むき出しになった両手首をさすりながら、竜崎は一人、目の前に映し出されるモニタを眺めていた。  
捜査本部の面々は出払っていて誰もいない。夜神総一郎と模木、松田の三人は辞職に関する手続きや引継ぎなどの関係で今日は警察署に行っていたし、アイバーは数日前からパリに飛んでいる。  
唯一所用のないウェディは、「必要な時は声を掛けて頂戴」とだけ言い残して部屋で休んでいた。捜査本部の一員とはいえ、自分の専門以外の雑務をこなす気など更々ないのだろう。(竜崎の方も勿論そんな事を彼女に頼むはなかったが。)  
画面の中のミサは、しばらくベッドのシーツに埋もれている月を痛ましそうに見下ろしていたが、やがてベッドの上にのっかると、鍵を取り出した。  
どうやら月を起こすより先に、手足の拘束を解く事にしたようだ。  
フカフカのシーツの上で必死にバランスを取りながら身を乗り出すと、ミサは月を起こさない様にそっと手錠を解除し始めた。  
 
健気な事だ・・・。  
 
ミサの真剣な面持ちに、竜崎は微かに笑みを漏らす。  
画面の中の二人は、まさに捕らわれの麗しの王子様と、その王子を助けようと孤軍奮闘している姫君の図である。  
それはある意味、微笑ましいと言ってもいい光景だった。  
王子も姫君も大量殺人鬼キラの容疑者だという事を除けば。  
 
・・・さてどうする?夜神月・・・。  
 
モニタの中の月の姿に竜崎は目を細める。  
俯くミサの髪が揺れ、月の体に触れる。ミサが身動きする度にベッドは軋む。  
こうして、監視カメラ越しに彼の姿を見るのは三度目だ。  
前回は地下牢に監禁時。彼も承知の上だった。そしてその前は――。  
レイ・ペンバーが捜査していた夜神と北村の両家に監視カメラをつけた時だ。  
竜崎は手首をさすりながらゆっくりと記憶を揺り起こす。  
夜神家につけた何百もの監視カメラ。そこに写しだされた裕福で平凡な家族。  
 
ああ、そうだ・・・。  
 
あの時初めて竜崎は『キラ』の姿を認識したのだ。  
 
どうして月をキラだと疑うのか、と竜崎は色々な人に訊かれた。時には視線で、時には遠回しな言葉で、時には率直に。彼の何がそんなに怪しいのか、と。  
可能性です、とかほんの5%未満ですよ、と竜崎はその度に適当に誤魔化した。  
しかし、逆に竜崎には不思議だった。何故皆彼を怪しまないのだろうか、と。  
月は明らかに周囲と違う。善良な羊の群れに、そうじゃない異質なものが紛れ込んで羊の振りをしているのに、何故警戒しないのか。  
あれがキラでないのなら、じゃあ一体何者なのだ、と。  
月を知れば知るほど、竜崎は言葉とは裏腹に月をキラと確信していった。  
 
だが今の彼は・・・  
 
「あっれー?どうしたんですか竜崎。月君は?」  
 
モニタを凝視しながら物思いにふける竜崎の耳に、不意に素っ頓狂な声が響いた。思わぬ人物の予想外の登場に、竜崎は内心舌打ちした。  
 
「わっ。何ですかこれは・・・。月君?それにミサミサも・・・!!」  
 
大股で竜崎の下に近寄ってきた松田は、画面に映し出された光景に気がつき目を丸くしている。  
 
「お帰りなさい松田さん。・・・早かったですね。」  
「ええ僕は局長達と違って下っ端ですので引き継ぐ仕事も殆どなくて。」  
「それにしても早いですね。」  
「はは・・・ちょっと居心地が悪かったんで・・・早目に切り上げちゃいました。」  
 
自慢にもならない事を松田は明るい口調でサラリと言う。  
そういう問題か、と思いつつも竜崎は内心の忌々しさを押し隠してそうですか、と相槌を打った。  
 
「それよりどうしたんですか?手錠を外すなんて。ミサミサに頼まれて二人っきりのデートの許可でも出したんですか?」  
「・・・まあそんな所です。」  
「はは。竜崎も意外に優しい所があるんですね。」  
 
松田は笑いながらそう言うと、当たり前のように竜崎の隣に腰を下ろした。  
 
「・・・松田さんも一緒に監視するつもりですか・・・?」  
「へ?いけませんか?」  
「別にいけなくはありませんが・・・。」  
「僕はこうみえても一応ミサミサのマネージャーですし。」  
 
それが何か関係があるのか、とも思ったが、そう突っ込むのも何やら億劫なので仕方なく竜崎は無言で松田の存在を受け入れた。  
多少鬱陶しくはあったが、別段松田がいて困る事もない。  
 
「竜崎、月君はどうして寝ているんですか?それに何かあちこち怪我してますけど・・・。」  
「まあ色々ありまして・・・。」  
「わっ。竜崎もよく見ると酷い顔ですねー。ああそうか。また喧嘩したんですね。二人とも見かけによらず、本当に血の気多いなあ〜。」  
「・・・言っておきますが、私から仕掛けた事は一度もありませんよ。」  
「でも竜崎の方が年上なんだからもうちょっと大人の余裕をみせてもいい気もしますけど・・・ってあれ?月君の手足に手錠が・・・。酷いなあ竜崎・・・。」  
「・・・今ミサさんが解除してるじゃないですか。」  
「それはそうですけど・・・いっつも繋がっている相手によく出来ますよねそういう事が・・・。」  
「私だって好きでしているわけではありません。」  
 
竜崎は憮然と吐き捨てた。  
「いっつも繋がっている」のは仲が良いからではなく、キラだと疑っているからである。月がキラの容疑者だという概念がすっかり抜け落ちている松田の発言が竜崎には腹立たしい。  
 
「それにしても・・・ミサミサ、本当に月君が好きなんですねぇ。健気だなぁ。」  
 
そんな竜崎の苛立ちにも気づかず、モニタの中で腫れ物に触るようにそっと丁重に月を扱うミサの姿に、松田は感心している。  
松田の横顔にチラリと視線を走らせると、竜崎は皮肉な笑みを漏らした。  
その健気なミサミサが、月を自分の恋人にする為に、月の預かり知らぬ所で月の貞操を賭けにしている事など松田は知りはしないのだ。  
 
「あっ。月君が起きた。」  
 
閉じていた瞼が上がる。寝起きの月の無防備な顔がモニタに映し出される。  
 
『月、落ち着いて・・・。』  
『なっ・・・ミサ・・・?これは・・・。』  
『えっと月が気を失っちゃったから、竜崎さんが寝室に月を運んだの。その、一応月はまだ容疑者だから・・取り合えず拘束しておかなきゃって事で・・・。』  
 
画面はそのまま驚く月としどろもどろに状況を説明をするミサの姿を映し出す。  
 
『・・・そういえば・・・竜崎は?手錠がはずれているんだけど・・・。』  
『えっ?ああ・・・。』  
『それにどうしてミサがここに・・・。』  
『・・・竜崎さんに呼ばれて・・・。』  
『竜崎が?・・・あっ・・・。』  
 
そこまで二人の会話を黙って聞いていた松田が、ああ、と声をあげた。  
 
「そっか。月君の手当ての為に竜崎はミサミサを呼んだんですね。今日は他に誰もいないですし、竜崎が他人の手当てなんて出来るわけないし。」  
「・・・出来たってやりませんよ。」  
「またまた素直じゃないんだから〜。二人っきりにしてあげたのはやっぱり罪滅ぼしのつもりなんですか?気を利かせてあげたんでしょう?」  
「・・・まあある意味気を利かせたのは事実ですが・・・。」  
 
『ミサは・・・どうしてここに呼ばれたか・・竜崎から・・・聞いている・・・?』  
『・・・まあ・・・。』  
『やっぱり・・・。その・・・ごめん・・・。』  
『あ、あたしは別に・・・。』  
『そういう理由で呼び出すなんて・・凄く・・・失礼だよね・・・。』  
 
「・・・『そういう理由』?」  
 
松田が怪訝そうにくり返す。  
ひどく面倒くさかったので、竜崎は松田の呟きを無視した。  
 
モニタの中では依然月が真剣な面持ちでミサと向かい合っている。  
 
『不愉快な思いをさせたらすまない。その・・・竜崎は少し・・・いやだいぶこう常識離れしていて・・・外国暮らしが長かったからかな、日本人が美徳とする、恥じらいとか奥ゆかしさとかその・・・遠慮とかを持ち合わせていないんだ・・・。』  
 
「・・・えっらい言われようですね竜崎・・・。」  
「・・・。」  
 
『竜崎は別に女性を蔑視しているわけではないんだ・・・単にそれが一番理に適っていると思っているらしくて、むしろ気を使ってくれているらしいんだが・・。  
僕達の様な普通の人間はそう合理的に割り切れないって事がどうにも竜崎にはわからないらしくて・・・。実は今回の喧嘩の理由もそれが原因なんだ・・・。  
まあ、勝負はどうやら僕的に不本意な形で終わったみたいけど・・・。』  
 
「あ、でもある意味竜崎を庇っている様にも聞こえますね。」  
「・・・そうですか?私にはとてもそうは聞こえませんが・・・。」  
「だってようするに、『悪気があるんじゃない、常識がないだけなんだ』って言っているわけでしょ?月君的にはフォローしているんですよ。」  
「そんなフォローされるぐらいなら、『常識がないわけじゃないが、悪意があるんだ』と言われた方が余程マシですね・・・。」  
「でもそれじゃフォローにならないじゃないですか〜。」  
「ですから、月君にフォローなどして貰う筋合いなどないんですよ。しかも弥の心証を良くするためなどに。」  
 
『・・・ミサ、聞いている?』  
 
マイクから聞こえてくるその月の発言に、ミサであらざるはずの竜崎と松田まで思わずはっと姿勢を正した。  
いつのまにか本題をそっちのけでがやがやと言い争っていた事に、軽く竜崎は舌打ちする。  
 
・・・どうもこの男は苦手だ。あまりに単純で能天気で的外れで・・・ペースが狂う。  
 
隣にいる松田にそう心中毒づきながら、最近違う誰かに対しても似たような感想を持った覚えがあるように思え、竜崎は眉間に皴をよせた。  
 
『・・・僕はその・・・竜崎とは違うから。』  
『え?』  
『だから・・・僕は性欲処理の対象として、女性を扱ったりはしないって事だよ。』  
 
「せ、性欲処理っ!?」  
「・・・月君らしいですね。」  
 
驚きのあまりモニタの中の月と隣に座る竜崎を交互に見比べている松田を無視して、竜崎は無感動に感嘆の声をあげる。  
夜神月はどんなに万全のお膳立てを用意されても、人に整えられた据え膳をあっさり食べるような性格ではない。そこまでは予想の範囲内だ。  
あとは、ミサがどこまでやれるかにかかっている。  
 
さあ、どうする弥?このまま諦めるか?それともこの逆境を跳ね除けて愛しの夜神をものにするか?  
 
モニタの中の二人に目を細める竜崎に、ようやく状況を理解した松田が青ざめながら声を掛けてきた。  
 
「りゅ、竜崎、もしかして・・・その為に二人っきりにしたんですか?し、しかも・・・もしかしてこれをカメラで監視している事、二人は知らないんじゃ・・・。」  
「松田さん、もう少し声を落としてください。二人の会話を聞き取れません。」  
 
松田が反論しようと口を開いた瞬間、それまで沈黙していたミサが声をあげた。  
 
『別にいいよ、私は。』  
『え?』  
『ミサは、相手が月なら全然構わないよ・・・月にとっては性欲処理でも。』  
『ばっ・・・な、何を言って・・・・。』  
『・・・月はミサの事嫌い?ミサ全然魅力ない?』  
『僕が言っているのはそういう事じゃなくて・・・。』  
『もし嫌いじゃないなら・・・ちょっとでも好きと思ってくれているのなら・・。』  
 
モニタの中で、縋る様に、挑む様に、ミサは月を見据える。  
 
『愛してとはいわないから、ミサを抱いてよ・・・・・。』  
 
「ミ、ミサミサ・・・何て事を・・・。」  
 
松田はミサの過激な発言に、泡を吹かんばかりに狼狽している。  
マネージャーを務める内に情が移ったのだろうが、まだ若いというのに、すっかり彼女の父親か何かのようだ。  
 
ふむ。直球だな・・・。弥らしいと言えばらしいが。・・・で、どうする夜神?  
 
竜崎はむきだしになった手首をさすりながら、モニタの中の光景に目を細めた。  
女性にここまで言われて何もしない、というのも通常では考え難い気もするが、何と言っても筋金入りの堅物である月の事、このまま拒絶し通す、という展開も絶対に無いとは言えない。  
無言で見つめあう月とミサを、モニタの前で竜崎と松田もまた無言で見守る。  
しばしの沈黙の後、月がようやく口を開いた。  
 
『ミサの気持ちはわかった。』  
『・・・・・・。』  
『・・・ミサ。』  
『な、何・・・?』  
 
ミサが緊張に身を強張らせる。竜崎の隣で松田もまた息を飲んで月の言葉の続きを待った。  
 
『・・・風呂に、入ろうか・・・・・。』  
 
「風呂っ!!」  
 
月がミサを受け入れるか拒絶するか、どちらを選ぶのかをを固唾をのんで見守っていた松田は、飛び出してきた意外な言葉に思わず短く叫んだ。  
 
「ど、どういう意味なんですか竜崎。これって月君はミサミサを受け入れたって事なんですか?風呂って・・・。」  
「松田さん落ち着いてください。」  
「で、でも・・・落ち着いてなんかいられませんよ・・・。」  
「・・・まあ流石月君といった所ですね。どうやら気がついていたようだ。」  
「へ?」  
 
竜崎の言葉に、わけが解らないといった表情で松田は目をぱちくりさせている。  
モニタの中では同じく混乱のあまりミサが目を白黒させていた。  
そんなミサに言い含めるように、ゆっくりと月は先程の言葉を繰り返す。  
 
『一緒に風呂に入らないか?』  
『風呂って・・・。』  
『嫌?』  
『いいいいい嫌じゃない、全然嫌じゃない・・・。』  
『じゃあ、バスルームに行こう。』  
 
月は優しくそう言うと、勢いをつけてベッドから起き上がる。ミサはそんな月の後をふらふらと着いていく。  
月が肩で扉をあけ、二人は廊下にでた。そのバタンと扉の閉まる音が室内に響き、無人の寝室がモニタに映し出された。  
 
「あの・・・竜崎、僕には何が何だかさっぱり・・・。」  
「・・・要するに、監視カメラの存在に気がついて場所を変えたって事でしょう。」  
「あっ。なるほど。じゃあ・・・場所をわざわざ変えたって事は、結局月君は・・・その・・・ミサミサを・・・受け入れるって事なんでしょうか・・・?」  
「どうでしょう・・・。それは見てみないと何とも言えませんね。」  
「・・・カメラはバスルームにはついていないんですか?」  
「基本的に私たちの部屋には一切ついていません。今回の寝室のカメラは緊急の特別措置です。」  
「そっか・・。じゃあもう僕らにはどうなったか確認する術はないんですね・・・。」  
「術はない事もないですが・・・。」  
 
竜崎はそう言うと、親指の爪を噛み始めた。考え事をする時の竜崎の癖である。  
そんな竜崎を、松田は子犬のように期待を込めた眼差しで見上げる。  
 
・・・この男は一体モラルが高いのか低いのか・・・。ある意味正直ともいえるが・・・。  
 
いつしか覗きという行為に罪悪感どころか疑問すら抱いていない松田の様子に、竜崎は内心やや呆れながら目の前においてある電話に手を伸ばした。  
素早く内戦番号を押し、受話器を取る。マイクから艶やかな女の声が響く。  
 
「ハイ。何か御用?今日は皆出払っているし、てっきりオフだと思っていたわ。」  
 

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