エピローグ ※注 今までもキャラクターに対してかなり酷いことしてきましたが
これから先も一切の救いなんかありませんので
耐性のない方や免疫の低い方、鬱になりたくない方はご注意下さい
ただし凌辱シーンは今回一切ありません(彼女たちの末路だけなので)
「ここなら、死体は上がらなさそうね」
目の前には、海が広がっていた。
洋上から吹きつけてくる強い風。
流れる髪を押さえながら、雪村杏は一人ごちた。
杏が今立っているのは断崖絶壁だった。
年中枯れない桜が咲き乱れ、一見平和そうに見える初音島。
だけどこの島にだって、自殺の名所の一つや二つは存在する。
放っておいても、自殺志願者たちがどこからともなくやってくる。
そんな場所。
死亡者の多い場所には、よく自縛霊が出るという。
そんな亡霊たちは、あの世への道連れが欲しいのか
自分と同じ目に遭わせようと生者を呼びよせるのかもしれない。
「―――――これから先、こんなことをずっと忘れられずに過ごすなんて、まっぴらよ」
それが、彼女の辞世の句だった。
両サイドで結んでいた髪のリボンをほどき、頭上へと掲げる。
ストレートに下ろされたプラチナブロンドの髪が風にはためいた。
握られたままのリボン。
手を放すと、それは一瞬で風にさらわれる。
眼下に広がる海へと吸い込まれ、波の間に間にまに消えて行った。
そして彼女自身も、海から来る風に身を任せる。
さらわれる。
小さな身体が眼下に広がる海へと吸い込まれ、波の間に間に消えて行った。
これより先、雪村杏の姿を見た者は誰もいない。
「義之にあんなこと・・・・あんな・・・・・・」
右手には、公園の用具入れから拝借してきた折り畳み式の脚立が握られていた。
月島小恋はそれを引きずる。
ズルズルと。
向かう先は、この公園で最も思い入れの深い場所。
魔法の桜の樹だった。
左手には太くて長い、縛られると跡の残りそうなロープ。
目的の場所に到着。
桜の樹を見上げた。
「もう、タメ。 わたし・・・・・っ」
クスリを打たれていたとはいえ、義之や他の男たちにしたことを思い出すと
胸が張り裂けそうになる。
泣きながら脚立を立て、自分の体重を支えられるだけの枝を選んでロープを投げる。
残っている方の紐を上げてゆくと、枝を滑車がわりに
投げた方のロープの先端が降りてきた。
紐の先は、頭を通せるほどの輪っかになっている。
ここへ来るまでに、あらかじめ作っておいたのだ。
輪っかを程良い位置で固定し、反対側を樹の幹へと結びつける。
しっかりと固定されたことを確かめると、再び脚立へと戻った。
「ごめんなさい、勝手に持ち出したりして。 誰か、なおしておいてね」
用具倉庫から無断拝借した脚立のことを言っているのだろうか。
3段あるそれを一番上まで登り、丁度良い位置に来ている吊した輪っかに首を通した。
「―――――義之」
小さい頃からずっと思いを寄せていた幼なじみの名前が、唇からこぼれた。
「手紙、読んでくれるかな」
義之が死んでしまったことを知らない小恋は、ここへと来る途中
彼に宛てた手紙をポストへと投函してきた。
その手紙に綴られるは、彼女の思いの全て。
深呼吸をした。
目の前の景色を眺める。
桜の花弁は満開で。
とても綺麗で。
でもそれがなんだか皮肉に思えて。
「・・・・・・・・・・・・義之。 わたし・・・わたし、ずっと、義之のこと―――」
胸の内に秘められた想いは、ついに口から出ることはなく。
小恋は脚立を蹴った―――
「・・・・・・・・・・・・おと・・・・め・・・?」
携帯に連絡があった。
高坂まゆきは慌てて朝倉音姫の元に駆けつけた。
ここしばらくの間、音姫は学園を休んでいた。
電話を掛けてもメールを打っても音沙汰なし。
おかしいとは思っていたし、心配もしていた。
そしてつい先程、放課後に陸上部の練習が終わった直後に一本の電話があったのだ。
病院からだった。
「すみません、朝倉音姫さんのお知り合いの方ですか? こちらは水越病院の――――」
電話の向こう側の看護師曰く、音姫が大火傷を負って
病院にかつぎ込まれたのだそうだ。
原因は焼身自殺未遂。
それを聞いた瞬間、まゆきはジャージのまま慌てて学園を飛び出した。
学園と病院は、そんなに距離があるわけではない。
クラブが終わり、ヘトヘトであるにも関わらず
全力疾走で病院へと駆け込んだ。
ガラス張りの玄関を通り抜け、一階の総合待合室で病室を聞きだす。
512号室。
エレベーターの到着がもどかしくて、5階まで階段で一気に駆け上がった。
前のめりになりながらも廊下を走り抜け、途中何人もの患者や看護婦とすれ違い
ようやく目的の病室へと辿り着く。
ドア脇にあるネームプレートを確認。
《 朝倉音姫 》
息を整え、ノックののち扉を開ける。
しかしそこで彼女が見たものは、信じられない光景だった。
ベッドに横たわる、包帯グルグル巻きのミイラ。
見ているだけでは男か女かもわからない。
だけどもその物体から声がした。
自分の名前が呼ばれたのだ。
聞き慣れた親友の声で。
「・・・まゆき。 わたしね・・・・・死に損なっちゃった」
開口一番、ベッドの上の包帯の塊は駆けつけたまゆきにそう言った。
そして彼女は語りだした。
自分の身に、何があったのかを。
――――――――――
「・・・・・・・・・・そ・・・・・そんな・・・・」
口の中はカラカラだった。
唇どうしが引っ付き、上手く声が出ない。
エジプト王家の墓に埋葬されているような姿の親友の話を聞き終え
まゆきはどう答えていいのか解らなかった。
襲われた、というのだ。
音姫が、そして由夢やさくらたちまで。
信じられないし、信じたくなかった。
でも真実は曲げることなどできなくて。
現実は無情で。
物語のように優しくはなくて。
「―――――だからね、私も死のうと思ったんだ」
親友の口から、そんな言葉が出た。
「由夢ちゃんがね、自殺してたの。 台所にある出刃包丁で首を――」
喉がとても痛そうな死に方だったと、音姫は淡々と語った。
「弟くんも由夢ちゃんも居なくなっちゃって、どうしていいかわからなくて・・・」
包帯で覆われた顔。
今彼女は、どんな表情を浮かべているのだろうか。
「わたしも、ちょうど死にいと思ってたの」
だけども由夢のように刃物で自らを刺す気にはなれなくて。
「それでね、ガレージに買い置きのガソリンがあるのを知ってたから」
独特の臭気が漂う、中身が満タンに詰まったポリタンク。
重たいそれを引きずりながら、玄関や廊下に撒く。
リビングにも撒く。
台所、二階への階段にも。
途中でなくなってしまったので、もう一回ガレージへ取りに戻って今度は二階へ。
義之が昔使っていた部屋、由夢の部屋。
最後に自分の部屋へと撒いたところで、丁度2つ目のタンクが空になった。
未練がないわけじゃない。
だけども未来に希望が見いだせない。
大切な人たちは、今やそのほとんどが三途の川の向こう側だ。
1階のリビングに戻り、ライターを探す。
ジッポーが見あたらなかったので、100円のものを使う。
透明なプラスチックの中身のガスはもう残り少なかったが
今からすることを考えれば、それで十分だった。
カチッと小さな音。
頼りない炎が出る。
ガソリンの上に持って行き、点火する。
火は、あっという間に回った。
オレンジ色をした炎が、透明度の高い導火線の上を走り抜け、廊下へ、階段へ。
二階の各部屋にも燃え広がる。
もちろん表の郵便ポストも。
中に入っている小恋の手紙も。
台所の新聞紙の束が黒い灰を巻き上げ、ソファーも絨毯も
カーテンまでもが炎の舌に舐め尽くされ、絡め取られる。
そこで音姫の意識は途絶えたのだそうだ。
そして目覚めると、病院のベッドの上だったのだという。
炎に包まれた朝倉家がどうなったのかは、まだ知らされていない。
音姫は全てを語り終えると、目線だけを窓の方へと向けた。
首は動かないらしい。
「みんな、いなくなっちゃった。 わたしも、死にたい」
みんなのいる所へ行きたい。
音姫はそう言った。
「―――――るよ」
自分だけが置いていかれた。
そのように告げる音姫に、まゆきは今まで守っていた沈黙を破り口を開いた。
「・・・え?」
よく聞き取れなかった。
音姫は聞き返す。
「――――あたしが・・・・あたしがいるよっ、まだっ、いるよっ! 友達置いて勝手に死ぬなぁっ!!」
叫んだ。
そして俯いた。
「あたしがまだいるじゃない。 だからっ・・・そんな死ぬなんて、っ・・・悲しいこと言わないでよ」
「・・・・・まゆき」
視線を戻す。
まゆきは俯いていて、前髪で表情が隠れていて。
だけども頬を伝う熱い滴りは隠せなくて。
「・・・・・・ごめんね、まゆき・・・・っ・・・まゆっ・・・・っっ」
朝倉音姫と高坂まゆき。
彼女たちは、互いのために涙を流し続けた。
「・・・・・・・・・・・・小恋・・ちゃん?」
芳乃さくらの祖母が植えたという、初音島の枯れない桜の根元とも言える
老木があった場所に新たに植えられた魔法の桜。
朽ち果て、大地に還った老木の栄養と人々の強い思い。
それらを糧とし、幹は大の大人が抱えても手が届かない程に
枝振りもまた立派に天を突くほどに大きく成長した桜の樹。
「小恋ちゃん、どうして・・・・・・・」
義之を失い、朝倉姉妹や関わった他の全ての人々を不幸にしてしまったさくら。
彼女は自分の植えた、元凶となる桜の樹を枯らそうと
公園の広場までやってきたのだが、そこには先客がいた。
ただし、物言わぬ骸と成り果てて。
「そんな・・・・小恋ちゃんまで・・・ ごめん・・・・ごめんなさ・・・ヒックっ」
目頭が熱くなる。
義之がいなくなったあの日、もう出尽くしたと思っていた涙が
知人の死を目の当たりにして、再び溢れ出した。
目の前の地面に転がる、公園の掃除用具入れから持ってきたと思しき脚立。
太めの幹に吊された、食い込むと痛そうなロープ。
それが小恋の首に填り込んでいた。
でも小恋は何も言わない。
苦しんだのだろうか。
それとも、あっという間だったのだろうか。
冷たくなった彼女は、ロープをギシギシと鳴らしながら
時折吹き付ける強い風に、ただ揺られていた。
「――――――――――ごめんね、小恋ちゃん。 今、ボクも行くから」
泣きはらし赤くなった目を擦ると、さくらはぶら下がる少女に心の中で黙祷を捧げ
桜の幹に手を突いた。
「ボクが、バカだったんだ。 ボクさえ我慢すれば、みんな・・・みんな・・・・・!」
年齢相応に皺の刻まれた、老婆となったさくらの身体が光り出す。
その輝きは徐々に強くなり、桜の樹を包み込んだ。
「桜の樹よ、枯れて―――!」
光がひときわ強く、激しく輝く。
そして次の瞬間。
『枯れて。 ――――ボクと一緒に』
桜の樹は無数の光の泡となり、弾けて無へと還された。
光が収まった後には、桜の樹が植わっていた穴と、その前に倒れ伏す老婆の姿。
そして宙吊りから解放されて投げ出された小恋の遺体。
芳乃さくらは、息絶えていた。
俯せで、静に。
眠るように、老婆となった彼女は息を引き取っていた。
これで終わったのだ。
何もかも。
世界はすべからく等価交換。
何かを得るためには、同等の何かを支払わなければならないのだという。
さくらは義之を作り出したときに、そのことに気付くべきだったのかもしれない。
ひとときの幸せ。
でもその代償は大きすぎて。
もう取り返しもつかなくて。
義之を失ったときに全てを失ってしまったさくらは
桜の樹が枯れる時に、自分の命も枯らすことを望んだのだ。
魔法の樹が消えたと同時に、周囲の桜の樹の花弁も散り始める。
50年前に起こったのと同じ現象だった。
力を失った桜色の花弁たちは、流されるまま宙を舞い。
風が収まると、それらは音もなく大地へと舞い降りる。
まるでそれは、雪雲から降り注ぐ小さな白い結晶のようで。
芳乃さくらと月島小恋。
二人の亡骸を静に覆い尽くした。
オールヒロインズ・バッドエンド