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はじめて女を抱いたのは、15の時だった。
マフィアに入りたての頃…俺がまだ組織の中心に入り込む前に。その筋でヘマをした女を、仲間内で輪姦した。
今思うと、あの頃は最悪だったな。
子供と大人の中間地点。女への興味は、人並みにあったから。
女はいつだって、力あるものを求める。
マフィアの人間に寄って来る女は、後を絶たなかった。
「やーん、この子可愛い!」
「ねぇねぇ、ボスぅ、この子食べちゃってもいい〜?」
「ボウヤ、お姉さんと良い事しよっか」
チャラチャラと着飾った女達が寄って来る。個々の顔なんて認識できない。どれもこれも、同じに見えたから。
女達が求めるままに、俺はそいつらを抱いた。
施設にいる頃には想像もつかなかった生活、経験。
仕事に行き詰まった時。ニアの噂を聞いて焦燥感に駆られた時。
イラつきを収めるために、ただただ、性欲を満たすためだけの行為を繰り返す日々が続いた。
こってりつけた、人工的な香水の香り。
化粧の匂い。精液の匂い。
無駄につけた胸や腰の脂肪。
赤いペディキュア。
…女臭ぇ。
どこを触れば女が身悶える?
なにをどうすれば女が悦ぶ?
経験を重ねる度に、自然と判るようになってくる。
指を挿れる。肌を撫でる。歯を立てる。
単調な行為の繰り返し。
どれだけ酷い事をしても、沸いて出てくるような女共に、俺はいつからかうんざりするようになっていた。
抱いた女ってのは、何かにつけキスを求めてくるもんなんだな。「愛してる」だの、「キスが好きなの」だの言ってさ。
俺はキスが嫌いだ。
女臭い匂いだけじゃなく、口までもが、女特有のねっとりしたもので侵されるのが嫌だったから。
俺の口の中はチョコだけで十分だ。
だから、どれだけ女と肌を重ねても、口付けることだけは絶対にしなかった。
あれから、5年。
「っ……」
「んっ…ぁっ……」
行為が終わって、一瞬の余白があって。
俺はそのまま、ハルの上に崩れ落ちた。
呼吸を乱して、肩で息をするハル。腕を俺の背に回し、力を入れるでもなく、柔らかに絡みつく。
汗ばんでしっとりと紅潮した首筋からは、甘い香りがした。
いつもは、やることをやった後は即座に女から離れ、シャワーで女の匂いを洗い流す。
射精が済んでしまえば、熱は急激に下がり、相手への興味も薄れるからだ。
だけど、今日に限っては。
「………そろそろどいてくれないかしら?重いんだけど。」
ハルにそう言われるまで、俺はずっとハルに体重をかけたまま崩れこんでいたことを忘れて、顔を埋めていた。
「うるさい。黙れ。」
とっさに言い返す。
「あぁ、怖い。」
くすくすとハルは笑った。
別にこの女に、愛だの恋だのの恋愛感情を抱いていて抱くわけじゃない。
ただ、俺を部屋にかくまった。俺が手を出しても拒まなかった。それだけのこと。
「…お前。」
「なぁに?」
「甘い匂いするんだけど。」
「あぁ。」
再びくすりと笑う。
「ベビーパウダーよ。私、香水はつけないの。」
頭がくらっとするほどに匂う女の香水は当時から大嫌いだったが、この香りは嫌いじゃない。
菓子みてぇ、と言おうとして、言うのをやめた。この女はたまに俺をガキだと言って笑いやがるから。
その代わりに、はっ、と鼻で笑う。
「しばらくはこのまま動いてくれないのかしら?」
余裕ぶった口調でハルが囁く。
「…………。」
顔を埋めたまま、俺は無視を決め込んだ。
「……そ。」
俺の背に回した手の指をつつっと動かし、そのまま皮膚をなぞる。指はやがで俺の首筋まで動き、傷の跡がある場所まで来ると、そっと離れて掌全体でその部位を包み込む。
「ひどい傷なのね。」
「…………。」
この女は、こっちが黙ってしまえば、それ以上詮索するようなやぼなことはしない。
ふいに、ハルが顔を近づけて来た。ブロンドの軟らかい髪が、ふわりと頬を掠める。
「!」
反射的に、顔を背ける。
「?…どうしたの?」
拒否されたハルは、一瞬不可解な表情を浮かべると、そっと遠慮がちに距離を取った。
「キスはするな。」
「…なんで?」
「うっせ。嫌いなんだよ。」
そう言うと、俺はふと、香りの呪縛から解かれたように、体からハルを引き剥がしにかかった。
そうだ。このまま、いつものようにシャワーを浴びてしまおう。匂いを落として、服を着て、いつもの自分に戻ればいい。
熱が急に冷めて、ベッドから立ち上がる。ハルは無抵抗だ。
今までの女だったら、ここで「あなたは冷たい」だの「信じられない」だのピーピー喚いて来るんだが…まぁ、比べるのもおかしな話か。
ふと、後ろを振り返った。
ベッドに1人、ハルが横たわっている。ついさっきまで、俺が抱いていた女。
一糸纏わぬ姿で、縒れたシーツの上に体を擡げてこちらを見ている。
俺は一瞬面食らった…ハルはくすくすと笑っていたのだ。
「…何笑ってんだよ。」
不気味に思った俺は思わず聞いた。
「ふふ、何だかおかしくて。」
「はぁ!?」
「あなた、まだ子供なのよ。」
「どういう意味だよ。」
子供?ふざけんな。俺はかっとなってハルに詰め寄った。
「キスってね。相手のためにするのよ。」
シーツをかき集めながら、ゆっくりと唇を動かす。
「意味が分かんねぇ。」
「あなたがしてることは、全部、自分のためじゃない。」
体にシーツを巻きつけて、立ち上がろうとしながらハルは続けた。
「愛撫だって、濡れて挿れやすくするためだけでしょう。パートナーを歓ばせようなんて気持ちは微塵もないし。」
「……。」
「私がもっと欲しいって言っても、自分が終わればそれで終わり。でしょ?」
床に散乱した下着を拾いながら、さらに続けた。
「セックスに限ったことじゃないけど…捜査だってなんだって、結局は自分のためで、誰かのためを思ってやってることなんて、1つもないじゃない。」
「っ!!」
俺はかっとなって、ハルの首を両手で掴んだ。
ギリ…ギリギリ…
そのまま、その細い首を締め上げる。
子供!?ふざけるな!!俺はもう大人だ。今までだって、誰にも頼らず全部一人でこなして生きてきた。お前にそんなこと言われる筋合いはない!!
「…っはぁ……」
ギリ…ギリギリ…
苦しそうに顔を顰めるハル。暗がりながらに、白い肌がみるみるうちに紅潮していくのが分かる。
「黙れ!思い上がるな!」
ギリギリギリ…
「何か勘違いしてるみたいだがな、俺はお前を何とも思っちゃいねーんだよ!!」
「ぁっ……」
俺の腕にかけたハルの指から、段々力が抜けていく。
何が『あなたは子供だ』だ!
お前は何様だってんだ!
俺は完全に頭に血が上っていた。
突然、抵抗していたハルの指が、俺から離れた。
再び、俺の頬に手をやる。
潤んだ瞳で、俺をまっすぐに見つめる。苦痛の中にも微笑みを浮かべて。
そして、全てを受け入れたかのように、ゆっくり目を閉じると、そのまま俺に身を委ねた。
「………。」
途端に、全身を何か痺れるような感覚が駆け巡った。
度の強い酒を、背中に掛けられたような…
さっと血の気が引くのを感じた。
手の力を緩めると、ハルはどさりと床に崩れ落ち、ケホケホと喉を鳴らした。
シーツが完全に取れてしまった肉好きの良い白い肢体は暗闇の中で優しく淡くひかっているように見える。
俺はハルを見下ろす形で立ち尽くしていた。
今起きた出来事がよく理解出来ず、只々、体を丸め、息を整えているハルを見下ろす。
なんでこの女は抵抗するのを諦めたんだ?
なんで、俺は、抵抗されなくなった途端、こんな妙な気持ちになった?
…分からない。
「…あなたは何とも思っていなくても。」
そんな俺の気持ちを読み取ったかのように、ハルが小さく囁いた。
「私はあなたの事、愛しているのよ。」
「……。」
……愛?!
思いもしない言葉を受け取り、俺は面食らった。
「冷たくされて…さっきはちょっと意地悪を言ってみたくなったの。」
体をよじると、上半身だけ起き上がり、俺を見上げる。
「あなたになら、殺されても良いと思ったのよ。咄嗟に。」
「…惚れた弱み、ってやつね。」
そう言うと、ハルは弱々しく微笑んだ。
それは、いつもこの女が澄ました顔で見せる、生意気めいた微笑みとは違って…本当に、本心からの微笑みだった。
胸が締め付けられる。
舌がカラカラするのに、胸だけは異様に熱い。締め付けられて、苦しい。
…その瞬間、俺はこの得体の知れない感情が、愛情だということに気づいた。
俺は屈み込み、無言でハルを抱き寄せた。
「!」
「…………ごめん。」
『…ごめん。』…それは俺が、産まれて初めて言った言葉だった。
ニアと喧嘩しても、同級生をいじめても、絶対、意地でも言わなかったのに。案外すんなり口から出た言葉に、自分でも驚いた。
抱きしめられても、ハルは何も言わず、無抵抗だった。
それが彼女なりの返事だと分かる。
ひんやりとした部屋に、ハルの体温が心地いい。
暫く、互いの温もりをじっくり味わうように抱き合った。
人間の体温って、こんなに温かいものだったんだな。今まで幾度も肌を重ねてきたのに気づかなかったなんて。
首筋に視線を落とす。甘いベビーパウダーの香るその首には、たった今俺が付けた締跡がくっきりと残っていた。
「跡…残っちまったな。」
首筋を唇で優しくなぞる。
「ふふ、あなたとおそろいじゃない。」
おどけた口調で、ハルが笑う。
さっきとは打って変って、割れ物を扱うかのように、大事に頬を寄せた。
そして、ゆっくりと唇を重ねる。
「んっ……」
唇と唇が触れ合うかどうかの、軽い、優しいキス。
触れては、離れて。触れては、離れて。
その温もりと感触を楽しむかのように、何度も何度も繰り返す。
少しくすぐったく感じる程度の触れ合いだったが、頭がどんどん痺れていく感じがした。
頭が、真っ白になっていく。
俺は再び、ハルをゆっくりと押し倒した。
痛くないように、そっと。
**************
それからしばらくもしないうちに、俺はハルの家を出た。
ニア側の情報は、時々ハルに電話で流してもらっていた。
そんな日がしばらく続いて。
ついに、SPKが夜神一味と接触を試みることにしたらしい。つまりは、直接対決だ。
…瞬時に、頭の中で様々な推理が駆け巡る。
ニアの奴は、きっと「あの事」を知らないはずだ。
このまま会えば、多分キラに出し抜かれる。
そうなれば、俺も含めて共倒れだ。俺達だけでなく、もちろんSPKのメンバーも死ぬだろう。
…一瞬、ハルの笑顔が脳裏に浮かんだ。
「俺がやるしかないか」
そう言って、ハルと繋がっていたケータイを切った。
俺がやるしかない。
あれを証明して、ニアに知らせなければ。
もう、どっちが1番だの、2番だの、言ってる場合じゃねぇよな。
俺達は1人ずつじゃきっと、Lを超えられない。
自分のためだけに動いている場合じゃないんだ。
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次の日。俺はマットを呼び出し、作戦の最終確認をした。
「…さ。これからが本番だな。」
「あぁ。」
「ま、俺はお前に命をやったも同然だからな。死ぬ覚悟はできてるよ。」
「…ん。」
「メロ、何か遣り残した事はないか?…恋人に別れの言葉を残す、とかさ。」
「うっせ。」
ケラケラと、冗談じみた声でマットが笑った。
「ははっ…ま、冗談は置いといて。俺、タバコ買ってくるわ。」
そう言うと、マットは立ち上がり、そのままふらふらとどこかに行ってしまった。
「………。」
一瞬躊躇ったが、ケータイを取り出し、ハルの番号を探す。
1コール…2コール…3コール…
「…もしもし。メロ?」
ハルが出た。
「おい。俺だ。」
『分かってるわよ。何よ、昨日だって途中で切っちゃ…』
「うるさい。俺は俺で、好きなようにやらせてもらう。」
『は、何よ、どうしたのよ?そんなに熱くなって。』
「とにかく、次に会った時は、俺の行動にあわせて動け」
『…何があったの?何か用事があって電話してきたんでしょ?あなたらしくないじゃない。あなた、何をしようとしているの?』
一瞬の沈黙。
(なんでもねーよ。…愛してる。)
一瞬そんな言葉が頭を過ぎったが、慌てて掻き消す。そんな恥ずかしい言葉、言えるかよ。
「お前さ。」
「?」
「……幸せになれよな。」
『は!?ちょっとどうい…』
ブチッ
ハルの返事を待たずに、電話を切った。掛け直しのできないよう、電源も切る。
向こうにしてみりゃ、意味の分からない電話だっただろうな。はははっ、最後の最後で気が狂ったと思われてたりして。
…ハル。多分、俺はお前の事、愛していたんだと思うよ。
こんな感情は初めてだから、よく分からねぇけどさ。
だけど、俺はお前を守るにはあまりにも悪事に手を染めすぎた。
お前を幸せにするのは俺じゃねぇ。
キラ捜査が全て落ち着いたら、こんな危なっかしい仕事なんて辞めて、俺なんかよりもっといい男見つけて、幸せに暮らせよな。
『自分のためじゃなく、誰かのために。』
…あいつの言葉を思い出す。
はっ、俺も丸くなっちまったもんだな。
パキッ…
チョコをかじる。
空を見上げた。
見事なまでの朝焼け。きっと今日は快晴だ。
俺の読みが当たるとすれば、多分俺は死ぬだろう。
…ニア。
後は託した。
俺の代わりに、キラを捕まえてくれ。ハルを死なすな。
…高田清美誘拐まで、あと4時間25分。
俺は空に向かって、大きく伸びをした。
〜Fin〜