白河ことり。  
彼女には魔法の力があった。  
意識せずとも、頭の中に相手の心の声が流れ込んでくるのだ。  
相手と衝突しないために便利なときもあるし、逆に疎ましく感じることもある。  
だが彼女は今、この力を新たな方向に使おうとしている。  
思い人を深く知りたい、感じたい。  
そんな気持ちが、彼女を突き動かしたのだった。  
「恋する乙女は無敵」  
昔誰かが、そんなクソいいかげんなことをのたまった。  
だが今の彼女は、まさにその通りなのだった。  
 
朝倉音夢事件・黄  
 
ことりは今日も今日とて、朝倉純一のストーキングをしていた。  
好きな相手の事を知りたい。  
たしかに恋する者ならば、そう思ってもしかたのないことなのだろう。  
だがしかし、平日の登校前。  
しかも、朝もはよからパンとジュースを片手に電柱の影からこっそりと朝倉邸を見張っているのだ。  
やはり、おはようからお休みまで暮らしを見つめるストーカー以外の何者でもないように見えた。  
そうこうしているうちに、玄関の扉が開く。  
(あ、音夢さんと並んで出てきた朝倉くんを発見!  仲良さそうに笑ってる)  
ことりは電柱の影で、食べ終わったパンの袋をポケットに押し込み、  
昨日購買で買った80円のオレンジジュースのストローに口を付ける。  
(いいなぁ・・・私もあんな風に並んで歩きたい。  
 ・・・・・そうだ、音夢さんは朝倉君のこと、どう思ってるんだろ。  
 一緒に暮らしてる妹さんなら、ひょっとしたら  
 普段垣間見ることのない朝倉くんを知ることが出きるかもしれない)  
 
考え中。  
良心と好奇心が鬩ぎ合う。  
やがて、天分の針が傾いた。  
(う〜ん・・・・・・・・ごめんなさい音夢さん、あとでジュースおごるから)  
心の中で音夢に向かって手を合わせ、頭に意識を集中する。  
数十メートル先を行く朝倉兄妹。  
目標は向かって右側。  
十分、射程距離内だ。  
音夢の心に手を伸ばし、そっと触れる場面を想像する。  
ズギャギャ〜〜ン  
スタンドの発動音が聞こえたような気がしたが、無視することにした。  
徐々に心の中が聞こえてくる。  
・・・  
・・・・  
・・・・・  
『んぶっ、はぷっ・・・・ズチュルルルルルルゥ〜〜〜〜ッ  
 はあ、はあ、んん〜、チュッ   れる・・んんぅ・・・れろっ  
 はあぁっ・・・もう兄さん、はやく起きてよねっ  
 ココだけ起きてもしょうがないでしょ?』  
 
ブフフゥゥッッーーーーー!!!  
噴いた。  
飲みかけのオレンジジュースが勢い良く口から飛び出た。  
「今吹き出したのって、白河さんじゃないか?」  
「本当だ、何やってんだろ」  
しかし、彼らの声はことりには聞こえていない。  
というか、それどころではないのだ。  
 
(こ、こ、こ、こ、これは・・・・・・!!!)  
汚れた口元をスカートのポケットから取り出したハンカチで拭いながら、努めて平常を装う。  
(ま、まさか、まさか、そんな・・・・・・・・・・冠婚葬祭ぢゃなくて、近親相姦!?)  
妹属性のある人から見たら涎モノのシチュエーションに  
なんだか悪い夢でも見ているような気がして、こめかみを押さえた。  
フラつく足下。  
グルグル回る頭の中。  
落ち着けことり。  
もしかしたら、今のは何かの間違えなのではないのか?  
別の何かの事なのかもしれない。  
・・・・・・  
・・・・・・  
考える。  
朝倉兄妹から一定の距離を保ちつつ、今聞いた心の声を検証し始める。  
1,本人は寝ているのに、一部分だけが起きている。  
2,音夢はそれを舐めている。  
3,『ココ』とはどこなのだろうか。  
上げられる要点と疑問点。  
想像する。  
ベッドに寝ている純一のパジャマのズボンはズリ下ろされている。  
その上に顔を埋める音夢。  
問題は顔を埋めている部分だ。  
足の指?  
いや違う。  
太股?  
・・・たぶん違う。  
 
ひょっとすると、足と足の付け根の部分だったりするかもしれない。  
そこは朝から元気だった。  
噂に聞く『朝勃ち』というやつだ。  
さらに想像する。  
盛り上がったその部分に小さな舌をチロチロと這わせる。  
するとビクンと震え、一段と堅く大きくなる。  
うっとりとした眼差しでそれを眺めていた音夢は、口を大きく開きおもむろに・・  
『白河さんが変な顔してる・・・』  
『なんか、今にも涎垂れそうだな』  
引き戻された。  
危険な妄想から一瞬で。  
ハッとして辺りを見回すと、風見学園の生徒達がおかしな顔でこちらを見ていた。  
鏡を見なくても、頬が赤くなるのがわかった。  
「・・・・・・うぅ〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!」  
自分がイケナイ妄想に浸っていた事に気付かれたような感じがして、ことりは顔を覆って駆け出した。  
 
休み時間。  
心の中での約束通り、律儀にも音夢の机の上に  
購買で買ってきた80円のアップルジュースを乗せておいた。  
ことりはそっと教室を出る。  
教室の中では、数人の男子生徒がプロレスごっこか何かに興じていた。  
彼らの一人が音夢の机にぶつかる。  
その拍子に、転げ落ちるアップルジュース。  
地面には転がらず、上手く椅子の上で止まってくれた。  
男子生徒は気づかない。  
去りゆく彼らと入れ違いに、ご機嫌斜めの音夢が戻って来た。  
彼女の機嫌を表す、髪に結ばれたリボンの先端。  
純一と何かあって、彼に叫ばせてきたところなのだ。  
プリプリ怒りながら椅子を引き、ドスンと勢い良く座った。  
ベブシュッッ!!  
とたんに何かが潰れる音。  
一瞬で広がる水たまり。  
床に飛び散り、派手な水音が立つ。  
スカートの尻とその中が大変なことになる。  
ポタポタポタポタ、ビチャビチャと椅子の縁から床へと滴る黄色掛かった液体。  
何が起きたのかわからなかった。  
ジワリと下半身に広がってきた冷たい感触に不快感を覚え、悲鳴を上げようと思ったとき  
目の前で先に悲鳴が上がった。  
それは教室中の視線を引き寄せた。  
「・・・・・・・朝倉さん・・・・・・・それ・・・・・・・・・?」  
クラスの女子生徒が信じられないものを見たという表情で訪ねてきた。  
だがそう聞かれても困る。  
自分の方が知りたいぐらいだ。  
その時になってようやく気づいた。  
教室中の視線が自分に向けられていることに。  
 
客観的に分析する。  
朝倉音夢は今、椅子に座っている。  
その下には椅子から滴り落ちた水たまりが広がっていた。  
検尿のコップをぶちまけたときのような水たまりの色。  
空気が白かった。  
誰も何もしゃべらず手も動きも止めて、ただ注視していた。  
音夢と水たまりを交互に。  
同時だった。  
自分がクラスメート達にどんな目で見られているのかに気付くのと、  
誰かが「朝倉が小便漏らした!!」と叫ぶのと。  
ドッと沸き上がる教室。  
悲鳴と侮蔑。  
驚きと好奇。  
廊下を行く生徒達が、何事かと訝しげに思った。  
 
「・・・・ち、ちが・・・・・・・、これは・・・・・」  
小さな声は、喧噪にかき消された。  
混乱をきたした頭で必死に弁解しようとするが、言葉が出てこない上に舌まで回らなかった。  
『臭い』だの『汚い』だの『放尿キター』だのと、口々に囃し立てる。  
音夢はもう、何も言えなかった。  
胸の奥が詰まるような感じがして、目頭が熱くなる。  
震えた。  
もうグチョグチョの下着すらも気にならない。  
音夢が洩らしたのは小便ではなく、嗚咽だった。  
 
そんなことが起きているなどとはつゆ知らず、ことりは純一を捜して校内を俳諧するのだった。  
完  
 

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