世間はキラの話題で一色の2009年。
どんな売れっ子アイドルや大物政治家だって、
キラというトリッキーなスターの前では霞んでしまう。
民放もローカルTV局も、そして国営放送までもが、
こぞってキラについての特集番組を組むご時世だ。
NHNのスタジオの片隅で、高田清美は今日最後の仕事を終えふっと息をついていた。
アナウンサーという仕事に就けた時はとても嬉しかったけれど、
いざやってみると楽じゃない。
報道人として真実を世間に伝えたい、正義とは何かを世間に訴えたい。
そんな純粋な理想をもってやってきたというのに、
どうしてこうも正義や真実とは反対の醜い事が、
この業界には溢れているんだろう。
コーヒーを片手に窓際の椅子に座り込んで、
彼女は今日1日の出来事をぼんやりと思い返す。
やらせに満ちたドキュメント番組、
しつこく言い寄ってくるプロデューサー、
女子アナ間の揉め事…
―だめね、思い出すだけで余計に疲れるわ。
清美は思考を打ち切って、帰り支度をしようと廊下に向かった。
大丈夫、何も問題ない。
今の生活は悪くない。
NHNの花形として仕事を任されているのは誇らしい事だし、
何より気になるキラの情報を最前線で受け取れるのはとてもわくわくする。
仕事はそれで十分。
―ただ。
清美は少女のように空想する。
こんなふうに仕事に疲れた私を、優しく抱きしめてくれる男性がいれば―。
甘ったるい空想に耽る自分がふと恥ずかしくなって、
清美はうつむいて廊下を足早に進んだ。
ドンッ、と急に衝撃を感じて、思わず清美はぐらついた。
―!
バランスを失って倒れそうになった瞬間、
目の前の男がとっさに清美の腕を掴んで支えた。
どうやら自分は早足のままその男にぶつかってしまったらしい、
と気付いた清美は慌てて口を開いた。
「…すみません、不注意で…」
「いえ、気にしないで下さい。大丈夫ですか?」
「はい…」
腕を掴まれた事に少しドギマギしながら顔を上げると、
そこには見覚えのある男が立っていた。
「あ…魅上さん?」
男は魅上照という検事で、清美とはキラや法律関連の番組で何回か共演した仲だった。
若いながらも優秀で実績があり、
何よりも熱心なキラ信者という事が
プロデューサーに買われてTV出演しているのだが、
実は清美もこの検事に密かに好感をもっていた。
有能な検事という肩書きに、
涼しげなルックスも多少加味されてはいるけれど。
それだけに清美のドキマギは大きくなったが、
場数を踏んだアナウンサーらしく彼女は落ち着いた笑顔を作る。
「ありがとうございます。
魅上さんが支えてくれなかったら転んでしまってたわ。
ご迷惑をかけてごめんなさい」
「いえ…」
魅上は清美の腕から手をぱっと離して、
唇のはしを少しだけ動かしてぎこちなく笑った。
その表情は20代後半の男性にしては子供っぽくて、
清美の好奇心がかきたてられる。
「魅上さん、今日も番組の収録でここに?」
「…はい。キラについての討論番組で…」
「お忙しいんですね。でも魅上さんの発言にはとても説得力があるから、
制作側にとってはとても助けになるんです。
…キラの存在の意味を正しく世間に伝えるためにも、ね。
まだまだキラの思想を正しく理解してない人が多いですもの」
緊張しているわりにすらすら言葉が出てくるものだ、と清美は自分に驚いた。
「そうです!」
魅上は急に語感を強くして言った。
「キラを否定する人はまだまだ多い。
確かにキラは大量殺人を行なっていますが、
それは悪ではなく正義の名の元に下される裁きだという事を、
私はもっと世間に理解してほしい。
私がメディアで発言して少しでもキラの理解者が増えるというのなら、
努力は惜しみません!」
今までの堅い態度とはうって変わって熱弁する魅上に、
清美はびっくりしながらも心が動かされた。
―意外と熱い人なのね。
清美は胸の奥にかすかな甘い感覚を覚える。
―この人になら。
「…魅上さん、あなたの意見をもっと聞きたいわ。
ここだけの話、私の考えもかなりキラ寄りもなんです」
「えっ…」
「アナウンサーという立場上中立を守らなきゃいけないから、
そういう考えを表に出すなと言われてるんです。
それは正しい事だけど、自分の意見を伝える場がないというのも淋しいわ。
ただでさえ世界がキラ寄りに傾いて来てるというのに」
魅上が驚きながらも、
自分の話に興味を持ち始めているのをひしひしと感じて、
清美は誇らしいような
くすぐったいような気持ちになった。
―同じ価値観をもつ人と、キラや正義について語り合いたい。
―そしてこの人の事を、もっと知りたい。
「魅上さん、いきなりこんな事を言って失礼かもしれませんが…。
この後、お時間ありませんか?」