下駄箱のほうまで勢い任せに階段を駆け下りたことりは、腰を降ろして、慣れない運動に悲鳴のような動悸をあげる体を休めていた。
そうする間もことりの頭の中で、叶の言葉が何度も響く。
『朝倉くんは…本当に、ことりのことが好きなの?』
そんなことない と、何故あの時即座に反論できなかったのであろう。私は朝倉くんのことが信用できないのであろうか。己が伴侶にとさえ想う人なのに。
…いや、きっと、思いがけない言葉を言われたから、きっと頭の中が混乱したのだろう。そうだ。きっとそうに違いない。
「…あ、朝倉くんを待たせてあるんだ」
もし約束がなくても、今は会いたい気分だった。会って、朝倉くんに『好きだよ』とか『愛している』と言ってもらおう。そうすれば、この心の中のもやは晴れるに違いない。
「そして今日も…」
あれからというもの、二人は会うたびに、床を重ねていた。そして躰を重ね合うたびに、二人はあのときと同じように乱れ、あの日の誓いを確認しあった。
「そうだ、そうしよう、そうしよう…」
やっと息を落ち着けたことりは、待ち合わせ場所である、校門に急いだ。
逃げ出すようにその場を走り去った叶を眺めながら、純一は未だその身に新しい、本来男の叶にあり得ぬはずの『感触』に戸惑っていた。
叶は『女』なのではなかろうか。
あの感触。叶のあの反応。そして今まで叶に抱いてきた感情。それらは全て、そう仮定することで辻褄があい、納得できる。
しかし、いまいち実感がもてない。
あれほどまでに激情を抱いた相手とはいえ、今日の今まで『男』と思ってきた相手を簡単に『女』だ、と認識し直すなんてことは、容易ではなかった。それにこれはあくまで仮定である。
第一、もしその仮定が本当だとして、それがなんだというのか。自分には、ことりという恋人がいる。あれほどまでに躰を重ね合って、今更その関係を反古にするような真似は出来ない。
「……」
純一は、定まらない自分の思いに苛立ちながら、ことりと待ち合わせている校門のほうへと歩き出した。
今の自分を、人の思いを怖い位に察するのが上手いことりは、何と言うのであろうか。
「あれ…?」
校門についたことりは、その場に純一がいないことに首をかしげる。
何故。今まで、朝倉くんは自分との約束を破ったことはないのに。
落ち着かないでいたことりに、
「おーい!」
と、後ろから声がかかる。純一だった。
「朝倉くん!」
良かった。
それだけで、ことりの心は宙に舞う。今すぐにでも、その胸に飛び込みたい気分だった。
「どこ行ってたんだ…?探しに出ちゃったじゃないか」
「ごめん、ちょっとね」
ふと、晴れ上がっていたことりの心に一瞬、矢のような闇が差した。
「どうした?」
「え、い、いや、あの、その…何でも」
その矢の出先は、純一からであった。
純一の焦燥を感じる。それは必死に抑えられているが、所々から滲み出ている。今まで忘れ去られていた戸惑いが、また形をなしている。
いや、忘れてなどいなかった。今まで、意識せずにすんだだけだ。
それが今更になって浮き彫りなったのは…叶の体の秘密を、ついに、知ってしまったから。
「……!!」
「お、おい、ことり?」
知ってしまった。
何故かは、余りにも突然だったらしく、詳しくは記憶されていないらしい。だがともかく、知ってしまったことだけは確かなのだ。これで、二人は想いを遂げあうことは、十分可能になったわけだ。
…そうか。
ことりは、あのとき、叶に思いがけない一言を言われたとき、言い返せなかった真の理由を悟った。
自分は知っていたのだ。
朝倉くんにとって私は、工藤くんのかわりに過ぎないことに。
男として認識されていた工藤くんのかわりとして、女の自分が抱かれていたのだ。
だがそれは回を重ねるごとに、朝倉くんの中で虚しさを増していくことになる。
それを何とか吹っ切ろうと、朝倉くんは私に縋ることになり……それを、工藤くんに悟られた……。
「な、どうしたんだよ、おい?」
「……朝倉くん」
「?」
「せっかく、約束しておいて何なんですけど……今日は、一人にさせてくれませんか……?」
ことりのいつにない、重く、張り付いてくるようなその言葉に、純一は抵抗できるよしもなかった。
そして、己の不定形ぶりを、悟られたかとも思えた。
自分の部屋で、ことりは丸くなって、様々な苦悩に身を預けていた。
どうすればいいのだろう。
やはりあのとき、本当のことを言ってしまえば良かったのか。
でも、朝倉くんに抱かれているとき、私は本当に幸せだ。そしてそれは、何物にも代え難い。
どうしても、私は朝倉くんのことが好きだ。やはり自ら身をを引くような真似はしたくない。
これらは全て、あの日からずっと思ってきたことなのに…
「……」
…そうだ。なにゆえ、自分をああも堕としてまであんなことが出来たのか。あのときには既に、このようなときが来ることをも予見できていた筈だ。
そうなると、今まで意識しまいとしていた感情が、ことりの中で輪郭をなし始める。
叶が憎い。
私という相手がいる朝倉くんを、それを知っていながら、己が体を使ってまで誑かそうとした。
そもそも、性別を騙る真似などしてなければ、朝倉くんがああも苦悩することはなかった。
それならばいっそ、大人しくしていればいいのに、あの…泥棒猫!
ふと、階下で暦の呼ぶ声が聞こえた。
「おーい、ことりー、工藤が来てるぞー!」
「!!!!」
ことりは、自分の周りの気温が下がるのを感じる。
「おい、どうした?朝倉じゃないからって追い返すような真似は…」
「ん、ごめん……上がってもらって」
「ごめんね、あのことを、どうしても謝りたくって…」
ことりの部屋に通された叶は俯きがちに座ると、申し訳なさそうに頭をかいた。
「僕、どうしちゃったんだろ、あんなことを言ってしまって…」
その言葉は偽りではないらしい。事実今の叶が嘘を言うような様子ではないことは、ことりでなくとも十分見て取れた。
「本当、女の子に言うセリフじゃないよね、あんなひどいこと、…ことり?」
叶は不安になる。部屋に通されてからというもの、ことりは一言も口を開いていない。じっと叶の方を見ながら、俗に言う『体育座り』の体勢でカーペットの上に腰を降ろしていた。
しかも、制服の、腰で短く捲ったスカートのままである。ぱっと見、叶はことりはブルマーをはいているのかと思ったが、そうではないことに気づき、恥ずかしさと驚きを覚えた。
「ん……?」
見えていたのを、ことりは感づいたらしい。叶は慌てて目をそらす。
「ん、いや、その、ごめん」
「別に気にすることじゃないでしょ」
「え…?」
「女の子同士なんだし」
叶の目が大きく開かれ、顔が硬直する。
「な、何を…?」
「私には隠し事は出来ない って、朝倉くん言ってませんでしたか、工藤く…いや、叶ちゃん」
「ど、どうして…?」
朝倉くんがばらしたのであろうか。わからない。しかしこの口調からして、とっくの昔に知っていた、という感じであった。
「その通りですよ。それに叶ちゃん、女の子みたいな顔してるもの…」
「こ、こ、これには理由が…」
「どうでもいいですよ、そんなの。で、朝倉くんはこのことについて、どう言ってたんですか?」
「!!!?」
叶の腰が抜ける。何故、朝倉くんに露見したことまで、知っているのだろう。
「おっぱい触らせたんだ…」
「ち、違うよ。あ、あれは事故なんだよ。角でぶつかって、その勢いでこうなっただけなんだ」
「朝倉くん、どう思ったんだろうなあ。男の子みたいな女の子、しかも叶ちゃんみたいな可愛い子だったら、タブーを犯す感じも相まって、ものすごく興奮したんじゃないのかなあ…」
「こ、ことり、ホント、べ、別に何も」
「そうやって、人の恋人を寝取っていくんだ…」
真実など、ことりにはどうでもよかった。ただ、目の前の相手が、憎かった。
さすがに、叶も苛立ちを禁じ得なくなってきた。
「どうして…?どうしてそんなこと言うの、ことり!?」
「どうしてって…私が朝倉くんの恋人だからですよ!付き合っている相手を誑かされていい気分でいられる人なんていませんよ!」
「そんな…私は誑かしてなんていないよ!」
「嘘ッ!じゃあ何であんなこと私に言ったの!?」
「それは…ホントにごめん。ただ、そんな気がしただけなんだよ…」
「そうやって私と朝倉くんの中を掻き乱して、二人を別れさせるつもりだったんでしょう!!」
「ち、違うよ!!」
二人の口論は平行線に進む。埒があかない。そうすると、ことりはこう振った。
「叶ちゃん、そもそも何で男の振りなんかしてるの?」
「そ、それは、事情が…」
「男の振りなんかしてるけど、叶ちゃん、所々女の子っぽい素振り見せるよね」
「え?」
「わからないの?だから叶ちゃん、男の子って言う触れ込みなのに男の子にも人気があるんですよ」
「え?え?」
それまでの癇癪とはまるで違うことりの言葉に、叶は戸惑う。すると、ことりはこう続けた。
「女の子っぽい男の子が実は女の子、なんて結構考えましたね、叶ちゃん」
「…?」
「普通に女の子としてアピールするよりも、すっごく効果的かも…」
「!」
「そうやって、朝倉くんに暗にアプローチをかけてたんですね…?ホント、無垢な顔立ちとは裏腹に策士なんだから…!」
バンッ!!
突然の物音。耐えきれなくなった叶が、壁をその掌で叩いたのであった。
「いい加減にして!!」
いつもの叶からは想像もつかないほど激しい剣幕で、叶はことりを睨む。その迫力に、さすがのことりも口をつぐんだ。
「デタラメを好き勝手にでっち上げて…人の気も知らないで!」
「…!」
「あげく私の男装が、策の内だなんて…!!」
これだけは、相手がことりでも、たとえ言ったのが純一だとしても、叶には許せなかった。
願わくば、自分だってこんなことしたくない。自分は女の子なのだから、女の子の服を着て、女の子として暮らしたい。
そうすれば、女の自分の気持ちを…女として自分が思いを寄せる相手に伝えることも、今よりはずっと容易だったに違いない。
しかし、今の家庭はそれを許さない。
反抗したい。しかし、それをできない弱い自分が、今の叶の内にいた。
叶にとってこの男装は、そんな情けない自分を象徴する存在でもあった。
それを策だなどとは、いくら何でもひどすぎる。
「…そうだよ。ことりが察してる通り、私は朝倉くんが好きだよ」
叶が漏らす。ことりは圧倒されたまま、言葉を返さない。
「でも、あの状況下じゃ、こんなこと言えやしないから、胸にしまってようかとも思ってたけど」
叶は荷物をとって、部屋のドアのほうへと向かう。ことりは視線を向けるが、言葉を返せない。
「ことりにも朝倉くんにもばれちゃった以上、もう引っ込む必要はないよね」
間際にそう言い残して、叶は部屋を出、白河邸を後にした。その人を想う気持ちなら、ことりにも負けるつもりはない。
「あれ、朝倉くん」
「く、工藤…」
白河邸を出た帰り、叶は純一が公園のベンチで物思いに耽っているのを見つけた。叶は、少し嬉しさを感じてしまう。
「隣、いいかな?」
「あ…あ、ああ」
先ほど、顔を真っ赤にして自分の元を逃げるように走り去っていった叶が、数時間も経たないうちに何事もなかったかのように話しかけてくることに、純一は困惑する。
「あ、あのさ、そ、あの…」
「ごめんね、今まで嘘をついてて」
「…?」
「ぼ、僕、こんな格好してるけど、あ、あの…」
「……」
叶は頬を紅潮させ俯く。先程の何気ない態度は、一気に消え失せた。叶は、自分の女の型をした胸を男である純一に触れられたということに、今になって純粋に恥ずかしくなった。
純一もまた、頭の中を席巻していた"仮定"が真実たることを知るや、その体に刻まれたあのときの感触を思い出し、叶の顔を直視できなくなる。
「だけどさ、ど、どうして…?」
「いや、その、これには事情が…」
「…そっか」
急に押し黙る純一。その表情は叶に、かつてあの"噂"が流れる前の、純一が常に落ち込んでいたあのときの顔を思い起こさせた。
「ねえ、朝倉くん。少し、聞いてもいいかな?」
「ん?」
「どうして近頃、ぼ…私を、避けてたの?」
どうしても聞いてみたかったことだ。先程ことりと話したときも、このことには言及されなかった。
「……」
「別に、ことりと付き合ってたって、別に私を避ける理由にはならないでしょ…?」
純一は、なおも押し黙る。
「これだけは教えてよ。ね、私、朝倉くんに嫌われるような真似をした?」
「いや、そういうわけじゃ」
「じゃ、どうして?ねえ」
逃げ切れない状況下に、純一は腹をくくった。それに今はっきりさせなければ、お互いすっきりしないことになるだろう。
「工藤…お前のことが、あの、その、好き……だった、から」
思いもがけない一言に、叶の鼓動は勢いを増した。様々な思いが、頭の中でかき混ぜられる。
「でも、ずっとお前は男だと思ってたから…こんなことあっちゃいけないと思って、ずっと悩んでた。そんな俺に、ことりは手を差しのべてくれて…そうして俺達は、付き合うようになったんだ」
「……」
「でも、そうなってからも、ずっと、やっぱ、お前のことが気になっちまってて……」
「だから…?」
「ああ。出来るだけ見ないようにすれば、気に病まなくて済んだからな。ことりも、優しかったし」
純一はなおも続けた。
「だけど、あの今日のあれがあって…以前よりもずっとお前のことが気になりだして…ああ、くそ…!」
純一は、苛立ちの余り、激しく頭をかきむしりだす。
「朝倉くん!?」
「ハァ…どうも、このことにことりは感づかれたらしくてな…ああ、嫌われたよ、俺…」
そうして、純一は叶の顔を見た。髪を短く切りそろえられてたりされてはいるが、叶の顔は男らしからぬ丸みを帯びていて、女だ といわれた方がやはりしっくりきた。
「ごめんな、変なこと聞かせて」
叶の方は純一に見つめられて、先程よりもその顔を赤くしている。
「…朝倉くん」
「ん…?」
「教えてくれてありがとう。おかげで私も、すっきりしたよ」
「そうか…」
「あとね、朝倉くん…ついでに私も、変なこと言っていい?」
そう言って叶の顔が、いっそう紅潮する。
「私も、朝倉くんのこと、好き、だった…よ!」
純一の瞳孔が大きく開く。叶は照れくさかったが、同時に、素直になれたことへの清々しさも感じていた。
「か、か、帰るね」
その場を離れようとした叶の肩を、純一はぐっと掴む。
「ん、な、何…ん、んっ」
突然、純一は叶の唇を奪う。叶は、かつてこの状況を夢に見たことを思い出す。あのときは幸福感の反面、夢でしかこうなれないのかと、ひどく落ち込んだ。
しかし、これは現実だ。頬をつねられても覚めない。叶は抵抗する素振りを見せなくなり、素直にその幸福に己を任せ、目を閉じた。
…そもそも、遠慮する理由が、どこにあろうか。
そうして純一は、叶を引きずるようにして、自宅へと誘う。
「で、でも、い、妹さんがいるんじゃあ…」
「今日は美春ん家に泊まるとよ」
「……」
やがて純一の部屋の中まで促されると、叶はまた、純一にその唇を奪われた。
「んっ、ん…あ、朝倉くん…」
「工藤……」
純一は意味ありげな目で、叶を見つめる。その目が何を欲しているかは、女の叶でも十分に理解し得た。
それは、叶の中にもいびつながらに生まれている気持ちだからであった。
それに、もう如何なお咎めをも払いのけられる一種の度胸のようなものも、先程ことりと言い合った辺りから、叶の中に芽生えている気がする。
思えば何故にここまでついてきたのか。逡巡し、あげくは拒否する必要など無いのだ。
「うん……いいよ」
純一は叶の後に回ると、学生服の釦を外しにかかる。その手際はいつもその身に纏っているものである所為か、それともいつもことりの服の釦を外しているが故か、幾分手練れているように感じた。
叶はその頬を真っ赤に染めながら、俯きがちに、純一のなすがままになっていた。純一の誘いに応じたときは、もう怖いものはないような気さえしていたのに、いざ有事になると、縮んでしまう。
やがて純一の手は、叶のカッターに伸びる。それの釦を半分あたりまで外されると、純一の指や掌に、叶が女である片鱗を感じ取れた。
堪らず、純一はそれをその両掌に収める。
「ひゃっ!?」
叶は声をあげた。だが純一は構わず、叶の両の胸を執拗に捏ね回す。
「ぁ、はぁ、あっ…」
全身から沸き立ってくる高熱に叶がうなされている間も、純一は服を脱がしていく。やがてカッターの下に着けてあったブラジャーを剥がれ、叶は自らが女である証拠を外気に晒した。
「可愛いよ、工藤……」
純一は工藤に囁き、その両先端を指で優しくはじく。
「っんあ…そ、そんな、怖いよ…」
「大丈夫…」
そしてその手は、叶の下半身に伸びた。
「これも取るぞ…」
「う、うん」
純一は叶の前に回ると、叶の学生ズボンのベルトを外し、そのまま強引に下へ引きずり降ろす。そうして、叶の下半身が露わになる。叶は、男物のトランクスを穿いていた。
「……」
「ご、ごめん、気が利かなくて」
まじまじとそれを見つめてくる純一に、叶は自分でもよくわからない弁明をする。すると純一は、叶の頬を撫でながら、こう言った。
「カッター、脱がさない方がよかったかも…」
「へ、変なこと言わないでよ、ば、ばかっ」
そしてそれも為すがままに下にずらされていくと、叶は純一に秘裂を見せる形になった。もうこれ以上、叶は自分が男であると言うことは出来ない。
見ればその肉の裂目は、その内より歓喜の涎を正直に漏らしていた。
「ああ、ああ……」
叶は羞恥におののき、その顔を両掌で覆った。今更ではあるが、先程までの純一の責めにここまでに興奮していたことに、心の臓がむず痒くなる。
「大丈夫だよ……」
「いや、は、恥ずかしいよ。あ、朝倉くんも、そんなにまじまじ見ないでよ、お願い」
「だーめ」
純一はそれに顔を近づけると、その溝を指でゆっくりとなぞる。
「ふあっ……!」
その得体の知れない感触に、叶は堪らず声をあげる。その声は、純一が秘唇をその舌で味わい始めると、
「ぁあっ、ひゃあっ、はあっ、はぁ……!」
更に大きく、切ないものになった。
仰向けに横たえられた叶に、純一はその舌で秘唇を貪り、その手で胸を揉みしだく。叶はその責めに、ひたすら恥ずかしさと堪えがたい悦びにその身を揺らし、甘い声で啼く。
「いい、その顔、いい……興奮、してるんだな……?」
「あ、ん、んなこと、い、言わないでよ……!」
わかってるくせに……と言おうとするが、間をおかず再開されたその愛撫に、叶は声を漏らすのに精一杯になった。シーツを手に握りしめて、弾け飛びそうなその身を抑える。
「んやぁ、いゃあ……!」
やがて、叶の脳裏にいつしか、もどかしい という思いが芽生える。
それは純一も同様であるらしかった。
愛撫をやめたかと思うと、自分の下半身に手をかけ、その股ぐらから己が倅をまさぐりだす。
「……!!」
無論それを生まれて初めて目の当たりにした叶は、その形相に言葉を失い、また、顔を手で覆う。
「なあ、工藤……俺、もう……」
純一が懇願する。叶はその言葉の意味に、これまで以上の羞恥と激情を感じ、卒倒しそうになった。
未知の恐怖が、叶の脳裏に予見される。
…しかし叶は、その時を先程まで指折り数えて待っていた自分をその内に感じる。そうだ、何を畏れる必要があろうか。いずれはたどる道、しかも初陣の相手は己が想い人。贅沢であるとも言える。
「……工藤?駄目……なのか?」
目を閉じて黙していた叶に不安を抱いた純一が、叶の顔を覗き込む。本陣に挑むとなると、やはり自分本位ではいかない と解する純一特有の優しさであろうか、その叶の態度に躊躇しているらしかった。
その態度に、叶は安堵する反面、少し歯痒さをも覚える。利害は一致していると言うのに。
叶は意を決した。
「ううん」
「それじゃあ……」
「優しく……してね?」
「行くよ……!」
その答えからたいした間をおかずに、純一の陽物が、ゆっくりと、そして重く叶の中に埋もれ始める。
「っく……!!」
中でひしめく予想だにしなかった衝動とそれに伴う痛覚に、叶は震える。そして、全身が熱に浮かされるような感覚に陥る。
叶が破瓜の洗礼に悶えていることを察した純一は、叶を気遣い、その顔を優しく撫でてやる。
「大丈夫……?」
この純一の気遣いには、叶は純粋に嬉しさを感じる。正直、これから自分がどうなってしまうのか、皆目予見できない。
その不安故か、叶は純一に少し甘えたくなった。
「ねえ…朝倉くん」
「ん?」
「キス…して」
「え?……あ、ああ」
純一は、少し戸惑ってしまった。思えば、叶自らが口吻を求めたのは、これが初めてであったからだ。
だがそれが少し嬉しくもある。純一は叶の懇願に応え、三度目の口づけを交わした。
「ん、ん……」
その唇の感触が、そして唇を重ね合っているときの、お互いを暖めあうこの体と体の重なりが、叶の緊張や不安を内側から、大分解したようであった。
「ん…あ、ありがとう」
「どうした?やっぱり、不安 か?」
「……うん。でも、もう平気。だから……いいよ」
「いいんだな?もし辛かったら言えよ」
「今の朝倉くんの表情を見るに、言ってもやめてくれそうにないと思うけどな」
「はは、よくご存じで」
こんな状況下で、二人じゃれ合うような会話を交わす。
「……ね。くどいようだけど……優しく、してよ……?」
再び、純一は叶の中で動き始める。
「……っ、っうん、あ、はぁ、朝倉、くんっ……」
叶は、陰唇が、膣襞が、そしてその奥の子宮が、全て純一のそれに食い破られるかのような感覚に襲われる。
「あぅっ、く、工藤っ……!」
そして純一はそれに抗うかのような叶の締め付けに、声を漏らした。
しかし、その一方で、叶の陰唇はその異形の者の闖入を歓迎するかのように涎を垂らし続け、純一の一物も、その歓迎に驚喜し先走る行為にでる。
やがて二人は、正常な意識をなくす。
「ふぁ、あっ、許しれ朝っぁ、あっ、朝倉く、ん、いひぁ……」
叶は譫言のように口走りながら、その身にたぎる激情に為す術もなく焼かれ続ける。かつてまでは痛覚の方が大きかったのに、それは薄れ……いや、それすらも興奮の一環のようにさえ感じられる。
その躰は純一を求め続け、激しく体勢を乱し、与えられる純一の一物を、離すまいとしてその襞で絡め取ろうとする。
「っぁ、凄えよ、熱いよっ、工藤ぉっ……!」
純一はその懇願に応えんと、ただがむしゃらにその腰を叶にぶつけ続ける。
もはや純一も叶もいない。ただそこには、何物かに憑かれたかの如く身悶え続ける二匹の獣がいるのみであった。
高ぶるあまり虚ろになる意識のなか、このまま時が止まればいいのに と、叶は思う。
こうして好きな人と、身も、心も、ひとつとなりながら。
しかし、それはあり得ぬ話である。至福の時は長くは続かない。
そしてお互い、果てるときが来た。
「く、工藤ぉ…………!!!!」
「あ、あ、……………あっ!!!!」
「ご、ごめんね……私、変な声、出してなかった…?」
「いや、多分それ、お互い様だと思うし……」
ことを終えたのち、躰を沈めた二人は肩を並べて、暗い部屋の中で会話を始めた。
「さすが経験者だよね……上手く乗せられたのかも」
「おい、変なこと言うなよ」
「ふふ、ごめん……」
「工藤も凄かったよ……ホント。でさ、工藤。あのさ……」
ふと、純一は叶の顔が翳るのを感じた。そして工藤はこう漏らす。
「……駄目だよ」
「え?」
「駄目だよ。朝倉くんと……恋人同士とか、そう言うのには、なれない」
その言葉に、純一は狼狽する。すると叶は、笑ってこう切り出した。
「だっておかしいよ朝倉くん。いくら私が朝倉くんのこと好きだって言ったって、いきなりキスしていきなり押し倒すなんて、おかしいよ」
「そ、そんな。それに…」
「それに朝倉くん、最中も私の名前呼んでくれなかったし」
「……え!?」
「『工藤』じゃなくて『叶』って、呼んで欲しかったのにな」
「そ、それは……」
「それにこれは、『浮気』じゃないの?」
純一は更に狼狽を強める。叶は続けた。
「だって、正式にことりと別れたわけじゃないんでしょ?」
「……」
確かにそうだ。そもそもことりには、そういうセリフを言われたわけではない。
言葉を返せない純一に、叶は優しく言った。
「……今日のことは、二人の中に……ううん、忘れよ?」
「で、でも」
「忘れないと、あの勘の鋭いことりにはばれちゃうよ?」
「え、え……」
「『朝倉純一は白河ことりという彼女がいながら、何と男の工藤叶と関係を持ちました』なんて、噂されるの、嫌でしょ?」
そして叶は純一の手を離すと、立ち上がる。
「……帰るね」
純一は、何とも返さない。叶は手早く服を着ると、朝倉邸を出た。
帰り道。叶は、ことりのことを思う。
ことりには、憎しみの言葉を浴びせられた。
自分は腹を立てて、ついにはその恋人の朝倉くんと寝た。
「まだまだ子供だな、私」
叶は、純一との最中、あの胸のぬくもりの中にいながら、あのときのことりの気持ちを、うすうすながら察していた。
あれは、朝倉くんへの愛故に、否応なしに放たざるをえなかったのだ。そうでもなければ、あのことりにはあんな言葉は遣えない。
そんな醜い自分を演じてでも、ことりは朝倉くんを放したくないのだ。とてもそこまで、自分にはその人を想う気持ちに至らない。
そして、そんな自分に身を任せたことりの精神が、いかに脆弱であったか。叶は、今更ながらに理解する。
もしことりの心の中をのぞけたら、その中は悲鳴や慟哭で満ちあふれていたのではないか。
そんなことにも構わず、自分は朝倉くんを寝取るところまで行ったのだ。叶は、己の未熟さを呪う。
「ごめんね、ことり」
そして叶は、誰の力にもなってあげられない自分に、ちっぽけで非力な存在の自分に、ふと気づく。
「……」
既に日の落ちた空を見上げながら、叶は帰路を往く。
何故だろうか、涙は出なかった。
叶が帰ったあと、純一は呆然と、外を眺めていた。
「馬鹿だ、俺……」
何となく、ことりに会いたくなった。謝りたかった。どんな面下げてきゃいいのか、わからないけれども。
ことりは相変わらずの体勢で、数時間前の叶の態度を幾度思い出していた。
あの目からは、別にその脳裏を読まずとも叶の強い決意を見て取れていた。もはや、奪われるのは必然だろう。
ことりがそれに抗するのを半ば放棄していた頃、階下から暦の声が響いた。
「おーい、ことり、朝倉が来たから、あがらせるぞ…」
ことりは言葉を返さない。いったい何をしに来たのか。あれから数時間。二人が懇ろになり終えててもおかしくない頃合いである。とにかく今は、二人と顔を合わせたくなかった。
やがて純一が、ことりの部屋に通された。純一は、俯きがちにその戸をくぐる。
「や、やあ……」
「……何ですか?」
ことりは視線を合わせたがらない。その表情は暗い。純一は、覚悟を決めた。
「いや、ことりに、謝らなきゃと思ってさ」
「別にいいですよ。せっかくいい気分なのを、邪魔したくないですから」
もう察していることに純一は困惑したが、ばれている分、切り出しやすいようにも思えた。
「いや、それだけじゃない。全部…と言えるかな」
「……?」
ことりは純一の方を向く。しかし、その表情には未だ険がある。
「俺は、ことりを、工藤のかわりにしてた気がする…いや、してた」
「……お役に立てて光栄です」
「で、察しているように、ことりと付き合ってるのに、その工藤に手を出しちまった…」
「……予定調和で結構じゃないですか。そのまま叶ちゃんと付き合えばいいでしょう?」
「いや、あのさ」
「男同士かと気持ち悪がられるのが怖い?何なら私がみんなの誤解を解く為に説得して回りましょうか?」
「ふられたよ、叶には」
「……」
ことりは戸惑う素振りを見せるが、臆せず返す。
「で、私にかえってくると…!?私は丁度良くキープされてたってわけですね!?」
「ま、待てよ」
「お生憎様!私はそんな都合のいい女じゃありませんから!」
「待てって!」
純一は取り乱しそうになることりの肩を持って、落ち着かせた。
「俺が言いたいのは、そんなことじゃない」
「……?」
「俺はあのとき…今日校門でことりと会ったとき、俺の気持ちを察されて、ことりは俺が嫌いになったんじゃないか…って思ったんだ」
ことりは目を丸くする。純一は続けた。
「で、その帰り、叶と会って、そのまま…」
「……」
「で、これは、叶にふられたあと思ったんだけど、何か……」
そうして、純一は、拳を悔しそうに握りしめ、呟くように言う。
「俺は叶を、ことりの代わりにしちまった気がするんだよな」
「!?」
ことりには、純一の言っていることが、理解できないでいた。
「多分…叶が俺をふったのも、そこんとこ察したからだと思うんだ…最低だよな、つうかわけわかんねえな、俺。どっちも代わりにするなんて…」
言葉を返さないことりに、純一は背を向ける。
「すまん、変なこと聞かせて。せめてことりには、正直でいたかったんだ。あのときの俺を見捨てないでくれた、恩人だから」
正直でいたかった。
あのとき。
それらの言葉に、ことりの心は一気に破裂する。
「朝倉くん!!」
そのまま帰ろうとした純一は、突如背中に取り付いて、その背中に嗚咽を見せはじめたことりに驚く。
「ことり……?」
純一はことりをその眼前に迎えると問うた。
「どうしたってんだ…別にことりには……」
「ごめんなさい……ごめんなさい……私、私……!」
そしてことりは、純一に「あのとき」の真実を話した。
あのときから、ことりはすべてを承知済みであったことを。
しかし、純一はそのことに、特別驚くような素振りは見せなかった。ことりがそのことにいかに苦悩したかは、じゅうぶんに純一にも理解し得たことであった。
「俺がこんなこと言えた義理じゃないけど……ことりだって一人で苦しむのはやめろよ…」
「うん……そうですね」
「俺だって、ことりが苦悩するとこは見てて辛いからさ……」
「ごめんなさい……」
男と女と言うには、自分たちは、余りにもいびつすぎた。
「……また最初から、出直しだな」
万人に降り注ぐ夜空を見上げながら、そう思わずには、いられなかった。
第三部完
了