(はぁ・・・どうするかなぁ)
俺は放課後、閑散とした校舎を歩きつつも、深々とため息を吐いた。
そんなことをしてもますます気分が滅入るだけなのだが・・・
それでも、初めて出来た恋人(恋アンドロイド?)・・・天枷美夏のことを考えると自然に出てしまう。
別に美夏との仲に不満があるわけではない。
むしろ会う度に、どんどん互いが親密になっていくような気さえする。
由夢も美夏とは友達だからか、俺と美夏の交際を知ってもそれほど反対する気配はなかった。
・・・・・・まぁ、向こう三日くらいはじと目で嫌味を言われたりもしたが。
悩みの種は・・・完全無欠な生徒会長こと音姉のことだ。
最初の頃は「天枷さんっていい娘じゃない♪」などと言っていたので、俺もすっかり安心していたのだが・・・・・・俺の思い違いだったのか?
俺と美夏が付き合っているということを知ったときから、音姉の態度は妙におかしい。
別に由夢のように怒ったり不機嫌になったりすることはないが・・・代わりにやけにくっつきだした。
いや、以前から割とスキンシップは激しいほうだったが、それとはまた別物だと思う。
まず、用事がないときはわざわざ俺と時間を合わせてまで一緒に登校しようとする。
その際、登校中ずっと腕にぴったり抱きつき、一分の隙もないくらいに胸を俺の腕に押し付けてくる。
美夏のことを話題になると明らかに不自然な話題転換を図り、
それでもしつこく話そうとすると無言になって不機嫌モードに入る。
しかもその代わりに骨がビキビキ音をたてる位物凄い力が腕に込められるし。
この前は風呂場にまで乱入されかけるしなぁ・・・・・・
由夢は由夢でそんな音姉を見て、
「お姉ちゃん、時々私よりも子供だもんね」
なんて、一人わかったようにふぅっと肩を竦めてやがるのでムカつく。
そういえば、この間家に美夏が来たときは特に悲惨だった。
いきなり予告なしやって来たものだから人払いをする間もなく、偶然一緒にいた音姉に呆気なく見つかり、音姉の強い意向で上がってもらうことにした。
来客用の笑顔のまま目を据わらせている音姉。
溜息を吐き、我関せずでお茶を啜る由夢。
たどたどしく敬語を使いつつ何とか話題を作ろうとする美夏。
そして何故か正座の俺。
最高にシュールだった。
俺は、お姉ちゃんは許しませんよ的オーラを体中から発する音姉と話そうとする勇気だけでも凄いもんだと思った。
それでも、美夏も何となく音姉の自分への印象がよくないことがわかったらしい。
針の筵の時間がどれくらいか過ぎ、帰る頃には、美夏もすっかり意気消沈していた。
バス停まで送る際の美夏の台詞を思い出すと暗鬱たる気分になる。
「やはり・・・全ての人に受け入れてもらえるなどとは、甘い考えなのかもしれんな」
「美夏は音姫先輩とも仲良くしたい。それでも、向こうからすればやはり美夏はただのロボットでしかないのだろうか?」
その時は否定した。音姉に限って、そんなことはないと思ったから。
だけど・・・実際のところ音姉は美夏のことをどう思っているんだろう。
あまり考えたくは無いけど、それでもまさか、美夏がロボットだってわかったから、だから美夏のことを避けだしたんだろうか?
音姉に直接聞こうにも、いつも上手く話をはぐらかされるし・・・・・・どうしたものかな。
俺は何度目かの溜息を吐き、とにかく日課となっている下足箱の待ち合わせに向おうとして―――――
男子生徒・・・おそらく付属の二年生だろうが、そいつら三人に連れられ、美夏が校舎裏に向うのが遠くに見えた。
こんな時間に、一体何のつもりだ?
どう見てもあまり友好的な雰囲気ではさそうだ。
俺はふいに嫌な予感がして、慌てて美夏達が消えていったほうに向って走り出した。
全速力で駆ける。
靴を履き替えている暇はなかったので上履きのままだ。
途中擦れ違う生徒に怪訝な顔をされたが、構わず走り続けた。
ようやく美夏たちが入って行った場所に辿り着くと、荒くなった息を落ち着けながら、身を潜め、聞こえてくる会話に耳を済ませた。
「それで、話というのは一体何だ?」
「何だ? じゃねって。お前、何で昨日は俺たちの掃除当番代わらなかったんだよ!?」
「俺たちお前に『お願い』したよな。なぁ?」
「ああ、確かにしたなぁ。なのにお前帰りやがって・・・おかげで俺たちがサボったことになったろ?」
「そんなことを言われても困る・・・そもそも本来の当番はそちらだろう。
それに美夏はきちんと断ったはずではないか。用事があるからできないと」
小柄な美夏からすれば、自分よりも遥かに背の高い男子に囲まれている状況は、恐ろしいものだろう。
だが、それでも臆することなくはっきり言い返す美夏。
その毅然とした態度が逆に彼らの神経を逆撫でしたらしく、その内の一人がますます意地の悪い表情を浮かべて美夏に詰め寄る。
「用事って・・・人間の言うことをわざわざ断ってまでやらなきゃいけない用事かよ? だったら、何があったのか言ってみろよ」
「っ・・・それは・・・その・・・・・・人との約束があったんだ」
面と向って、俺とデートの約束があったと言うのは恥ずかしかったのか、美夏らしくない歯切れの悪い言い方でそう言った。
「へぇ、人・・・ねぇ・・・それって誰だよ」
「お、お前たちには関係のないことだ! 話がそれだけなら、美夏はもう帰るからな!!」
いい加減頭にきたのか、周囲を取り囲む男子を押しのけようとする。
が、いくら少年とはいえ男は男。非力な美夏の力などではびくともしない。
「・・・っと、おい、何だよこいつ! 急に怒り出しやがってよ」
「ああ・・・もしかしてこいつ、昨日男と会ってたんじゃねえか?」
「おいおいマジかよっ。ロボットと付き合おうとする奴なんかいるのかよ!?」
「ははっ・・・いたとしたら変態確定だな、そいつ。ま、わざわざロボットと付き合う奴なんて、大方人間の女に相手にもされないような奴だろ?」
どっと俺に対する嘲笑の渦が沸き起こる。
そんな中、美夏は俯いたまま肩をぶるぶる震わせ、
「お前たち・・・・・・美夏に対する暴言はまだいい、好きなだけ口にすればいい。
だが、だがな・・・義之への侮辱だけは絶対に許さんぞ!!!」
今にもオーバーヒートしそうなくらい顔を怒りに染め上げ、先程の比ではない程の剣幕で、目の前の男子に掴みかかる。
「・・・いしろ、今すぐに撤回しろ・・・!!」
「ぐっ、止めろ、離せよ! こいつロボットの癖に!!」
「あっ・・・つぅ!!」
苛立ちを込めた声でそう言うと、掴みかかられた男子生徒が一切の手加減抜きで抵抗し、美夏を振りほどく。
華奢な美夏の体はそれだけで吹き飛ばされ、地面に叩きつけられた。
美夏が吹き飛ばされ、苦痛の声を上げる光景を見た瞬間、どこかでガチリと何かが外れるのを感じた。
もう・・・もういい。
理性とか、常識とか、そんな面倒くさいことはこの瞬間から、完全に頭から吹き飛んだ。
お前らは、生まれてきたことを後悔するくらいにまで痛めつけてやる・・・・・・
今の俺にあるのは、ただそれだけだった。
相手が三人だろうが、十人だろうが、問題はない。
そして三人に向って一歩踏み出したところで、
「止めなさい!!!!」
と、この場の誰よりも怒りに震え、そのくせ誰より冷徹な響きを持った全員の時間を一瞬にして止めた。
「っ、誰・・・だ・・・あ、朝倉、先輩・・・・・・」
そこに立っていたのは音姉だった。
いや、正確には俺の全く見たことのない朝倉音姫がそこにはいた。
「・・・・・・・・・・・・」
「ひっ・・・!」
無言のまま、つかつかと向っていく。
その表情は完全に無表情。
そこには日頃の明るく人を和ませるような微笑も、時折見せるいじけた表情も、俺を叱る時の困ったような、諭すような、そんな感情の影すらない。
反面、音姉の体中から感じられるのは、隠しようもないほど溢れかえった怒り。
表面上の静かな態度とは異なり、その内面の激しい感情に、その場から離れた俺でさえ、思わず体全体に寒気がする。
美夏も地面に尻餅をついたままの状態で固まってしまっている。
ましてや、その怒りを真正面から受け止める三人はたまったものではないだろう。
あわあわと、言葉にもならない言い訳を懸命に口にし、逃げることさえ出来ないその姿が、そいつらの心情を端的に表していた。
俺は初めて、音姉が本気の本気で怒った姿を目にした。
「あっ、その・・・朝倉先輩、これは違――――」
目の前に無言のまま佇む音姉に耐え切れず、自らの弁護をしようとした瞬間、
パンッ!!
と、皆まで言わせず、音姉が男子生徒の頬を張り飛ばした。
同時に一歩踏み出し、残る二人にも反応する暇さえ与えず、同様に頬を打つ。
「あなたたち・・・恥を知りなさい・・・!」
やっと口を開いた音姉の言葉は、凍りつくように冷たく、ナイフ以上の鋭さを持って男子生徒全員を切りつけた。
睨み殺さんばかりの眼光で見つめられ、男子生徒全員が思わず目を逸らし、俯く。
「だって・・・こいつは、その・・・ロボットで・・・・・・」
「黙りなさいっ!!」
もごもごと言い訳がましい言葉を呟く男子生徒に向って、今度は怒りを露に、隠そうともせず音姉がそう叫んだ。
その男子生徒は短く悲鳴を上げると、首を竦め、反射的に自らの頬に両手を当てる。
「さっきから、ロボットだからとか、人間じゃないとか、繰り返しているけど・・・じゃああなたたちがやっていることはどうなの!?」
「自分たちと同じように心を持った天枷さんを、ロボットだからって面倒ごとを押し付ける。
断られたら集団で取り囲んで、聞くに堪えない罵詈雑言、暴力。
あなたたちは人間として恥ずかしくないことをしているって、私に胸を張ってそう言える!?」
誰も答えるものはない。
もしもそんなことを今の音姉の前で口にすればただではすまない。
あまりに重苦しい重圧に耐え切れずに、その内の一人がすいませんでした、と音姉に謝罪の言葉を口にした。
が、
「謝る相手は、私?」
そんな冷たい声につき返される。
その言葉を受けて暫く迷っていたものの、やがて、その学生が美夏に対してようやく頭を下げた。
それを区切りにして、他の二人も美夏に向って謝りだす。
一方美夏は、座り込んだままの自分に向って何度も何度も頭を下げる学生たちを、呆然と見ていた。
「大丈夫、天枷さん?」
音姉が座り込んだままの美夏に手を差し伸べる。
その頃には男子生徒は全員、美夏のもうわかった、という声に安心し、これ幸いと逃げるように・・・いや、実際に猛然とその場から逃げていった。
それでも、不思議なことに、俺は追いかけていってあいつらを殴り飛ばそうとはもう思わなかった。
「ああ・・・その、大丈夫だ、じゃなくて、です」
「そっか・・・それにしても可哀想、よっぽど恐かったのね」
美夏がその場にへたり込んでいたのが、男子生徒たちへの恐怖の為だと誤解したのか、そう慰める音姉。
・・・・・・いや、多分、というか絶対に俺でも間近であの時の音姉見てたら腰抜かすと思うが。
美夏も俺と同意見なのか、あはは・・・と思いっきり苦笑いをしていた。
「あの・・・音姫先輩、何故美夏のことを助けてくれたんだ・・・ですか?」
音姉の手を借りて立ち上がった美夏がおずおずと尋ねる。
若干緊張はしているようだったが、先程の激しい怒気は消えていた為、その声は幾分安心したようにも聞こえた。
「いいよ、別に。天枷さんの話しやすい様に話してくれて。それと、質問の答えだけど・・・そうだね、放っておけなかったから・・・かな」
「放って・・・だが、音姫先輩は美夏のことを嫌っていたんじゃ・・・?」
「あぁ・・・うん、そういうわけじゃ・・・」
困ったような顔でやけに歯切れが悪く呟く。
そう、そうなのだ。
俺もそれは(音姉の迫力に気圧されていたものの)ずっと不思議に思っていた。
何しろ音姉の美夏への態度を考えてみれば、美夏のことをあまり快く思っていなかったのは明白だった。
美夏には否定したものの、内心ではやっぱり音姉もロボットっていうので偏見を持っていたりするのかな、などと考えたりもした。
それだけに、男子生徒たちに本気で怒り、ロボットではなく、心を持った『天枷美夏』として扱ってくれた音姉にはずいぶん驚かされた。
そして同時に、俺はこの人の弟であることを心の底から誇りに思った。
「その、ね。嫌っていたわけじゃないの。ただ・・・その、お、弟くんが・・・・・・」
「弟・・・義之のことか?」
「よしゆっ・・・! そ、そう!! 『私の』弟くんのこと!!」
「天枷さんが弟くんのこと盗って・・・じゃなくて、弟くんには恋人とかはお姉ちゃんとしてはまだ早いんじゃないかって・・・」
「そ、そもそもね。まだまだ弟くんにはお姉ちゃんが必要だと思うし・・・・・・だから、その・・・」
先程の態度とは一転、顔を赤く染め、ごにょごにょと消え入りそうな声で早口に呟く音姉。
美夏はしばらくの間怪訝そうな表情で音姉を見つめると、唐突に「ああ、なるほど!」と手をポンと鳴らし、
「つまり、音姫先輩は美夏が嫌いだったのではなく、美夏にやきもちを妬いていただけだったのか!」
「そ、そそそそそそそんなにはっきり言わないでぇぇ!!」
すっかり立場は逆転し、火が出そうなほど真っ赤になりながら、泣きそうな声であたふた抗議する音姉。
何というか・・・そのあまりの落差にさっきの凛とした音姉が白昼夢の出来事のように思えてきた。
「・・・・・・そういう訳だから、私はまだ天枷さんのこと、弟くんの恋人さんとして認めたわけでも、諦めたわけでもないんだからね!」
一通り恥ずかしがると開き直ってしまったのか、そう高らかに宣言する音姉。
相変わらず顔は真っ赤だったけど。
対して美夏はにこやかに微笑み、
「ああ、わかった。これからは覚悟しておこう。だが、それとは別に、もう一度言わせて欲しい。音姫先輩、本当にありがとう」
「えっ・・・?」
「あの時音姫先輩が来てくれて、美夏は本当に助かった。だから、美夏は今とても感謝している。
美夏は、美夏は音姫先輩ともっと仲良くなりたい。義之のお姉さんだからとか、そんなのは抜きにしてもだ」
「天枷さん・・・・・・」
「ダメか・・・・・・?」
期待を滲ませた仔犬のような目でじっと見つめる。
そんな美夏に思わず音姫は、
「ああっ、もう!! 何でそんなに可愛いこというの!? 絶対弟くんには勿体無い!!」
と、何気に酷いことを口走りつつ、感極まったかの如く抱きついていた。
「あっ、だからって、弟くんが好きだって気持ちに変わりはないんだからね!?」
「うむ、無論だ。恋と友情は別物というからな」
どちらともなく歩き出し、二人は談笑しつつ、連れ添ってその場から離れていく。
その姿はあまりにも自然で・・・知らない人から見たら、十年来の友人のようにも見えるに違いない。
そこには以前のような何となく険悪な空気も、互いの心に隔たった壁も、不自然な遠慮もないかのように思えた。
「そうだ、音姫先輩。これから二人でどこかに遊びに行かないか?」
「えっ? 私は大丈夫だけど・・・いいの? 弟くんは」
「別に構わん。恋人といっても、四六時中一緒というわけではない。それに美夏は今日、音姫先輩と一緒にいたい気分なんだ」
そう言って音姉の気遣いを笑い飛ばす美夏。
(そうは言いつつも、後で連絡と謝罪を山ほど入れてくるんだろうけどな・・・)
思わず苦笑してポケットから携帯を取り出すと、「今日は渉たちと一緒に帰ることになった。ごめん」と送ってやる。
そして、そのまま回れ右して歩き出す。
「あーあ、音姉に美夏取られたよ・・・」
一人愚痴りながら、それでも一人帰路に着く俺の表情は明るい。
「そうだ、帰りにケーキ屋でも寄ってくかな」
今日は奮発して、音姉が好きそうなの、山ほど買っていってやろう。
足取りも軽く進む俺の耳には、背後から聞こえる徐々に小さくなっていく仲睦まじい声が、いつまでも残っていた。