胸の奥がキリキリする。ぎゅうっと、しめつけられたみたいで。  
ドクンドクンと心臓が大きな音で脈打って。  
喉が渇く。体が、あつい。  
一体これは、なんなんだ?  
 
 
『bitter&sweet ーside by メロー 』  
 
 
「おい、女。」  
冷たく言い放って、俺は、銃口をつきつける。  
 
「メソメソ泣いてんじゃねーよ。うぜーんだよ!」  
移動中の車の中で。  
東の国からかっさらってきた女、……ヤガミサユは、いつまでたっても声を殺して泣いてやがる。  
 
普通なら大暴れしたり、大声で泣きわめくもんじゃないのか?  
 
今まで連れてきた女は皆そんな感じだったから、逆に反抗もせずこうやって  
シクシクシクシク泣き続けるこの女に、俺は最高に腹がたっていた。  
 
「…てか、耳に障るんだよ。その泣き方。」  
「ご、ごめんなさい…」  
 
ひっく、ひっくと軽くしゃくりながら、細い声でそう言って。  
…まったく、調子が狂う。俺を恐れてはいるものの、怒りとか、憎しみとか、そんな色はこいつから見られないんだから。  
俺はお前を殺すかもしれないんだぞ?もうちょっとこう、反抗してみたりとかしないもんか?  
 
「あの………ごめんなさい。もう泣かないから」  
 
「…………けっ」  
 
聞き分けがよすぎて、つまらない。俺は向けていた銃をさげた。  
女はホッと小さく溜め息をつくと、俯けていた顔を真っ直ぐにあげた。  
 
キュッと歯をくいしばり、涙をこらえているようだった。  
女の潤んだ瞳を沈みかけの太陽の光が照らす。  
 
俺とは違う、黒い瞳。  
思わず引き込まれるようにして見入ってしまう。  
 
「……?」  
 
俺の視線に気付き、女が小首を傾げて俺を見る。  
かっさらって来てから、まともに顔を見てなかったが、よく見るとかなりの上玉じゃねーか。  
 
こっちの世界の女といえば殆ど俺より年上で、ケバい化粧に、どぎつい香水、  
金のためならなんでもするような汚ねー女ばかりだし。  
 
俺と同い年くらいの、ヌクヌクとした家庭で育ってきた女と接するのは初めてかもしれない。  
 
「あの…………」  
「…………あ?」  
「名前…」  
「は?」  
「あなたの、名前…教えて欲しいなって…」  
そういって、弱々しく笑う。初めてみた、女の笑顔だった。  
 
「………今から殺されんのに、教えても無駄だろ?」  
別に殺したいわけでもないし、取引さえすめば生きて返すつもりだが。  
 
吐き捨てるように言ってやって、女のほうをみる。  
 
「……あ、そっか…そだね。」  
女は、ヒトゴトのように納得して、また悲しい目をして俯いた。  
 
(何考えてんだ?こいつ…)  
少なくとも今まで見てきた中で、「殺す」と宣言されて、こんなに落ち着いてるやつなんていただろうか?  
「………お前、怖くないのか?」  
「え?」  
女が目線をあげる。  
「殺されるかもしれないのに、怖くないのか?」  
「……ああ…そういえば…怖いけど…」  
 
(…そういえばってなんだよ?)  
 
「それよりも…悲しい」  
「……悲しい?」  
 
「…私がいなくなったら、母さんはきっと病気になっちゃうんじゃないか…とか、  
父さんに迷惑かけちゃうんじゃないかとか…」  
女の瞳が、うるむ。  
「……そんなことをずっと考えてて。それに……」  
「……?」  
「大好きな人…お…お兄ちゃん…達に会えないのが…っ…一番…悲しい…」  
そういってポロポロと涙をこぼす。  
 
俺は頭がこんがらがりそうだった。  
 
(なんでだ?なんでコイツは…他人のことばかりを想う?)  
この女は、死自体を恐れてあんなに泣き続けていたんじゃない。  
 
(大好きな人に…会えなくなるから、悲しいから…)  
 
…だから、涙をこぼす。  
 
ふと、なぜだかわからないけど、Lの事が一瞬浮かんで、消えた。  
 
俺は、女の顔をぐいっと掴んでもちあげる。  
「!?」  
「……泣かないんじゃなかったのか?」  
「あ…ごめんなさい…」  
女はそれでも、ポロポロと涙を流す。  
この涙は、恐怖とか、そんなんじゃなくて。  
 
(悲しみの、涙……)  
 
俺は反対の手で、涙に濡れる女の顔をごしごしとふいた。  
 
「きたねー顔…」  
そう言って、掴んでいた手を離すと、女は少しムッとした声で言い返してきた。  
「お、女の子にむかって汚い顔だなんて…ひどい」  
 
膨れっ面で、拗ねた子供のように。  
 
「……でも…」  
「あ?」  
「……ありがとう」  
「……はぁ?」  
 
 
「涙、ふいてくれたから。」  
ニコリ、と笑った女の顔が、夕日に照らされて眩しくて。  
俺は顔を背けた。  
 
「……………。変な女」  
「…女、じゃなくて。  
粧裕。ヤガミサユ。もうしばらくは殺さないでいてくれるんでしょ?  
どうせなら、名前を覚えてもらってから殺されたいわ」  
「…………」  
ああ、ほんとに調子狂う。  
 
 
「………サユ」  
「はい」  
 
「……メロだ。俺の名前。」  
「………。……素敵な名前」  
 
柔らかく、嬉しそうに微笑む。  
 
「……メロ。」  
「……あ?」  
「なんでもない。呼んでみたかっただけ」  
「……………」  
 
サユが口にする俺の名前は、まるで俺の名前じゃないような、澄んだ響きがして。  
 
なんだか急に、耳がむず痒くなるような、胸の奥が締め付けられるような、へんな気分がした。  
 
 
「……もうすぐ着く。お喋りは終わりだ」  
 
俺はそう言って、再びサユの口に布を噛ませた。  
 
 
LAの俺達のアジトについたころには、サユはかなり疲れきっているようだった。  
……そんなことは、俺には関係ないし、興味もないけど。  
 
口を封じて、後ろ手に縛ったサユを車からおろす。  
 
「…はやくおりろ。」  
車のドアを開け、催促する。サユはおとなしく車を降りた。  
 
「こっちだ」  
逃げるとは思わなかったが、念のため腕をつかんで連れて行く。  
サユは不自由そうにふらふらと俺に引っ張られるまま歩いていたが、突然へたりこんでしまった。  
 
「おい」  
 
「………だいぶ衰弱してますね」  
道中を運転させていた男が口を開く。  
 
「…ったく。めんどくせー女」  
 
俺は噛ませているハンカチをほどいてやる。  
サユははぁはぁと荒く息をした。  
「ごめんなさい…大丈夫…」  
そう言ってゆっくり立ち上がろうとするが、足元がぐらついて後ろに倒れこんだ。  
 
「…っと!」  
俺は咄嗟に腕を出して、サユを受け止める。…まぁ、頭を打たれでもしたら面倒だし。  
「あ…ありがとう。メロ…」  
またこれだ。コイツは、さっきから『ごめんなさい』と『ありがとう』ばっか。  
 
「あー、もぉめんどくせーな」  
そう言って俺は、後ろ手に縛っていた縄を解き、サユを抱き抱える。  
 
「きゃっ」  
「…………軽っ」  
思わず声にしてしまうほど、サユはほそっこい体で。「お前、ちゃんとたべてんのか?」  
そんなどーでもいいことまで口にしてしまった。  
 
運転手の男が、そんな俺の様子を間抜けな顔で眺めている。  
 
「……あンだよ」  
「い、いや、ボス…いつになく優し…」  
「ハァ!?」  
 
「い、いえ…なんでも…」  
 
俺が優しいだって?ありえないな。  
この女は大事な取引道具。ただ、それだけだ。  
 
「おい、野郎らに俺が帰ったって伝えてこい」  
「は、はい」  
運転手の男は逃げるようにしてアジトの中へ駆け込んでいった  
 
「……サユ」  
「はい」  
返事をする声は、少し弱々しい。  
(ろくに水もやってなかったしな…)  
サユは意識が朦朧としている感じだった。  
「…もう少しだ、我慢しろ」  
そう言って俺はサユの額に唇をおとす。  
「!?」  
急にサユの目に色が戻ったようだった。  
 
どうしてかわからないが、ふいに思い出したのだ。  
施設にいたころ、俺に目をかけてくれていた保育士は、  
俺が病気になったり怪我をしたとき、必ず額に二度キスをすること。  
 
『元気になるおまじないよ、メロ』  
……そう言って。  
 
 
『……私はね、メロのこと大好きよ』  
 
 
……ああ、もう。余計なことまで思い出してくる。  
 
……大好きなら、どうして…。  
 
「メロ?」  
「……………っ」  
はっと、サユの声で我にかえる。  
 
「ああ……」  
「……大丈夫?」  
「は?」  
「…………苦しそうな顔、してた」  
 
そう言ってサユが心配そうに俺の顔を見上げる。  
目を合わせると、なんだか心を見透かされそうで。  
 
「うるせぇよ…」  
俺は視線をそらせると、サユを抱えてアジトへと急いだ。  
 
 
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆  
 
例えばまるで、12時の鐘がならないでほしいと願ったシンデレラのように。  
 
私もどこかで、この時が もう少し続けばいいのにと、願っていたのかもしれない……。  
 
 
『bitter&sweetーside by サユー』  
 
 
 
メロは私を抱えたまま、ガンッとドアを足で蹴って開けた。  
「あぁ、ボス」「お、メロ」「ボス、お帰りなさい」  
メロに向かって口々にお出迎えの言葉。  
 
(ボス…って…。メロがこのいかつい人たちの……!?)  
 
恐る恐る、あたりを見渡すと、メロよりも遥かに体格のいい、  
いかにも裏の世界ってかんじの人達。  
 
私は思わず身震いをして、メロにしがみついた。  
 
「………心配するな、サユ。お前を殺すのは俺だ。  
……あいつらには指一本手だしさせないから安心しな」  
メロが私の耳元で囁く。  
「う、うん……」  
それって安心していいのかしら?そんなことをモヤモヤと考えていたら、急にメロが私を降ろした。  
 
「おい、お前ら、コイツが例の取引の大事な道具だ!」  
高らかに声を張り上げる。  
長時間同じ体勢で日本からやってきた為に今だ足元のふらつく私の肩を、しっかりと右手で抱いて。  
 
(例の取引…?なんなの?私を誘拐して、身代金でも……)  
 
「へーぇ、すげえなボス。相当の上玉だぜ」  
「いつもみたいに、俺らにまわしてくれるんだよな?メロ!」  
柄の悪い男共が、私を品定めするようにジロジロと眺めては、手を触れようとする。  
 
(なんか…やだ。このひとたちは、嫌!)  
思わずメロの方へ身を寄せると、メロは私を抱くようにして男たちから避難させてくれた。  
 
「勘違いするなよおめーら。コイツは俺のオモチャだ。」  
そういって自分より随分高い身長の男たちに、目をむいて威嚇する。  
 
「いいかテメーら…コイツに手ぇだしたら………、  
 
…………この世に生まれてきたことを、後悔させてやるからな…」  
 
「ひっ…」  
「わ、わーってるよメロ!」  
「そ、そんなにマジになんなって…」  
「……はん!……とにかく手荒いことはするな。今から一応向こうに画像を送る。  
脅すためにも手と口ふさいどけ」  
「わ、わかった」  
「ああ、その前に。水を持ってこい。それから……女、飯は食えるか」  
「え…あ…はい…少しだけ」  
(女、に戻っちゃった…。)さっきまで名前で呼んでくれたのに。  
胸の奥がチクチクして、痛い。  
 
「俺もいつものやつ…」  
「はいよ、ボス」  
 
そういってメロに渡されたのは、冷えた板チョコレート。  
(うわ、また食べるのね…)  
移動中も何枚食べていたやら。  
 
「ほら、女、お前も食え。」  
メロの手下さんが運んできてくれたのは、パンとサラダとソーセージに、お水。  
「次いつ食べれるか知らないぜ?もしかしたら最後の晩餐になるかもしれねー」  
さらりと残酷なことをいってのける。  
「それに」  
「……?」  
「女、お前は痩せすぎだ…もうちょっと…」  
 
「………………サユ」  
「あ?」  
「さっきまでは…サユって呼んでくれたのに…」  
 
なんだか妙に悲しくなって、目頭が熱い。  
 
「名前で呼んでよ、メロ」  
「う………」  
 
ああ、ダメ。泣いちゃう。  
「お前ら!もういい。散れ!コイツは俺が監視しとく」  
「は、はぁ……」  
ばらばらとメロの手下さんたちが消えていく。  
 
リビングには私とメロ。私は必死に涙をこらえていた。  
「……サユ」  
「………」  
「そんなに涙出してたら、体が干からびる。早く水を飲め」  
「う、うん…」  
涙声になりながらも私は涙がこぼれるのをこらえてて。水に伸ばす手が震えた。  
「いいよ、俺が悪かった」  
ハァ、とメロが溜め息をつく。  
 
「……?」  
 
「名前だよ。……だから、泣いてもいいぜ」  
 
「………うっ……ふぇ…」  
途端、溜めていた涙が、まるで夕立のように流れた。  
なんで私は、あんなに悲しかったんだろう?  
メロに、「女」って無機質な単語で呼ばれたのが、切なくて。  
 
 
延々泣き続けて、ようやく涙も枯れてきた。  
「ほら、飲ませてやるから」  
そういってメロは震える私の手の変わりに水を口まで運んでくれた。  
冷たい水が喉をとおる。  
途中、あふれる水が首をつたい、胸元へ落ちた。  
 
メロが水を飲ませてくれるのはいいんだけど、やっぱりちょっと乱暴で。  
 
だけど……  
 
「ひゃっ……」  
 
 
突然、彼の腕の中に引き寄せられた。  
メロは私の胸元から、水の軌跡を辿るように唇を這わせて、水を舐めとっていく。  
「ぅっ……メロ…」  
ゾクゾクするような不思議な感じに、体が悶えて。  
 
甘い、チョコレートの香りがする。  
その香りと、メロの独特の甘い香水の匂いがブレンドされて。  
それは、まるで危ない麻薬のように。  
私の体が取り込まれてしまう気がした。  
「メロ……っ」  
メロの唇は、私の首筋を這い上がってくる。  
彼の甘い息が、私の唇に触れた時。  
 
「ボス!電話です!」  
 
12時の鐘が、鳴り響いた。  
 

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