「―――う、んん・・・・・・?」  
「わっ・・・!? あは、あはは・・・・・・その、おはよう、なのかな?」  
 暗闇の中、微かな呻き声とともに義之がゆっくりその眼を開く。  
 ぼんやりと霞む彼の視界に入ってくるのは見慣れぬ天井、見慣れぬベッド、見慣れぬ家具。そして  
隣で頬を染めながら微笑む、とても見慣れた・・・けれどこの場にいる筈のない少女の姿。  
 
 
「・・・・・・も、もう折角義之くんの寝顔可愛かったからキスしようと思ってたのに、起きちゃったよ〜」  
「んん・・・なな、か・・・? ななか・・・・・・・・・・・・って、ええっ、ななかあ!?」  
 頭から冷や水を浴びせられたかのように、一瞬で吹き飛ぶ眠気。  
 仰天の声を上げ、呆然と笑顔のななかを凝視し・・・そこで彼女が一糸纏わぬ姿であることを今更理  
解して慌てて背を向ける。  
 一方ななかはそんな義之の慌てようを見て、笑いを堪えるような(実際にはその形の良い唇からは  
くすくすと殺しきれない笑い声が漏れていたのだが)表情を浮かべ、彼の背に向い語りかける。  
 
 
「もう・・・そんなに驚くなんて、義之くん非道いなぁ〜。私ちょっと傷ついちゃったかも」  
「え、いや、その、なんでななかが俺の隣に・・・ってかなんで裸、あれ・・・え、お、俺も裸・・・・・・?」  
「ん〜、どうしてなのかな〜?」  
 耳に息を吹きかけ、悪戯っぽく囁くななか。  
 同時に胸の膨らみをわざと押し付けるようにして抱きつく。お互いに服を着ていないので、義之の  
背中にはななかの胸が形を変える感触や、乳首のこりっとした感触がダイレクトに伝わることになり、  
それがますます彼の混乱を加速させた。  
 
 
 といっても、これだけ状況証拠が揃っていれば、さしもの鈍感男も状況を把握することは難しくは  
なかったようである。  
 混濁する記憶を必死に探ること数十秒。  
「・・・・・・そっか。俺ななかとエッチしちゃったんだ」  
「ふふっ・・・ちゅっ。はい、正解〜」  
 
 
 惚けたようにぽつりと呟く義之の頭を掴み、にんまりと笑みを浮かべたななかがご褒美とばかりに  
キスを浴びせる。  
 薄っすらと記憶に残るそれとは違う、優しい、彼女の想いが伝わってくるような温かな口付け。義  
之の胸の奥が、性的な興奮とはまた違う熱さでじんわりと満たされる。  
「っ・・・・・・!」  
「きゃっ!? ん・・・もう。義之くん・・・甘えんぼさん〜」  
 込み上げる激情を抑えるかのように、義之がななかをぎゅうっと抱き締める。  
 ななかは、からかうような口調のまま微笑むと、そっと頭を義之の胸に預けた。  
 
 
「あははっ・・・・・・私の初めて、ようやく義之くんに貰ってもらえたね・・・・・・」  
 ただじっと、互いが互いの体温を感じるだけの幸せな時間。そんな穏やかな時間に溶け込ませるよ  
うに、ななかが言葉の端々から幸福感を滲ませつつそう呟いた。  
 
 
「ねえ義之くん・・・今日さ、泊まっていっちゃおうよ」  
 ななかが甘えた声でそうねだりつつ、義之の手を掴んでベッドの中に引き込もうとする。  
 既に衣服を纏い、家に帰る支度を始めていた義之とは対照的に、相変わらずシーツ一枚を被せただ  
けの状態だ。  
 シーツの隙間からむっちりとした太股や白い乳房がちらちらと覗き、艶かしく彼を誘惑する。  
 
 
「うっ・・・・・・って、だ、駄目駄目。第一、学校はどうすんだよ。俺、明日の授業の準備なんてしてき  
てないぞ?」  
「いっつもそんなの大してしてきてないくせに〜。それに、一日くらい、サボっちゃっても平気だよ。  
授業よりは、私は一日中二人で一緒いれる方がいいなあ・・・ふふっ、それに、義之くんがしたいなら、  
朝も昼も、夜も・・・一日中だってエッチしてもいいよ。私も・・・その・・・嫌じゃなかったし」  
 その言葉に思わず傾きかける義之。彼女が出した提案は義之に、いや男にとって抗いがたいほどの  
魅力をもつものだった。  
 義之も一瞬、それもいいかなと思いかけたくらいだ。  
 
 
 だが、  
「やっぱり駄目だよちゃんと帰らないと・・・・・・」  
 頭を何度も振り、誘惑を振り切るようにして義之はそう答える。  
 見たところ、このまま泊まっていくという選択にも惹かれてはいるようだが、それでもそれを選ぶ  
つもりはないらしい。  
 
 
「むーーー! だって、お父さんもお母さんもいない日なんて滅多にないのに・・・義之くんは私と一  
緒にいるの嫌なの?」  
 一方のななかもはいそうですか、とは引き下がるわけにはいかない。  
 理由は彼女自身にもわからないが、彼女の中で先程からしきりに警鐘が鳴り響いているのだ。  
 
 
 ―――目の前の愛する人を、このまま家に帰してはいけない。あの姉妹の待つ家だけには、絶対に  
帰してはいけない。  
 
 
 そんなある種の予言じみた『女の勘』というものが彼女を突き動かしていた。  
 
 
「そりゃ俺だってそうしたいけどさ・・・・・・でも、それだと二人とも心配す―――いつっ!?」  
「・・・・・・て・・・なの・・・・・・・・・?」  
 それまで義之の手首にそっと絡みついていたななかの指が、義之が何気なく『その言葉』を口にし  
た瞬間、いきなり万力のような力でぎりぎりと締め上げだす。  
 驚いて彼女の方を見るものの、俯いたその姿から表情を伺うことはできない。  
 
 
 それは彼にとってある意味幸運だったともいえる。  
 何故ならそこにあったのは、彼の知っている、少し前まで浮かんでいた蕩けるような笑顔とは全く  
別ものであり、擦れてよく聞こえなかったその呟きは、聞きなれた美しいソプラノとは似ても似つか  
ないものだったのだから。  
 
 
「はぁ・・・・・・わかったよ、ななか」  
「えっ・・・・・・?」  
 ピンと張り詰めた空気を破るように、突然、義之がななかの頭を撫でながら優しく呟いた。  
 顔を上げ、きょとんとした表情を浮かべながら義之を見つめるななか。  
「えっと・・・その、それって・・・・・・」  
 口調と表情に期待を滲ませつつ、恐る恐る訊ねる。  
 その子供のようなそぶりに微笑ましさが湧き起こり、同時に先程感じた彼女の狂気が瞬く間に霧散  
していくのを義之は感じていた。  
 
 
「まぁな、あの二人も俺ももう子供じゃないんだし、一日くらいいいさ。それに、ななかにこんなに  
頼まれてるのに断れないって」  
 義之が微笑みながらそう言ってやると、見る見るうちにななかの表情がぱっと明るくなる。  
「あ・・・ありがとうっ、ありがとう義之くん!! やっぱり、義之くんは私のことを一番に考えてく  
れてるんだね! 私も、義之くんのことが他の誰より、一番大好きなんだからっ!!」  
 
 
(この笑顔を見るためなら、音姉の説教1時間くらいは我慢できるさ・・・・・・いや、まぁ1時間で済め  
ばいいんだけどな・・・はは・・・・・・)  
 
 
 幸せそうに自分に抱きついてくる少女の笑顔を壊せるはずもない。  
 彼にできるのは、後に必ず訪れるであろうツケが、できるだけ小さなものであることを祈るのみだ  
けだった。  
 
 
 ―――さて。  
 結論から言ってしまえば、彼女の勘――義之をここに引き止めておかなくてはならないという焦燥  
感――はこの上なく正しかった。  
 ただし、その後の彼女の行動もそうであったかといえば・・・・・・それは否である。  
 ここで彼女がするべきことは幸福を噛み締めることでなく、義之に一切の行動をとらせる前にベッ  
ドの中に引き込み、快楽に酔わせてやることだった。  
 そして同時に思い出すべきだった。義之の姉、朝倉音姫がどのような人物なのかを。  
 
 
 彼女のミスは三つ。  
 
 
 一つ。この時彼女はかつてないほど舞い上がってしまっていた。  
 それ故、彼女はこの場での判断を見誤ってしまったのだ。  
 とはいえ心中でずっと敵視していた姉妹よりも自分を優先してもらった(それも先の性交中のよう  
に理性をなくした状態でなく)、彼女達に完全勝利したという、そんな女としての優越感が、彼女の  
脳内を麻酔のように甘く痺れさせていたのだ。  
 そんな中、まともに思考が働かなくても、それは仕方ないことだろう。  
 
 
 二つ目は本能が発した警告に真摯でなかったこと。  
 心のどこかでただの杞憂に過ぎないと、彼女はそう思っていた。  
 もしも彼女に未来予知の力でもあれば、何をしてでも―――それこそ縛り付けてでも家には帰さな  
かったのだろうが。  
 彼女の冷静さ、現実的なところがこの場合は災いしていた。  
 
 
 そして最大のミス。それは義之の音姫と由夢への感情を読み違え、更には軽視していたこと。  
 そもそも(彼自身が言ったように)義之にはあの二人に対して男としての恋愛感情はない。  
 ただし、それでも彼女達は親も兄弟もいなかった義之にとって、自分と最も長く、そして近しく一  
緒にいてくれた人達である。その想いは、単なる家族愛という言葉で片付けられるものではなかった。  
 つまり・・・・・・ななかが最も間違えていたのはこの部分である。  
 義之にとってななかと姉妹の間に優劣など付けられるはずもなかったのだ。どちらも大切だから、  
なんて科白を真顔で吐いてしまえるのがこの桜内義之という男なのだから。  
 
 
 
 
 彼女が自身の過ちにようやく気付き、後悔の念にとらわれたのはそれから数分後。  
 携帯電話を手に取らせることを許し、電源を入れた直後、硬直した彼の姿を眼にしたときだった。  
 
 
 
 
「はぁはぁ・・・はぁ・・・ッ、あ、はぁ、くそっ、おと・・・はぁ、音姉―――」  
 深夜の町を全速力で駆け抜ける。  
 夜の闇には彼の足音とぜいぜい繰り返される荒い呼吸が響くのみ。その物音一つないほどに、しん  
と静まり返った空間が彼の不安をより一層掻き立てる。  
「はぁ・・・音姉っ・・・!」  
 走りながら、出ないとはわかっていてももう一度音姫の携帯電話にかけてみる。  
 ・・・・・・が、やはり結果は先程と同じ。呼び出し音すらならず繋がらない。  
 
 
 あの時、ななかの家にて彼が携帯電話の表示を見たとき、彼は思わず自分の目を疑った。  
 その画面には簡潔に『受信メール58件』と表示されており、その差出人は全てが同一人物・・・・・・  
朝倉音姫によるものだったのだ。  
 驚いた彼は何事かと思いメールを開き―――その瞬間、義之は荷物を乱暴に掴むと、ななかの引き  
止める声も振り切って、転がるようにして家を飛び出した。  
 
 
 
 
『あ、弟くん。今日冷蔵庫の中身ないし、お買い物に行こうと思ってるの。でねでね、ちょっと荷物  
が多くなっちゃいそうで・・・私と由夢ちゃんだけじゃ大変だから手伝って欲しいな〜なんて』  
 
『えっとね、弟くん。晩御飯なんだけど、何が食べたいかな?今日は弟くんの好きなもの作ってあげ  
るよ。だから・・・なるべく早く帰ってきてね? あんまり遅くなっちゃ駄目だからね!』  
 
『弟くん・・・まだかな? もう御飯作っちゃったよ? 由夢ちゃんも心配してるから、連絡して』  
 
『ねえ、もうこんな時間だよ? 早く帰ってきてよ』  
 
『・・・・・・・・・・・・もしかして、今、白河さんと一緒にいるの?』  
 
『ねえ、どうして返事してくれないの?』  
 
『裏切り者』  
 
『好きだよ、弟くん。大好き』  
 
『弟くんが返て来ないどうして? 弟くんは私弟くんなのに私のちたくに射てくれないの』  
 
『いや  
 だよおと く』  
 
 
 
 
 一番古いメールは昨日の夕方まで遡り、それからずっと、一定の間隔で送られ続けている。  
 その回数もさることながら、何よりその内容が尋常ではなかった。  
 回を重ねるごとに文章が支離滅裂になり、打ち間違い、誤字や変換ミスが目立つようになる。最後  
の方には、最早何を書いているのかもわからない、滅茶苦茶な文字の羅列が送られてきさえしていた。  
 義之にとってそんな姉を見るのは初めてであるが、彼女がこれまでにないほど混乱して不安定な状  
態になっていることだけは理解できた。  
 
 心臓は限界までその鼓動を速め、肺は先程からこれ以上無理だと悲鳴を上げているが、それでも義  
之はただの一度も止まることなく走り続けた。  
 
 
(大丈夫だ・・・二人とももう遅いから寝てるだけさ。  
 さっきのメールは・・・ほら、あれだ。俺があんまり遅くなったから、音姉がかんかんで上手くキー  
を打てなかったんだろう。しっかりしてるようで、意外とおっちょこちょいの音姉ならありえること  
だよな。  
 由夢も近くにいるんだろうから止めるなりなだめるなりしてくれりゃいいのにさ・・・・・・って、そり  
ゃ期待できないか。あいつは俺が怒られてるのを見て楽しんでる節があるからな。まったく、とんで  
もない妹だぜ。  
 これじゃあほとぼりが冷めるまで家には帰れないな。あ、そうだ、ななかが確か泊まっていけとか  
言ってたな。後鍵は開けておくからいつでも来てくれとも。  
 物凄く間抜けだけど、今からもう一度ななかの家に行ってみるかな・・・ははは・・・・・・・・・・・・)  
 
 
 あれから十数分後、陸上部顔負けのスピードで走り抜け、義之は吉乃家に到着していた。  
 そして、そのまま玄関を駆け上がろうとして―――そこでぴたりと、それまで一度たりとも立ち止  
まることがなかった彼が急停止した。  
 別に理由があったわけじゃない。むしろ彼自身何故自分がここで立ち止まってしまったのか、その  
訳を教えて欲しいくらいだった。  
 
 
 が、実を言うと、その理由は意識的に直視していないだけで、彼自身とっくに気付いていた。  
 一言で言えば・・・怖かったからである。  
 吉乃家の玄関を目にした瞬間、義之が感じたのはようやく辿り着いたという安堵でも、早く急がな  
ければという焦りでもなく、ただ一刻も早くここから離れなければならないという危機感だった。  
 そう、丁度人が暗闇や高所を無意識の内に恐れるように、彼の体は本能的にこの場所は『決して近  
付いてはいけない場所』だと認識していたのだ。  
 
 
 いつの間にか掌に浮かんでいた嫌な汗を拭い、同時に、それまで考え続けていた都合の良い想像話  
を強制的に終わらせる。  
 いつまでも玄関の前に立っているだけでは始まらない。  
 それに、もしかしたら二人が危険な目にあっているのかもしれないこの状況で、第一にすべきこと  
は二人の安否の確認だ。  
 ばしりと頬を叩き、正体不明の恐れを無理矢理捻じ伏せ・・・・・・義之は一歩踏み出した。  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 彼の体が発した最後の警告を無視して。  
 
 
 

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