月が死ぬなんて。
誰が何と言おうと彼は私の神で、絶対的な存在。
月がいたから生きれてこれた、月がいたから仕事もこなせた。
でももう月はいない、レムもいない。リュークもいなくなってしまった。
私と月を友達と言ってくれたLも、もう居ない。
消してしまったから。私と月、ふたりで。 今の私には、すがるものは無いに等しい。
わずかな貯金と、一人暮らししている姉だけだ。
姉に頼んで一緒に暮らそうかとも考えたが、やめた。
ゴシップ好きな姉は、芸能活動を辞めた私の話を根掘り葉掘り聞きたがるはずだ…
姉と暮らすのは、どうしても一人じゃ生きれなくなったときのライフラインとして残しておこうと思った。 芸能活動を辞め、いくらかの蓄えで生活してきた私、元女優・弥海砂。
しばらく服も下着も香水も買っていないことにふと気付く。
見せる人がいないんじゃ、そんなものを買っても無駄だ。
(こんなふうに、お婆ちゃんになっていくものなのかなーあはっ)
わざと表情を緩め、笑みをつくった。
平日のお昼前は人通りも少なくて、帽子を深めに被ることもないかもしれないけれど念のため。
もし「ミサミサですよねー」なんて声かけられたら面倒じゃない。
振り返るのも面倒、挨拶するのも面倒、サインや握手はもっと面倒だ。
(あーあ。今日は何食べよっかなー)
何も食べたくなかった。
前はダイエットのために我慢していたスイーツの類も、なぜか食べる気が湧かない。
自炊する気力など、半年前から起きない。
とりあえずコンビニに寄り、餓死を防げるくらいの食料を調達しようと思い、ちらちらと振り返る人たちの視線を無視して、私は早足で歩いた。
コンビニのガラス窓から中を覗くと、店内はよぼよぼのお爺さんがおでんを選んでいるくらいで、他にはさえない中年の店員くらいしか見当たらなかった。
カゴを手にし、インスタントのお味噌汁、ごはん、カップ麺を放り込んでいく。
どれも本当に食べたいものではないので、買い物はスムーズだ。
(雑誌も買おうかなー)
どうせマンションに帰っても暇で仕方ないので、一冊雑誌を買おうと、雑誌の並んだラックの前にカゴを下ろした。
色とりどりに印刷された表紙は、今の私には眩しい…
適当なものを引っ張り、ページをめくったときだった。
「まさかこんなところでミサミサと会えるなんて!」
(うわっ…最悪)
馴れ馴れしい声。きっと図々しいにわかファンだろう。
振り返るのも嫌だったので無視をしたら、その男は私の顔をひょいと覗き込んだ。
「シカトなんて冷たいな…ミサミサ!ひさしぶり〜」
「…!マッツー!?」
それなりの歳のはずなのに少年みたいな顔立ち、真っ黒でくせのある髪。
それは紛れもなく松田だった。
懐かしいやら少し気まずいやらで、再会の挨拶をするときは戸惑ったが、あまりに屈託のない無邪気な仕草に、私まで素になって会話を楽しんでしまった。
コンビニの隅で、まるで小学生のように夢中になって雑談する。
仕事のこと、テレビドラマのこと、アイドルの噂…マッツーの振る話題はどれも子供じみていたが、面白かった。
他人と話すのは半年ぶりのことだ。舌は驚くほど滑った。 どうやらマッツーは、仕事の調査でこのあたりを回っている最中、立ち読みしている私をみつけ、コンビニに入ってきたらしい。
こんなのが警察でいいのかと不安になったが、そんなのは今更だ。
神を殺すことが正しいとされる狂った時代だ、何でも許されるだろう…まあ私も狂ってるけれど。
意外にも、彼は月の話題は出さなかった。
触れてはいけないと思っているのだろうか、月がこの世から本当に消えてしまったんだと、ふと悲しくなった。 「…ねえマッツー、もう一時間以上話してるけどいいの?」
「えっ?何が?」
「仕事中でしょ?怒られない?」
怒られ慣れている彼のことだから、平気だろうとも思ったが。
「うわっ…ごめん、ミサミサ、俺もう行くよ」
「あ、うん!お仕事がんばってねーっ」
まるで嵐のような人だな、お互い子供みたいに大きく手を振り、マッツーの姿が小さくなった頃…
彼はUターンしてこっちに向かってくると、スーツの胸ポケットから白い紙切れのようなものを差し出した。
「これ、持っといて…名刺、新しいの作ったから…」
はあはあと息を切らしながら、どこか自慢気に言っている。
白い長方形の名刺には、肩書き(前よりも昇進している。多分)と、松田桃太というどこか間の抜けた名前が、黒のゴシック体で印刷されていた。
小さく電話番号も表記されている。
「うん、また電話するねー」
親指と小指を立て、アイドルのようなウインクをする。
マッツーもつられてウインクをすると、コンビニをダッシュで飛び出し、今度はもう戻らなかった。
スーツ、似合ってなかったなー。
まるでスーツを着た園児だ。いや、せめて小学生くらいか。 もうひとつ増えたライフラインをそっとポーチにしまい、会計を済ませた。
延々と長話をしていた私に店員が冷たい目で睨んできたので、100円玉を募金箱に放り込み、さっさと店内を出た。
実のある話などひとつもしていないのに、心はクリア。透き通っている。
(ありがと、マッツー。)
心でお礼を言うと、マンションへと軽快に歩き始めた。
ライトと同棲していたマンションに住み続けるのは多少迷ったが、やはりここは私の聖域だ。
壁紙も、ベッドも、全部半年前のまま。
本当は月は生きていて、「馬鹿だなミサは 僕が死ぬわけないだろう?」なんて、皮肉めいたことを言いながら帰ってきてくれるんじゃないかと思う。
ノートを片手に「何をぼーっとしてるんだ?」とか、呆れた顔で頭を小突いてくれるんじゃないか、と。
今までのことは全てドッキリで、月もレムも、竜崎さんも…みんなどこかで生きていればいいのに。
…そうだといいのに。
夜の時間はあっという間に過ぎてくれる。
そのへんで買って来たもので食事を済ませ、テレビか雑誌を眺めつつ、夜がふけていくのを待つのだ。
今夜は少し早めのシャワーを浴び、ベッドに潜り込んだ。
初夏で冷房の入っていない室内は蒸し暑かったが、シーツを頭まで被り込んで目を閉じると、真っ暗な瞼の裏に色んなものが浮かび上がってきた。
パパのこと、ママのこと、姉のこと…月との出会い、レム、ジェラス、竜崎、ヨツバ…それに、昼間マッツーと話した情景も。
(なんで私、生き残っちゃったんだろう)
一番死ぬべきなのは、私だったんじゃないのか。
孤独感で胸が張り裂けそうになり、シーツにしがみ付くようにして、泣いた。
・
・
ひとしきり泣くと喉がからからになったので、リンゴジュースの入ったペットボトルに口をつけ、一気に飲み干した。
甘くてやさしい味が、口と喉を潤してくれる。
ピンポーン
誰、こんな時間に?
かつてのモデル仲間にも、このマンションの所在は言っていない。
強盗だったりしたらどうしよう。
とりあえずペットボトルを握り締め、聞き耳をたてて様子を伺った。
ピンポーピンポピンポピンポ
連打されるインターホン。
気味が悪いと思いつつも、ドアに近づき、丸い覗き穴を覗いた。
「…マッツー!?」
「あはは。びっくりした?ミサミサ」
こんな時間に来るなんてと思ったが、マッツーのことだ、悪気は一切無いのだろう。
散らかってますがどーぞと言い、お客さん用のルームシューズを引っ張り出して出迎えることにした。
「ごめんねこんな時間に…」
「ううん、気にしないで。どうせ暇だしね」
どうやら、私がまだ月と同棲していたマンションに住んでいることを知っていたらしい。
ソファの上のクッションを寄せていると、いくつもの缶チューハイを入れたビニール袋を押し付けられた。
「え、何?」
「おみやげ。たまには飲むのもいいじゃん。思いっきり」
ヤケ酒なんかしたらむくんじゃうじゃないっ、この元女優のプロポーションが…と言おうと思ったが、
マッツーは真面目な、どこか心配そうな表情だったので、ひやかすのはやめた。
本気で心配してくれているのかもしれない。
この、みじめで孤独な私のことを。
「じゃあ一緒に飲もうよ、マッツー」
「オッケー!飲もう飲もう」
しばらく開けていなかった食器棚を開け、細工の施されたグラスを取り出した。
ガラスに映った私のまぶたは腫れていて、さっきまで泣いていたことが一目瞭然だ。
なのに、マッツーは言わないでいてくれる、涙の理由も、月のことも…。
ほんとはいい男なんじゃん?
似合わないスーツのまま、きょろきょろしているマッツーを見て思った。
「座っててよ、マッツー」
「あ、うん」
まるで子供みたいだ。
[松田side]
やっぱり泣いてたんだ。
ミサの腫れた目が悲痛で、僕はできるだけ直視しないようにした。
立ったまま周囲に視線をやると、月くんの趣味だったのか、どこかアンティーク調で高級感のある家具が並んでいる。
「座っててよ、マッツー」
「あ、うん」
僕、子供みたいじゃないか?
昼間会ったミサミサが、かつての面影もないくらいに表情を曇らせていたから慰めに来たというのに。
とにかく、人間は飲んで話して騒げば、多少は楽になるはずだ。どんな悲しみを持った人間でも…。
今日は月君の話も、事件の話もなしだ。
明るくいこう。
ソファに座っていると、ミサミサがグラスを持って来た。
「おまたせー」
「あ、お気遣いなく…」
缶チューハイを開けて乾杯する。
二人の再会と、これからの人生に、だ。
アルコールが入ると双方饒舌になり、子供のころの話や芸能界の噂、会話はぽんぽん弾んだ。
ミサミサも笑っている。
よかった、多分これは作り笑いじゃないよなと、自分で自分を褒めてやりたくなった。
テレビをつけると、新人お笑い芸人のネタが披露されていた。
「あっこれ、僕好きなんだ」
「へーそうなんだー」
ブラウン管の中では活き活きとパフォーマンスを見せる芸人と大きな笑い声が響いていて、
世間からはキラとか殺人事件とかは、まるごと忘れ去られているかのような錯覚に陥りそうだ。
クッションを胸に抱え、じっとテレビを眺めるミサミサの横顔を盗み見る。
彼女はどこか視点の合わないうつろな瞳で、再び泣き出してしまいそうな表情を浮かべていた。
「あ、ミサミサこういうお笑いは好きじゃなかった?歌番組でもかけてみようか」
慌ててリモコンを握り、チャンネルを変える。
できるだけ明るい番組がいい。
チャンネルを次々と変えるも、この時間帯に歌番組はやっておらず、ニュース速報だの事件のドキュメンタリーだの、
番組のBGM自体からして暗そうなものばかり放送されている…
結局初めのお笑い番組にチャンネルを戻し、黙ってチューハイの缶に口をつけた。
妙な沈黙が流れる。
こうなったらベランダ淵に立って、一発芸でもして盛り上げるか…?
「ねえマッツー」
「…ん!?」
ミサミサからの問いかけに、待ってましたとばかりに身を乗り出す。
「今日は飲もうよ。マッツーも飲みたかったんでしょ?まーた上司に怒られたんじゃないのー?」
「そ、そうなんだよ!やっぱり見破られちゃったかー」
「あは、イッキしよう、イッキ!」
強いな、ミサミサは。
チューハイを一気飲みしながら思った。
・
・
アルコール分の弱い酒でも、何本も何本も飲みゃーそりゃ酔いますよ。
買って来たチューハイを全て飲み干してしまった僕は、すっかり泥酔状態だ。
いい感じに体が熱く、脳みそがふわふわ浮いているようだ…きもちいい。
ミサミサはソファからずり落ち、カーペットの上でごろりと横になっている。
元モデルとは思えないような体勢だ…
「風邪ひくよー、ミサミサァ〜」
僕も床の上に寝そべり、彼女の肩を掴んで揺さぶった。
--続--