「ね、お兄ちゃん。大学楽しい?」  
「ん…まぁまぁかな」  
食卓の上には美味しそうな食事が湯気をたてている。  
箸を口に運びながら、隣に座る兄にさりげなく話を切り出した。  
 
「ふぅーん」  
「なんだよ」  
「別にぃ。ただ…」  
言って、ぐさりとクリームコロッケを突き刺すと、綺麗な形が崩れて中身がはみ出た。  
「お兄ちゃん、大学入ってから冷たいなーって。思っただけ」  
唇を尖らせて、『かまって貰えずに拗ねる可愛い妹』を演出する。  
言葉に偽りはなかったが、本当ならすぐにでも兄を問いつめて女の名前を聞き出したかった。  
 
しかしここは我慢だ。  
粧裕は自分が愛されている自身があった。  
今は不本意にも妹としてしか愛されてはいないが、それでも月の妹を想う気持ちが強い事は知っている。  
だから、こうして自分を演出すれば。  
「何言ってるんだよ。冷たくなんてしてないだろ」  
ほら。引っかかった。  
粧裕は気づかれない程度に口角をあげた。少し困った顔で粧裕の様子を探ってくる月に、独占欲が少しだけ満たされる。  
きっとこれから提案する事に兄は反対出来ないだろう。  
 
「私、お兄ちゃんがどういう所で勉強してるのか見に行きたいな」  
「ね、いいでしょ?」  
月は一瞬戸惑ったようだったが、ああいいよ、と頷いた。  
それで妹の機嫌取りができるなら、とでも考えたのだろう。まったく甘い兄だと思う。  
「ほんと!?やった。明日の夕方行ってもいい?」  
「来てもつまんないぞ、きっと」  
呆れ顔でため息を吐く兄に満面の笑みを向けて、箸に突き刺したままだったコロッケを頬張った。  
お兄ちゃんを奪った女を、必ず。  
 
消してやる。  
 
明日はいい日になりそうだ。  
粧裕はその夜、上機嫌で眠りについた。  
 
 
遠くから小さく手を振る人物を見つけて粧裕は駆け寄った。  
もう時計は五時を回って、夕日が長い影を作っている。  
「お兄ちゃん、おそーい」  
「文句言うなよ。粧裕が迷ったっていうから探してやったんだぞ」  
「だって東大って広すぎてわかんないんだもん」  
へへ、と笑って月の腕に絡みつく。  
すると、その腕を解かれて窘められた。  
「やめろよ」  
「なんで?あ、もしかして見られちゃまずい人でもいるの?」  
好きな人とか。言外にそう意味を込める。粧裕の心は騒いだ。  
 
確かに今日は兄の女がどんなヤツなのかを調べにきた。  
しかし矛盾ではあるが、兄が女の存在を肯定してしまったら…。そう思うと怖かった。自分が何をしてしまうかわからない。  
消してやる、と意気込むその意志に変わりは無いが、兄の口から直接聞いてしまうのは嫌だった。  
動揺を悟られないよう、静かに深呼吸をして兄の返答を待つ。  
 
「そんなんじゃない。粧裕、制服だろ。目立つんだ」  
口元を歪めて指さす先の、自身の姿を見て粧裕は頷いた。ああ、このセーラー服ね…。  
大学生ばかりのキャンパスで、セーラー服を身につけた粧裕は兄の言うとおり、一人目立っていた。  
さっきから、こちらをチラチラ伺う男の視線も感じる。  
「そっか、お兄ちゃんロリコンだと思われちゃうもんね」  
とりあえずほっと息をついて軽口を叩くと頭を小突かれた。  
 
 
「そんな事言うならおいてくぞ」  
さっさと粧裕を置いて行ってしまう月の背を慌てて追う。  
「待ってよぉ」  
隣に並ぶと、自然と歩調を合わせてくれる兄が愛しい。  
ふふ、と頬を緩ませるとと、何が面白いんだと言わんばかりに月は舌打ちした。  
「だいたい、何を見に来たんだよ。まさか講義を受けたい訳じゃないだろ?」  
「私が講義聞いてもわかるわけないじゃん」  
「うん、それもそうだな。二次関数も解けない粧裕には理解できないだろうなぁ」  
「それってひどくない?もっと出来の悪い妹に気を遣いなさい」  
そう言って粧裕が腕組みをすれば、以後気を付けます、と月は笑う。  
 
よかった。いつものお兄ちゃんだ。私を見てくれる、いつもの。  
密かに安堵する。もしかしたら、全部自分の気のせいかもしれないと思った。  
兄に対する独占欲が強すぎて、疑心暗鬼になっていたのだろうか。  
思えば、入念にチェックしてきたのだ。月の服から女の香水の匂いがしないかどうか。自慰の回数まで把握して。  
最近兄が誰かと関係を持った可能性は低い。  
片思い?いや、眉目秀麗な兄が落とせない女なんていない。  
 
粧裕が今日確かめに来た女だって、実態の無い存在なのだ。第六感がそう告げただけで。  
 
(でも……)  
お兄ちゃんが私以外の誰かをずっと考えてるのは、何?  
女の第六感。これがくせものだった。  
まるで執着にも似たような思いを抱いてる。そんな月の心が、粧裕にはわかってしまっていた。  
(東大の人じゃないのかな…)  
 
「粧裕、どうした?」  
急に黙り込んだ粧裕に月が声を掛ける。粧裕はビクリと反応して、なんでもない、と慌てて手を振った。  
そうだ、東大の人じゃないのかも…。その可能性に気づいて、急に力が抜けた。  
なんだ、気合い入れてきたのに。  
力が抜けたら、なんだか腹が減ったような気がした。  
「お兄ちゃん、私東大の学食食べてみたいな」  
「いいけど…あんまり味は保証しないぞ」  
「大丈夫だよ、お兄ちゃんの奢りだし。ね、早く行こう」  
兄の腕を強引に引っ張り走り出す。  
「少しは兄にも気を遣えよ…」  
ため息混じりの声が聞こえて、粧裕は笑った。  
 
「お兄ちゃん席取っててー、私まだ決まらないから」  
「早くしろよ」  
月は既に食券を買って食堂に入っていった。粧裕はショーケースに並ぶ定食を眺める。  
こういった事に優柔不断なのは自分の短所だ、と思いながらもなかなか決めることができない。  
オムライスにしようと食券販売機の前に立てばエビフライ定食の誘惑が襲ってきて、ボタンを押そうとする手が止まった。  
「オムライス…エビフライ…オムライス…」  
「あの」  
「どうしよう…どっちも食べたい…」  
「あの、すみません」  
「うーん…」  
「ちょっといいですか?」  
「ぎゃっ!!」  
思わず粧裕は可愛くない声をあげてしまった。目の前に男がヌッと現われたからだ。  
それも、なんだか…奇人、というかなんというか。あまり普通でないタイプの男だった。  
ボサボサの伸びきった髪に、薄汚れたスニーカー。目の下にはクマができて、顔色は青白い。  
「迷ってるようでしたら先に食券を買いたいんですが。いいですか」  
外見に似合わない話し方もなんだか気味が悪くて、粧裕はコクコクと頷いて順番を譲った。  
 
男は食券を買うとさっさと行ってしまった。ふう、と安心する。危ない人じゃなくてよかった。  
その後すぐ粧裕も食券を買って食堂に入った。  
結局選んだのは、ピラフ定食だった。  
 
カウンターで定食を受け取って兄の姿を探す。  
月は遠目から見ても目立つ存在なので、さして苦労もせず見つける事ができた。  
「……?」  
粧裕はすぐに違和感に気づく。月の席の向かいに誰か座っている。  
何かしゃべっているようだ。それに…  
(お兄ちゃん怒ってる…?)  
 
粧裕は何食わぬ顔で月のキープしたテーブルに近づいた。そしてまた一つ衝撃を受けた。  
(あ…あれ、さっきの危ない感じの人…!)  
向かいに座っているのは、先ほど食券販売機の前に現われた男だった。  
椅子の上にしゃがみ込んで、ケーキをモグモグと口にしている。  
その姿は完璧に周りから浮いていてあまり近づきたくなかったが、あそこへ行かなければどうしようもない。  
しかし、兄の方もやはりどこか苛ついている様子で気が引けた。  
 
粧裕はトレーを持ち直して、恐る恐るテーブルに近づき月に声を掛ける。  
「お兄ちゃん…お待たせ…」  
「ああ、こっち座れよ」  
返事を返す声はいつも通りの声色にも思えたが、その視線は兄の目の前の男に向けられたままだ。  
まるで何かを考え込んでいるときのような目で。  
粧裕はその目の色に、既視感を感じる。  
 
あれ…この表情、どこかで見た…  
 
粧裕が戸惑って男をチラチラみると、向こうも粧裕に気づいたようで「ああ、さっきの」と会釈してきた。  
妹と男のやりとりに、今度は月が驚いたようだ。  
「流河、妹のこと知ってるのか?」  
「ええ、先ほどちょっと順番を譲って頂いたんです」  
「へぇ」  
 
「ね、ね、お兄ちゃん」  
兄の服の袖を引っ張り注意を促すと、やっとこちらを見た。  
なんだかその態度に腑に落ちないものを感じながら、耳打ちする。  
「この人、お兄ちゃんのお友達?」  
「…まあね」  
聞けば、薄く笑みを浮かべながら言った。笑顔は穏やかなくせに、その薄茶の目がギラ、と光ったのを粧裕は見逃さなかった。  
背筋に冷たいものが走った。  
その光に、今まで自分に向けられることがなかった感情を読みとってしまった。  
 
純粋な憎しみ、そして殺意。  
 
 
  あ  
 
  このひとだ。  
 
 
気づいた時、粧裕は自分の周りが白く溶けていく気がした。  
お兄ちゃん、この人の事憎くて堪らないんだ。  
殺したくて殺したくて仕方ないんだ。  
 
そして、兄がその感情にひどく囚われている事を感じた瞬間、粧裕は自分でも抑えきれないほどの嫉妬に駆られた。  
例えその感情が憎しみだったとしても、兄の心を占めるのが自分では無いことに、耐えられなかった。  
(私からお兄ちゃんを奪うヤツは許さない…)  
 
男−−流河と兄に呼ばれていた男を見つめる。  
彼は皿の上に残った苺をフォークで弄んでいた。そして粧裕の視線に気がつけば、後頭部を掻きながら言った。  
「どうも。流河です」  
言い終わると、流河は苺をフォークで突き刺して口の中に放った。  
 

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