【いや、アレはどう見てもそういう意味だろ】評価:0  
 
 
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇  
 
 
 小ロンド遺跡。かつて豊かな文化を誇った“小人”達の都。統治者である公王達が闇に堕ち、住民もろとも水底に沈められたこの地には命  
あるモノなど存在しない。何も知らず、何も分からぬまま人身御供とされた人々のソウルは亡霊となって彷徨い、終わらない怨嗟の声を響か  
せている。見上げるように巨大な鉄扉は大量の水と屍を押し止めたまま固く閉ざされ、それを守るように飛竜達が低い唸り声をあげていた。  
 幾百年と変わらぬ光景。だが、目覚ましの鐘が二度響いて幾日かの後、それは一変した。  
 
「はあ…ッ はあぁ……ッ!」  
 
 暗く、湿った腐臭に満ちたかつての街道を、一人の女が駆けていく。長い外套の裾を翻しながら懸命に走ってはいたが、その走りは決して  
速いとは言えず、浅い呼吸は彼女の体力が尽きかけていることを示していた。何度も後ろを振り返りながらも走り続け、細い脇道を見るや、  
飛び込むようにして転がりこむ。左右を古木の壁に囲まれた小道。ここが良い。  
 
「は…ッは………。…―――」  
 
 呼吸を鎮め、集中する。両手に握った杖を正中に構え、体を巡るソウルの循環に干渉する。魔術が、発動する。  
 甲高い、それでいてどこか心地よい音を響かせながら、華奢な体から淡いソウルの輝きが溢れた。飛び散った水滴そのままに真球を成した  
ソウルの塊。その数、五。かの“ビッグハット”のみが成し得たという高位魔術を、ヴィンハイムの徒でもない魔女が何故操れるのか、それ  
を知る者はこのロードランには存在しないだろう。魔女―――ビアトリスはただ、ソウルの塊を浮遊させながら時を待つ。  
 
 ガチャリ  
 
 …と、足音が響いた。亡霊と蠢く死体の山しか動く物の無いこの地で、具足を鳴らす存在は一つしかない。ビアトリスは敵の接近を確信し、  
集中を尖らせる。一度、二度、と具足が鳴り、長いとも短いとも言えない間の後、それは現れた。  
 じっと目を凝らした闇の中から、ひどく白い髑髏の面が浮かび上がる。細身の、有機的な甲冑を身に帯びた黒い騎士。かつての公王達に仕  
えた、闇の眷属達だ。眷属―――ダークレイスは、恐怖を煽るように、焦らすように、ゆっくりと近づいてくる。対してビアトリスは、集中  
を解かない。その瞳は揺るがず、まばたきすらしなかった。  
 一歩。ダークレイスが、具足を鳴らして歩み寄る。ビアトリスは動かない。  
 二歩。ダークレイスが、その目に赤黒い光を宿す。ビアトリスは動かない。  
 三歩。ダークレイスが、肉厚の直剣を振りかざす。ビアトリスは動かない。  
 四歩。ダークレイスが、  
 
「行け」  
 
 閃光。ダークレイスからは、そうとしか認識できなかっただろう。ビアトリスの頭上に位置していたソウルの塊が、矢となってダークレイ  
スの胸を貫いたのだ。人間の体など失って久しい闇の眷属でも、かつて心の臓があった場所を撃ち抜かれてはたまらない。意味を成さない苦  
悶の声をあげるダークレイスに対し、ビアトリスは一切容赦しなかった。  
 二発目。ソウルの矢が膝を撃ち抜く。ダークレイスが崩れ落ちた。  
 三発目。ソウルの矢が肩を撃ち抜く。ダークレイスの直剣が右腕ごと宙を舞った。  
 四発目。ソウルの矢が腹を撃ち抜く。ダークレイスの鎧が爆ぜ、赤黒い粘液がぶちまけられた。  
 五発目。ソウルの矢が頭を撃ち抜く。ダークレイスは、もう動かなかった。  
 
「…まったく、手間取らせてくれたわ」  
 
 ダークレイスが完全に死んだことを確認すると、ビアトリスはようやく杖を下ろした。伝承にある、魔女の象徴そのままの帽子を脱ぐと、  
クセのある金髪―――今は白髪、をかき上げる。玉と散った汗を見ながら、霊体でも汗はかくのね、などと場違いな推察を行いながらその場  
を後にする。早く“連れ”とも合流しなければならない。再び街道に歩み出し、そして黒い刀身がビアトリスの背を斬り裂いた。  
 
「ッ!…ぁ、は…?」  
 
 突如として走った鋭い痛みと衝撃に倒れ伏しながらも、ビアトリスは「背後の」敵を睨みつけた。骨のように白い面と、闇のように黒い鎧。  
肉厚な刀身に付着したソウルの残滓を啜る、ダークレイス。  
 
(もう一匹いたの…!)  
 
 己の迂闊さを呪う間も無く、叩き下ろされた第二撃を転がって回避する。高位の魔術を使う間は無い。刹那の集中で練り上げたソウルの矢  
を、倒れたままの姿勢から放つ。剣を交えるような至近距離。盾も持たぬ相手がそれを防ぐ術は無い、はずだった。  
 掲げられたダークレイスの左手が、闇色の輝きを放つ。掌を中心として発生した力場に触れたソウルの矢は、水に溶けるようにして霧散し  
てしまった。愕然とするビアトリスの目に、螺旋状に歪んだ空間を通したダークレイスの面が、確かに嗤って見えた。  
 
「放せ…!放せぇッ!」  
 
 異様に重い体に圧し掛かられ、乱暴に叩きつけられた右手から杖が転がり落ちる。唯一の武器である魔術を失った魔女は、無力な女だった。  
ダークレイスの面が眼前に迫る。チリチリと輝く二つの眼光から逃れるようにぎゅっと目を瞑り、あまりに冷たい吐息を歯を食いしばって耐  
える魔女に、ダークレイスは、輝くその左手を、  
 
 唸る大剣がその左手を斬り飛ばした。  
 
 悲鳴とも怒号ともつかない叫びに我を取り戻したビアトリスは、渾身の力でダークレイスを押し退けると、転がるようにして間合いを取っ  
た。杖を拾い上げ、三度集中しようとし、ダークレイスが自分以外のモノと相対していることに気付く。  
 ダークレイスの剣閃が走る。闇に堕ちたモノと化しても尚鋭いそれを、騎士は左手の盾で受け止めた。ギリギリと無言のまま迫り合い、そ  
のまま膠着すると思われたが、片手では不利と悟ったダークレイスが蹴りを放つ。騎士は半身となってそれをかわし、わずかに緩んだ盾を、  
ダークレイスの剣が弾いた。宙を舞う騎士の盾。息を飲むビアトリス。嗤うダークレイス。お互い片手。直剣と大剣では速さが―――  
 みしり、と。騎士の右腕が膨張し、凄まじい剣風がビアトリスの帽子を吹き落し、ダークレイスの「上半身が」壁に叩き付けられた。振り  
抜かれた大剣の切っ先に、使い手の力に耐えかねたような亀裂が走る。如何なる膂力か。ソウルの業によって鍛え上げられた力と技は、戦の  
定石を尽くねじ伏せる魔技と化していた。  
 
「…遅いのよ」  
 
 ビアトリスの半眼に、びくりと身を竦ませた騎士―――召喚者は目を逸らすように頭を下げる。今更落ちてきた騎士の盾が、虚しい音を遺  
跡中に響かせた。  
 
 
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇  
 
 
 舞う火の粉を眺めながら、ビアトリスは篝火―――不死のそれではなく騎士が焚いた只の火、に手をかざす。何も感じない。尚も手を火に  
向かわせると、皮を炙られた“痛み”だけが感じられた。しかし、その痛みもまたすぐに消え、砂に水が染み込むように、ソウルが火傷を補  
修していく。ふうん、と。自分の掌を観察しながら、ビアトリスは騎士に話しかける。  
 
「不思議なものね。霊体…ソウル体というのは。貴方もそう思わない?」  
 
 騎士は答えず、金色の光粉を大剣に擦り込む作業に没頭しているようだった。常軌を逸した騎士の膂力で折れかけていた大剣が、みるみる  
内に輝きを取り戻していく。だがそれでも、身の丈程もある刀身を補修し終えるまでには、まだまだ時間がかかりそうだ。  
 
「…五感は、ある。でも熱だけは感じない。発汗はするから、体温もあるのだろうけど…自分じゃ分からないわね」  
 
 騎士は答えず、「Ed」と刻印された砥石で刀身を研ぎ始める。熟練の鍛冶屋さながらの手付きは、彼が多くの戦場を渡ってきた兵であるこ  
とを示しているように思えた。  
 
「……傷を負っても、血は出ない。この体はソウルで構成されているわけだから当然ね。でも、汗の水分はどこから来ているのかしら?」  
 
 しゃりしゃりしゃりしゃりしゃり。  
 
「………ねえ」  
 
 しゃりしゃりしゃりしゃりしゃりしゃりしゃりしゃりしゃりしゃり。  
 
「…………ちょっと」  
 
 しゃりしゃりしゃりしゃりしゃりしゃりしゃりしゃりしゃりしゃりしゃりしゃりしゃりしゃりしゃりしゃりしゃりしゃりしゃりしゃりし  
 
「人が話している時は目を見なさいよッ!この朴念仁!!」  
 
 ヒステリックな女の声に何事かと顔を上げた騎士に、ビアトリスは細い指を突きつけた。  
 
「よくもまあ、そこまで人の話を無視できるわね!それとも何?私と話すより剣と話していた方が楽しいとでも?!ああ、そういえば森で会  
った時もそうだったわね!挨拶も自己紹介も返事も相槌もはいもいいえも全部頭を下げるだけで終わりとか今までどんな人生歩んできたのよ  
ああもうなんでも良いから貴方も何か話してよじゃないとここ気色悪くて嫌になるのよ!!」  
 
 一息に捲し立てられた女の叫びにさらされても、騎士は何も答えない。ぜえぜえと息を吐きながら諦めかけたビアトリスの視線が、騎士の  
表情で止まった。困惑と、―――哀しみ?ふと、聡明な魔女の頭脳に、一つの仮説が浮かんだ。  
 
「貴方…もしかして、私の言葉が分からないの?」  
 
 やはり、騎士は答えない。声が聞こえていることは確かなようだが、これでは判別がつかない。確かめるには…  
 
「ねえ、貴方も何か話してよ。ああもう、別に怒っていないから!何でも良いから、何でも良いのよ!」  
 
 騎士が何か一言でも言葉を発せば、答えは出る。時と空間の歪みが言語までも捻じ曲げるならば、それはいったいどのように聞こえるのだ  
ろう?かの混沌の娘達が用いたという特別な言語?それとも全く別の?興味は尽きない。この遺跡に来た目的を半ば忘れ始めたビアトリスは  
大げさなジェスチャーを加えながら尚も騎士に話しかける。  
 
騎士の口を指さす「貴方も!」  
自分の口を指さす「何か話して!」  
最後に両手を招く「早く!」  
 
 騎士は何も答えず、だが、その動きを見た彼の目に、困惑とは明らかに異なる光が走ったことに、ビアトリスは気付かなかった。砥石を置  
き、初めてまっすぐ目を向けてきた騎士に対し、ようやく伝わったかとビアトリスは期待と安堵の笑みを浮かべる。  
 騎士が立ちあがり、存外に整った顔をビアトリスに向ける。 ―――だが、その目に妙な輝きがあるのは何故だろうか?  
 騎士が歩み寄り、頭半個分の高い視線から見下ろしてくる。 ―――だが、会話するにしては近すぎないだろうか?  
 騎士が手甲を脱ぎ捨て、指の背でビアトリスの顎を捕える。 ―――だが、これはまるで、  
 
「―――ん…ッ」  
 
 それが唇に触れた瞬間、魔女の脳裏から全ての思考が消えた。頭の中心から足の裏まで、一本の芯を突き込まれたような。魔術を受け、他  
者のソウルに体をかき乱されたような。いつか誰かに投げられた、雷の奇跡をその身に受けたような。  
 
「ふ…ぁは…」  
 
 ビアトリスが呼吸を忘れかけていることを見てとった騎士は、唇をずらして彼女に息を吸わせてやると、自然と開いた歯列の隙間に、間髪  
入れず舌を差し込む。相手の動きを観察し、隙を逃さない。幾多の戦いで培ったその眼が、こんなことにも役立つとは、誰が知るだろう。  
 
「ぁふ…、ん、は」  
 
 自分の物ではない舌が、口の中を這い回っている。上下の歯をなぞり、舌の奥から先端を引いていく彼の舌を追うして、ビアトリスは初め  
て他者の舌に己のそれを絡ませた。逆に彼の口内に引きずり込まれた舌が、甘く噛まれた瞬間。  
 
「!…あッ!」  
 
 身を跳ねさせたビアトリスの唇をようやく解放すると、騎士は魔女の腰を捕えていた左手に一層力を込め、白く輝く頬を撫でていた右手を  
細い首に走らせる。そのまま、厚手の外套ごしにも存在を主張する双丘へと―――  
 
 
 
 
…て、  
 
 
 
 
「―――何するのよこの馬鹿ぁッ!!」  
 
 裂帛の怒声と共にフルスイングされた魔女の杖が騎士の顔面に直撃し、甲冑を着込んだ体躯が宙を舞った。代々伝えられてきたその杖を純  
粋な打撃武器として扱ったのは、ビアトリス以外いないだろう。いるわけがない。  
 
「変態!馬鹿騎士!!信じられない!!!」  
 
 宙で三回転半ひねりした騎士はそのまま古い壺を巻き添えにしながら地面に墜落し、受け身をとる間もなく馬乗りになった魔女から追い打  
ちを受けていた。四騎士が紅一点“王の刃”の必殺にも匹敵するであろう、その惨状。杖が顔面に叩きつけられる度に、痙攣したように騎士  
の腕が跳ね回り、不意を打とうと闇に潜んでいたダークレイス達がこそこそと逃げ出した。  
 
「ああもう…!何考えてるのよこんな時に!ほら、さっさと行くわよ!」  
 
 霊体でも分かる程顔を真っ赤にしたビアトリスはごしごしと唇を拭うと、突き破らんばかりの勢いで帽子を被った。未だ早鐘を打っている  
心臓を鎮めようと深呼吸しようとするが、先程騎士に呼吸を支配されていたことを思い出して余計に上手くいかない。騎士はといえば、わり  
とシャレにならない量の鼻血を流しながら抗議の視線を向けてはいたが、ぎっと睨みつけられると、すごすごと装備を整え始めた。  
 
『―――…』  
「何か言った?!」  
『…』  
 
 確かに騎士は「何か」言ったが、その意味をビアトリスは解することができない。それこそが、先程まで躍起になって聞き出そうとした拡  
散世界の言語だったが、血が上った魔女の頭にその記憶は無い。  
 
「さあ!行くわよ深淵!グズグズしてると置いてくから!」  
 
 橙のろう石で床に何か書き殴っている騎士を杖で小突くと、ビアトリスは先に立って歩き始める。恥ずかしい。腹が立つ。今なら四人の公  
王だろうが五人の公王だろうが、この杖で殴り倒せる気がした。そんな魔女に、完全に旅の主導権を奪われた騎士は一人、やれやれと肩を竦め  
てみせ、その直後に再び魔女の鉄槌を受けることになる。  
 
 
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇  
 
 
「キスして良いって言ったじゃないか…」  
『―――?!』  
「…」  
 

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