「・・・あー、また失敗しちゃった」
登校前。髪の毛を結う手を止めて、粧裕はため息を吐いた。いつもは母親に結ってもらっているせいか、どうも上手くいかない。
「あれ、粧裕?」
洗面所のドアが開く。そこには、月の姿があった。
「お兄ちゃん!ごめんね、すぐどくから」
「いいよ、そんな慌てなくて」
月の目に、いつもならとうに結ってあるはずの粧裕の髪が映る。
「髪の毛、結わないのか?」
「んー。時間無いし、あたし不器用だから」
「貸してごらん」
粧裕が持っている、水色のブラシと茶色いゴムを取り、粧裕の後ろに回る。
「え、いいよ。お兄ちゃんも学校あるんでしょ?」
「すぐ終わるよ、こんなの」
月は粧裕の髪に目を落としながら、何気なく答えた。
鏡ごしに、すでに支度が整っている月の姿が映る。格好良い、ブレザー姿の兄を見て少し胸がざわつく。
月の丁寧な手つきが、静かに粧裕の髪の毛を透いてゆく。穏かな感触に、かえって意識が集中してしまう。
「お、お兄ちゃん器用だね。羨ましいよ」
そんな気持ちを紛らわすように、わざと明るい声をあげた。
ブラシが音を立てて、粧裕の髪の上を滑ってゆく。
「粧裕」
「な、何?」
「お前、シャンプー変えたか?」
「え・・・うん。」
「いい匂いがする。それに触り心地も柔らかいし」
粧裕の薄く茶色がかった髪の毛を手繰り寄せ、月はそっと鼻を寄せた。
鏡越しに、その兄の行為が見えて、粧裕は火がついたように顔を赤く染めた。
「あ、あたし、やっぱもうガッコ行く!お兄ちゃん、ごめんねっ」
するりと兄の手をすり抜けて、粧裕は洗面所を飛び出した。
「え、粧裕!?」
「そ、それじゃ!」
粧裕が出て行った瞬間、粧裕の制服のプリーツスカートが勢いで翻った。
思いがけず見えてしまった、白い太もものまぶしさに、月は目を細めた。
バタバタと廊下を走ってゆく足音が聞える。
「・・・ち、逃げられたか」
ブラシを持つ手を拍子抜けたように降ろして、人知れず月は呟いた。
END.