桜内義之の一日はまず窓から外の様子を眺めることから始まる。  
「ああ、もうこんな時間か・・・・・・それにしても、いつも家で待ってればいいって言ってるのに」  
 窓越しに外を眺める彼の目に、長い髪に大きなリボンを付け、本校の制服を着た少女がじっと家の外で待っているという、最早見慣れた光景が飛び込んでくる。  
 大きく一つ欠伸をして、パジャマを脱ぎ捨てると掛けてあった制服を着て、カバンを引っつかんで一階まで降りる。  
 ドアを開けると、外で待っていた少女と目が合い、その瞬間、待ちかねたといわんばかりに少女がふわりと微笑んだ。  
「おはよう、弟くん」  
「はぁ、音姉、いつも言ってるだろ。いちいち外で待ってなくってもちゃんと一人で起きれるから大丈夫だよ」  
「えっ、あ、ああ・・・今日はほら、たまたまだよ。たまたま。いつもより早く目が覚めてね? いつもより早めに朝食を済ませちゃってね。  
 そしたら時間も余ったことだし、どうせ急いで行かなきゃいけない用事もないから弟くんと一緒に学校行こうって思って、そしたらどうせ―――」  
「・・・もういい、わかったわかった」  
 諦めたように溜息交じりに呟く義之に対し、あはは・・・と困ったように目を泳がせている目の前の少女・・・・・・彼の姉である、朝倉音姫。  
 二人の間で毎朝のように繰り返される、恒例のやり取りだった。  
 あくまでも偶然時間が余ったから来てみた、と強調する音姫だったが、それでも一度や二度ならともかく、彼が朝倉純一の元を離れてからというもの、  
ほぼ毎日のようにこうして家の前で待っているのだから苦しい言い訳でしかなかった。  
 もしもこれが本当に偶然なのだとしたら、彼女はとうの昔に宝くじの一等でも引き当てていることだろう。  
 
 当初は音姫が登校する時間に迎えに来ていたのだが・・・・・・誰に似たのか、致命的に朝に弱い義之は度々寝坊を繰り返した。  
 それからというもの、音姫はわざわざ早めに用意を済ませた後、彼の家の外で待機し、時間になっても起きない場合、突入して部屋まで起こしに来ることにしていた。  
 義之としても、朝は朝で見られたくないものもあるし、寝てる顔を見られるのも恥ずかしいし、何より迷惑をかけたくなかったので止めるように何度も言ったのだが・・・・・・  
 結局先程のような言い訳にすら最早なっていない口上を述べられ、うやむやにされているわけである。  
 何もそこまでして一緒に登校しなくても・・・とも彼は度々口にはするのだが、少なくとも音姫にとっては違うようであった。それを彼女に言えば、  
「お姉ちゃんと一緒に学校行くの嫌?」  
 などと潤んだ涙目で見つめられた。  
 それも義之が登校する間中ずっと、ぴったりと義之の後をつけながら。  
 それだけではなく、そのときに知り合いの人間・・・特に女子などに話しかけられた日には更に大変なことになった。  
「私とは一緒に行きたがらないくせに、この娘は楽しそうに歩いてる!!」  
 などと彼女の主観が大量に混じった状況を涙ながらに訴えられ、その女生徒の目の前で、見せ付けるように抱きつかれる羽目になる。  
 女生徒としても、生徒会長として人望を集める一方、校内でも重度のブラコンとしてその名を馳せる音姫のことは重々承知している。  
 義之にその表情を決して見せないようにしながら、ぞっとするくらい冷たい視線を向ける音姫を前にして、どの女生徒も愛想笑いを浮かべながら足早に去っていくのだった。  
 
「ああ・・・それじゃ用意するから家上がっていてよ。そういえば由夢はどうしてる?」  
「あ、由夢ちゃんはまだもう少し時間がかかるみたい。少し起きるの遅かったから」  
 音姫を家に入れようとしていた義之が、そこでふいに何かを思い出したかのように、振り向くと、  
「音姉、おはよう。それからいつもありがとうな」  
 それを聞いた音姫は一瞬きょとんとした表情を浮かべると、次の瞬間直ぐに咲き誇るような満面の笑みを浮かべ、  
「う、うんっ! どういたしましてっ、弟くん♪」  
 と心の底から嬉しそうに頷いた。  
 その微笑みは、少なくとも義之に朝にこの笑顔を見るためなら、もう少しくらい早起きする価値はあるかな・・・と思わせるくらいには魅力的だった。  
 
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「あっ、兄さん。何してるの?」  
「ん? あぁ、由夢か。見ての通り、音姉のとこに弁当食いに行くんだよ」  
 昼休み、空腹を訴える腹を抱えて廊下を歩いていた義之に突然横合いから声がかけられると、義之は声のした方を見もしないまま、面倒くさそうにそう返す。  
「む〜〜っ、可愛い妹がわざわざ兄さんに声を掛けてあげたっていうのに、随分とつれない対応ですね」  
 その対応が気に入らなかったのか、声が若干不機嫌なものになったかと思うと制服の袖がぐいっと引かれる。  
 そのまま無視して歩こうとすればできただろうが、そうするとおそらく・・・否、確実に後々まで引きずることになるだろう。  
 
 一つ嘆息するとようやく振り返る義之。背後には拗ねた表情の由夢が、頬を可愛らしく膨らませ立っていた。  
 その姿は大変いじらしいのだが、義之にとっては直にやってくる厄介ごとをどう回避するかの方がより重要だった。  
「で、何だよ。今日は音姉と飯を食う約束をしてるから、これから生徒会室に行かなきゃならないんだけどな」  
 まぁ正確には今日も、であるが。  
「や、別に用ってわけじゃないんですけど・・・その、今日はいい天気ですし、一人寂しい兄さんと、たまには一緒にお昼なんかもいいんじゃないかな〜って」  
「別に一人寂しくないし、大体お前とは昨日食ったばっかりだろうが」  
 まぁ正確には昨日も、であるが。  
 
 どういうわけかこの姉妹は一日ごとに義之を昼食に誘った。今日は音姫、昨日は由夢、その前は音姫、その一日前はまた由夢・・・・・・といった具合である。  
 一体いつごろからそんな風になったかは分からないが、彼が気が付けばそういう形になっていた。  
 一度義之が三人で一緒に食べればいいじゃないか、という提案を出したのだが、  
「え〜っ、家では三人でなんだし、学校でくらい二人でゆっくりがいいよ」  
「私もお姉ちゃんの意見に賛成。まぁたまには私たちとお昼するのもいいじゃないですか」  
 と、そんなときだけ作られる抜群のコンビネーションで敢え無く却下される。  
 それからは一日交代で朝倉姉妹と昼食をとる、というのが暗黙の了解で決まっていたのである。  
 
 
「そうそう兄さん、私学食の無料券友達から貰ったんですよ。二人分あるから、もしよかったらいきませんか?」  
「お前俺の話全然聞いてないだろ!?」  
「や、聞いてますよ。でもこれ今日までなんですよっ! だからほら、お姉ちゃんには後で謝っておくとして、今日は私と一緒に―――――」  
「『誰』と『何所』へ一緒に行くのかな、由夢ちゃん?」  
 ぐいぐいと義之の腕を引いていた歩き出そうとする由夢の背後から、突然かけられたにこやかな声。  
 
 それを聞いた瞬間、(ああ、遅かったか・・・・・・)といった諦めの感情が義之の脳裏をよぎる。  
 最早こうなってしまえば義之にできることは何も無い。  
 いっそのこと、義之としてはこのまま何も見なかったことにして回れ右したいところである・・・・・・  
 が、ここでそんなことをすれば後々恐ろしいことになるので、我慢してただひたすら状況が過ぎ去るのを見守る。  
 
「お、お姉ちゃん・・・・・・」  
「おかしいなぁ、由夢ちゃんは昨日弟くんと一緒にお昼食べたと思うんだけど、お姉ちゃんの思い過ごしかしら?」  
 いかにも楽しげに弾んだ声で由夢にそう訊ねる音姫。  
 尤もその心中が全くの正反対であることなど、幼い子供でも本能的に察しそうであるが。  
「そ・・・その、ど、どうだったかな〜、あ、あはは・・・え・・・と、忘れちゃった、かな?」  
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」  
「ひゃうっ!! ご、ごめんなさい!!」  
 頬をひくひく震わせつつ微笑む音姫の姿は、なまじ容姿が秀逸な分、とんでもない迫力を醸し出していた。  
 その圧力に思わず涙目で謝る由夢。  
 
 どうやら音姫も本気の本気で怒っていたわけではなかった―――義之には十分本気だったようにも感じられたが―――らしく、ふうっと一息つくと、  
「いい、由夢ちゃん。弟くん協定其の一、どちらか片方の抜け駆け禁止! ちゃんと守らなきゃダメなんだからね!?」  
「あぅ・・・その、ごめんなさい・・・・・・つい・・・」  
「うん、ちゃんとわかってくれたならもういいよ。私もちょっと大人気なかったしね・・・・・・明日は由夢ちゃんの番だから、それまで我慢して?」  
「う、うん。わかった。ごめんね、お姉ちゃん。約束破る気はなかったんだけど・・・・・・」  
「わかってるよ。弟くんのことになったら、私も由夢ちゃんもついついやりすぎちゃうもんね。そういえば、今度の休日デートは由夢ちゃんだから、その時にね・・・・・・」  
 と先程から何やらとんでもないことを口にしつつ、義之をちらちら見ながら二、三言お互いにぼそぼそと囁き合う。  
 すると見る見るうちにその表情を明るいものに変えていく由夢。反比例して見る見るうちに増していく義之の不安。  
 そうこうしているうちに、話はどうやら終了したらしく、すっかり笑顔に戻った由夢が、  
「それじゃ兄さん、やっぱり今日はお友達と食べることにしますからごめんなさい! それから、今度の休日は絶対、ぜぇ〜ったい空けておいて下さいね〜!!」  
 とにこやかに宣言して去って行った。  
 義之には皆目見当もつかなかったが、それでも何となくまた苦労することになるんだろうなぁ・・・などと思い、心の中で泣きに泣いた。  
 
 
 
 由夢との対決を済ませると、音姫は時間が惜しいとばかりに義之の腕をがっしり自分の胸に抱えると、そのまま歩き出す。  
 ただでさえ校内で白河親衛隊と双璧を成す音姫ファンクラブ・・・まぁ要するに音姫狙いの男共に目を付けられている義之である。  
 友人の板橋渉辺りは「このラブルジョワめ・・・!!」などと冗談っぽく笑いながら、言葉に殺気を込めて彼をそう評してくれる。  
 何というか、そろそろ本気で身の危険を感じている今日この頃だった。  
 
 そんな彼にしてみれば、昼休みの、それも人でごった返している廊下で、  
尚且つ腕にささやかな膨らみが感じられるくらいに音姫と密着しているこの状況は決して喜ばしいものではないのだが・・・・・・  
 が、こうなってしまえば、それを言ったところで聞いてくれる姉でないことはとっくの昔に身をもって経験済みである。  
 一つ大きく溜息を吐いたあとは、諦めて大人しく連行される義之。  
 一方そんな義之とは対照的に、弟の腕を大切そうに抱え、ぐいぐい体を押し付けながら、満足げな表情で廊下を歩く音姫。  
 周囲の・・・特に男子連中から向けられる、いつものおよそ五割増しの敵意と嫉妬の視線がとても痛かった。  
 
 
 そのまま生徒会室へと義之を連行した音姫は、しっかりと施錠し(何故弁当を食うのに鍵を閉めるのか義之にはわからなかったが)、前もって三人分用意された机に座らせる。  
 先に来て既に弁当の準備を完了していた高坂まゆきも、音姫に腕を組まれたまま困ったような顔で義之が引っ張ってこられるという、  
 最早すっかりお馴染みとなったその光景に対して、今更何を言うでもなく、  
「音姫も相変わらずだねぇ」  
 などと半分呆れつつ、苦笑している。  
 
 そうして自分も義之の隣に座ると、弁当の包みを開き、義之の分を渡そうとしたときだった。  
「あっ・・・ごめん。弟くんのお箸、入れ忘れちゃったみたい」  
 暫くゴソゴソやっていた音姫が、一人分の箸だけが入っていた袋を見せて、申し訳なさそうな声でそう呟く。  
「えっ、うそ。音姉にしては珍しいね・・・」  
「う、うん。ごめんね・・・朝少し急いでいたからかな・・・?」  
「いや、別にいいよ。それじゃ先に弁当食べてていいよ。俺ちょっと食堂行って割り箸貰ってくるからさ」  
「あっ・・・ううん。そんなことしなくて大丈夫だよ、弟くん」  
 立ち上がりかけた義之をやけににこやかに制する音姫。  
 そして不思議そうな表情を浮かべる義之の目の前で、弁当箱の蓋が開かれ、食欲をそそるよう鮮やかに彩られた上、彼の好物の詰まった弁当が姿を現す。  
 そして音姫は箸を手に取ると、  
 
「はい、あ〜〜〜ん♪」  
 
 満面の笑顔と共に、玉子焼きが前に突き出される。  
 
 
 その一言が発せられた瞬間、間違いなく空気が凍った。少なくとも義之はそう感じた。  
 まゆきも思わず箸を止め、目に見えずともハートが乱れ飛んでいる光景が容易に想像できるくらいのダダ甘な空間に、表情を引きつらせる。  
 目の前には姉が嬉しそうに突き出したおかず。いつもなら美味しくいただくところなのだが・・・・・・流石にその食べ方は恥ずかしすぎた。  
 是が非でも丁重にお断りしたいのだが、音姫の笑顔からは「食べて食べて」と無言の重圧が繰り出されている。  
 助けを求めるように横を見れば、頼みの綱のまゆきは「あんたらも少しは人の目を気にしなさいよ・・・」などとバカップルを見るような冷たい目で見つめている。  
 そしてそのまま一人弁当をがっつき始めた・・・・・・要するに、我関せずの構えである。  
 
 硬直したまま動こうとしない義之に痺れを切らしたのか、先程よりも更に玉子焼きを突き出す。  
 
「あ〜〜〜ん♪」  
 
「いや、音姉、俺やっぱり箸取ってく―――」  
 
「あ〜〜〜〜ん♪」  
 
「音ね―――」  
 
「あ〜〜〜〜〜〜ん♪」  
 
「・・・・・・あ、あ〜ん」  
 気分的には、一つしか出てこない選択肢を選ばされる時のそれに近い。  
 この姉妹には拒否権という言葉を覚えていただきたい、これまでにないほど、改めてそう強く願う義之だった。  
 
 
 
 
「弟くん、次何が食べたい?」  
「ん〜、そのハンバーグ・・・あっ、やっぱそっちの唐揚げで」  
 一度やってしまえばもう吹っ切れたのか、それからはパクパクと音姫の差し出すおかずや、おにぎりを次々と腹に収めていく義之。  
 やたらと箸で摘まみやすい物ばかりが入っているのが気になるといえば気になったが。  
「はい、あ〜ん」  
「あ〜ん・・・もぐ、んぐ、んぐ・・・って音姉、俺にばっか食わせずに、自分の分も食べなよ。さっきから全然食ってないだろ」  
「いいのいいの。私は後でゆっくり食べるから、弟くんはそんなの気にしないの」  
 
 実際に音姫は先程から一口も食べ物を口にはしていないが、それでも十分すぎるほどの満足感を味わっていた。  
 自分が食べ物を与えるのをじっと待ち、そして箸が近づくと口を開け、そして美味しそうに食べてくれる義之。  
 そんな彼の姿は、まるで自分が親鳥になったような―――もう少し正確に言うなら、まるで彼の生殺与奪を握っているような錯覚と、心地よい快感を与えてくれた。  
 この快感をもっと味わえるのであれば、音姫にとって自分の食事などどうでもよかった。  
 
 
「しっかし弟くん本当に美味しそうに食べるね・・・あ、ねぇ、そんなに美味しいなら試しにその唐揚げ一つ頂だ―――」  
「だっ、だだだだ、駄目、駄目駄目駄目ぇ〜!!!!」  
 身を乗り出したまゆきが、音姫の持つ弁当からおかずを一つ拝借しようとした一瞬のことだった。  
 大袈裟なほどに音姫が取り乱しながら、普段からは想像できないほどの機敏さで弁当を遠くにやり、回避させる。  
「ど、どしたん音姫・・・何もそこまで嫌がらなくっても・・・」  
「そ、そうじゃなくって・・・その、と、とにかく、唐揚げだったら私のお弁当から取っていいから。だからこっちは駄目」  
「何でよ? 何でそっちのは駄目なの?」  
 怪訝な表情で当然の質問をするまゆきに対し、  
「こ、これは弟くんが食べるようにって調理したお弁当で・・・その・・・・・・い、いくら相手がまゆきでも、他の人に食べられるのなんて私も恥ずかしいし・・・・・・  
 弟くん以外に私のごにょごにょ・・・口になんて、そんなの・・・や、やだっ・・・恥ずかしい」  
 顔を赤らめ、弁当を手に持ったままいやんいやんとその身をくねらせる音姫。  
 
 その姿に何か感じ取ったのか、「や、やっぱいいわ、うん」と曖昧に呟くと、半笑いの表情のままで一気にその身をずざぁっと離すまゆき。  
「あれ、まゆき先輩。弁当残しちゃうんですか?」  
「・・・・・・あんたね、あれを聞いた後であたしに飯を食えと?」  
 一気にげんなりした様子になると、食べていた弁当を片付けつつ、まるで可哀想なものを見るような眼で自分を見つめてくるまゆき。  
 再び差し出された音姫手作りの弁当は、いつもと同じく見た目も味も申し分なく―――――いつもと同じくほんの少しだけしょっぱかった。  
 
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆  
 
(ふぅ・・・音姉にも由夢にも困ったもんだな。いつまでも俺にばっかり構ってないで、さっさといい男でも見つけろよなぁ)  
 今日の二人の行動と振り回されっぱなしの自分を思い返し、心中でそう一人ごちる義之。  
 ただ悲しいかな、毎日の日課とも呼べるくらいにまで繰り返されて、それにもすっかり慣れてはしまったが。  
 昼休みも午後の授業もとうに終わり、時刻は既に放課後。  
 大分西に傾いた陽が照らす下駄箱にもたれかかりながら、義之は先程からある人物を待っていた。  
(大体あんな風に学校で・・・それも皆が見ている目の前で抱きついたり腕を組んだりするから、皆誤解するんじゃないのか? せめてああいうのは家だけにしてくれよな・・・・・・)  
 昼間のこと思い返すと、ふいに音姫に抱きつかれた際の温もりや腕に感じた感触が蘇ってくる。  
 それに誘発されるように、ついつい姉の制服に包まれたその下の光景まで頭に浮かび、慌てて頭を振り、思考を打ち切る。  
 
 先程から散々悪態をついているものの、実際に義之がそこまで二人のことを迷惑に思っているのかといえば、そんなことは決してない。  
 音姫も由夢も学園で一、二位を争うほどの美少女であるし、彼女らに慕われて気分を害する男などはいないだろう。  
 また、姉として音姫の優しく包み込んでくれるようなところも、妹として由夢の稀に見せてくれる甘えた表情も義之は大好きだった。  
 だからこそ、もし本当に二人に恋人が出来たとしたら、それはそれでショックを受けるだろうな、ともに思ってしまったりするのだが。  
 そこまで考え、結局自分もまだ姉離れ、妹離れできてないんじゃないか、とおかしくなって思わず笑ってしまう。  
 
 
「どうしたの? 何か面白いことでもあった?」  
 そうして一人含み笑いを漏らす義之の背後から、突然鈴のように澄みきったソプラノが響いた。  
「ああ、いや、何でもないよ。それより掃除随分遅かったんだね」  
「あ、うん。なんか帰っちゃった男子もいたから。全く、皆が義之くんみたいに優しい男の子ばっかりだったらいいのに・・・・・・」  
 振り向き、その声の主に心からの笑みを浮かべる義之。  
 彼の目の前には夕焼けに負けないくらいに赤みがかった髪をリボンで二つに括り、付属の制服にそのすらっとした細身の体を包んだ一人の少女がにこやかに立っている。  
 野に咲く花のように可憐に微笑む音姫のそれとはまた違う、華のある笑顔を浮かべ、親しげに手を振る。  
 存在を主張するよう押し上げられた豊かな胸やスカートから伸びた白い足は女らしさを十分過ぎるほどに感じさせ、その顔立ちも道行く男が軒並み振り返るほどに整っている。  
 それでも彼女の全身から感じられる生命力や明るさが、その表情を無機物的なものには見せることは決してなかった。  
 まさに美少女と呼ぶに相応しい、そんな少女だった。  
 少女の名は白河ななか。  
 風見学園内でもその名を知らない者は殆どいない学園のアイドルであり、  
 類まれな才能を持つ歌姫でもあり、  
 義之たち悪友グループの一員でもある少女だ。  
   
 そして、  
 「じゃあ帰ろうか、ななか」  
 「あ・・・うん。一緒に帰ろ!」  
 差し出された手が自然に握られ、思わず顔を見合わせ微笑む二人。  
 
 そして、今その少女は桜内義之の恋人でもあった。  
 

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