今日も終電ギリギリだ。  
いつにもまして車内は込み合っている。  
(今日は金曜日か・・・・)  
明日が休みなのをいいことに、おもいっきり飲んできました、というサラリーマンで、車内は  
うめつくされている。  
(いいよな~土日しっかり休める人は。)  
はぁ~っと大きなため息をつく。車内にただよう酒の匂いに閉口しながら、長身の体を縮こまらせる。  
(あ~、早く帰って風呂入って寝たい・・。あっでも・・・ユーロ2004は見ないと。)  
酔っ払いの中年男性の波にもまれながら、警察庁特別捜査本部員の松田はそんなことばかり考えていた。  
(僕もすぐ、こーんなオジサンになっちゃうんだろうなぁ)  
あーあ、と大きいため息をもうひとつ。  
車内は相変わらず混み合ったままだ。うしろから前からギュウギュウと圧力がかかる。  
 
「・・・・イ・・・」  
「・・・・?」  
かすかに、後ろで呟く声がした。  
それと同時に、松田は自分の腰に誰かが手をまわしていることに気づいた。  
 
(・・・・・なっなんだ!?)  
振り向いて確認しようにも、人におされて振り返ることさえむずかしい。  
あたりを見回しても、酔っ払いのサラリーマンだらけ。  
(酔ってるのかな・・・)  
人につかまらなきゃ立てないくらいに飲んで帰るなよ・・・・そんなことを思いながらも、あえて回された腕を  
ほどくこともなくそのまま立っていた。  
しかし、回されたうでは、だんだんと松田の下半身へとのばされていった。  
(・・・・っ!!!)  
松田はおもわず身震いをする。  
(おいおい・・・・痴漢かよ・・刑事相手にいい度胸だな)  
回された手は、確実に松田の下半身をまさぐっていた。  
 
(酔っ払いのオジサンにこんなことされてもなぁ・・・・・  
 この前も新宿で変なオジサンに声かけられたし・・僕ってそんなにゲイ受けいいのかな)  
半分情けなさで泣きそうになりながらも、松田はこの痴漢をどうやって捕まえようか考えていた。  
(うーん・・・次の駅でひきずりおろすか・・・。)  
考えながら、しばらくされるがままにしていた松田だったが、ある異変に気づいた。  
背中からときおり、すすり泣くような声がするのだ。  
 
(・・・・・女?)  
後ろは振り返れないが、そういえばなんとなく甘い香りがする。  
女と気づいた瞬間、松田は体が熱くなるのをかんじた。  
女に、自分の股間をもてあそばれている。  
背後から伸びている手は、巧みに松田の下半身を撫で回していた。  
(や・・・やばい・・)  
松田は自分が感じていることに気づき、顔を赤らめた。  
どうしたらいいだろう、女に痴漢されているなんて回りに気づかれたくない。  
でも、これは犯罪だ。なんとか注意してあげなきゃ・・・・  
 
すっかり硬くなってしまったじぶんのモノをいじられながら、松田は必死に理性を保とうとしていた。  
 
◆◆◆◆◆◆  
 
(どうして、死んだの?どうしてあなたが殺されなければいけなかったの・・・・?)  
 
そんなことばかり考え続けていて、もう頭がおかしくなりそうだった。  
金曜日の終電。  
ナオミは自分の婚約者の死の原因をつきとめるべく、今日もあちこち駆け回っていた。  
酒くさいサラリーマンの波にもまれながら、考えるのは死んだレイのことばかり。  
うわごとのように彼の名前をくりかえしていたのに気づいたのは、周りにいる乗客が自分のことを白い目でジロジロみていたからだった。  
なんとなく、いづらくなって、人の波をかきわけドア側に移動する。  
一日中都内を駆け回っていたのと、心労と、酒の匂い。  
ナオミはもうその場に座り込みたいくらいだった。  
 
その時、ふと、さわやかな香りが鼻をよぎった。  
(この香り・・・・・・・)  
懐かしい香り、というのにはまだ早すぎるだろう。  
その香りは、愛するレイと同じ香水の香りだった。  
 
「レイ・・・・・なの?」  
かすれた声で彼の名を呼ぶ。当然、その香りの主は振り返らない。  
レイと同じくらいの長身で、ときおりため息をついているのだろうか、広い背中が揺れていた。  
「レイ・・・・」  
何も考えずに、背後から抱きしめる。ナオミには、この背中がレイにしか見えなかった。  
抱きしめると、彼の匂いがした。  
(この間まで、この香りに抱かれていたのに。)  
ポロポロポロと、涙が落ちる。  
彼に抱かれながら寝起きしていたのが、昨日のことのようによみがえった。  
(もう一度、私を抱いてよ・・・・レイ・・・)  
 
誰ともしらない男の背中に顔をうずめながら、ナオミはいつもレイにしていたように、男の下半身に手を這わせた。  
徐々に、その感触は硬いものへとなっていくのを感じる。  
(気持ちいいのね・・・?レイ・・?)  
焦らすように、股をまさぐりながら。  
レイの感じるところを、涙を流しながら責め立てた。  
 
(ねぇ・・・どうして死んだのよ)  
ナオミは、おもいっきり嗚咽をもらしながら、男の体を力いっぱい抱きしめたのだった。  
 
◆◆◆◆◆◆  
 
様子がおかしい。  
松田は焦っていた。痴漢の女は、周りがジロジロ見るくらい、思いっきり泣いている。  
しかも、自分に抱きついたまま。  
(まいったなー・・・・・)  
とりあえず、人目が気になる。  
痴漢行為をされていたことは誰も気づいていなかったが、この状況ではまるで自分が悪者みたいだ。  
「あの」  
後ろを振り返らずに、回されている手をとる。  
「降りましょうか」  
ちょうど、ドアが開いた。自分の駅からはまだまだ遠いものの、松田は女の手をとって下車した。  
降りてみて、女の顔を確認しようとして、松田は驚いた。  
まるでモデルのような端整な顔立ちに、長い美しい髪。抜群のスタイル。  
こんな美人は今まで見たことがなかった。  
(こんなキレイな人が僕の・・・・・・)  
さきほどされていたことを思い出し、松田は顔を真っ赤にした。  
「ごめんなさい」  
女は、崩れるようにホームにへたりこんだ。  
「ごめんなさい・・・・・」  
嗚咽を漏らしながら、何度も繰り返す。松田は女のそんな姿を目にして、事情を聞かずにはいられなかった。  
「・・・・とりあえず、座りましょう」  
松田はへたりこんで泣いているナオミの顔をのぞきこんだ。  
 
ナオミは初めて、男の顔を確認した。  
(レイじゃ・・・ない)  
わかってはいたが、その男は自分の愛する人ではなかった。  
月明かりで照らされた松田の顔を凝視する。  
少しくせ毛で、童顔で。優しそうな目が、自分をみつめていた。  
 
◆◆◆◆◆  
 
「落ち着きましたか?」  
松田は買ってきた缶コーヒーを手渡すと、ナオミの隣に座った。  
「ごめんなさい・・・・・・」  
「何度目ですか、それ」  
もういいですよ、と松田は苦笑する。  
「あなたが、彼に見えたの」  
「彼・・・・・?」  
ぼんやりと遠くをみつめながら、ナオミが口を開く。  
「婚約者がいたんです」  
「そうなんですか」  
そう相槌をうって、松田はナオミの左手をみつめる。薬指には、指輪がはめられていた。  
「死にました」  
「え・・・・・・」  
飲んでいた缶コーヒーを置き、松田はナオミを見た。  
「どうして・・・」  
「わかりません」  
ナオミは空を仰ぐ。  
「・・・・・・。死因がわからない、と?」  
松田の声のトーンが、急に変わったのに気づき、ナオミは松田の顔をみた。  
「あ・・・いえ・・・・その・・病死、です。」  
松田の目を見て、とっさにそう答えた。  
一般人を、巻き込むわけにはいかない。キラに殺された、なんてこの男に言うべきではない・・・。  
何かを探ろうとしている松田の目に気づき、ナオミは直感的にそう思った。  
 
「信じられないんですよ・・・彼が・・死んだなんて」  
再び空を仰いだ。  
「・・・・・・・」  
「信じられなくて・・・」  
うっうっっと・・嗚咽が漏れる。  
「どうしていいか・・・わからなくて・・・どこかで、彼が生きている気がして」  
胸のおくから、一語一語、吐き出す。  
「・・・・・・・・。」  
松田は無言でナオミを抱きしめた。  
ふわり、とレイの香りがナオミを包み込む。  
「あ・・・・」  
「・・・・・・・悲しいときは、心臓の音を聞くと落ち着くそうです」  
そういって松田は自分の胸にナオミを寄せる。  
トクントクントクン・・・穏やかなリズムが伝わってくる。  
 
(ああ、生きている・・・。このひとは、生きてる。)  
ナオミは目をとじて、その鼓動にひたすら耳をかたむけた。  
レイは、このリズムが止まってしまったんだ。キラに、止められてしまったのだ。  
ナオミは再び、嗚咽をもらした。  
 
(気の毒に・・・・・)  
松田は心底この女を不憫に思った。そして、この女が心配でならなかった。  
(大切な人を失って、自殺をはかるケースは多い・・・・)  
過去担当した事件の、痛ましい記憶がよみがえる。  
(とりあえず、感情が高ぶってる。危険だ・・・このまま帰すわけにはいかないなぁ)  
 
「あの・・・・。家まで送りますよ」  
松田はナオミを胸に抱いたまま、さりげなくそう呟いた。  
 

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