「体調も良くなってきたみたいだし、そろそろ外出もいいかもしれませんね」  
そんな心療内科の医者の提案もあって、粧裕は旅行に出てみることにした。  
行き先は紅葉の時季ということもあり、京都を選んだ。  
だが、当初は母の幸子も付添うはずだったのに、予定が変わり、  
行くのは粧裕ひとりになってしまった。  
「おじいちゃんおばあちゃんの法事なら粧裕も行かなきゃいけないけど、今度のはおじさんだから」  
粧裕まで出なくてもいいと言いながらも、幸子は、未だ気鬱をひきずっている娘のひとり旅を心配した。  
 
「粧裕。やっぱり、今回は止めといたら?」  
「ううん。ここまで来たし、行ってみる。ひとり旅も憧れだったし」  
「せっかく行動的になれたんだから、止めたくないけど……。  
とにかく、身体が辛かったらすぐに帰ってきなさいね」  
粧裕は、電車のホームでしきりに心配だと繰り返す母を宥めすかして、新幹線に乗った。  
 
京都に着くと、旅館に荷物を置いてから、日中は観光に出かけた。  
夜には部屋の檜風呂に浸かり、部屋で食事をしたが、見事な懐石にかえって独りを持て余した。  
そして、とても疲れていると感じたので、早めに薬を飲んだ。  
体力が無くなっているのにはしゃいであちこち出歩きすぎたのだろう。  
だから、早く眠ろう――と、  
医者から渡されている睡眠導入剤を服用したのだった。  
 
酩酊しているらしい若い女性が、柄の悪そうな男達に絡まれているのを、仕事帰りの照が目撃した。  
その男達は、このごろ繁華街で迷惑行為や窃盗などを繰り返している  
ちんぴらグループのメンバーだと気づき、躊躇うことなく削除した。  
 
――彦。――男。――郎。―時―分。若い女性に絡むも飽きて繁華街から立ち去る。  
人気の少ない路上まで行くと心臓麻痺で死亡  
 
「削除」  
 
ノートに書き終えると、男達は女性をベンチに放り出し、黙ってその場を立ち去った。  
 
次は酔っている女性のほうだと、照は近寄った。  
「大丈夫ですか?」  
問い掛けても女性は答えは無い。  
顔色が悪く、ほとんど眠っているようにみえた。  
――顔面蒼白だ。ひどい酔い方を……。  
と思ったところで、息から酒の臭いがしないと気づいた。  
「何か飲まされたかしたのですか?……聞こえてますか?」  
とさらに聞いても、やはり答えはない。  
救急車と警察を呼ぼうかと思ったが、照は、個人的に警察とは関わりたくないと、考えなおした。  
 
「失礼ですが、身分証を見せていただきますよ?」  
 
ショルダーバッグに入っている財布や手帳から、身分の手がかりになる免許証などを探す。  
保険証と病院のカードををみつけた。掛かっている科は心療内科とあった。  
名は夜神粧裕。住所は東京。宿の鍵もみつけた。旅行でこちらにきているらしい。  
そして、心療内科という文字から、酩酊の理由が分かった照だった。  
 
「夜神粧裕さん、ですね?ホテルにお送りしますよ?どうですか、起きられますか?」  
肩などを軽く叩いて反応をみる。触れると嫌がる素振りをみせた。  
気怠い動作だが意識はあると分かり、救急車の必要は無さそうだと、ほっとした。  
とはいえ、「やめて」と呻くことから、どうやら照のことまで絡んだ男達と勘違いしているようだった。  
照は、その場でしばらく困っていた。  
薬はそのうち切れるだろうが、こうまで異常な様子だと、このまま放りだすこともできない。  
――かといって警察は……。さて、どうしたものか。  
結局、気が引けたたものの、粧裕を自宅に引き取るしかなかった。  
 
タクシーを使って自宅に戻り、粧裕をベッドに寝かせつけると、もう一度バッグをあらためる。  
身分証を探したときに携帯電話があったと照は記憶していたのだった。  
案の定家族らしきネックネームで、『お父さん』『お母さん」『兄』の登録があった。  
時刻が深夜をまわっていないのを確認すると、まずは母親に電話をしてみた。  
だが、タイミングが悪かったのか、出てくれない。  
父親の電話番号はというとなぜか不通で、新規登録すら無いのが妙だと思った。  
最後の頼みである「兄」のほうも、残念なことに出なかった。  
心療内科に通うほどなら訳ありの家庭なのかもしれないと考え、そのうち、照もあきらめた。  
夜神粧裕を、ひとまず朝までこのまま寝かせることにした。  
 
翌朝。かなりの早朝に、気配から照は目覚めた。  
リビングのソファーから寝室に行くと、粧裕は起きていた。  
だが、照をみてあきらかに怯えていた。  
「ここはどこなんですか?あなたは誰です?なんで私はここにいるの?また私は誘拐されたの?」  
驚いて怯えるのは当然だろうと思った照は、なるべく柔和な表情を作ってみせた。  
「誘拐ではありません。落ち着いてください。  
私は、京都地検の検事です。名前は魅上照。今、名刺をお見せします」  
照が近づくと、粧裕はますます怯えたが、それでも名刺を受け取った。  
 
「名刺、ありがとうございます。一応信じます。だけど、どうして検事さんが…」  
「あなたは繁華街で倒れていたのです。ただ、飲酒ではなく薬物を飲んで酩酊しているとみて、  
無闇に救急車も呼べなかった。ですから、ひとまずこちらで保護を」  
と言うと、粧裕は驚いた表情をみせた。  
「嘘です。だって、私は旅館にいたんです。もう寝る仕度をして。それがどうして外に出て?」  
「繁華街で倒れていた――それ以前のことは分かりかねます」  
粧裕は憮然とした。  
「ただ、失礼ですが念のため身分証などを拝見しましたところ、病院のカードが出て来ました。  
差し出がましいことですが、今回徘徊した原因は心療内科から処方された薬の為では?」  
 
粧裕はぴくりと震え、「あ」と小さく呟いた。  
心当たりがあったのだろう。  
というよりも、それこそ信じたくなかったのだろう。   
傷ついたような顔をした。そして、突然涙を零した。  
「少し自覚が出て来ましたか?」  
「はい…ごめんなさい。そうですよね、検事さんが誘拐犯なわけ……」  
照は、泣き震えながら己を責めて苦しんでいる粧裕を可哀想に思い、ベッドに寝かせた。  
 
――誘拐されたのか。  
この娘も犯罪の犠牲者なのかと、照は深く同情した。  
粧裕の頬を伝う涙と微かな嗚咽が、照の心に響いた。  
 
照は、粧裕の側にいて不思議な気分を味わっていた。  
直感で「愛しい」と思っていた。  
だから、泣きじゃくる背を支えていたはずが、なぜか身体ごと抱きしめていた。  
 
「あ、あの…」  
 
さすがに雰囲気を察して、粧裕も、惰性の嗚咽までは止められないでいるものの、泣きやんだ。  
身を固くして、抱擁を拒絶する。  
抱擁を受けながら、粧裕は青ざめていた。  
やはり誘拐や強姦目的で連れ込まれたのか――と、様々な最悪のパターンが脳裏に浮かんでならない。  
辛い格好で拘束され、銃を突きつけられた恐怖がよみがえる。  
「――いやっ!」  
またパニックになりそうだった。頭痛と眩暈から逃れたくて、  
声にならぬ悲鳴を上げ、頭を抱えて泣きだした。  
 
「失礼を。つい、同情してしまいました。もう少し寝ているといい。それでいいですか?」  
 
粧裕は、とにかく側を離れて欲しい…といったふうに闇雲に頷いた。  
照は、粧裕を寝室に置いて、再びリビングに戻った。  
 
時間はそれから一時間ほど経った。  
リビングにいる照のところに、粧裕のほうがやってきた。  
「さっきはすみませんでした。怖くなって」  
「こちらこそ、失礼を」  
「あの。疲れているのに、眠れなくて」  
「私もです」  
「それで、そろそろ旅館へ帰ろうと思うのですが……」  
「動けるのでしたらかまいませんよ。宿まで送りましょう。  
ただ、もうしばらくしたら、ご家族の方へ連絡しようと思ってましたが」  
「母へ?えっ、だって…」  
と呟きながら、粧裕は慌ててバッグを確認する。  
携帯が入っていないと分かり、照を見遣ると、その手に残されていた。  
「勝手に触ってすみません」  
携帯の発信履歴を確認すると、たしかに深夜前に母、父、兄の順でかけていると分かる。  
他にいじった形跡は無かった。少し不愉快であったが、ちょっと考えるとやむを得まいとも思った。  
「……いえ。私を思ってくださってのことでしょうから」  
「いずれも履歴が残っているでしょうから、ご家族も掛け直してくださるかと思います。  
ただ…こんなことまで尋ねるのは立ち入り過ぎかもしれませんが、お父様の番号が不通のようで」  
「ああ。父のは……」  
「お父様は?」  
言い澱む粧裕に、照は微笑むことで促した。  
「父は、死んだものですから」  
 
「ああ。……それは、また気の利かぬ質問を」  
というと、「いえ」と粧裕は照の謝罪を打ち消した。  
同時にたちまち唇がわななき、泣くというよりも怒っているような表情をした。  
「無理に答えなくていいんですよ。立ち入ったことをお伺いしてしまった」  
「いえ、いいんです。この際、話したいんです。  
私、この父の番号は消したくなくて、わざと残してあるんです。  
検事さん……父は警察関係者でキラを追ってたんです。警察本体がキラに屈しても、なお、父達だけは。  
でも、私がキラとの取引のコマとして誘拐されたばかりに、殉職したんです。  
こんなことってあっていいのかしら?正義の人だったのに!」  
「お辛い目に遇われましたね。……気の毒に」  
心療内科に通う理由は、もはや聞くまでも無いと照は思った。  
キラこそ神と崇めている照だが、その周辺は信じられたものではないと常々感じている。  
さぞや陰謀が渦巻いているのだろう。  
 
許せぬと思った。  
神なるキラを利用する者を。  
罪の無い人を悲しませることを。  
――夜神粧裕を、こんなにも苦しめていることを。  
 
「許してください」  
 
そう言うと、照は粧裕を抱きよせた。  
だが、粧裕は、内心ではこの男を嫌ではないと思っていた。  
照の誠実そうな人柄と清潔感と、そして仕草などに、父や兄に似たものを見いだしていたからだった。  
安心感があった。だから、父のことも話せてしまった。  
とはいえ、この魅上照という人物は、家族ではない。他人であるうえに、いわば見知らぬ男だ。  
雰囲気に流されて良いはずがないと理性は警鐘を鳴らす。  
しかし、  
「あ…」  
口づけを受けて、異性への未知なる怖れと期待が、好奇心に変わった。  
この人を知ってもいい、と思った。胸の疼きは恋心であると覚った。  
 
 
照もまた、自分の軽率な行動に戸惑っていた。  
よく知りもしない女性を感情のまま抱きしめるなど、初めてのことであった。  
無体なことをしていると我ながら思うが、その手を放せそうも無かった。  
口づけは、受け入れてもらえると分かると、いっそう深めてしまうばかりだった。  
 
気づけば粧裕をソファーに押し倒しており、細い首筋にキスをしていた。  
シャツのボタンを外し、ブラをずらし、乳房に触れていた。  
粧裕は愛撫に息を飲んだ。びくりと震えて、微かに肌を粟立たせる。  
と同時に、乳首が固く尖った。  
「あ……ん……」  
その小さな先を、照が舌で転がすと、粧裕が身をよじらせる。  
そうしているうちにシャツが脱げて、女性らしい薄くてまるい肩があらわになった。  
 
なんて細い身体だろうと、照は思った。  
痩身の粧裕の乳房は、たわわとはいえない。  
だが、肌は美しく、その肉は頼りないながらも優しく柔らかい。  
触れ続けていると、照の男に疼きが走った。  
たまらなくなって、彼女のジーンズのファスナーに手をかけ、下ろす。  
細い腰と、繊細な淡いピンクの下着に包まれた谷が目に入った。  
その谷の間に指をやると、粧裕は身体を強ばらせた。  
乳房を愛撫するのとは違った緊張をみせた。  
「恐い…ですか?」  
粧裕はこくりと首を縦にふった。  
黒く艶のある髪は猫っ毛のようで、それは柔らかく彼女の輪郭を縁取っているが、頷いたことで乱れた。  
照は前髪を指で整えてやり、かたち良い額にキスをした。  
下着の中に手を入れた。  
ささやかな恥毛の感触のその下には、柔らかな肉と湿り気があった。  
軽く差し入れてみると、そこは少しぬるついている。  
そうと照が考えていると、粧裕も気づいた。  
「恥ずかしい…」  
かわいらしいと照は思った。  
愛しさと、粧裕への好奇心から、指を先に進める。  
湿り気の源は、照の指の関節をひとつ受け入れて、たちまち拒絶した。  
「あっ、いきなりは嫌。……痛い、です」  
「はじめてですか?」  
粧裕は心細そうに頷いた。  
照は、自身の疼きが先を急かせるのを押しとどめ、粧裕への愛撫を続けた。  
谷間を指の腹で擦り、反応の良いところを探る。  
敏感であった肉芽にあたると、小さな悲鳴のような声を発した。  
それを繰り返すうちに、指に絡まる愛液が溢れはじめる。  
谷間の奥を再び探ると、ぴちゃりと濡れた音を立てた。  
 
粧裕は、すっかり身体の緊張を解いていた。  
手の指や足先は、この冬のことだからまだ冷たい。  
けれど、その胸元や額には汗が浮かんでいる。  
頬を紅潮させ、吐息をつむぐ唇は赤く染まっていた。  
彼女の体液を味わいたいと、照は思った。  
口づけを求め、汗を舐め、そして、指での愛撫をやめて、谷に舌をのばす。  
指よりも軟らかな動きであったのだろう、粧裕は、次第にあえぎはじめた。  
 
「ん……あ、あっ!あっ……あ!」  
 
舌ですくい、啜り、飲み込むよりもはやく、粧裕の身体は、愛液を滴らせた。  
それはソファーのカバーに点々と染みを作った。  
潔癖症のてらいがある照は一瞬目には止まったが、それもかまわないと思った。  
粧裕のものだから、愛しかった。  
 
「んん――!んっ…!あ、あ――!だめ!」  
 
膣の入り口と肉芽を交互に攻めると、粧裕は脚を立てて全身をこわばらせ、やがて達した。  
 
「検事さ……魅上、さん……」  
「私のことは、照と」  
 
粧裕は、うっとりと微笑んだ。  
恍惚となる粧裕の表情を眺めていると、粧裕が視線に気づく。  
伸びやかな腕と、それに似合う伸びやかて白い指が照の頬に触れた。  
粧裕のほうからキスを欲したので、照はそれに応えた。  
たどたどしい舌使いながらも、情熱の込められたキスだった。  
 
照が粧裕の脚に手をやると、粧裕は素直に従った。  
粧裕の脚の間に照が入り込むと、硬いモノがあたる。  
粧裕の表情から蕩けた様子が薄まった。  
覚悟を決めたようであっても、恐いものは恐い。  
男がどれだけ優しく接したところで、それは、  
一度も交わったことの無い身体にとって凶器であり、脅しであった。  
 
照は、粧裕に教えようと、手を導いて触れさせた。  
初めて触れた男性器の感触に、粧裕の手が戸惑う。どうしたものかと、指は動かない。  
触れ方は愛撫とはとてもいえたものではないが、恋しい人の指先だから照のモノは反応した。  
ぴくりと起き上がると、粧裕の谷間を滑った。  
「あっ」  
指とも舌とも違う感触に、粧裕はまた表情を変える。  
白い粧裕の手が、よりどころを探して、照の肩にしがみついた。  
「照さん……照…さ…――私……」  
全体重が粧裕にかかっているように思えた。  
不安と期待がないまぜになって、心臓は今にも止まりそうなくらい鼓動が早い。  
息が苦しくてならなかった。  
「痛っ………!」  
彼女の入り口を刺激したらしい。  
破瓜の傷みと恐怖から、気持ちでは迎え入れようとしているのに、腰が逃げてしまう。  
それでも粧裕は完全に止めて欲しいとは請わぬし、照としても、止めたくは無かった。  
 
 
「あ――あ…………!」  
ようやく粧裕を追いつめた。  
狭い肉壁の感触があった。照のモノは、やっと粧裕の奥を許されていた。  
肉壁は何度となく照を異物として拒否を繰り返すが、貫いた今は、そんな抵抗も刺激でしかない。  
 
愛液は一旦乾いてしまったが、中で動かすと、次第に滑りが溢れた。  
とはいえ、それは舌で刺激したときのようにはならない。  
さぞ苦しいのだろうと理性は己を責め同情もするが、性の快感を味わう  
身体のほうは、犯すに値する身勝手な理由を探していた。  
 
「あ……あ、っ!」  
ひりつく傷みが繰り返される。  
止められるのならば止めて欲しいと思う。  
そんな苦しみ耐えながらも、粧裕は照の動きにのみ、合わせた。  
自分を犯している男の顔を見上げると、愛していると感じた。  
それだけで、この苦痛もなにもかもを許せるような気がした。  
 
「……あっ、あ、あ!」  
揺さぶられる度に呼吸は切迫してゆく。  
それがただの息切れではないことを、粧裕自身は自覚した。  
 
「あっあっ……あ、あ――――!」  
 
 
「……粧裕……っ!」  
粧裕の嬌声に照の荒い呼吸が入れ乱れる。  
繋がっているそこは粧裕の淫らな湿潤によって水音を発していた。  
ほんの少しの粘り気を含みながら、照の肉欲に絡まりながら床まで滴った。  
照も限界を迎えそうだった。  
いつ崩壊してもおかしくない状態で、粧裕の中でいっぱいに膨らみながら、  
亀頭は子宮の入り口を突いた。  
その最奥の一点は、粧裕を絶頂に導いたらしい。  
 
「だめ……ああ、わたし…私……もう!」  
粧裕の甘い声を合図に、照も熱いものをほとぼらせた。  
 
ソファーには体液の染みが残された。  
粧裕の脚の間からは、照の精液が漏れ伝っていた。  
 
着ていたシャツやら下着やらが散乱するひどい光景を、照も粧裕もぼんやりしていた。  
窓の外の様子は、もはや朝ではない。昼近いのだろうと考えると、たしかにそうだった。  
粧裕は、シャツを肩に羽織って、バッグをたぐり寄せると、携帯を確認した。  
母親からの着信履歴に気づいた。  
「お母様には早く連絡したほうがいい」  
「うん。きっと心配してますよね。でも、もうちょっとだけこのまま照さんの側に居たいんです」  
「……そうですか」  
胸に頬を寄せて甘える粧裕の頭を、照は優しく撫でた。  
 
「ねえ、照さん」  
「はい」  
「私『一目惚れってしたことある?』って、兄の婚約者に以前聞かれたことがあるんです。  
そのときはまだ中学だったから、ちっとも答えられなかった。  
今なら答えられそうだなと、思いました。照さんはどうですか?一目惚れ……でした?」  
少し考えるように、照は間を置いた。  
その時間を粧裕が不安そうに見つめると、照は抱きしめた。  
「そうですね。一目惚れかどうかは分かりませんが、  
こうして粧裕さんと出会えた偶然は、神にってもたらされたものではないかと」  
ふふと、粧裕が笑った。  
「一目惚れって言ってもらえないの、残念です。  
でも、神様のお引き合わせだなんて思うのは、私よりずっとロマンチックですね」  
それは心からくつろいでいる、とても美しい微笑みだった。  
 
粧裕は母親に連絡を取った。  
夕方前までには京都に着くのでそれまでに駅で待ってなさいと言われ、  
旅館にも行かねばならないと、仕度をととのえはじめた。  
照のほうも付添と見送りをするべく、仕度した。  
 
京都駅に行くと、母親は法事用の喪服姿で待っていた。  
「もう、連絡が取れなくて心配したわ!本当に夜は無事だったのね?」  
「うん。この通り無事よ。どうにか旅館に戻ったし…」  
粧裕は嘘をついた。  
「まったく、どうにか、って……ちゃんとひとりで戻れたの?」  
「それはさっき説明したじゃないの。そのときこちらの魅上さんに送ってもらったって」  
と粧裕が言うと、幸子は照に向って深く頭を下げた。  
「この度は、お手数をおかけ致しまして申し訳ございませんでした。  
本当に、本当に、娘のことをありがとうございました。  
介抱して下さったのが検事さんと伺って、こちらもほっとしてましたところです……」  
「気になさらないでください。たいしたことはしておりません。  
なによりもお嬢さんの身に何事も無くて良かったですね」  
と返すと、幸子が再三頭を下げている間に、粧裕はいたずらっぽく笑った。  
結構ちゃっかりしているのだなと、照は、軽く嗜めながら、微笑みを返した。  
 
 
新幹線のホームで、見送る照を粧裕は後ろ髪引かれる思いで見つめた。  
新幹線が動き出して、比較的すぐに、粧裕はトイレに行くと行ってデッキに向かった。  
着歴は、母親を除いて兄のものもあった。さっそく兄の月に電話をかけた。  
「粧裕か。お母さんに聞いたけど、本当になんでもないんだな?」  
「うん。心配かけてごめんね。あの、お兄ちゃんだけには大事なご報告がしたくて。  
…私、好きな人が出来た」  
「は?」  
さすがの兄も驚いたらしい。電話口からでも戸惑いぶりが窺えた。  
「…そうか。まあ、詳しいことは今度だ。がんばれよ」  
「うん。がんばる。お兄ちゃんもがんばって」  
粧裕は電話を切った。  
 
入れ替わるようにして、照からも電話があった。  
「照さん!」  
「さっそく連絡してしまってすみません。お母様は私達のこと疑ってませんか?」  
「大丈夫ですよ。あの…電話が嬉しいです。私、さっきからとても寂しくて。  
分かっていただけますか?こんな気持ちは初めてなんですよ」  
「私も…同じです。粧裕さんが側に居ないのは」  
「またすぐ会ってくださいますね?こんなふうに連絡もたくさん下さいますね?」  
「はい。電話はマメにします。東京へ行く用事は多いので――――」  
 
 
 
――そのとき、携帯の電波が遮断された。  
トンネルに入ったからだろう。  
どう掛け直しても繋がらなくなったので、しかたなくメールを返した。  
 
 
 大好きな照さんへ。  
 東京で待ってます。  
 
 
電波は、粧裕が席についてしばらくしてから、繋がったらしい。  
メールの返信を受信する。  
 
 
必ず。またどうか  
会ってください。  
 
愛しい粧裕さんへ  
 
 
 
 
――とあった。  
 

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