「あの」  
 
 
今日の講義も終わり、帰ろうと大学の門から出たとき、見慣れない女がいた。  
僕に声をかけたのだと気付き、思いがけないことに僕は一瞬眉をひそめた。  
 
 
なんだこの女は?  
 
 
見るからに色を抜き過ぎの金髪。白のブラウスはまだいいとしても、明らかに短すぎるスカートに黒の網タイツは見るに耐えない。  
その上、あちこちに鎖をモチーフとした装飾品に、逆十字のチョーカーとピアス。大きなオパールの嵌まった髑髏の指輪は僕にはとても理解出来ない代物だ。  
それから、不自然な程白い頬。真っ黒な目元(流河じゃあるまいし…)に毒々しい紅い唇。そして、そんなに近くでもないのに匂ってくる甘ったるい香水。  
とてもじゃないがこんな場所は場違いの、女。  
どう見ても、今まで付き合ったこともない、そんなことを考えたくもない人種の類いだ。  
 
 
「…夜神、つき、さん?」  
 
 
名前を呼ばれて初めて目を合わせた。  
 
 
驚くことに、女は僕を待っていたらしい。  
女は月を、「ライト」ではなく、「つき」と読んだ。ということは、知り合いから僕を聞いたわけではなく、なんらかの方法で僕の名を文字から得たということだ。  
まぁ、自分でいうのもあれだが、僕はこんな顔をしているし、これまでにも全く知らない女から声をかけられることは度々あったから、これもいつものことなのだが。  
…しかし、こんな女が、この僕を?  
何かの間違いでは、と一瞬思った。  
しかし、僕の姿を見て名前を呼ばれた以上、彼女の目的は僕だろう。  
そして、僕が彼女の目的である以上、紳士な優等生である僕は、彼女をぞんざいに扱うことは出来ない。  
僕は目の前の女を勘繰る気持ちを素早く押さえ、さりげなく顔を微笑ませた。  
 
 
「うん、確かに僕が夜神だよ。君、僕に何か?」  
 
 
いつもの笑顔を貼付けて彼女に言葉を返す。  
女も僕に釣られて、にっこりと笑った。笑顔は案外無邪気で、笑った彼女はかなり幼く見えた。  
 
 
「うん。この間約束破っちゃったから。」  
 
 
何を言ってるんだ?今日初めて会ったのに。  
 
 
「約束?君とは確か初めて会ったと思うけど。」  
 
 
女はマスカラで増毛された睫毛を軽く伏せながら上目使いで僕を見つめた。  
 
 
「青山で会う約束、してたでしょ?」  
 
 
 
瞬間、笑顔が吹き飛んでしまったのが、自分でも分かった。  
 
 
 
……偽キラ……!  
 
 
 
まさか…。何故偽キラが僕を知っているのだ?  
予想外の衝撃に凍り付きそうな頭を働かせ必死に考える。  
この間BLUE NOTEにはデスノートを持った人物は現れなかった。いや、それらしい人物さえいなかった。もちろんこんな女も。  
そう、あの日、偽キラとキラは接触に失敗したんだ。そのはずだ。偽キラだけがキラを知るなど、あってはならないことだったはずだ。  
いや、問題はそこじゃない。  
問題は、…彼女だけに名を知られたこと…!  
読みは間違っているものの、デスノートには漢字で記入する。読み間違えた者は死を免れるかどうかなど、試したことがない。  
…つまり今の状況では、僕はこの女に、下手に逆らえない…。  
 
 
「あは、どうしたの?怖い顔しちゃって。綺麗な顔が台無しだよ?」  
 
 
明るい声で笑い、僕を下から覗きこむ。  
 
 
「私、ミサ。ねぇ、立ち話もなんだから、どこか行こうよ。二人きりに、なれる場所に」  
 
 
女は手を差し延べた。  
 
 
「来るよ、ね?」  
 
 
僕は凍っていた筋肉に今更気付いた。  
彼女の言葉を聞き、にっこりとはいかないがなんとか余裕を見せるように、顔を笑顔の形に歪ませて、一言僕は、言い放った。  
 
 
「…もちろん」  
 
 
そのまま、延ばされた彼女の手を素通りして、僕は前に出た。  
彼女が後から、ついてくる。  
 
 
断ることは、出来ない。  
しかし了解したのは、そんな理由じゃない。  
了解したのは、こいつの本名を知る為。  
このままでは、キラは、もう今までのようなキラではいられない。  
キラが誰かに弱みを握られることなど、決してあってはならない。  
どうにかして彼女の名前を知れば。それさえすれば。  
そうだ。それさえすれば、その後はこいつを利用すればいい。  
Lに会わせて、本当の名前を知り、捜査本部を潰す。それが全て終わればこいつを捨てるだけだ。  
そう、これは危機ではなく、チャンス。  
キラが新世界の神になる為の、大きなチャンスなのだ。  
やってやる。必ず本名を暴いてやるよ、ミサ…。  
 
 
彼女は大きなベッドにばすんと腰掛けた。  
 
 
「ね〜え、なんでこんなとこなのぉ?」  
 
 
「ん?」  
 
 
扉を締め振り向いた僕を見て、彼女は上機嫌そうに足をぱたぱた動かして笑った。  
まあ、これまであんなに逢いたがっていたキラが今まさに自分の目の前にいるのだから、こんなに嬉しそうなのも無理もないかもしれない。  
 
 
「こんなとこって?」  
 
 
僕がそう返すと、くすくすと笑いながら彼女は疑問を声に乗せた。  
 
 
「ラ・ブ・ホ。ねぇなんで?」  
 
「なんでって…。ここなら確実に誰にも邪魔されずに二人きりになれるだろ?」  
 
僕は説明するように右手を横に振り、彼女に近づいた。  
 
 
「会話を聞き取られにくい喫茶店とかも知ってるけど…。僕と君の会話は万が一にも他人に聞かれてはならないから。」  
 
 
君が女の子で良かったよ、はは、と僕は笑った。  
 
 
その言葉を聞いて、彼女はまた笑う。まるで二人で隠した小犬を育てる秘密を共有した小さい子供のように。  
それでも彼女の笑顔は、無邪気というよりどこか、艶っぽい。  
 
 
「なんてったって、あの世間を騒がせてるキラと偽キラだもんね〜。…でもさ、いいの?  
こういうとこ、たまに隠しカメラとか盗聴機とかついてるって話、あるじゃない?」  
 
 
そうやって彼女は、いかにも冗談っぽく笑みを浮かべる。  
 
 
「あぁ、たまに聞くねそういう話。でもこの部屋は大丈夫さ。前に来たとき僕の死神に探させといたから。」  
 
 
あの時はユリと来たんだっけ。そういう話を聞いて、なんとなくの気まぐれにリュークに探させてみた。  
もちろんそのときはそんなものはなくて、そのまま僕たちは事に及んだ。  
リュークの奴あの後林檎三つも欲しいなんて言ってたっけ…。  
 
 
「前にも、来たんだ…」  
 
 
気が付くと、彼女の笑顔には陰が宿っていた。  
 

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