コンコン、と部屋がノックされる。
誰?と返すと「私…」と細い声が聞こえた。
妹の粧裕だ。入って来いと促すとおずおずとドアを開けた。
顔が青ざめている。心なし足も震えているようで心配になった。
「どうした、具合悪いのか?」
「お、お兄ちゃん…私…」
「?」
「あ…あかちゃんできたかも知れない」
そう言うと粧裕は声をあげて泣き出した。
「誰にも、まだ、い、言わないで?」
しゃくりあげる妹を前に思考が混乱する。
「相手は誰なんだよ…」
ようやくそれだけ問掛けた。
「やだ…」
「言え!」
粧裕の肩を掴んで顔を覗き込み目を合わせる。
どれくらいそうしていただろうか、ようやく粧裕が口を開いた。
「…お父さんと…お仕事…っ、してる人で…」
「……うん」
「りゅ、竜崎さんって…いう人」
六月に入り日も長くなったが、校舎を出るとだいぶ辺りは暗くなっていた。
友人達とたわいもない話をしながら校庭を歩く。
その時、一人が粧裕の袖をひっぱり校門を指差した。
「なんか怪しい人がいるんだけど!」
「え?どこ?」
「うわマジ、こわっ」
騒ぎ出した友人につられて粧裕も校門を見るとそこには一人、男がいる。
ひょろりとした感じの猫背で、ぼさぼさの髪は顔の半分近くを隠している。
校門に座り込んで、
時折校庭に目をやり誰かを探しているような仕草をみせた。
「とにかく知らない振りすれば平気だよ…」
校門に近付くと、男がこっちをジッと観察しているのがわかった。
自然と皆無言になる。
緊張しながら前を通りすぎほっと息をついた瞬間、後ろから声が聞こえた。
「夜神粧裕さん」
一斉に声をあげて逃げる。
「ちょっと待って下さい」
後ろを振り返ると慌てた様子で男が追ってきている。
粧裕はいつの間にか一人だった。
すぐに追い付かれ腕を掴まれる。
「いやーっ!変態!!た、助けてお兄ちゃん!」
「落ち着いて下さい、私は変態じゃありません」
「やだぁっ、離して!!」
それでも尚振りきろうとすると今度はもう片方の腕も掴まれ身動きが取れなくなる。
男は粧裕の顔を覗き込んだ。
その顔は青白く、目は真っ黒で光を宿していないように見える。
(助けて…!)
あまり恐ろしさに涙がにじむ。
その時男は意外な台詞を口に出した。
「お兄さんには似ていませんね。可愛らしい」
「!?」
「申し遅れましたが私は貴方のお父さんの同僚で竜崎と言います。
驚かせたようですみません」
****
「粧裕ー今日も一緒に帰れないの?」
「ごめん、ちょっと用事あるんだ」
「まさか彼氏でも出来た?」
「そんなんじゃないって!」
教室で友人と別れ裏門へ走る。
裏門からこっそり顔を覗かせると、やはり目当ての人物は石柱の下に座り込んでいた。
「竜崎さん!」
「あ、こんにちは」
声を掛けると、ゆっくり立ち上がった。その背は意外と高い。
話してみると竜崎は思いの外普通の青年だった。
あの日、竜崎は暴れる粧裕をなだめ色々な話を聞かせた。
父と共にキラの捜査をしている事、それはとても危険な行為だという事、
そして捜査員の家族にまで被害が及ぶ恐れがあること。
「だから貴方にも話を聞きたい。
家族や身の回りがどんな様子なのか…、週に一二度でかまいません。
協力して頂けませんか」
それから週に二回、いつも竜崎の乗ってくる車の中で話をしている。
時に全く関係の無い話にまで飛躍する事もあったが、
竜崎は楽し気に相槌を打ってくれた。
それが粧裕は嬉しかった。
その日車の後部座席に座ると、いつも運転席に座っている初老の男がいない事に気付いた。
「あれ、今日は運転主さんいないんですか?」
「…はい。ちょっと出かけています」
その返答を、さして気にもとめず粧裕は話を始めようとした。その時、
「粧裕さん、今日で会うのは止めにしましょう」
「…え?」
その言葉の意味を理解できず声を失う。
「貴方の話はとても楽しかった。ありがとうございました」
「…なんで?」
絞り出した声は震えていて、自分はひどくショックを受けているのだとぼんやり思った。
知らないうちに視界がにじむ。
それを見て竜崎は舌打ちした。
「もう自分自身を抑える自信がないんです」
「え…」
「こういう事です」
言い捨てると、竜崎は粧裕をシートに押し付けた。
両手首を掴んで口付ける。
「やっ、りゅうざ、やだっ」
顎を掴んで背けようとする顔をこちらに戻す。
声を出そうと口を開いたところを見計らって舌を差し入れると驚いて硬直した。
(キスも初めてか…)
そっと髪を撫でると、ほっと肩の力を抜いた。
「ん…」
押しやろうとするが、力が入らずただ肩に手をそえるだけになる。
初めての深いキスに粧裕はただ困惑していたが、不思議と嫌ではなかった。
口付けたまま竜崎はそっと胸元にある制服のリボンに手をかける。
シュル、と音をたててそれを解きブラウスの釦を外すと、粧裕の日に焼けていない肌が露になった。
その白い肌に口付けたい欲望に駆られ、一旦唇を離す。
粧裕の体はくったりと力が抜けたまま、ただ竜崎の唇を目で追う。
その唇は濡れて光っていて、なにかひどくいやらしいものを見た気分になった。
体の奥がなぜか熱くなる。
「そんなもの欲しげな顔をしないで下さい
本当に抑えられなくなる」
「あっ」
竜崎は粧裕の首筋に唇を落とすときつく吸いあげ跡を残す。
その細く白い首を舐めあげると擽ったいのか身をよじった。
「ん…」
「粧裕さん、私は貴方の事が好きです」
「やっ、あ!」
「愛していると言ってもいい」
「や、やだ、そんなとこ、んんっ!」
「私は卑怯な人間だ。だから」
「ん、ああっ」
「貴方に選ばさせてあげます」
「今ここで私のものになるか、私を捨てて二度と会わないか。
貴方が決めなさい」
「な、なんで…」
このまま竜崎と体を繋げるのは怖かった。けれど…
見る間に粧裕の目に涙が溜り今にも溢れ落ちそうになる。
「あっ、あたしは…っ」
声を出すと目からポロリと水滴が落ちた。一粒流れると、関を切ったように次々涙が溢れ出る。
「竜崎さんが…っ…」
「すみません」
続く言葉は竜崎の抱擁によって遮られた。
腕を引っ張られて竜崎の胸に抱きとめられる。
「本当にすみません。私はどうかしていた」
体を離し、粧裕のはだけた制服の胸元を直す。
きっちりと第一釦まで閉め終えると竜崎はうつ向きながら言った。
「さようなら、粧裕さん」
それからどうやって帰ったのかあまりよく覚えていない。
気付くと部屋のベッドにうつ伏せていた。
竜崎の仕草、声、話し方…そんな事ばかり思い出す。
好きだと言った竜崎の声が頭から離れなかった。
「粧裕、風呂あがったぞ」
「…うん」
兄の言葉にのろのろと起き上がり風呂場に足を運ぶ。
シャワーを頭からかぶると、全て忘れられる気がして気持よかった。
ふと鏡に写る自身を見る。
唇、頬…今日竜崎に触れられたところを指先で辿っていく。
首筋でその指がとまる。
「っ…」
赤い跡。
「あたし…っ」
「竜崎さんが好き…」
涙と呟きは、シャワーと共に流れた。
****
裏門の石柱の下。
いつものように座り込む彼。
「なぜ来たんです」
「竜崎さんこそ。なんで私を待ってたんですか」
「……」
「…私を抱いてください」
****
「あ、あっ」
「そんなにココが気に入りましたか。」
快感に腰をくねらせる粧裕の耳元に竜崎は囁く。
竜崎は口と指先で粧裕の乳首をもて遊んだ。
ピンクの乳首は、うっすら赤く染まり痛いくらいにたちあがっている。
「…ぃやっ!」
そこ軽く甘噛みすると背筋を反らせ鳴く。
まだ小振りな乳房を手に納めて揉みしだけば、眉をしかめながら快楽の表情をあらわした。
「あっあっ」
漏らされる甘い声に竜崎は満足しながら、膝をこすりあわせている様子を見留める。
ニヤリと笑い、スカートの中に手を差し込み太股の内側を撫で回せば、期待に息を飲む気配がした。
「…は、ぁ」
「どうしました?」
粧裕は、ん、ん、と口に腕を当てながら首を横に振る。
「じゃあ、ここは」
「ひゃう!」
つぅ、とワレメにそって一撫ですると、今までで一番大きな声をあげた。
竜崎の指は、あくまでそこを辿るだけでだった。
「あ、はっ」
布越しの刺激では足りない。ジラされて、もじもじと腰を動かす。
「…どうして欲しいか言ってみなさい」
「や、やだっ」
直に触れていないのに、もうそこははっきりと濡れているのがわかっていた。
それなのに、いまだ強情に粧裕は首を横に振り続ける。
業をにやした竜崎は、下着の脇から手を差し込み陰核を探った。
「や、あ、あん!ひっ」
すっかり取り乱した粧裕は両手で宙を掻く。
竜崎はその腕を掴んで、自分の肩にまわした。
「私ももう限界なんです」
「あん、あっ」
指を一本挿入してならしていく。
粧裕は異物感に顔をしかめながらも抱きついて耐えた。
その様子が可愛くて、竜崎はつい口をすべらせた。
「おねだりして下さい」
竜崎は、あっ、と口を抑えると困ったように頭をかいた。
「すみません、こういう台詞は慣れてからと思ってたんですが」
「あなたを見ていたら、つい」
粧裕にのしかかりながら恥ずかしそうに言う竜崎に、つい笑ってしまう。
目の前にある顔を胸に抱き寄せ囁いた。
「…優しくしてくださいね?」
竜崎は、ふと笑うと、もちろんですと呟き粧裕に口付けた。
それから二人は会う度に体を重ねた。
ホテルで、車の中で、そうするのが自然であるかのように。
竜崎は優しかったし、どんな時も夜は家に帰した。
父に対する後ろめたさはあったが、悪いことをしているとは思わなかった。
しかし、粧裕はある日体の異変に気付いた。
(…生理がこない)
粧裕は急に竜崎とセックスしていた事を不安に思った。
生理が来なくなって二ヶ月。もしかしたらただの周期不順かもしれない。
しかし、何度か避妊具なしでの性交をしていた。
竜崎がそうしたいと言った時もあれば、粧裕が願った時もある。
竜崎が自分の奥で達すると、ひとつになれた気がして粧裕は幸せだった。
「粧裕、どーしたの〜?」
「あ、うん。なんでもない」
(…どうしよう)
窓の外を見ると、先程まで晴れていた空は黒い雲で覆われていた。
陽性。
+の記号の意味がよく分からない。
頭が真っ白になり耳鳴りがした。
昨日妊娠検査薬を買った。
家では何故か試したくなかったのでデパートのトイレに入った。
立っていられなくなり便器に座り込む。
(どうしようどうしようどうしよう)
脳裏に浮かんだのは父と母の悲しみ怒る姿。
そして背をむける竜崎。
(お兄ちゃん…)
妊娠しているかもしれない、そんな事を兄に言ったら軽蔑されるだろうか。
しかし、粧裕が一人で背負うには余りに大きすぎることだった。
兄ならなんとかしてくれる…それはもはや哀願に近かった。
****
(竜崎……流河!?)
月は目の前で泣きじゃくる妹を信じられない面持ちで見る。
「…本当なのか」
粧裕の言葉を信じていないわけではない。信じたくなかった。
まだ中三の妹。
「竜崎の事なら僕も知ってる」
冷たい声で言うと粧裕は顔をあげた。瞳に恐怖の色が宿る。
「やだ!竜崎さんには言わないで!お願い!!」
「………」
「竜崎さんがっ、す、好きなの…嫌われたら…っ」
また涙をこぼす妹を見て月は震えた。
竜崎に対する怒りだ。
「とにかく明日お兄ちゃんと病院に行こう。な?
ちゃんと検査しないとわからないじゃないか」
「…わ、わかった」
「うん。じゃあ涙拭け」
うなずく妹にタオルを渡してやる。
こうして涙を拭っている妹はまだ幼くて、か弱い。
しかしその体はもう流河に汚されているのだと思うと心臓が早鐘を打った。
(流河……)
月は目を憎しみに細めた。
「たまには二人でどこか行きたいなー」
「どこか、ですか?」
「だって…竜崎さんと来る所って、その」
「ベッドの中だけじゃ不満ですか?」
「きゃ、っ、さっきしたばっか…!」
「…二人でいられればどこだって変わりません」
****
校庭をぼんやり眺めながら、二人で交した会話を思い浮かべる。
それはついこの間の事だったはずなのに、もう遠い過去のもののように思えた。
竜崎は多忙だった。会う時間をつくるのも大変なことを粧裕は気付いていた。
それでもわがままを言ってしまった。
その時の少し困った表情の竜崎が脳裏をよぎる。
(なんであんな事言っちゃったんだろう…)校庭の景色がぐにゃりとゆがむ。
「粧裕、どうしたの!?何かあった!?」
慌てる友人を見て初めて、自分が涙を流していることを知った。
――――
医者は決して「おめでとう」とは言わなかった。
代わりに痛々しい目で粧裕を見た。
病院のロビーで待っていると、じきに粧裕が病室から出てくる。
「帰ろっか、お兄ちゃん」
そう言って先に歩きだした背中は頼りなさげで不安になる。
月が、買っておいたお茶を渡すと素直に受け取って、それから笑う。
「夏なのにホット?」
「…それしかなかったんだよ」
「わかるような嘘つくなんてお兄ちゃんらしくないね」
「僕がいつも嘘ついてるみたいな言い草だな」
本当は自分の体を気遣ってくれている事はわかっている。
しかし、こうして軽口を叩いていないと
また涙が溢れてしまいそうで粧裕はわざと明るい声を出した。
もう誰にも迷惑をかけたくなかった。
「…お兄ちゃん!」
背を向けたまま話す。
「あたし、赤ちゃんは生まない。竜崎さんとも別れる。
うん、それが一番だよ。ね?」
「……」
「……ごめんね」
そう呟いた言葉が、月にむけてなのか、竜崎に向けてなのか
それとも自分の中の命に対してなのかはわからなかった。
ただ、粧裕を見るのが辛くて月は目を閉じた。
携帯を持つ手が震えた。
『…あなたが何を言っているのかわかりません』
初めて聞く低い声。怒っている。
「だから、竜崎さんとはもう会えないんです」
『理由を言ってください。納得できない』
「もう会いたくないんです」
『私のことが嫌いになりましたか』
「…はい」
『嘘ですね。あなたは…』
最後まで聞かず通話を切って電源を落とした。
これ以上竜崎の声を聞いていたら、叫び出してしまいそうだった。
別れたくない別れたくない。
あんなに心に決めたのに、声を聞いただけで竜崎に触れたくてまたらなかった。
『電波の届かない場所に居られるか、電源が入っていないため…』
もどかしげに電話を切る。
大学の階段の踊り場にしゃがみ込みながら竜崎は爪を噛んだ。
なぜあの子があんな事を言い出したのかわからない。
三週間会っていなかった。
しかし自分が忙しいのは理解してくれていたはずだ。
だいたいそんな事で別れると言い出すような子ではない。
だったら何故…
「流河、探したよ」
その時ふいに声を掛けられた。
夜神月。
「最近大学来てなかっただろ。話があったのに…」
そう言い終わらないうちに、
月は竜崎のシャツを掴みあげて壁に押し付けた。
ギリ、と睨みつける。
「…穏やかじゃないですね…。私がなにか?」
「もう妹には近付くな」
「…知ってたんですか。
心配しなくてもたった今振られたところです」
「妹はお前に傷つけられた」
「…どういう事ですか」
「粧裕は妊娠してた」
一学期の終わり。
終業式を終えて粧裕は友人と連れだって校庭を歩いていた。
「マジで終業式に出られてよかったねー」
「夏風邪こじらせるなんて間抜けだよ!心配したよ?」
「ごめんね、もうかなり元気になったから!」
笑顔で嘘をつく度チクと心が痛む。
手術の後、微熱が引かず一週間学校を休んだ。
母と父には兄が上手く取り繕ってくれて、奇跡的に隠し通す事ができた。
しかしこの数ヶ月で色々な事が起こりすぎた。
今ではもうずいぶん昔のように思う。あの門の所に竜崎が座り込んでいて…
「ねえ、あそこ変な人いない?」
「うわ、また?」
「しかも前と同じヤツじゃね?」
信じられない。
竜崎はそこにいた。
いつもの格好で、いつもの座り方で、粧裕を待っていた。
「粧裕さん」
その声が自分の名を呼ぶだけで体が震えた。
「あなたを迎えに来たんです」
(聞いちゃだめ!)
粧裕は振り返らない。振り返ってはいけないと必死に自分に言い聞かせる。
でも。
「あなたと二人でどこかに行きたい」
その言葉を聞いた時、今まで我慢してきた感情が溢れ出して止まらなかった。
もう竜崎が愛しいのか憎いのかもわからなかった。
ただ夢中で彼の元に駆け寄ってその体を抱き締めていた。
****
「どこまでいくの?」「わかりません」
頬にあたる風が気持よくて粧裕は目を閉じた。
二人きり、との言葉通り竜崎は初めて車で来なかった。
その代わりに、少し錆び付いた自転車。
『ちょっとそこら辺から拝借してきました』
そんな発言に呆れつつ、自転車に乗れたんだ、と素直な感想を述べる。
すると「失礼な」と不機嫌な声が風に乗って聞こえてきて粧裕は笑った。
こうしていると、全てが悪い夢だったのではないかと思えてくる。
妊娠も、堕ろした事も、別れようと決めた事も。
(だってこんなに近くにいる)
粧裕は自転車を漕ぐ竜崎の腰に腕を回した。
「粧裕さん」
額を背中につけると彼の声が響いてくるのがわかった。
「…お兄さんから全て聞きました」
「……」
竜崎の唇の端が切れて痣になっていたのを思い出す。
閉じていた目を開けると夕日が河に反射して眩しい。
自転車が丁度陸橋の中央に差し掛かったところで粧裕は口を開いた。
「竜崎さん、ここがいい」
キ、と耳に障る音を立てて自転車が止まると、降りて手摺に寄った。
河川敷に遊び回る子供の姿がみえる。
「うん。ぴったり」
「何がですか」
「ここが一番だと思う」
「全部流しちゃうんだ。
思い出も、悲しい気持も、竜崎さんを好きな気持も、
全部この川に流しちゃうの」
「……」
「竜崎さんと別れるってね、お兄ちゃんに言ったの」
「もう裏切れないよ」
「……」
「私がまだ子供だったからいけなかったのかなぁ…」
ふいに唇に竜崎の体温を感じる。
「私はあなたを泣かせてばかりですね」
その声が震えていたのは気のせいだったのだろうか。
夕闇が深くなってから帰ると、兄が玄関先で待っていた。
心配そうな顔を見て、やはり帰ってきてよかったと思う。
「ただいま」
「おかえり」
私の帰る場所はここなのだ。
(でも)
(もう少し好きでいてもいいよね)
新学期の朝、粧裕宛てに一通の手紙が届いていた。
教室の窓際でその封を開ける。
そこには一行、文字が綴られていた。
『また必ず迎えに行きます。今度は新しい自転車で』
粧裕はその手紙に口付けを落とすと、紙飛行機にして校庭に飛ばした。
日の光を受けて、それは白く輝いていた。
おわり