『粧裕ちゃんが、好きだよ。』  
 
 
「え・・・・・!?」  
急にそんなことを言われて、驚いて顔をあげる。  
照れくさそうに顔を赤くしながらも、澄んだ目で松田が見つめていた。  
「あ・・りがと・・。えと・・・あっ・・あたしも、好きだよ、松田お兄ちゃんのコト!!あはっ・・」  
目をそらしながら粧裕はそう言って少しうつむき、上目で松田をチラ、と見る。  
 
松田は少し寂しそうな目をして、微笑んでいた。  
(僕が欲しいのは、その「好き」じゃないんだけどな。)  
 
名残惜しそうにゆっくりと粧裕の体を離すと、海を見た。  
「・・・・かえろっか?」  
「・・・・・。」  
コクン、と粧裕がうなずく。  
 
「・・明日もお仕事?」  
「うん、ほんとは休みの予定だったんだけどねー、無理になっちゃってさー。」  
軽いトーンでそう言って、くしゃっと笑う。  
(あ、いつもの松田お兄ちゃん。)  
急に素に戻ったように子供っぽく、ぶぅたれる松田に粧裕はなぜか安堵した。  
 
 
湘南海浜公園を出て、茅ヶ崎ICを目指す。  
外はもう真っ暗だった。  
「うわぁ、もう真っ暗だねーっ。」  
何事もなかったかのように、粧裕は明るい声をはずませて窓の外をのぞいた。  
 
「・・・・月くん。」  
突然、松田が呟く。  
「・・・・・・え!?」  
「月くん、心配してるかもね」  
「あ・・・うん・・どうかな・・・」  
急に月の名前を出されて、粧裕の目が泳ぐ。  
「・・・・月くんは、彼女とかいるのかな?」  
「え・・・。」  
追い討ちをかけるようにそう言うと、松田は粧裕の顔をチラリと見る。粧裕は、明らかに動揺しているようで。  
「い、いるんじゃないかな・・・」  
そう答える粧裕の顔は、今にも泣き出しそうだった。  
「そっかぁー・・・」  
松田は思わずグッとアクセルを踏み、スピードを出してしまう。  
 
(あーあ・・・・・。また当たっちゃった。)  
松田は肩をおとしてため息をついた。  
(どうして僕が好きになる人はみんな・・・・好きな人がいるのかな)  
今までそうだったから、今回もわかる。  
 
 
(粧裕ちゃんは、月くんが好きなんだ・・・・・・)  
 
天然で、鈍感だとさんざん相沢や同僚からかわれている松田だが、こういうときの  
勘だけはよく当たってしまう。  
なぜだかわからない。ふいに、今、突然ひらめくように月の名前が浮かんできて。  
そして思い返すと、今まで自分が気づかなかっただけで、粧裕の態度からそれは容易に想像できたことだった。  
相沢なら笑い飛ばすだろう。「兄妹だぞ?」って。  
 
確かに、妹が兄を本気で好きになるなんて、「ありえない」。それが普通なわけで。  
 
(・・・・・でも)  
粧裕は必死に涙をこらえているようだった。  
粧裕の目から今にもこぼれそうな涙が、反対からくる車の光を浴びてキラリと光る。  
 
(・・・ほんとに好きだからこそ、こんな辛い顔をするんだよね・・・?)  
 
粧裕の気持ちが、痛いほど伝わってくる。  
誰かを好きで好きでしかたないのに、それが叶わないとわかっているせつなさ。  
それは、自分も同じだから。  
 
(いやだなぁ・・・。)  
松田もまた、涙をこらえていた。胸の奥がキリキリキリと痛む。  
(どうして、こういう事だけは気づいちゃうんだろう・・)  
 
 
 
・・それは決まって、その人のことをどうしようもないほど好きになってしまった後で。  
 
 
◆◆◆◆◆◆  
「くそ・・・・・」  
一人机に座り、頭を抱え込む月。  
リュークは呆れたように月を見ると、退屈だといわんばかりにウロウロウロと歩き回っている。  
 
ミサはもう帰らせた。  
父はまだ帰ってこない。  
 
粧裕からは、あれ以来何も連絡はない。  
(松田の携帯の番号も知らないし・・・・)  
ガタッと立ち上がると、カーテンを開け窓の外をみた。  
外はもう漆黒の闇に包まれている。  
いつもなら、どこに出かけたかはわかっているから、粧裕が遅くなる時は必ず進んで迎えに出ていた。  
だが今日は、迎えにいきたくても、粧裕がどこにいるのかもわからない。  
 
「ちくしょう!!!!!」  
『ガタァァァァン!!!』  
月は、思い切り椅子を蹴り倒す。  
 
「・・・・・・・・・。」  
『・・・・えーと・・』  
リュークは驚いてポカンと月のほうを見る。  
『月、大丈夫か?』  
「ってぇ〜〜〜〜〜」  
月は力任せに蹴ったせいか思い切りスネを打っていたようで、月は思わずうずくまった。  
『おいおい、冷静になれよ、月・・・』  
心配しているのか呆れているのかそう言いながらリュークが寄ってくる。  
「ああ・・・」  
打ったところをさすりながら、ユラリと起き上がると、机の引き出しに手をかける。  
 
デスノートの隠し場所。  
 
(いや・・・やはり、殺すわけにはいかないか・・・)  
冷静になれ、と自分に言い聞かせ、また机に伏せる。  
 
『ん?ライト、親父がかえってきたみたいだぞ』  
リュークがそういうと、外からは車の音がした。  
「ほんとだ。やれやれ・・・・・」  
重い腰をあげて、玄関へと向かう。  
 
「お帰り、父さん。」  
「ああ・・・」  
玄関をあけると、疲れた顔をした総一郎の姿があった。  
「あの・・・父さん、粧裕、まだ帰ってこないけど・・・」  
焦りと、不安と、怒りと。息子はそんな感情が入り混じりひきつった顔をしていた。  
 
「・・・・。そんなに不安か?」  
わざと、そんなことを聞いてみる。  
「別に・・・松田さんと一緒なわけだし・・・そんなんじゃないけど」  
必死にごまかそうとしているようだったが、月の目は泳いでいた。  
(やはり、松田と遊びにいかせて正解だったか。)  
動揺する月を一瞬冷たい目で見ながら、総一郎はそう確信した。  
(いつも家にいる幸子が今日は帰ってこない、私が帰らなければ、必然的に粧裕と月の二人きりだ。)  
 
あの夜。月が飲み会から帰ってきた夜。  
月は、実の妹である粧裕に、キスをした。  
しかも、「愛してる」とまで言って。  
 
そして粧裕は、実の兄である月の名を呼びながら、自慰を・・・・。  
生々しく焼きついている、カメラごしのあの光景が目にうかび、総一郎は思わずフルフルと頭を振る。  
 
ここ数年間、夜に家をあけることのなかった主婦の幸子が、今日は出かけているのだ。  
(・・・絶対に、二人きりにはできない。)  
そう思って、粧裕をわざわざ外出させた。  
粧裕は松田を気に入っていたし、このまま松田のほうに行ってくれればと思い、  
松田と粧裕を二人で出かけさせるようにも仕向けた。  
 
間違いは、絶対に起こしてはならないのだ。  
 
「あの・・・父さん・・松田さんに電話とかしてみたら・・」  
上目で懇願するように父を見る月。  
「はは、なんだなんだ、そんなにあいつが信頼できないか?」  
「いや、そんなんじゃ・・・」  
「そんなに自分の妹が他の男と一緒にいるのがイヤか?  
 お前は昔からそうだったなあ〜。粧裕が小学校のときだって、男の子と一度一緒に帰ってきただけで  
 その次の日から無理に自分の中学校から離れた粧裕の小学校まで迎えに行くようになったし・・・」  
「そ、そんなこともあったかな・・・」  
 
機嫌良さそうに笑いながらペラペラと話す総一郎とは対に、居心地悪そうに背を向けると月は冷蔵庫のほうへと向かいビールを取り出す。  
「粧裕に家庭教師をつけようってなったときもそうだったな。来た相手が男だと知った瞬間、帰させたそうじゃないか。」  
 
「あ、あれは・・・。母さんが勝手に呼んだんだよ・・家庭教師なんて、粧裕につけなくても僕が面倒みれるんだし・・」  
「はは、本当に粧裕はいい兄貴を持ったもんだよ。お前達兄妹は近所でも仲がよくて評判もいいしな」  
総一郎はニコニコとしながら買ってきた寿司をひろげると、ビールのグラスを用意する。  
「仲がいいなんて・・結構ケンカだってするけど・・このあいだだって粧裕が・・」  
 
「いや、お前たちほど仲のいい兄妹なんていないよ。  
 この歳になってもお前たち二人のときは手を握ってたり、寄り添ったりしてるんだからなぁ・・・」  
 
「・・・・・!!」  
月の手から、手にしていたビールの栓抜きがカランと落ちた。月は目を見張るように父親を凝視する。  
「ははは、ほんとに、仲がいいんだよな、お前達は・・・。それはもう・・・・・異常なくらいにな・・・」  
 
『異常。』  
 
その言葉を発したときの父の目が、月でさえ背筋が凍るほど冷たい目だったのを月は見逃さなかった。  
月は言葉もでず、しばし愕然とする。  
「なんだ、どうした。早く栓を抜いてついでくれないか」  
嫌味なくらいな笑顔で、月にグラスを向ける父。  
 
(父さんには・・・・・・バレている・・・・)  
月はすっかり血の気がひいた青い顔をしながらゆっくりと総一郎のグラスにビールをそそぐ。  
 
(そして今のは、『警告』だ・・・・)  
これ以上、粧裕のことを思うな、という、「警告」。  
父が初めて見せた、冷たい目。口元は笑っていたが、その目には、実の妹を愛してしまった自分を軽蔑するような色もうかがえた。  
 
「ん?どうやら帰ってきたみたいだな?」  
外から車の音が聞こえてきた。  
総一郎は、その場に呆然と立ちつくす月を一瞥すると、ビールを置き玄関へと向かった。  
 
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆  
 
「あの・・・今日はありがとう、松田お兄ちゃん」  
「僕こそ、本当に楽しかったよ」  
車を降りた二人は、なんとなく気まずそうに言葉を交わしていた。  
 
(・・・・もう、会わないほうがいいのかな。)  
粧裕が月のことを好きだと知ってから、松田はそんなことを考えていた。  
叶わないとわかってる恋なんて、早めに忘れたほうがいいんだ。  
自分にそう言い聞かせる。  
 
「じゃぁ、粧裕ちゃん。」  
 
「あのさ・・・・月くんと、仲良くね?」  
長身の体を、粧裕の目線にあわせるようにまげて、囁く。  
 
「・・・・っ!松田お兄ちゃん・・・!?もしかして・・・」  
きづいてたの・・?とかすんだ声で呟く。  
松田はそれには答えず、切なそうに微笑んで、粧裕の頭をくしゃっと撫でた。  
そして、くるりと背を向け車のほうへ向かう。  
 
「あっ・・・まっ松田お兄ちゃんっ」  
とっさに粧裕が松田のシャツをつかむ。  
何故だかわからないけど、もう会えないような気がして。  
 
「あの・・・ま、また遊ぼうね!?」  
「え・・・・」  
ポカンとした顔で粧裕を見る松田。  
少し涙ぐんで、上目で松田をひきとめる粧裕。  
 
(まったく・・・残酷だなぁ)  
せっかく思いを振り切ろうとしたのに。  
(そんな顔されちゃ、忘れられないよ)  
胸の奥からこみあげてくる粧裕への想い。  
 
「僕は・・・粧裕ちゃんのことが好きなんだよ?・・でも、君は・・・月くんのこと・・」  
涙を浮かべながら、途切れ途切れ、そう呟く松田。  
「あ・・・・」  
ハッと自分の行動に気づき思わずつかんでいた手を離す。  
「ご・・ごめんなさい・・」  
他に好きな人がいるのに、松田と離れたくないと瞬間的に思ってしまった自分。  
 
(こ、こんな悪いこと・・・思っちゃ、いけないのに)  
 
思わずうつむく粧裕の手を松田がとった。  
「あのさ」  
「・・・え?」  
「僕のこと、月くんの半分・・・・いや、10分のイチでもいいから・・  
 好きになってくれないかな」  
そういって松田はにぎった粧裕の白い手に、優しく口づける。  
 
叶わない恋なら、追わないほうがいいんだけど。  
叶わなくても、いい。彼女にとっての一番じゃなくていい。  
そう思える恋は、はじめてだった。  
「・・・・月くんの次の席、空いてないかな?」  
「え・・・・」  
「僕のこと、月くんの次に好きになってもらえるように、僕頑張るから!」  
そういってニッコリ笑うと、松田は走って車のほうへ向かっていった。  
「あっあの・・・」  
「じゃぁ、またね!粧裕ちゃん!!」  
明るくそう叫ぶと、車に乗り込み走り去った。  
 
 
「・・・・・もう、じゅうぶん好きだよ・・・松田お兄ちゃん。」  
ポツリ、呟く。  
もちろんそれは、月には遥か及ばないのだけれど。  
 
松田の車の去ったほうを唖然として見つめ、門の前に立ち尽くす粧裕の姿を、総一郎が見つめていた。  
 

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