桜並木。たとえ夕日がもの悲しげな色をそれに映そうとも、その恒久に咲く花々は哀愁の色に染まることなく、寧ろその色で一層、美しさを彩らせる。  
「……」  
「♪今日のバナナは何処のだろ〜、ワショーイフィリピン産がイイ〜」  
音夢は美春に腕を恋人のように手に抱かれ、揚々とする美春に引っ張られるように歩きながら、その花を眺めていた。  
「音夢先輩、元気出してくださいよう」  
美春に声を掛けられても、音夢の心はここに有らず、といった面持ちである。  
「ハァ……」  
「溜息なんて、先輩らしくありません!」  
「……えっ?」  
その言葉に、やっと音夢の意識は美春に向けられる。ここのところ毎日毎日、溜息ばかりついているというのに、「らしくない」と言われるのは、意外であった。  
「美春、先輩がウチにお泊まりする日を心待ちにしてたんですよ。音夢先輩も楽し〜い感じでいきましょうよ」  
そういって、美春はにやけた顔を音夢に見せる。今ぐらいの歳になってからというもの、純一や音夢が美春の家に遊びに来ることがめっきりなくなったのが、美春には不満であった。  
しかし今日久しぶりに音夢が、しかも泊まりで遊びに来る。美春の足取りは、どうしても軽やかなものになった。  
「そ、そうね……御免ね、美春」  
「じゃあ、音夢先輩もご一緒に…、♪あ、音夢先輩たん、イン・し・た・お〜」  
「い、インした……お?」  
「音夢先輩、ギコネットやってないんですか?」  
「創作文芸板とかなら見てるわ」  
「……じゃあ、家で面白いフラッシュを見せてあげますよ!♪今日のバナナは何処のだろ〜…」  
相変わらずの歩調で、また揚々と歌を歌い出した美春に引っ張られながら、  
「ハァ……」  
音夢は相変わらず、溜息をついた。  
 
音夢は美春の家で夕食を食べ、美春といっしょに風呂に入った後、美春の部屋でネットをしたり、ゲームをしたり、とりとめのない会話をしたりして、夜を過ごした。  
「あ、もうこんな時間ね。そろそろ私寝るわ……」  
音夢が呟く。時計の針は、十一時を指していた。  
「あれ、音夢先輩って、早寝なんですね」  
美春は驚きの表情を見せた。十一時といえば、まだまだネットが楽しい時間である。  
「普通でしょ、これくらいが」  
「夜はこれからですよ〜? あ、ご就寝の際はそのベッドを使ってください。いっしょに寝ましょうね〜」  
「はいはい、言うと思ったわ……美春はまだ寝ないの?」  
「ええ、本当なら今すぐにでもそのお側に潜りこみたいのですが……今1000取り合戦がコウチョク状態に入ってまして……」  
「膠着、でしょ」  
「アハハ、何故か変換されない」  
「あっそ。おやすみ……」  
そう言いながら、音夢はベッドに横たわった。どうせ起きていても、心が躍るようなことはないのだ。  
「……かったるい…………」  
「……」  
 
「んん……」  
あれから幾程経っただろう。寝るとは言ったものの、音夢は未だ、眠れずにいた。最近はずっとこうだ。別に気に病むことなどないはずなのに、どうしても心が安まらない。  
「音夢先輩、寝られないんですか?」  
美春が、音夢の顔を覗き込む。  
「うん、ちょっとね……美春は?」  
「ええ、あれから1000はとれたんですが、今度はキリ番が近くて……あと少しなんですけど、ここ強制IDですから、下手に埋めると空気嫁とか言われちゃいますし……」  
「そう」  
「あ、寝られないんでしたら、これを使うといいですよ」  
そう言って美春が、机の引き出しから取り出したのは、黒いアイマスクであった。  
「これは?」  
「これを使えば、否応なしに視界が暗くなりますからね。いやでも寝ちゃいますよ」  
美春がこんなものを持っていることに音夢は驚いたが、美春の言う通りいやでもさっさと寝てしまいたい今は、別に何でもよかった。  
「じゃ、借りるね……」  
音夢はそれを美春から受け取ると早速装着して、また布団に潜りこんだ。  
 
音夢が目を覚ますと、自分の部屋の天井が見えた。  
「あれ?」  
何故なのだろう。眠りすぎて、そのまま自宅まで眠ったまま送り届けられたのだろうか。  
「美春、起こしてくれてもいいじゃない……」  
そうして起きあがろうとする音夢の眼前に、人影が映る。  
「……!?」  
その面影に、音夢は驚きを隠せない。何故。こんなこと、あるはずがない。  
そこには、純一が、優しい笑顔を見せながら、音夢の顔を覗き込んでいるのだった。  
「兄さん、お、おはよ。ところで、どうしたの……?」  
音夢は嬉しさのあまり純一に飛びつきたくなるのを堪えて、平静を装いながら言った。  
あるはずがない。兄さんの目に私が映ることは、もうないはずなのだ。  
「あ、そっか。送ってもらったときに、兄さんがここまで運んでくれたのね」  
どういうわけか、純一は先程から、音夢の問いに答える様子を見せない。ただ、微笑するのみである。  
「どうしたの……?」  
純一はなにも答えぬまま、音夢の体に、撫でるように触れ始めた。  
 
「っあ! に、兄さん……?」  
その感覚に音夢は始めて、自分の寝間着がはだけられているのに気づいた。  
音夢が喫驚する間も、純一は愛撫を止めない。水魚の様に細く滑らかな指で、音夢の胸先の蕾を丹念に、執拗に、いやらしく転がす。  
「兄さん、そ…そんな、っや、私達、そんな関係じゃあ……」  
その刺激に悶えながらふと、自らの言葉に、音夢は考え込む。  
兄さんは明らかに、そういう関係ですることを、兄さん自ら私に求めてくる。  
そういう関係。  
それは何より、私が兄さんに望んだことではないか。  
これは、お互いに、望むことなのだ。  
つまり。  
「兄さん、私のこと、私のこと……」  
そう問う音夢に、純一は相変わらずの笑みを見せる。  
「うん、私も……。兄さん、好きよ……!」  
音夢は、抵抗する理由を捨てた。  
「もっと……もっとして、もっと愛して……!!」  
 
その嬌声に呼応するが如く、純一の愛撫は淫縦さを増す。  
音夢の片胸を手で妄りに抓り上げながら、空いたもう片方の手を音夢のショーツの内へまさぐり入れ、裂目を指でそうっと、今まさに秘裂の内に溜まり始めた蜜を掬い上げるように滑らせる。  
「ん……あぁはっ、ふぅぁ、ああっん……!」  
音夢はこみ上げてくる悦びを、躊躇うことなく漏らした。これまでの鬱憤が過去のものとなった今は、ただこの狂おしい潮流に身を任せていたい と、思わずにはいられない。  
やがて純一は、音夢の胸を頬張り始めた。先の果実をその唇で喰い千切るように、音を立てて吸い上げ、回りの女肉を噛みしだく。  
そうしている間も、純一の手は止まらずに音夢の婬溝に纏わり、内より満ち溢れる雫を掻き回しながら、その秘裂の更に内へと流れ込み、その襞や肉芽で我侭に戯れ始める。  
「あふ、ぁんぁ、んや、っあっああん、あはぁ、ああっ……!」  
音夢は純一の為すがままになっていた。純一が胸を微かに引き千切るように揉めば、  
「ふあ、あ……はぁあ、ぅう……」  
と低く染み出すような声を漏らし、秘唇の内を激しく掻き回されると、  
「やぁ、ぅんあ、あっ、あっあぁっあん、あんぅ、や、ああ……!」  
と、甲高い声で切なげに啼いた。のべつ幕ない純一の責め苦に、音夢は背を反らせ、手足を捩らせながら、婬汁の様に躰から溢れ出る幸福感に微睡む。  
しかし音夢は、どことなく今の純一に違和感を覚える。相変わらず純一は、音夢に何も言わないのだ。  
「ぁん、に……兄さん、あぁ、ね、ねぇ……あ、あ……」  
音夢は純一に、愛してる という言葉を望むが、止めどない愛撫に喘ぐのが精一杯で、何も言えない。純一は音夢を苛むのに夢中で、何も言わない。  
それに、最後の儀式に移る様子を、純一は微塵も見せないのだ。音夢の躰は、その頃既にもどかしさに充ち満ちていて、今にもその焦熱で溶けそうである。  
 
『どうして……?私なんかじゃ、それには及ばないの……?』  
消え入りそうな意識の中で、音夢は胸を締め付けられる。始めに感じた"愛"は、やはり錯覚だったのか。  
『欲しいよ……欲しいよう……!!』  
音夢はその身を弄ぶ愛撫に悶えながら、心の内で未だ満たされぬ欲求に啾号する。  
『兄さん……兄さああん……にい……さ…………』  
愛しい人のいじましさに狂乱しながら、音夢の意識は深淵の内へと沈んでいった。  
 
また音夢が目を覚ますと、ただの暗闇が、視界に広がっていた。  
「……そういえば……」  
就寝間際のことを、音夢は思い出す。確か眠れなくて、美春にアイマスクを借りたんだっけ。  
 
目を覆うアイマスクを外すと、美春の部屋の天井が目に映る。  
「あれ?」  
まとまりのつかない頭を必死に冷ましながら、音夢が横を見ると、美春の姿があった。いつの間に、と簡潔に音夢は済ませようと思ったが、どうも美春の様子がおかしいことに気づく。  
「美春……?」  
美春は音夢に背を向けているが、どうも、眠っているように見えない。  
美春の肩に手を触れてみると、美春は突然の冷気に身を晒したかのように、全身を大きく震わせた。  
「起きてるんでしょ?」  
そういって音夢が美春の顔を覗き込むと、やはり美春は起きていた。しかし、その顔は何処と無しか、熱を帯びているように感じられる。  
「せ、先輩……」  
美春は、複雑な表情を浮かべる。その様子に、音夢はことの全てを理解した。  
「美春……私が寝てる間に、私に変なことしたのね……」  
 
「ご、ごめんなさい……でも美春、音夢先輩のこと、好き……好きです、から……」  
美春はばつが悪そうに、口を軽く弛めながら言う。音夢は、溜息をついた。  
「全く……おかげで、私、私……」  
音夢の顔が翳るのを、美春は見逃さなかった。  
「ほんとごめんなさい音夢先輩、まさか、先輩が、先輩が、あの、その……その……」  
美春が、俯きがちに漏らす。音夢の方も、美春の様子に戸惑った。  
思えば美春の音夢への好意はいつも明け透けであった。だからたとえ今日のような行為に及んだとしても、いつもの美春なら大して悪びれずに、でれでれと引っ付いてきそうなものである。  
「どうしたの美春? 私がどうかした?」  
「音夢先輩……朝倉先輩の夢を、見てたんですね」  
 
「……!!」  
「だって、兄さん、兄さんって……音夢先輩が兄さんって呼ぶのは、朝倉先輩をおいて他にないでしょ……」  
「……そうよ」  
「こんなこと聞くの……失礼だと思いますけど、朝倉先輩にしてもらう夢……見てたんですか」  
「そうよ!!」  
突如、音夢が両目を手で覆う。そしてそのまま、音夢は嗚咽を漏らし始めた。  
「先輩!?」  
「美春の馬鹿!馬鹿!! 美春が変なことするから……あんな変な夢……!!」  
「……」  
「忘れるつもりでいるのに……意識すまいとしてるのに……」  
「……」  
「もう……どうしようもないのに!!」  
音夢の脳裏に、先日の苦悩が蘇る。  
 
兄さんに彼女ができた。  
別に私にそうとは言ってない。恐らく、誰にも言ってない。  
 
でも、私にはわかる。  
最近、兄さんはだらしないところがなくなってきた。  
しかし、最近は私にあまり構ってくれないでいる。  
 
そして先日、兄さんは一晩中、帰ってこなかった。  
 
忘れない。忘れられない。  
誰もいない家の中で、帰らぬ想い人を待ち続ける静寂を。  
つい先日まで当然のことであった日常を、一瞬で奪い去られる恐怖を。  
もしかしたら私にもたらされたかもしれない幸福を、余所の顔も知らない女が享受するという屈辱を。  
 
「うう、う、ううう……」  
忘れようとしていた感情を一気に表に浮き上がらせてしまい、音夢はただただ、泣き崩れる。  
 
「音夢先輩、奪いましょう」  
突如沈黙を破った美春に驚き、音夢は嗚咽を止めた。美春が何を言ったのか解らず、腫れた目で美春を見る。  
「奪うって……?」  
「だから、奪うんですよ、音夢先輩。その、今の朝倉先輩の彼女さんから、朝倉先輩を」  
音夢の目が大きく見開かれる。しかし、いまいち、実感が湧かない。  
「そんな……無理よ」  
「作戦は、美春が考えます」  
「相手が誰かも、判らないのに……」  
「だからって、このまま引き下がっちゃ駄目ですよ!」  
「でも……」  
愚図る音夢を鼓舞するように、美春は音夢の肩を抱いて、張り裂くような大声で言った。  
「朝倉先輩のこと、忘れられないんでしょう?好きなんでしょう? そうなら、忘れなきゃいい。ずっと好きでいればいいですよ!」  
「……」  
「美春なら、もし音夢先輩が美春のこと嫌いって言っても、ずっと先輩を好きでいます!」  
音夢は息を飲む。いつになく力説する美春の眼は凛としていて、真摯だった。これは、信じてもいいかもしれない。  
「……そして、私が美春を好きになる術を、考えるのね?」  
「はい!!」  
そう頷く美春の真っ直ぐな瞳に、音夢は狂雲が晴れる思いをする。これまでただの喧しい幼馴染みとしか思わなかった美春が、今はとても心強い存在に感じられた。  
「じゃ、その"作戦"ってやつ、美春にお任せしちゃおうかな」  
 
「それはもうお任せを……でですね先輩、これからも……」  
「……何のこと?」  
音夢は、わざととぼけて見せた。美春はじれったそうに、紅潮した顔で音夢を見つめる。  
「え、あの、今日の……」  
「……いいわ。一時だけど、いい夢も見られたし……変な道具とか、使わないでよ?」  
「はい!……で、でですね、あと……」  
しかし、美春は未だじれったそうに、音夢に弛んだ口許を見せる。まだ、欲しいものがあるらしい。  
「なに?まだ何か欲しいの?」  
「はい……あ、い、今すぐにとはいいません、この作戦が成功したときでいいですから、成功した暁には、あ、朝倉先輩も……」  
「えっ!?」  
「いや、あの……美春が一番愛しているのは音夢先輩ですけど……その、朝倉先輩のことも好きです、から……」  
突拍子もないことを言う美春に、音夢は何故か怒れず、寧ろ呆れてしまっていた。それにこの美春なら、多少は許せる気がする。  
「……そんな、両天秤にしようなんて中途半端な想いの娘、兄さんの第二夫人には相応しくないわ。……愛人ってとこね」  
「はい!!」  
「そんな莫大な報酬を要求する以上、完璧な作戦を用意してよね?」  
「はい、実はもう、考えてあります!!」  
 
そうして二人の"作戦会議"が開かれる。  
美春の用意した"作戦プラン"をより強固なものとする為の、音夢と美春の熱い話し合いが、夜を徹して繰り広げられていく。  
 
「……兄さんの、あの無駄なとこまで優しい兄さんのことだから、きっと相手のことも不幸にしたがらないと思うの。だから……」  
そう言う音夢の表情は、先程までの力無い、見るからに痛々しい翳りがすっかり消え失せ、生気にあふれた快活なものとなった。  
美春は、そんな音夢の様子に、  
『美春が好きな音夢先輩は、この音夢先輩だ』  
と思い、純粋に幸福感を覚えた。  
 
了  
 
 

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