2010年春。今や無人となった孤児院ワイミーズハウスの門扉の前に、静かにたたずむ若い女性の姿があった。  
彼女の名前はリンダ―――偽名だが。  
 
かつてLの後継者候補の一人として育てられた彼女に与えられた通称だ。Lの後継者とならずにこの孤児院を出た後も、  
彼女はこの偽名で呼ばれ続けていた。  
孤児院の仲間たちからではなく、世間から。画壇から。賞賛の意を込められて。  
 
皮肉な話だと思う。自らの本質を隠すための偽名が、いつの間にか自分を最もよく表す単語となり、  
可能性はゼロに限りなく等しかったとしても、ひとつ間違えれば世界を影から動かす存在―――Lになっていたかもしれない自分が、表の世界で評価を受け名声を得ているのだから。  
 
 
リンダは門に手をかけた。無論堅く閉ざされている。  
「まあ、当然よね」  
開錠用具を取り出し、かちゃかちゃといじる。すぐに鍵は開いた。このくらいのことならこの孤児院で暮らしていたころからできる。  
もっとも、彼女は「つかの間の脱走」を企てるような問題児ではなかったが。  
 
孤児院の庭を当て所なく見て回る。自然と浮かんでくる、毎日を一緒に過ごした仲間たちの顔、顔、顔。  
その中で最も印象深いのが、メロとニアだった。常に院の中で一番と二番を独占していた二人。  
才ある子供たちが集められた院の中でも、彼らは異彩を放っていた。  
二人の顔を思い浮かべると、リンダの思考は否が応でも「あの時」に引き戻される。  
 
 
それは約半年前、2009年の秋。  
ワイミーズハウスの責任者ロジャーを通じて日本の警察からコンタクトがあり、リンダはメロとニアの似顔絵を提供した。  
何故メロとニアの似顔絵を日本警察が欲しがるのか。詳細は訊かなかったし訊いても明確な答えは返ってこなかっただろうが、  
キラ事件の捜査になんらかの関係があるのだろうとリンダは察した。  
ほかならぬロジャーを介しているという点に加え、メロとニアの二人が今もキラ事件の捜査をそれぞれ行っているに違いないという確信があったからだ。  
世界がキラにひれ伏した中それでもキラを追う日本の捜査員たちに好意を持ったということもあったが、それ以上にメロとニアの安否が判れば…という私情もあったのかもしれない。  
しかし、結局今に至るまでメロとニアの行方はわからないままだし、自分の似顔絵が何かの役に立ったのかどうかもわからないままだ。  
 
しかし、世界に変化は起きた。それはキラの裁きの突然の停止。  
1月の終わり頃から今日に至るまで、キラによる犯罪者への裁きは一回も起こっていない。  
過去にもこのような事例はあったため、人々は様子見を決め込んでいたが―――しかし、それも終わりつつある。  
世界は、確実にキラが現れる前の姿に戻ろうとしていた。  
 
 
人気の無い院の廊下をゆっくりと歩く。とても懐かしく、そしてとても寂しい。人間の生活臭がもはや感じられないせいだろう。  
ワイミーズハウスから子供たちが消えたのは、リンダが似顔絵を日本警察に渡した直後のことだった。いや、ワイミーズハウスから子供たちが消えただけではない。  
かつてこの孤児院で暮らし、自分のように自立して暮らす者までもが一人残らず一斉に世界から消えたのだ。  
 
「これより48時間以内に、リンダがリンダであると示す証拠全てを隠滅してください」  
 
突然発せられた、ワイミーズハウス出身者全てに発せられた緊急メッセージ。  
「リンダがリンダであると示す証拠」―――すなわち、ワイミーズハウスとの、そしてLとの関係性を匂わせる物的証拠・情報を破棄し、  
可能な限り外部との接触を遮断せよという指令。  
かつてあのLの後継者候補として育てられていた以上、どんなに一般人として生活したところで思わぬ危機が襲ってくることはある。  
リンダの場合多少の名声を得てしまっていたというネックはあったが、行方をくらますこと自体はさして難しいことではなかった。  
しかし、リンダの胸には言いようの無い不安が浮かんだ。  
自分が似顔絵を描いた直後のこの事態。  
自分は知らない間に、何か押してはいけないスイッチを押してしまっていたのではないか。  
しかし、発信元不明のメールは何も教えてはくれない。  
わかったのは、発信者の名前―――――――――――「N」のみ。  
 
 
 
 
その「N」から、先のメッセージの内容を解除するという旨のメールがあったのが1月の29日だった。  
そしてそれ以来、キラの裁きが一度たりとも行われていないという事実。  
誰も言ってくれなくてもわかる。詳細はわからなくとも、結論だけはわかる。  
 
キラは倒されたのだ。「N」、すなわちニアによって。  
 
 
 
憎むべき殺人鬼が倒されたというのにリンダの心がいまひとつ晴れないのは、似顔絵の件に加えてメロとニア―――とりわけメロの行方が  
結局何もわからなかったせいだ。ロジャーに訊けば何か判るのではないかとも思ったが、彼はNの最初のメールの時に行方をくらませて以来まだ「表」に帰ってきていない。  
この孤児院がもぬけの殻のままであることがその証拠だ。  
 
 
「ひょっとして、もう帰ってこないつもりなのかな…」  
 
Lの後継者を育てるという役目に、一区切りがついたから?  
そしてリンダは、もやもやした気持ちをかかえて、半ば不貞腐れ気味に古巣を訪れてみたのである。  
 
 
ふと違和感を覚えた。左手に見える部屋の扉が少し開いている。  
それだけならどうということもないが、かすかに人の気配を感じたのだ。  
 
空き巣? それとも、近所の子供が忍び込んで?  
気配を殺し、慎重に歩を進める。どうやら複数の人間ではないようだ。  
ゆっくりと部屋を覗き込み、そしてリンダは息を呑んだ。  
 
 
 
ふわふわした柔らかそうな髪。横顔の頬は記憶の中の彼と変わらず白く丸い。  
ゆったりとしたパジャマ姿で、手にしたロボットを弄んでいる。座る姿勢も昔のままだ。  
5年間ずっとそこで遊んでいたのではないかと錯覚するくらい、なにもかもそのままに、ニアがそこにいた。  
 
 
 
ゆっくりとこちらを見上げたニアと目があう。  
「えっと…ニア?」  
そこにニアがいるのがあまりにも唐突過ぎて、つい馬鹿な第一声を発してしまう。彼が彼であることなど、一目でわかったと言うのに。  
「はい。そういうあなたはリンダですね」  
すでに視線をそらし手元のロボットに関心を向けているのが多少ひっかかるものの、他人に無関心なように見えた彼に名前を覚えていてもらえたことは素直に嬉しかった。  
自然と笑みが浮かぶ。  
 
リンダは部屋に入り、少し距離をとって彼と同じようにしゃがみこんだ。自分だけ立っていると、なんだか見下ろしているようで彼に悪い気がしたからだ。  
肝心のニアは、そんなリンダの気遣いなどお構いなしに二体のロボットをいじくりまわしている。  
 
「キラ事件解決おめでとう、ニア」  
ロボットを持つ手がとまり、ニアの目がリンダを見た。リンダは小さく『勝った』と笑った。  
彼のような他人にどう見られようがお構いなしのタイプには、こちらが先手を打って興味のありそうな話題を突きつけてやればいいのだ。  
「…ありがとうございます。あなた達にも多少の迷惑はかけてしまいましたが」  
詫びているのにあまり申し訳なさそうに見えないのも昔のままだ。  
「他の皆がどう思っているかは知らないけど、私に関してはお互い様なんじゃないかしら。あのメールを飛ばす原因になったのって、  
私が描いたあなたとメロの似顔絵なんじゃないの?」  
「そうですね。それも多少あります」  
「やっぱり」  
あーあ、私、やっちゃったんだ。  
具体的にどうマイナス要因になったのかはわからないが、「もしかして」が現実になった衝撃は大きかった。しかし、すっきりしたのも事実だ。表情には出さない。  
他にもニアには訊きたいことがあるのだ。落ち込むのは後でいくらでもできる、と自分に言い聞かせた。  
「メロは?」  
 
リンダは単刀直入に尋ねた。ニアを相手に言葉をあれこれ選んでもどうせ無意味なのだ。訊きたいことはさっさと訊いてしまいたかった。  
「メロは」  
ニアが答えかけたが、少しだけ目が泳いだような気がした。しかし、次の瞬間には視線はリンダに戻っていた。  
「メロは、私がキラを捕まえるのに必要な最後の決め手をもたらしてくれました」  
「……」  
リンダは何も答えなかった。表情も変えなかった。  
「メロがいなければ、私も私の仲間もキラに殺されていた」  
ニアも表情は変えなかった。視線も、リンダの目からそらさなかった。  
 
 
死んだのね。  
 
ニアの瞳を見つめながら、リンダは心の中で問うた。尋ねればニアは「はい」と言うだろう。でも、それを彼に言わせて何になるというのか。  
自分に対して、メロの死を口に出してはっきり伝えない理由。そんなもの、ひとつしかないではないか。  
 
あの似顔絵が、直接的に、あるいは間接的にメロを殺したのだ。  
 
 
頭を鈍器で殴られたような衝撃があった。胃の奥底が苦しくなる。  
可能性のひとつとして覚悟していたはずなのに、実際のところ自分は何ひとつ覚悟を決めていなかったのだ。  
 
メロ。  
 
メロ。  
 
どんな最期を? 何故? 一人で死んだの? 私のせいで?   
 
 
……私のせいで!  
 
 
「泣かないんですか」  
ニアが問う。責める口調ではない。  
誰もいない部屋であれば、きっとすぐにでもわんわん泣いていたんだろうけれど。  
「一人になってから泣くわ」  
リンダは答えた。  
「ニア、うるさい女は嫌いでしょう」  
 
 
ニアは一瞬考え込むような仕草で髪の毛をくるくるといじり、そして言った。  
「確かにそれはそうですが」  
 
「感情を素直に表すこと自体は、人間として正しいとも思います」  
 
 
最初の涙が一筋流れた後は脆かった。喉の奥から嗚咽が出、瞳から大粒の涙を流し、リンダはわんわん泣いた。  
何もかもが中途半端な自分がどうしようもなく憎く、記憶の中の少年時代のメロがただただ切なかった。  
 
そして、ニアの不器用な優しさが、たまらなく愛おしくありがたかった。  
 
 
 
「…涙が乾いたせいでほっぺがガビガビするわ」  
散々泣きじゃくりようやく落ち着いたリンダの第一声に、どう反応したものだろうかとニアは考えた。  
5年ぶりに再会した彼女との会話は、どうにもペースをつかみ難かった。昔はそんなことはなかったはずだ。  
とはいっても、そんなに多くの時間を彼女とともに過ごしたわけではないのだが。ニアは一人でいることが好きで、リンダはそんな彼を時々遊びに誘う少女。  
ただそれだけの関係だったから。  
 
「ところでニア、あなたどうしてこんなところにいるの?」  
(今更訊きますか、それを)  
やはりつかみ辛い。あまり認めたくない気がしたが、他人から見た自分はこのような印象なのかもしれないとニアは思った。  
「でも、別にどんな理由でもいいわ。会えて嬉しかったから」  
「そうですか。…そう言われて悪い気はしませんね」  
自分はどうだろう。リンダに会えて嬉しかったのだろうか。  
 
「あと…優しくしてくれてありがとう」  
何のことかとニアが目をぱちくりさせると、リンダは少し照れたように笑って視線を逸らした。  
 
メロの死をはっきり言葉にしなかったことと、素直に泣くように促したことを言っているのだろうか。  
だとすれば、自分と彼女が似ているなどと思ったのはやはり勘違いだった。  
自分は他人の些細な好意に、こんなに素直に礼など言えない。…そもそも向けられた好意に気づかないことが多い(らしい)。  
 
「別に、大したことはしていません」  
なんとなくリンダの顔を見ていられなくなって、ニアは長らくほったらかしにしていたおもちゃを再び手に取ろうとした。  
その手にリンダの手が重なる。  
「?」  
「感情を素直に表します。許してね」  
そう言うと、リンダは優しくニアの唇に口付けた。  
 
「―――」  
ニアが言葉を紡ごうとするのを待たずにリンダは二度目のキスをし、そして彼を柔らかく抱きしめて押し倒した。  
 
 
 
 
優しくついばむようなキスを何度もおとされた。優しいのに、言葉を発する隙を与えてくれない。  
「ん……んぅ………ん」  
リンダの舌が催促するようにニアの唇をなぞり、そしてニアを求めて進入してきた。口内を彼女の舌が嬲るが、不快ではない。  
 
 
ようやく唇を離してくれた彼女に、精一杯不愉快そうな表情を作りながらニアは尋ねた。  
「どういうつもりですか」  
「嫌だった?」  
「そういうことを訊いてるんじゃありません」  
嫌だったかと言われれば、嫌ではなかったと答えるしかないではないか。いくらニアが普段動かないとはいえ、女性一人を払いのけることができないわけはない。  
また、仮にはねのけなかったとしても、普段の彼なら唇が解放された瞬間相手を罵倒する言葉をお見舞いする。  
何故そうしなかったのかは彼自身にもよくわからなかったが、とにかく都合の悪い問いからは逃げた。逆に彼女に尋ねる。  
「こういうことは、好きな人にするものではないんですか。誰彼かまわず気安くすることではありません」  
 
リンダはきょとんとし、そして怒ったように唇を尖らせて言った。  
「ニア……あなたね。子供のころ、わたしが一体何回あなたのことを遊びに誘ったと思ってるの?」  
 
言われた意味が一瞬理解できず、しかし次の瞬間には全てを理解してニアは絶句した。  
確かに彼女はたびたび自分を外遊びに誘った。しかし、それは単に面倒見の良かった彼女が一人でいる子供を放っておけない性質だった、ただそれだけのことだと思っていた。  
特別な好意を抱かれているなどとは、今この瞬間まで考えたこともなかった。  
「…ニア、たまには自分が周囲にどう見られているのかを意識したほうがいいわよ」  
表情から察したのだろう、リンダがすこし拗ねたように言う。  
「……そうですね、今度から気をつけることにします。他人の好意悪意に無頓着である自覚はあったんですが」  
自覚があるんなら修正しなさいよ、とリンダは笑った。  
「ね、このまま続きをしてもいい?」  
「続き、というと……」  
このままここで、彼女と。  
キスが嫌ではなかったように、「嫌なのか」と問われれば別に拒む理由はなかった。しかし良識的には問題があるような気がする。  
だがそれを言えば、そもそも自分は世間一般でいうところの良識に基づいて行動する人間ではないか……。  
 
無表情のまま固まってしまったニアに、リンダは彼の頬を撫でながら言った。  
「いいじゃない。どうせ私たち、今日ここを出たら多分もう一生会うことはないんだもの」  
 
ニアはリンダの瞳を見つめた。  
少し寂しそうな笑顔は、昔誘いを断ったとき―――視界の端に少しだけ映った表情と同じだった。  
自分には、ワイミーズハウスに対する執着や感傷的な気持ちはほとんどない。  
だがリンダは違う。ここでの出来事、ニアとの思い出とも呼べないような思い出、そしてメロの死とそれへの罪悪感はおそらく一生彼女と共にある。  
 
抱くことで、少しは楽にしてやれるのかもしれない。  
 
 
ニアが返事をしないでいると、リンダの笑顔は次第に苦笑に変わっていった。馬鹿なことを言った、とでも思っているのだろうか。  
リンダが前言を撤回しようと口を開いた瞬間、ニアは言った。  
「後悔しないでくださいね」  
言葉と共に、ニアは自分に体重を預けるリンダの身体を抱きしめ、そのまま床に押し倒した。  
 
 
舌と舌が優しく絡み合い、お互いを求め合う。ニアはリンダの身体を優しく撫でながら、彼女のシャツのボタンをはずしていった。  
「ね…こんなときに訊くのもなんだけど……ニアは少しは経験、あるの?」  
単純な好奇心でリンダは尋ねた。  
「あるかもしれないし、ないかもしれません」  
なんだそりゃ。  
心の中でつっこんだが、まあどうでもいい話だ。  
ニアの唇は唇から首筋へ移り、手は露になった乳房を弄んだ。  
「んっ…」  
リンダはニアの背に腕を回し、ぎゅっとしがみついた。鎖骨から胸へと降りてくる彼の舌。彼の柔らかい髪が肌に直接あたり、なんともくすぐったい。  
手と舌による愛撫の快感に耐えながら、リンダはニアの頭を撫で、髪を指に絡ませた。子供のころしたいと思っていた、些細な夢だった。  
こんな時に、こんな状況で叶うなんて。なんだか泣きたいような気分になる。  
 
「あっ……やぁ…」  
リンダを現実に引き戻すかのように快感が走る。乳房の先を吸われ、思わず背をしならせた。  
ニアの右手は、既にスカートのファスナーを下ろし彼女の脚を滑らせている。すでにまともな状態で身に着けているものは下着しかない。  
(私ばっかり裸でずるい…)  
まさぐるようにニアのパジャマのボタンに手をかけ、はずしていく。肌と肌が直接触れ合うのが心地よかった。  
外見は五年前と全く変わっていないような印象なのに、やはり身体つきは「男」だ。肌はすべすべしていて、とても気持ちいいけれど。  
 
裸の背に腕をまわし、しがみつくように抱きしめる。子供時代は手すら繋いだこともなかったのに、なんだかおかしな話だ。  
ニアの愛撫は、優しいのに激しい。おとなしそうに見えて実は気が強いのがニアだが、愛撫にも性格が反映されているのだろうか。  
熱い吐息をもらしながら、リンダはぼんやりと考えた。  
 
 
「ねぇ…ニア、もう……」  
腕に、胸に、腹部に、脚に唇を這わせるニアにリンダはせがんだ。  
「そうですね…」  
ゆっくりと顔をあげたニアは、そう言いつつすぐにはリンダの欲しいものをくれない。息がかかるほど顔を近づけ、じっと瞳を見つめる。  
「やぁ……そんなふうに見ないでよ」  
改まって見つめられると何故だか途端に恥ずかしくなり、リンダは羞恥に顔を赤く染めた。思わず顔をそむける。  
ニアは一瞬なにか言いたげな顔をしたが、次の瞬間にはリンダの顎をつかみ強引に口付けた。  
そしてそのまま、熱く滾った自身をリンダの秘部に押し当てた。  
 
 
「んっ……あああっ!」  
甘い声でリンダは鳴き、ニアの背に爪を立てた。その痛みも今は快感につながる。  
息を荒げながら、無言で腰を動かす。ニアは加減など知らなかったし、知っていたとしても出来そうになかった。  
 
こんな状況で快楽に溺れているというのに、ニアの頭には冷静な一部分が常に残っていた。  
こういうときは頭の中を空にするのが人間らしいような気もしたが、自分はそれが出来ない人間なのだろう。  
その冷静な一部分で考えていたのは、目の前の相手のことだった。  
 
 
わんわん泣いたかと思えば笑って自分のことを好きだと言い、抱いて欲しいと言う彼女。  
好きだと言うくせに、この行為が終われば「もう一生会うことはない」と言う。  
 
理屈が通っていない、筋が通っていない、節度もない。  
彼女の行為だけをなぞれば、普段のニアが受け入れる部類の人間ではないはずだった。  
 
しかし、ニアは泣くのを我慢する彼女を慰めた。慰めたいと思った。  
「会えて嬉しかった」と言われ、悪い気がしなかった。  
キスをされても拒まなかった。  
様々な感情に揺れる彼女を、少しでも楽にしてあげたいと思った。  
何故自分がそのように思ったのかが、よくわからなかった。  
 
 
(結局私自身も理屈が通っていない、か……)  
リンダの唇を貪りながら、心の中だけで笑う。  
メロに言わせれば、自分は「冷静で無感情」だったらしい。  
しかし、少なくとも目の前の彼女に対して論理的に説明できない感情を抱くぐらいには、自分にも「人間くさい」部分があるらしい。  
それが少し、嬉しかった。  
 
 
 
熱く締めつけてくる彼女の膣内。互いに限界が近かった。  
見下ろす彼女がせっかく乾いた涙を再び流しているのは、快楽のせいだけではないだろう。  
「ニア…ニア…」  
自分の名を呼びながら泣くリンダに、理屈では説明のつかない感情を――――愛しさを募らせ、ニアは彼女の中で果てた。  
 
 
 
 
服を着終えると、それまでの出来事が嘘のように思えた。  
さすがにロボットいじりを再開まではしなかったものの、ニアはいつものニアに戻っている。もうリンダには見向きもせず、何かを考え込んでいるようにもみえた。  
それでいいのだとリンダは思った。ニアはニアらしく「L」として生きていく。そして、自分にもやるべきことはある。  
思い出を振り返るのは、一旦やめにしなければならない。  
 
 
「今日はありがとう。会えてよかった。……じゃあね」  
リンダは立ち上がり、ドアノブに手をかけた。  
 
「はい。またいつか」  
 
ドアノブを捻ろうとするリンダの手が止まった。振り返ると、ニアと目が合った。  
「『またいつか』ですよ」  
見つめられ、強調するように再び同じ言葉を言われた。  
 
 
リンダは困惑し、驚き、何かを言いたいのに何も言えなくなり――――そして数秒の沈黙のあと、全てを受け入れて困ったように笑った。  
天下の「L」が「またいつか」と言うのだ。それならば、いつか何処かでまた自分と彼はこんな風に同じ時を過ごすに違いない。  
 
「うん。またいつか、ね」  
見つめるニアの顔が、少し嬉しそうにほころんだような気がした。  
 
 
 
終  
 

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