見上げる視線と見下ろす視線が交差したまま時が止まる。
だが、その室内を支配する、痛いほどの沈黙を最初に破ったのは月の方だった。
「ミサの気持ちはわかった。」
「・・・・・。」
「・・・・ミサ。」
「な、何・・・?」
緊張のあまり、答える声が上擦る。
ここまで言って拒絶されたらいっそ諦めがつくとも最初は思っていたが、それでもやはり早まったかもと言う後悔が僅かに胸をよぎった。
しかし月の返事は、ミサの予想外のものだった。
「・・・風呂に、入ろうか・・・・・。」
「へっ?」
ミサは驚きのあまり、思わず聞き返した。風呂?何故この展開でそんな単語が出てくるのだろうか。
頭に?マークをつけたまま瞬きをするミサに、月は再度丁寧に言い直した。
「一緒に風呂に入らないか?」
「風呂って・・・・。」
「嫌?」
「いいいいい嫌じゃない、全然嫌じゃない・・・。」
ミサは物凄い勢いで首を縦にぶんぶんと振った。
嫌だって?嫌じゃないに決まっている。むしろそう聞きたいのはこっちの方だ。
しかし、何故今ここで風呂なのだ。
コトの前に、体を綺麗にしたいと、そういう事なのだろうか?
だとしたら・・私のさっきの言葉を・・・・受け入れてくれたと・・・月もその気なのだと考えていいのかしら・・・・。
「じゃあ、バスルームに行こう。」
何と言うか・・・・意外だわ・・・・。
寝室を出て、廊下沿いにある脱衣所に入っていく月の後を、ミサはぼんやりと夢心地でついていった。
例え竜崎との手錠がとれたとしても、長い禁欲生活で欲求不満だったとしても、それでも潔癖でお堅い月のガードがそう簡単に崩せるだろうか、とミサは内心かなり不安だったのだ。
それがこんなに上手くコトが運ぶと、嬉しい反面拍子抜けである。今まで散々すげなくかわされていたのは、一体なんだったのだろうかとすら思えてくる。
頭が飽和状態のミサの目の前で、月は浴室の扉を肩で開けると、中に入った。
え?あれ・・・?
脱衣所を素通りして、服を着たまま先に一人でさっさと浴室に入っていった月にミサは目を丸くした。
そういうの(?)が好きなのだろうか、と考えた後、月が未だ両手を手錠で拘束されている事を思い出す。
もしかして、脱げないから?そっか、月は私が鍵を持っている事知らないんだ。
慌てて月を追って浴室に入ろうかと思ったミサだが、服が濡れるのが嫌なので、先に脱ぐことにした。
黒いワンピースを脱ぎ、黒い下着、黒と白のオーバニーのソックスを手早く剥ぎ取ると、丁寧に折りたたむ。
ああ、緊張するなあ・・・・。
鏡にミサの裸が写る。これからの事を想像してミサは期待と羞恥に頬を染めた。
何やら一人で裸も何だか恥ずかしい気がして、ミサは籠に入っている白いタオルで体を隠す。
手錠の鍵をポケットから抜き出し、深呼吸するとそっと浴室の扉を開けた。
「・・・お、お待たせ・・・。」
声を掛けて入ってきたミサに、浴槽の淵に腰をかけていた月が振り返る。
シャワーから猛烈な勢いでお湯が浴槽に注ぎこまれ、風呂場には湯気が濛々と立ち込めていた。
ミサが服を着ていないことに気がついた月は、一瞬驚いた様に目を見開いたが、すぐに困ったように視線を落とした。頬が僅かに紅潮している。
「ごめん、こんな所に呼び出して・・・・。」
「え、いや、別にいいけど・・・。」
「・・・あそこはたぶん竜崎に見られている。」
「・・・え?」
月の言葉を理解するのに、ミサは数秒の時間を要した。
「え?え?月と竜崎さんの部屋には、監視カメラはついていないんでしょう?」
「ああ、ついていない。・・・けど、僕が気を失っている間にこっそり寝室に設置していた可能性は高い。」
「ちょ・・ちょっと待って・・・でも竜崎さんは監視が今なら外れているって・・・。」
「たぶんそれはミサを言いくるめる為の方便だよ。」
「方便って・・・。」
「竜崎が一時でも僕から目を離すとは思えない。」
「や、やあね月ってば疑いすぎよ・・・証拠があるわけじゃないんでしょ?」
「・・・証拠はないけど。」
「そうよ。竜崎さんだっていくらなんでもそこまでは・・・。」
「・・・そこまではしないと思うか?」
月は背中で拘束された両手を揺らし、皮肉気に笑った。ジャラリと手錠の音がバスルームに響く。
「・・・竜崎が一時でも僕を自由にするわけがない。」
忌々しげに月は再度そう吐き捨てる。ミサはその言葉に反論が出来なかった。
ミサだって出来る事なら竜崎の言葉を信じたい。騙されたとは思いたくない。
だが悲しい事に、ミサ自身月の主張の方がより説得力があるように思えた。
何と言っても相手はあの竜崎である。人を手錠で拘束する事も監禁する事も何の躊躇いも無くやってのける男である。
そんな男の言葉を、どうして信じる事が出来ようか。
あまりの展開に、ミサは小さく呻くとその場にヘナヘナと座り込んだ。
ミサも・・・月も・・・そうやって一生見張っていく気なのね・・竜崎さん・・・。
「大丈夫か?ミサ・・・。」
呆然と座り込むミサの顔を、月は片膝をついて心配そうに覗き込む。
そんな月の優しさに、ミサは思わず涙ぐんだ。
「うん大丈夫・・・それよりここは大丈夫なの?その・・・監視カメラは・・・。」
「僕達の部屋には元々カメラをつけていないし、たぶん大丈夫だとは思うが・・・。」
なんせあの竜崎の事だ、と月は眉をしかめる。
その発言を聞いた途端、ミサは皮肉気に唇の端を上げた。
「へぇぇ〜?やっぱり竜崎さんも自分が監視されるのは嫌なのね。」
「いや、竜崎は監視される事を嫌うというよりも、たぶん自分の姿が映像として形に残るのを避けたかったんじゃないかな・・・。」
「?」
「まあ実際カメラをつけた所で、結局それを監視する人も後からチェックする人もいないわけだから無駄だしね・・・。」
「・・・よくわかんないけど、結局今私達は竜崎さんに見られてはいないのね?」
「そのはずだけど・・・そのまま竜崎が放置しておくとも思えないから・・・。」
「え?何それ・・・。竜崎さんがもうすぐここに乗り込んで来るって事?」
「何らかの手は打つはずだ。・・・竜崎が僕から目を離すとは思えないし。」
「そ、そんな・・・いくら何でも見られながらなんて嫌だよミサ・・・。」
「・・・・ミサ・・・。」
月は不意に声を落とすと、顔をミサに近づけた。その真剣な眼差しに、声音に、何やら不吉なモノを感じて思わずミサは身を引いた。
「な、何・・・?」
「その事について話したくてここまでミサを連れてきたんだ・・・。」
「その事って・・・。」
「さっきの話だけど・・・。」
あ、駄目だ・・・この流れはヤバイ・・・・。
断られる、という予感にミサは青ざめて身を強張らせた。
「僕はミサの事が好きだ。」
「・・・・へ?」
思わず耳を塞ごうと手を上げたミサは、月の口から出た意外な言葉に思わず目を瞬かせた。
「す、好きって・・・・ほ、本当?」
「ああ。同じキラの容疑者として長期間拘束されていた者同士、変な言い方だけど親近感というか仲間意識みたいな物を僕はミサに感じている。」
好きだという言葉に舞い上がりかけたミサは、続く言葉に耳を疑った。
「仲間・・・意識・・・?」
「ああ。こうして同じビルの中で寝食を供にしている内に、ますますその思いは強くなったよ。僕は家族や仲間を愛すように、ミサを愛している。」
「家族・・・。」
ミサは絶望のあまり目の前が暗くなるのを感じた。衝撃のあまり、言葉も無い。
それは「恋愛対象外」と宣告されているのと一緒だ。
「僕の気持ちをわかって欲しい。ミサに嘘をつきたくないんだ。」
月は逃げる事も誤魔化す事もせず、ミサの想いを優しく、そして誠実に拒む。
それはつけいる隙の無いほど、明確な拒絶だった。
竜崎との賭けがどうこう以前の問題だった。ミサが入り込む隙間がどこにもない。絶望的なまでに見込みが無い。その事実に、ミサは打ちのめされた。
「・・・やだ・・・。」
「ミサ・・・。」
「家族や・・・仲間なんてやだ。そんなのやだ。」
「・・・ごめん。」
「恋人じゃなくてもいいから、女の子としてみてくれなきゃやだ・・・。」
蹲ったまま、やだ、やだよぉとミサは泣き出す。
勢いよく浴槽に注がれるシャワーのお湯の音だけが、しばらく辺りを支配した。
子供のように泣きじゃくるミサに、月は困ったように優しく諭す。
「僕はミサが大事だ。これからもミサとはちゃんと本音で付き合って生きたいと思っている。・・・だから、一時の劣情に流されてどうこうなりたくないんだ。」
「・・・月はミサに女として全然興味内の?ミサ魅力ない?・・・迷惑だった?」
「ミサの気持ちは正直嬉しいよ。っていうかミサみたいな可愛い女の子に好かれて、嬉しくない男はいないと思うよ。」
「・・・本当?」
「ああ。でも今はそんな気になれないんだ。ミサに魅力がないとかそういう事じゃなくて・・・事件が解決するまで、たぶん誰にもそういう感情は持てない。」
「じゃあ、全てが解決したら、ミサの事も考えてくれる?」
「・・・そうだな、その時もまだ、ミサが僕を好きだったら、ね。」
「好きにきまっているよ。ミサが月以外好きになるなんてありえないもん。」
ミサはそういうと、ようやく涙を拭って無理やり笑顔を作った。
そして戸惑った表情の月を、苦笑して見上げる。
「あーあ・・・。結構自信あったんだけど・・・やっぱり月は手強いな・・・。」
ミサはそういうと、目を閉じて不貞腐れた様に月の胸元に自らの頭を預けた。
胸元に埋められたミサの柔らかい髪から、シャンプーの甘い香りがする。
「でも、悔しいけど月のそういう、がっついていない所好きよ。あくまでフェアであろうとする所も、本音で拒絶してくれる所も、好き。大好き。」
「・・・。」
「でも、事件が解決してからじゃ遅いの。」
「ん?」
「ミサ、もう賭けにのっちゃったから。」
「?賭けって・・・うわぁぁぁ。」
突然の事に、月は対処できなかった。ミサはニッコリ笑って顔をあげると、両手を月の肩にかけ、そのまま浴室のタイルの上にトン、と突き飛ばした。
両手を拘束されている月は、バランスを失いあっさりとその場に押し倒される。
ミサは呆然と自分を見上げる月の顔を見下ろしながら、ゆっくりと後ろ手で浴室の鍵をかけた。ガチャリとロックの音がバスルームに響く。
「安心して、月。これで、例え竜崎さんが駆けつけてきても入れないわ。」
「ミ、ミサ・・・。」
「できればこんな手荒な事はしたくなかったんだけど・・・ミサにも事情があって、文字通りあまり時間が残されていないのよ。」
時計は脱衣所においてきてしまったので詳しい時間はわからない。だが、竜崎と賭けを始めてから、確実に残りあと一時間を切っていた。
ミサは起き上がろうとする月の両肩を両手で押さえつけ、そのまま仰向けの状態で後退りする月の体の上に乗っかった。
腹部にミサの恥毛と弾力のある太ももを感じて、月は思わず頬を赤らめる。
「よかった・・・。全然興味ないわけじゃないみたいね・・・。」
月の反応に気を良くしたミサは、わざと強く下半身を押し付けながら、嬉しそうに笑った。
「な、何のつもりだ・・・。」
「だってこうでもしないと、月と一つになれないみたいだから・・・。」
「一つにって・・・。」
「基本的にね、ミサも月と一緒で愛の無いSEXは好きじゃないの。体だけの関係なんて空しいだけだと思うし。」
「ひっ・・・人の話を聞けっ・・・。」
「でもまあ、世の中には体から始まる関係もあるっていうし。最初は無理矢理でも、二人とも気持ちよければ最終的には和姦かなあって。」
「バカな事ばかり言ってないで降りろっ!!」
「やだ。」
ミサは短くそういうと、身に纏っていたバスタオルを勢いよく放り投げた。
目の前に晒されたその白い裸身に、月は思わず息を飲む。
月の両肩を抑えていたミサの手は、次第に下へ下へと下がっていき、シャツごしにゆっくりと月の肌をなぞる。その感触に月は思わず身をくねらせた。
「月、ごめんね。でもちゃんと優しくするから。」
妙に生真面目な顔でそう宣言すると、ミサは右手を月のジーンズのジッパーを下ろした。