ひらり、はらり、と桜の花びらが舞っている。空高くに浮かぶ太陽からは、柔らかな日差しが降り注いでいる。
そんな早朝の桜の並木道を、男は一人歩いていた。
――初音島。
本島から船で数時間という距離にある孤島。
尤も、一言で“孤島”などと言っても、テレビでよく特集される無い無い尽くしな場所では無い。
総合病院、大きな商店街、遊園地、そして中高一貫の私立学園、と何もかも揃っている。
寧ろ本島の田舎と比べれば、よっぽど都会らしい場所だ。
けれども、初音島には二つだけ、本島と違うところがあった。
一つが年中咲き続けているという不思議な桜。そしてもう一つが外国人の少なさだった。
敗戦以降、日本では“栄えた場所(租界)に住むのがブリタニア人、寂れた場所(ゲットー)に住むのが日本人”という構図は当たり前だった。
にも関わらず、これだけ栄えている初音島には、何故かブリタニア人の姿が全くと言っていいほどに見受けられない。
それこそ、敗戦前の日本では当然だった光景が、そこにはあった。
しかし、それは男にとって好都合だった。
ブリタニア人を見ると、辛い過去を思い出してしまうから。
あの時自分に賛同してくれた仲間達は、ゼロ――ルルーシュが皇帝として即位した途端にあっさりと手のひらを返した。
玉城は「俺達は親友だろ」と馴れ馴れしく新皇帝に尻尾を振り、カレンは兄代わりの自分よりルルーシュを選んだ。
そして藤堂。“奇跡の藤堂”の名は虚名にあらず、変わり身の早さも奇跡的だった。
気が付けば一人、クーデターの全責任を取らされて騎士団から放逐されてしまった自分が居た。
思い出すのは星刻とか言うシナ人の最後の言葉。
「命を取られないだけありがたく思え」
――ロリコンが何を偉そうに。
腹は立ったが、しかし男にとって、全てはどうでもよかった。
千草さえ居てくれれば他には何も要らなかったのだ。そして男も、千草だけはついて来てくれると信じていた。だと言うのに。
「私は千草じゃない、ヴィレッタだ」
その一言の下に男を切り捨てると、千草は何食わぬ顔して本国へと帰っていった。
文字通り全てを失った男。
何の為に頑張ってきたのか、それすらも最早分からない。
「ふぅ……忘れろ……もう忘れるんだ」
一人呟き、苦い想いを打ち消そうと首を振る。その動きに合わせて男の天然パーマがゆさゆさと揺れた。
男は三十路手前、まだまだ一人の男が再スタートを図るには十分余裕な年齢だ。
そう、男はこの初音島で人生の再スタートを切る。昔取った杵柄。教員免許を生かして。
――風見学園。それが男が教鞭を執ることになった学園の名だ。
どこの学校も男の名前を聞いただけで不採用だったのに、この風見学園は、そんな男を採用してくれたのだ。
「俺は教師の道に生きるんだ。レジスタンスとか、恋愛とか、最初から俺には向いちゃいなかったんだ」
自分に言い聞かせるように口に出して、いつしか止まっていた歩みを再開させる。
桜の並木道を抜けると、風見学園が見えてきた。
汚れの全く見当たらない、真っ白な校舎。そんな綺麗な外観に目を奪われ、改めて「よし」と気合を入れる。
正門を抜けて、校舎へと入っていく。
その瞬間に鼻腔をくすぐった、懐かしさを伴う廊下の独特な据えた臭いに、男はノスタルジーに捕らわれて霧消に泣き出したくなった。
男は慌てて目頭を押さえる。教師生活一日目に、学校で号泣なんて痴態は流石の男でも避けたい事態だった。
幸いにも現在は早朝。こんな時間から学園に来る人間は、出勤初日な為にかなり早めに家を出た自分以外には居よう筈も無い。
そう高を括っていたところに。
「あの、どうかしましたか?」
急に背中越しに声を掛けられて、男は身体をビクリと震わせる。
「ああ、いや、なんでも……」
瞼を擦りながら、ゆっくりと振り向く。そして男は硬直した。
驚きに声が出せなかったのだ。
学生がこのような早い時間から校舎に居た事に、では無い。声を掛けてきた女子学生の、その外見に。
今日から自分が授業を受け持つことになる本校の女子制服に身を包んだ少女。
彼女は制服を全く着崩すことなく、きっちりと着こなしていて、その右腕には存在を主張するかのように腕章が輝いている。
同年代の少女の中でも、多分童顔な部類に入るだろう顔付きに、大きな瞳。そして何より優しそうな雰囲気。
髪を飾るピンク色の大きなリボンが、少女の可愛さを何倍にも引き立てている。
「き、君は、一体…………」
――扇要、27歳。人生二度目の恋の始まりだった。