。  
 
 
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