キラとして月を捜査本部に突き出すべきか。  
それとも黙って月のしていることを見逃すべきか。  
どちらかを選べと、月は言う。  
自分を静かに見下ろす月のその視線を受け止めることが出来ず、粧裕は逃げる様に目を伏せた。  
 
「・・・・やめる事は出来ないの・・・・?」  
「やめる?」  
「『キラ』を・・・やめる事は、出来ないの・・・・?」  
「・・・・なるほど、それがお前の答えか・・・。」  
 
粧裕らしいな、と小声で呟くと、月は声を立てずに笑った。  
 
「もし僕が今『キラ』を止めたなら、粧裕は今までの『キラ』のしてきた事を全て見逃してくれるって事か?」  
「わ、私は・・・。」  
「でも僕も遊びで『キラ』をやっている訳じゃない。今更やめる気はないよ。」  
「でも・・・。」  
「もし僕が『キラ』をやめる時がもし来たとしたら・・・それは、僕が死んだ時だ。」  
 
あるいはLに捕まったときかな、と月はつまらなそうに付け加えた。  
粧裕はそっと顔を上げると、改めて月の顔を恐る恐る覗きこむ。  
造り物めいた秀麗な顔立ち。色素の薄い瞳に、粧裕の怯えた表情が映る。  
弱冠の疲れはみえるものの、その表情は静かで、穏やかですらあった。  
とてもではないが、毎日人を殺し続けている人間とは思えない。  
だがその澄んだ表情が、粧裕には返って恐ろしく思えた。  
そんな粧裕の怯えをみてとり、月は再び苦笑した。  
 
「粧裕は『キラ』をどう思う?」  
「どうって・・・・。」  
「僕が最初に『この力』を使って裁いたのは・・・・とある通り魔だ。そいつは無差別に六人の命を奪った上、保母と幼児を人質にとって保育園に立て篭もった。もし僕が裁かなかったら、その人質たちはどうなっていただろうね。」  
 
「キラが現れてから、世界中、特に日本では凶悪犯罪率が激減している。この意味がわかるか?粧裕。」  
 
物分りの悪い小さな子供に言い聞かせるように、月はゆっくりと語る。  
 
「本来起こるはずの犯罪が未然に防がれているんだ。キラによって、助かった人達だって大勢いるんだよ。  
メディアはキラに殺された犯罪者達ばかりを放送しているけど、もしキラがいなかったら、被害者としてTVで放送されていたのは、そいつらによって殺されていた哀れな罪もない一般人だったかもしれないのにね。」  
 
月の言葉にどう反論していいかわからず、粧裕はただ青ざめた。  
犯罪者なら死んで当然、とは粧裕とて思っていなかったが、犯罪者が死んだ事によって助かっている人がいる、というのは考えた事もない意見だった。  
粧裕の沈黙をどう受け止めたか、月は再び言葉を紡ぐ。  
 
「犯罪を犯した当時未成年だった、とか精神が不安定だった、とかそんな理由で、嘘みたいに軽い罪ですぐに釈放される犯罪者が世の中には驚くほど沢山いるんだよ。そういう奴らが、世に出てまた罪もない人を毒牙にかける。  
指名手配犯や凶悪犯罪者なんて生かしていたって害にしかならないじゃないか。  
そうは思わないか?粧裕。」  
「・・・・・でも、どんなに悪い人でも、法によって裁かれるべきだって・・・。」  
 
父さんが言っていた、とうわ言の様に粧裕は俯いたまま言葉を返す。  
恐ろしさのあまり、語尾が震える。  
月の語る言葉以上に、その月の言葉に思わず納得しそうな自分が恐ろしかった。  
 
「父さんらしい・・・そして実に粧裕らしい意見だ。」  
 
粧裕のたどたどしい返事に月は軽く微笑した。  
こんな会話を続けている時でも、月の表情はいつもと変わらない。  
まるで粧裕が何か冗談を言ったかのように、穏やかに優しげに笑む。  
 
「僕は、そんな父さんが好きだし、そんなお前が好きだ。どんな悪人でも個人の独断によってではなく法によって裁かれなきゃいけないと、僕自身思うよ。」  
 
その言葉の意味がわからず、思わず粧裕はポカンと月の顔を見上げた。  
 
「どんな罪人を個人の権限で裁いてはならない。罪を裁くのは法でなければならない。本当にその通りだ。」  
「そ、そう思うのなら・・・・。」  
「粧裕、何故殺人鬼であるキラを支持する人が世の中に大勢いるのだと思う?」  
「・・・え?・・・・それは・・・・殺している対象が・・・犯罪者だから・・・?」  
「勿論それもある。けど、もしこれが実態のある個人だったらどうだろう。」  
「実態のある・・・個人・・・?」  
「一部の人々がキラを支持するのも恐れるのも、キラ人智を超えた力を使っているからだよ。同じ人間ではなく、『人ならざる者』だと思うからこそ、彼らはキラを受け入れられるんだ。」  
「・・・・それは・・・・。」  
「死んでしまえと思うような凶悪犯だって、法を無視した人間に殺されたら確かにそれは問題だ。それは単なるテロリストに過ぎない。でも、天罰としか思えない不思議な力で裁かれたのだとしたら?」  
 
次第に月の口調が熱を帯び、瞳に強い光が灯る。その様子に粧裕は圧倒された。  
 
「キラの存在によって、人々は忘れてしまった『罪への恐れ』を思い出した。  
そして日に日に犯罪は減ってきている。素晴らしいと思わないか?粧裕。」  
 
でもそれは一時的なものだ。  
 
「確かに僕はいずれ死ぬ。その時キラの裁きは途絶えるだろう。でも、その頃には犯罪者は殆どいなくなって、人々の心にはキラへの・・・罪への恐れが植え込まれているはずだ。それが礎となってくれればいい。」  
 
罪への恐れがなくなっているのは、世の人々ではなく、月自身ではないのか。  
 
「キラの存在が人の心の戒めになる。例え僕が死んでも、キラは人々の心に永遠に生き続ける。・・・・・神として。」  
「神・・・・・。」  
 
粧裕は思わず月の言葉を復唱する。神。  
月の狂気をまざまざと突きつけられたように思え、粧裕は呆然とした。  
地位も名誉も権力も富も、人々の賞賛すらも月は欲しはしない。  
ありとあらゆる長所に恵まれ、その気になれば何でも出来る、何にでも成れるといわれた月が、真に願ったのは神になる事だったのか。  
 
月は神になりたいと願った。人の心の片隅で戒めとして永遠に生きれば良いと。  
だがそれは悲しいぐらい傲慢で、幼稚で、滑稽な夢のように粧裕には思えた。  
 
「・・・・僕には『力』がある。」  
「・・・力?・・・・顔を見ただけで人を殺せる力?」  
「力を持っているのに使わないなんて、その方が余程罪深いとは思わないか?」  
「・・・思わないよ・・・人を殺す力なんでしょう?」  
「でも、この力で助けられる人がいる。世の中をいい風に変えられる。それが判っていて力を使わないのは、卑怯じゃないか?」  
「お兄ちゃん・・・・。」  
「力を使う事で世の中が美しくなるのなら、僕は喜んでこの手を汚すよ。」  
 
月はそう言って自らの両手を開いてみせた。  
男にしては白くて細い、その長く美しい指を、粧裕は絶望的な思いで眺める。  
一体自分は月の何を見ていたのだろう。月に焦がれながらも、月の事など何もわかっていなかったのだ。  
『いつもどこか醒めた表情の、何でもそつ無くこなす礼儀正しい優等生』  
粧裕は月の事を常々そう思っていた。それがどうだ。  
月の中にこんなにも熱い情熱と強い狂気が潜んでいる事に、どうして今までみじんも気がつかなかったのだろう。こんなに傍にいたというのに。  
 
「・・・じゃあFBIの人達は犯罪者じゃないのにどうして殺したの?」  
「彼らに罪はない。だが、僕は捕まるわけにはいかない。仕方なかったんだ。」  
「・・・仕方ない?」  
「どんな事にでも、多少の犠牲はつきものだよ。世の中を変えるためにはね。」  
 
十二人の罪のない命を、多少の犠牲と言い切る月に、粧裕は眩暈がした。  
 
「・・・お兄ちゃんは・・・・お父さんを見ても、何も思わないの?」  
「父さん?」  
「キラ事件の為に奔走している父さんを騙している事に、何も思わないの?」  
 
月の色素の薄い瞳が、驚いたように見開かれた。  
月は狂っている。病んでいる。月の言葉は正論のようで、どこかおかしい。  
いびつに歪んでいる。だが、どこがおかしいのか、粧裕には指摘できない。  
 
それでもキラ事件に命をかけている父に、そんな父を心配する母や自分に、月が何食わぬ顔で接していたというのが理屈ぬきで粧裕には耐えがたかった。  
もっとも身近にいる肉親を、月は平気で欺いていたのだ。  
 
「お兄ちゃん・・・・・。あの化け物はどこ・・・・?」  
「化け物・・・?ああ、リュークの事か・・・・。」  
「・・・アイツは何なの・・・・悪魔?」  
「死神だそうだ。ああ見えて、悪い奴じゃないんだ。結構可愛い所もあるしね。」  
「・・・・死神・・・・。」  
 
月は死神に憑かれている。  
あの禍々しい姿の死神が、月に能力を与え、大量の人間の命が奪わせている。  
その事実は、粧裕にとっては恐ろしくもあり、逆に救いがあるようにも思えた。  
月を狂わせているのは死神なのだ。  
 
「お兄ちゃんは・・・あの化け物に騙されているんだよ。」  
「僕が騙されている?・・・リュークに?」  
「その死神がお兄ちゃんに、『力』を与えたんでしょう?」  
「確かに『力』僕に与えたのはアイツだけど、別に僕は騙されちゃいないよ。」  
「・・・お願いお兄ちゃん、そんな能力は捨てちゃおう?」  
「・・それはできない。」  
「気がついていないの?ソイツのせいで・・・その能力のせいで私達も、お兄ちゃんの人生も滅茶苦茶になっているんだよ。」  
「滅茶苦茶?」  
「そうだよ。お兄ちゃん利用されているんだよ。・・・可哀相なお兄ちゃ・・・。」  
 
粧裕は最後まで言う事ができなかった。ふいに物凄いスピードで腕を引っ張られ、月の寝台の上に押し倒されたのだ。呆然と月を見上げる粧裕の瞳に、月の蒼白な顔が映る。  
 
「粧裕・・・父さんやアイツだけじゃなく、お前まで・・・僕を哀れむのか?」  
「お、お兄ちゃん・・・・。」  
「僕は自分の意志でこの『力』を使っているんだ・・・。誰にも騙されても利用されてもいない・・・・。僕は不幸なんかじゃない・・・・。」  
 
ちっとも不幸なんかじゃない、と掠れるような声で月は再度呟いた。  
 

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