安芸の街から海を隔てた島の、人里よりずっと離れた辻道。  
死臭すら彷徨うその荒れ道を重苦しく覆う、鈍色の朧雲。  
背には縞の合羽、頭には三度笠という一人の旅烏が、その下を行く。  
『あのお方は……何処に』  
旅烏が眼を閉じるたび、目蓋に面影が浮かび、旅烏の頬に紅葉を散らせる、あのお方。  
旅烏はその者を探すため、黄泉路を往く覚悟でこの旅に出た。  
 
その途中、道の向こうより侍と思しき者が現れた。羽織からして、ただならぬ身分であるらしい。  
「……御免なすって」  
と、旅烏がその脇を通ろうとした矢先、  
「待て」  
侍は、旅烏に烈しい視線を向ける。どうやらやり過ごしてくれそうにはないらしい。  
「……何でしょう」  
「貴様、奇怪な出で立ち……それは何故ぞ」  
「……御役人様には関わりのないことでございます。御免」  
「ならぬ。その饅頭のような体躯、面妖な恰好、捨て置けぬわ。顔を見せい、しからずんば……」  
そう言って侍は、腰の刀に手を置いた。だがそこで怯む旅烏ではない。  
『あのお方に巡り逢うまでは……覚悟は出来ております。諦めるなんて御法度さ』  
旅烏が身構え、刃向かう素振りを見せたことに、侍は舌打ちした。そして両者の眼前に自らの抜き身を晒し、正眼に構える。  
「く……公務の途中ではあるが……致し方ない。参る!!」  
『邪魔者は斬るぜ』  
 
そうして互いを覆う空気が一瞬凍り付いたかと思うと、それを確かめる間を置かせずに侍は、一瞬の踏み込みより一閃を、旅烏目掛け繰り出す。  
もしこの果たし合いに野次馬がいるならば────いかな剣術の素人でも、その侍はかなりの手練れであることが見てとれたであろうほど、その侍が放つ太刀筋は美麗に寸分の狂い無く、旅烏の頭部に向けて弧を描く。  
そして誰もが、旅烏の脳天が叩き割れる様を思い描いたであろうその刹那。  
旅烏はそのずんぐりとした巨体を即座に、皆目予想だに出来ない俊敏さで体勢を地に這う程までに屈め、その太刀を躱す。  
そしてそのまま地擦り来る大蛇が如く、旅烏の体は侍の懐に入り込んだ。侍は一閃を半ば確信していて、その旅烏の姿を未だ目に捉えきれない。  
『……!?』  
やがて侍の眼に、旅烏の体躯が映ったのも束の間。  
侍の袴の内に旅烏の利き手が神速で伸び、褌が怒濤の勢いで剥ぎ取られると、それに隠されていた侍の倅を竿玉ごと、旅烏の手が覆うように掴んだ。  
 
 
そしてそのまま、鈴口に這わせた指を、その形をなぞるが如く震わせひと擦り。  
「うぅっ!?」  
 
悶える侍に容赦することなく、今度は竿玉を握り潰す勢いでふた擦り。  
「……っぁっ…………」  
 
止めを刺すべく、珍鉾を、濡れ雑巾を絞り上げるが如く、三擦り。  
「あっ……ああ゛っあ…………あぅ……!!!」  
 
そうして侍は、倅に子種と共に己の生気を吐き出させて、そのまま膝を地に付けた。  
 
 
「くぉう……く……屈辱…………」  
襲い来る敗北感と恥辱、そして吉原でも享けることの無かった悦楽に身を堕とした侍が、意識を失おうとしていた矢先。  
『……?』  
旅烏の被っていた三度笠に、一筋の裂け目を垣間見る。侍の太刀は、微かにではあるが確かに、旅烏の脳天を斬っていたのだ。  
そして三度笠は真っ二つに裂け、はらりと地に落ちる。  
『……な……あれは…………?』  
侍の眼に映る、人のものとは思えぬ丸顔。しかも桃色。  
『……熊…………!?』  
旅烏の顔は確かに、桃色の熊にしか見えなかった。しかしよく目を凝らすことも出来ぬまま、侍は水泡の如く掻き消えていく意識を保てず、地にその身を力無く突っ伏せていった。  
しかし、それは侍にとって幸いであったかもしれない。やがてその熊の顔も割れて、そこから歳幼い童女の顔が現れたことを、知ることはなかったのだから。  
 
 
「……どうしよう。笠のみならず、顔のところまで」  
真っ二つになった三度笠と、熊の顔を抱え、旅烏……いや旅熊は途方に暮れる。  
「……いかんいかん」  
思わず濡れた目を擦り、旅熊はまた道を往き始める。泣くのは夢を見た時で十分だ。  
「行かなくちゃ」  
そう、いつかきっと探し出して、巡り逢えるその日まで。  
 
 
その旅熊……三度笠和泉子は今日も行く。  
 

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