「岡田、32点!」
「加藤、27点!」
期末試験のテスト返却日。この教師は名前を呼びながら点数を言うことで嫌われていたが、
今回は予想以上に難しく生徒らの成績は軒並み壊滅状態なことが更に傷口を拡げていた。
既に返された生徒らの多くは机の上で頭を抱え、まだ返されていない生徒らは一部の例外を
除いて自分の名前が呼ばれるのを戦々恐々としていた。
「工藤!工藤はいないのか!?」
工藤叶は呆然とした面持ちで座っていた。入ってくる声はおそらく右から左に流れていたで
あろう。いくら言われても立ち上がろうとはしない工藤を見かねた隣の生徒が工藤の肩を叩き
呼ばれていることを教える。
「すっ、すいません」
工藤は慌てて教卓に駆け寄る。教師は苛立たしげに工藤を一瞥するとより大きな声で名前と
点数を読み上げた。
「工藤叶、68点!!」
教室の空気が変わる。
「工藤でも68点かよ・・・」
「じゃあ、俺何点なんだよ〜」
「あたし、まずい・・・・・・」
成績優秀な工藤の点数に教室に戦慄が走る。この段階でまだ返されていない生徒の中で
涼しげな顔をしているのは杉並ただ一人であった。
待機組で涼しげな顔をしているのが杉並なら、返却済みの生徒の中でにこやかな顔をして
いるのは朝倉純一ただ一人であった。朝倉純一は茫然自失の体で帰ってくる工藤ににこやかに
微笑みかける。
「あいつ、何やったんだよ」
「何か悪いものでも食ったのかよ・・・」
にこやかに笑う朝倉に対し、工藤は引きつった笑みで応える。
朝倉純一、81点。現在のところ、唯一の70点超え。傍からはこの二人の様子は朝倉が
工藤に勝ったことを誇っているように見えた。事実、朝倉は工藤に勝ったことを誇り喜んで
いたが、工藤の顔が引きつっていた理由は別にあったことは誰も分からなかった。
「ほ、本当にこれを着るの・・・・・・?」
にこやかに微笑む純一の顔がそうだと言っているのが叶には分かっていた。叶は期末
試験の前に純一と賭けをし、そして負けたのである。
叶は試験勉強をかなり前から始めるに対して、純一の方は割と直前までしないタイプである。
それは勉強のスタイルの違いということで済むが、そのために純一はお預けを食っている形と
なっていた。この勉強のスタイルの違いにいささか欲求不満気味な純一を宥めるべく叶が出した
のが"純一が全科目80点以上取れば何でも言うことをきく"ということであった。
このような考えようによっては危険な賭けを叶がしたのは恋人である純一が頑張って勉強
してくれればという想いからである。純一はやればできるタイプであるが直前までやらないことで
成績がスレスレになる科目も少なからずある。純一が頑張って勉強してくれれば夏休みに補習や
特別な宿題が出されることもなく長い時間二人で遊べることもできる。それに恋人の成績が
上がることは彼女にとって嬉しいことでもある。
叶にこの賭けの勝算をかなり持っていた。風見学園も普通の学校と同様、優しい先生もいれば
厳しい先生もいる。特定の教師の科目は相当な頑張りをしない限り、80点は取ることは困難で
ある。当然、このことは賭けに折込済みであり、叶はちゃっかりと達成できなかった場合のことも
賭けの条件に含めていた。試験期間中、叶は純一に何をしてもらおうかと考えながら勉強に励んで
いた。
しかし叶にとって計算外だったのは、純一が想像以上にやればできるタイプの人間だったことで
ある。最初は高得点を取ることを喜んでいた叶だったが、難関科目も同様にクリアしていることに
徐々に不安が増していった。そして、ことりが純一に何かの紙袋を渡していることに叶の不安は
ラインを超えた。風見学園で叶が女であることを知る数少ない人間の一人であることりは純一に
紙袋を渡した後、叶の顔を見て意味深に微笑んだ。その紙袋の中身をことりに尋ねても純一に
尋ねてもはぐらかすばかりで答えようとはしない。ただその中身が自分に関わることであること
だけは容易に伺いしれた。
こうなると叶の願いは純一が80点を取らないことだけであったが、返されるテスト返されるテストの
ことごとくが80点以上。最後の望みの超難関のテストも81点、見事に賭けは朝倉純一の勝利に
終わった。
全科目返却後、補習や特別課題に頭を抱える他の生徒たちを横目に見ながら純一と叶は
朝倉家に向かう。そこで純一はことりから渡された紙袋を今度は叶に手渡す。ことりが関与している
ということで大体の想像はできていたが、その中身は衣服と下着であった。
「本当に・・・本当に着るの・・・・・・?」
叶は再度確認をするが、純一は無言のまま、にこやかに頷いた。叶がその返答に頭を抱えた。
紙袋の中に入っていた衣服は真っ白いノースリーブのブラウスに同じく白のミニスカート、
帽子がトレードマークのことりのセレクトらしく白い縁のついた帽子も入っていた。さながら
どこかの高原に避暑に来たお嬢様といったその服は薄手の麻製でいささか透けてしまう
のではないかと思えるタイプのものであった。学校では男子の制服、家では和服を着る
ことの多い叶にとってこのような可愛い女性の洋服はあまり着たことがなく、それだけに
着てみたい服の一つであった。
一方、衣服がお嬢様風であったのに対して下着の方は大胆で挑戦的なものであった。
濃い目のグリーンで統一された下着群は叶のバストにぴったりとフィットしたハーフカップの
ブラにローレグ気味でサイドが紐になっているセクシーなショーツ、更にガーターベルトと
ストッキング、二の腕の半ばまである手袋の完全武装。これが世間一般で勝負下着と
言われるものなのか、清純のイメージがあることりにしては大胆なセレクションであったが
勝負下着が実は大胆な黒という噂は案外本当なのかも、と叶は目を丸くした。
下着に関しても衣類同様、学校では男性もの、家では質素なものしか着用していない叶に
とってこのような大胆な下着は憧れであり、一度着てみたいと思っていたものであった。
衣服・下着それぞれが叶にとって着てみたいと思えるようなものであり、喜んで着用しそう
なものであるが彼女がそうできなかった理由は"これに着替えてくれ"という純一の申し入れ
であった。
衣服と下着の入った紙袋を渡されて"これに着替えてくれ"と言うことは、両方とも着替える
ように命じられていることに他ならない。それぞれ単品だったら叶は喜んで着たに違いなかった
だろう。しかし、彼女が両方とも着替えることを躊躇したのは透けそうな薄手の白いブラウスと
スカートに濃い目の緑の下着の組み合わせであった。
これが音夢や眞子だったキレて反故にしていたであろう。ことりならば上手くはぐらかしていた
だろう。逆に萌や美春だったら喜んで着ていたかもしれない。だが叶はこのいずれのタイプでも
なかった。純一との賭けを反故にすることもはぐらかすこともできず、かといって喜んで着る
ようなこともできなかった。
「純一・・・」
「そうか。着替え終わったら呼んで」
知らずにか、それとも故意にか叶の哀願の眼差しに純一は着替えのためかと部屋を出て
行った。諦めた叶は言われるがままに服を着替えた。どこで知ったのか、そのサイズは窮屈
でもブカブカでもなく叶のものとピッタリと一致していた。
「・・・ことり」
その組み合わせは予想どおりに、いや予想以上であった。白のブラウスとスカートは予想
以上に透ける素材であり、下着の選択はかなり慎重に行わなければばらない性質のものに
違いなく、それでいて叶が実際に来ているのは濃い目の緑のブラとショーツ。それは勝負
下着を着けてますよと廻りに主張しているようなものであった。それがコントラストになっている
かのように叶の臍もショーツが隠していないお尻の割れ目の部分もはっきりと見えていた。
叶はこのブラウスの下にはTシャツのようなものを着ないといけないのではと疑問に感じていた。
全体的に叶のサイズに合っていた衣服の中で唯一の例外はスカートであった。その丈は
かなり短く、裾はギリギリ−かろうじて股下という長さであった。はっきりと透けて見えているから
丈の長さはあまり関係ないが、やはり心理的なものであろう。
「ことり・・・純一・・・・・・」
他の部分は全て合っているのにここだけサイズ違いなのは純一の願望か、ことりの余計な
気配りか、あるいはその両方か。
「もういい?」
「ちょっ、ちょっとま・・・」
叶の制止は間に合わず、純一は部屋に入ってきた。叶は咄嗟に紙袋で胸を隠す。
「可愛い!叶、可愛いよ!!」
「・・・そ、そう」
恥ずかしさとパニックでどう対応すれば分からない叶は、それでも純一の言葉を素直に
喜んだ。
「(純一が喜んでくれれば)」
そう思った叶は紙袋を下ろし、透けて見える下着を純一に見せた。あまりに褒め、あまりに喜ぶ
純一の様子に叶は調子にのってクルリと回転なんかもしたりする。
「似合うよ!似合う!惚れ直すよ!!」
「そ、そうかしら・・・」
あまりの純一の喜びように叶は嬉しくなり、またこれで済むならと思った。
「じゃあ、行こうか」
「行くって・・・どこに?」
「外」
叶は驚いて声が出せなかった。
「叶の可愛さを見せびらかしたいんだ」
その言葉に叶は驚きの声を上げる。だが賭けに負けた叶に拒否権はなかった。かくして二人は
夏の日の中を散歩に出て行くことになった、無論着替えずに。
「(・・・キレてもいいかな・・・・・・)」
公園内の休憩所の中にたたずみながら叶は思った。その叶の怒りの矛先は同じ
休憩所内にいる、叶のいささか洒落になっていない状態の最大の原因である恋人の
朝倉純一であった。なぜ、このような事態になったのか、それはしばらく時間を
遡らなければならない。
「(早く、帰りたい・・・)」
純一たっての希望である"散歩"は叶にとって予想以上に恥ずかしいものであった。
太陽光線の強い光は室内灯の穏やかな光よりも強力に白いブラウスとミニスカートの
透過度を向上させていた。叶が思ったように下に何か一枚着用するのがおそらく正解で
あったろう。白いブラウスは叶のボディラインを隠すことはおろか黒子の位置まで判明
させてしまっていた。そのうえ叶が着用している下着は濃い目の緑、白であっても透けて
見えること間違いないこの衣服で強烈に自己主張をしていた。
まだ7月とはいえ既に真夏といっても差し支えない気候、あまり人が出歩いていない
のが不幸中の幸いかもしれないが、すれ違う人々は一様に叶の姿に驚き目を見張って
いた。その後の反応となるとさすがに一様ではなく、子供らは正直に叶を指差して
「すげぇ」とか「パンツ見えてる」とか囃し立てる。大人らの反応は様々で眉を顰めたり、
溜息をついたり、あるいは逆にイヤらしそうな目で見たり、鼻の下を伸ばしたり。叶の
姿を写メに撮っているのは叶が気付いただけでも3人はおり、実際はおそらくもっと多いに
違いなかった。それでも注意されたりすることがなかったのはあからさまな痴女ぶりに
誰も関わりたくはないからであろう。
だが叶にとってきついのは友人らと出会うことである。二人が"散歩"しているのは
風見学園の近くであり、当然そこの生徒らも歩き回っている。この場合、叶にとって
不幸なのは学園で一番有名な男子生徒の杉並と一緒にいることが多い朝倉純一も
その杉並に近いレベルで有名人ということだ。それがどのくらいかといえば、朝倉純一が
私服で歩いていたとしても少なからぬ生徒はそれが誰かと判るレベルであり、そして
人間というものは見知った人を見かけると注意がそこに向かう習性がある。
私服姿で学校の近くを歩いている純一を見て「あっ、朝倉だ」と気付いた生徒は同時に
その朝倉純一の背後に隠れるかのように歩く透け透けの服を着た少女の存在にも気付く
ことになる。更に悪いことに叶の身長は女性にしては高く、目立つサイズということもあった。
いやおう無く目立つ二人に、しかし声を掛けてくるものはいなかった。馬に蹴られたくないと
いう気を利かせた、というのではなく単に声を掛けたくはなかっただけかもしれない。
散歩中に顔見知りの生徒に出くわすこともしばしばであった。そのうちの幾人かは叶の
顔を見て一瞬驚くがすぐに思い直したような顔をしていた。目の前にいる露出狂の美少女が
友人の工藤叶に似ているからだ。もっとも彼、彼女らにあっては"工藤叶は男子生徒"であり、
目の前にいる少女は明らかに女であることから単に工藤に似ている女の子として捉えられて
おり、まさか工藤叶本人とは夢にも思うものはいなかった。
とはいえ、叶にとってこの"お散歩"は恥辱以外の何物でもなかった。幾ら本人と思われて
いなくても下着姿でうろついているも同然であり、男子生徒の嫌らしい視線や女子生徒の
嘲笑の声が叶の心に突き刺さっていた。時代劇とかの市中引廻しというのはこういうものだろう
と叶は思った。
恥ずかしさに消え入りそうな叶もやがて一つの事実に気付く。叶は自分の着ている
白いブラウスを着ている少女に幾人かすれ違っていた。彼女たちのブラウスもまた夏の
日差しに下に着ている物が透けて見えている。ただ彼女たちはそのブラウスの下にもう一枚
服を着ていたことであった。この時期、どこの施設も間違いなく冷房が入っている。しかしながら
体感温度は人によって異なり、冷房が効き過ぎる人は少なからず存在する。そういう過度の
冷えから身を守る、白いブラウス(に見えるもの)はその役割のためのものであろう。事実、
そのブラウスを着ている少女らはすぐ下に薄手の服を着ており、冷房のきついところでは寒さを
感じてしまいそうであった。いや、ありていに言えばそのブラウスの下がいきなり下着−それも
大胆な、勝負パンツ系のブラとショーツであるのは工藤叶だけであった。叶が感じたもう一枚
下に何か着るというのは正解であった、というより常識であった。
そのような用途であるならば、スカートの丈の短さは理解できた。単に立っているだけならば
かろうじて股下だが、歩くとその丈は更に短くショーツを隠すことはできなかった。理由は簡単だ、
下にもう一枚着ているからそのような心配など必要ないのだから。
「ことり・・・・・・」
しかし、ここで問題なのは自分に服を手渡された時には下に着用するものはなかったということ
である。ことりが用意しなかったのか、それとも純一が手渡さなかったのか、それは分からなかった
が、Tシャツ1枚なかったことは間違いなかった。内心、怒りに震えながらも叶が純一の家に
戻らなかったのは純一が手を握って引っ張っていたこととこの姿を人目に晒したくなかったから
である。
叶はここまでの距離、その痴態を人目に晒していたが、それでも純一の身体に隠れるように
歩いており、ほとんど意味はなかったものの、それでも精神的に隠れているという気持ちには
なれていた。しかし、ここから一人で帰るとなると遮蔽するもののないまま下着姿を大胆に晒して
しまうことになり、叶にとって耐え切れるものではなかった。
やがて二人は人の多い通りを抜け、公園の方に向かって歩いていった。この歩みに叶は
いくらか安堵した。公園には子供たちがいくらかいるかもしれなかったが、人の多い通りで学校
帰りの友人らに出くわすよりははるかにマシである。夕方、人出が少なくなった頃に帰るように
すれば、恥ずかしさは幾分でもマシになるであろうと。そう安堵する叶ではあったが、純一は
そう考えて歩いていないことに気付いてはいなかった。
<続きます>