「はあ・・・」
ため息をつく。
誰もいない、きれいに整理整頓された部屋。
いや、正確にはため息の主がいるから誰かいるのだが、そのため息の主にはその部屋はそう見えた。
「やっぱり、帰ってきてるわけないよね・・・」
隣の家の、見慣れた部屋。
隣の家に入るなんて不法侵入だとかプライバシーの侵害だとかは問題ではない。
別に誰が咎めるという訳でもないことだし。
ため息の主―朝倉由夢は自分の大切な人がいた・・・はずの部屋を見た。
「さくらい・・・よしゆき」
名前がどんな漢字だったかはもう思い出せない。
「このまま、忘れていっちゃうのかなぁ・・・?」
「はあ・・・」
2度目のため息。
この部屋の主がもしいたのなら、
『ため息をすると幸せが逃げていくんだぞ!』
なんて笑いながら言っただろうが、彼はもう存在すらしていない。
桜内義之。
この部屋の主であるはずの少年。
彼女はその理由を知らないが、彼はいなくなってしまった。
いや、存在そのものがなくなってしまった。
信じがたいことではあるが、自分の目の前で霧のように消えた上、彼を覚えている人も自分以外にはもういない。
そして、自分の記憶からも少しずつ薄れていく。
「やだよ・・・兄さんのこと、忘れたくないよ・・・」
いくら自分がそう思っても、現に記憶は少しずつ薄れている。
彼女はそのまま彼が使っていた・・・はずのベッドに顔を突っ伏せる。
「やっぱりまだ、兄さんのにおいが残ってる・・・」
不思議とこれを嗅ぐと彼と過ごした日々を鮮明に思い出せる。
幼いころ始めて会ったときのこと。
トイレの鍵を閉め忘れたら、入ってこられて驚いたこと。
体育祭の借り物競争で「大切な人」で借りられたこと
彼に弁当を作ってあげようとしたら、ケシズミが出来上がったこと。
クリパで散々はしゃぎまわったこと。
彼と過ごした最後の一日のこと。
そして―初めて肌を重ねあったときのことを。
「これも、いつかはなくなっちゃうのかな・・・」
このにおいも無くなったら、彼女が彼を思い出す手段は無くなる。
そうなれば、自分もいつかは彼のことを忘れてしまう。
彼女には、それが怖かった。
だからこうして、春休みの間中通いつめているわけだ。
少しでも長く、自分の中で彼との記憶を保つために。
見つけるまで存在を忘れていたが、彼からもらった合い鍵を使って毎日通い続けた。
「兄さん・・・明日から新学期だよ」
「兄さんと一緒に、行きたかったな・・・」
その願いが叶わないのは、予知夢を見ることのできる彼女は既に知っている。
姉は朝早くに出かけてしまい、自分は一人で学園へ向かい、クラス分けの看板を見て自分の名前を発見する。
そして本校の1年の看板を見て、兄の名前がないことを気付かされ、落胆して教室へと向かい、新しいクラスの面子を見ながら放課後まで彼のことを考えながら過ごす。
既に決まってしまっている未来。
自分には、変えることができない。
彼が消えるときも、それを知っていながら止める事はできなかった。
もしあの時、屋上以外の場所に行けば―
もしあの時、最後まで手をつなぎ続けていれば―
彼女のifは尽きることがない。
だが、過去は決して変わらない。
「兄さん・・・」
彼女はショーツの中に手を入れる。
「私だけは・・・」
「私だけは、絶対に・・・絶対に兄さんを忘れないからね」
そして、自分の膣の中に指を這わせる。
「はっ・・・あうっ・・・」
「にい、さん・・・」
そこには、いや、どこにもいない大切な人がそばにいると妄想しながら彼女は自慰を続ける。
「んぁっ・・・んっ・・・」
これも、毎日続けてきた。
彼を忘れたくない。ただそれだけの気持ちからの行動。
彼女の膣はずいぶん濡れている。
「はうっ、うっ!」
「はあ、はあ・・・兄さんが戻ってきたら、えっちになってて驚いちゃうだろうなぁ・・・あうっ!」
快感を味わっているはずなのに、何故か彼女の目には涙が浮かんでいる。
まあ、理由は言うまでもないのだが。
「はっ、はっ、んっ、あうんっ!」
指が噴出された愛液でぐちょぐちょに濡れる。
「あはは、もうイッちゃった・・・」
「やっぱり、兄さんのがいいな・・・」
自慰とは比べ物にならない、二人での交わりの快感を思い出す。
が、これも所詮は叶わぬ願い。
「兄さん・・・」
指についた愛液を舐め取ると、彼女はそのままシーツに突っ伏して泣き始めた。
愛する人のにおいを感じながら。
彼を絶対に忘れることがないように。
「一日限りの嘘とかでもいいから、兄さんがひょっこり帰ってきてくれないかな・・・」
「USO8OOとかドラ○もんが出してくれないかな・・・なんてあるわけないかw」
彼女は自嘲するような笑いをこぼす。どちらを笑っているのかは彼女本人も知らないが。
―ベッドの隅に置かれた彼女の携帯の液晶に映し出されている日付は3月31日。
彼女は、まだ明日の放課後からの未来を知らない。
〜fin〜