あれは公爵殿が生み出したものらしい。回りは彼に対しあまりいい印象をもってない様だが、  
俺はそうは思わん。確かにやりすぎだと思うことはまあ多少あるにせよ、何より彼は我らが主の盟友だ。  
それにそういう風に人をとやかく言うのはどうも好かんのでな。まあ、人でなく竜だがね。」  
はるか頭上、優雅に飛行するそれを指さし男は笑った。風のある夜での出来事だ。  
女が見ていたのは男が指すものではない。無情で残酷なこの世を「美しいな」と語るその男の横顔ただそれだけであった。  
 
その男は留守が多かった。無粋にも別の次元から潜りこむ輩が後を断たなかったせいもあるが、  
理由はそれだけではない。神に仕える者としてどうなのかと思うほど、男は外の世界に知人が多かったのだ。  
いつまでたっても王都に戻らぬ男を連れ戻すのは大抵女の役目であった。女からすればほとほといい迷惑である。  
そして決まって男はあの月の見える森に居た。はたして御互い通じているのかいないのか、呆れるほどにでかい  
狼と話し込んだりじゃれあって遊んでいる様を見るたび女はうんざりした気分になった。  
「帰るぞ」と女がひっぱりだすと、男は大きな体に似合わぬ仕草でうなだれるものだから、  
(次はゴーにでも行かせよう。絶対そうしよう。)と何度目か分からぬ決意を再び胸の内に立てていた。  
 
その狼だが、男以外に懐く事はなく女が近寄るとその大きな口から牙を光らせ唸り声を上げていた。  
狼にしてみれば、男を連れ戻しにくる女はよほど敵意の対象だったに違いない。普通の狼ならまだかわいいものだが、  
かわいいでは御世辞にも済ませられない大きさだったので始末が悪い。今は多少なりとマシになった方である。  
初対面の時は軽く殺し合いになったが寸でのところで男が止めに入ったので事なきを得た。  
「お前も俺の様にあいつに話しかけてみろキアラン。あいつなら分かってくれる。」  
誰のおかげでこんな目にあったと女は言いたかったが、感情を剥き出すのも馬鹿馬鹿しくて黙っていた。  
 
「何故あいつの自由を許す。外に出て真面目にやっているかと思えば下賤な者共と戯れてばかりいたぞ。  
実力はあるだろう。不本意だが私も認めるよ。だが力はそれを持つ者の誇りや気高さそのものを言うのではないのか?  
力を持つだけの者なら他にも大勢いる。あの処刑人の様にな。」  
最後の女の言いぐさはまるで吐き捨てる様であった。ちょうどその時遠くで竜が一匹悲鳴を上げる。  
「――心臓をはずした。」  
言い終わらぬうちに今竜を撃ち落とした騎士は駆けだした。一刻も早くとどめを刺しに行きたいのだろう。  
どいつもこいつも御優しい事で――まあそれは言わずに飲み込むのが吉だ。  
その騎士は女と、件の男にとってのやはり長なのだから。  
 
「身の内の強さがその者の持つ力か。それはいいが、さてお前はどの様にしてその誇りや気高さとやらを測るのだ」  
ずるずると重量のある音を引きずりながら騎士は女の元に戻ってきた。  
肩に担いでいるのは先ほど騎士が撃ち落とした竜だ。既に事切れているが…  
女は騎士のこの所業を見るたびやはり彼は我々の誰にも及ばぬ強さをもっていると痛感する。それにしても、  
「それはどういう意味だ。」  
「そのままの意味だ。アルトリウスには”お前の言う”強さがないというが、その強さとやらをお前はどう証明する」  
にぶい音と共に騎士が肩に担いでいた竜の尾を勢いよく地面におとした。びりびりと僅かに地面が振動したのが  
女の足元にも届く。何故かそれがにわかに女を緊張させる。  
「…よく分からないが、王に仕える者として奴にはその自覚がなさすぎる。貴方も分かっているだろう。  
永久に火は燃えている訳ではない。いずれ主は行かねばならぬ。その時王都を――いや、世を守護していくのは  
我々4騎士の務めであり運命だろう。それをあの様な者に一端託すなど私は」  
「なるほど、それがお前のいう強さというものか。――何か勘違いをしている様だから言っておくが、  
我々にはお前の言っている使命とやらを遂行できるほどの力などこの竜の牙ほども持ってはおらん。  
ゴーも、アルトリウスも、お前も、―――そして私もな。」  
ぼきり、意外に軽い音をたてて騎士は竜の牙を抜いた。側面に生えそろう口の中でも比較的小さい牙だった。  
「…貴方は何を言っているんだ。」  
「我々はこの世に対してあまりに無知で無力であるという事だ。そしてそれ故に知ることのできる強さとやらを  
アルトリウスは持っている。私はそう思った。それが私のいう力というものだよ。」  
騎士が投げてよこした牙を女は反射でうけとった。…一部では武器としても扱われるほどの鋭利さだと  
いうことを分かってるのかと悪態をついたら騎士は低い声で少し笑った。  
「もう行け。竜狩りの邪魔だ。」  
女の疑問ははれるどころか、ますます深まる一方である。  
 
 
――男が闇の者を契約を交わしたのは王が旅立ちしばらくたった頃の出来事だ。  
男はそれまで狩る側の戦士だった。暴走した愚かな小国の王共を封印するため致し方なかったとはいえ、  
王都では穏やかでない噂もたびたび耳にする様になった。神のおわす国で、なんとも情けない話である。  
男はそれまで以上に王都に寄り付かなくなった。というより、その一見以来男が王都に戻る事はなかった。  
仲間だ戦友だなどといって感傷に浸る心など女は持ち合わせていなかったが、”偶然”男がよく好んで  
遊んでいたあの森に出向く事があり”偶然”男と居合わせた。  
「久しぶりだな。皆は元気か?」  
男は女が記憶しているより幾分かやつれた様に見えたが、  
能天気によく通るその声と、女の姿を見るなり唸り声をあげる狼は、記憶のそれとなんら変わりなかった。  
 
この男だけが持つ強さをやらを 女はずっと知りたかったのだ。  
 
たびたび顔を出すようになると、男は逆に何かあったのかと不安になった様だったが女は構いはしなかった。  
ただそのせいで女に妙に顔見知りも増えた。来るたび森を番する太った白猫に逢い引きだなんだのと  
ちゃかされるのも5回目で慣れた様だ。男曰くそういう話題に飢えてるのでからかってるだけとの事らしい。  
不思議なものである。まだ4騎士として機能していた頃この男に女が持つものといえば不満や苛立ちばかりで  
まともに会話をする気にもならなかったのいうのに、こうなった今の方が男の話をよく聞くようになっているなど。  
共にいる時間が長いせいか、狼も前に比べ女に対し耐性がついたようだ。やはりうっとうしがってはいるが、  
それより友人をとられた気分でいるのだろうか、二人で少し話し込むと隠れもしない巨体を樹蔭にし、  
しゅんとうなだれている事がたびたびある。男が呼ぶとすぐこちらに向かってくる様を見て、  
かわいいところもあるものだなと女は思った。  
 
男は女に色んな話をする。これまで会話がなかった分だけ沢山の事を。  
そのどれもが神や世界などといった尊大な話でなく、すぐそこに生えた草木や花、この森に住む生き物の事だった。  
以前の女なら聞く耳もなかったはずであろう話題だが、不思議と今はまったく苦にならなかった。  
この花は月の光で発光している。あの岩の騎士は過去此処に王国があったもののなごりだ。あの湖の怪物は――  
過去に幾度、うんざりしながらこの男を迎えに来ていた女にとってただそこにあるだけであったものだ。  
背景として過ぎ去るだけだったものを、男が今までどの様に写してきたかを女は知る様になった。  
――だから何だというのだ。我々に何の関わりもない、底辺の存在だ。――  
などど、女はもう決して 思えない様になっていたのだ。  
 
「美しいな」  
頭上で神秘の生物が舞う。二人を囲む花々が風に吹かれ一瞬揺らめき、華弁を散らせ静かに宙に浮かぶ。  
風のある夜だ。そろそろ行こうかと男が腰を上げようとするが、その肩に手を置いて女は制した。  
ずっと男を見ていたであろう女の視線と男の視線が交わる。  
「どうした?」と男はきっとこう言おうとしていただろう。  
遠く高い空で、月が雲に隠れたのが 目を瞑っていても分かった。  
息をのむ男の声が聞こえた気がした。驚いただろうか。まあ驚くだろうな。やけにぼんやりした思考で  
そう考えながら、女は男に口付けた。  
といっても位置が位置だっただけに、男の口の端に若干触れる程度の乏しいものであったが、構わなかった。  
ただ女はしたかったからしたのだ。これまでさんざ男の迎えに付き合わされた身だ。  
――少しくらいこちらに付き合ってもらってもいいだろう――  
数秒間をおいたのちゆっくりと離れ男を見ると、意外にも落ち着いた様子でただ静かに微笑んでいた。  
(なんだ、湯気が出るほど真っ赤になっているのではないかと少し期待したのだがな。)  
男が予想外に落ち着いているので何やら突発的に動いた女の方が気難しくなったのか、さっさと立ち去り  
お茶を濁そうとした、瞬間だった。  
 
風が一瞬止む。音が止まり世界が止まり、月明りが消え二人だけになる。  
男が女を強く抱きしめた。  
息をのむのは、今度は女の方だった。  
 
「聞いてほしい事がある」  
「…何だ……」  
 
 
「俺はもうすぐ死ぬ」  
 
 
世界が再び動き出す。  
風と共に隠れた月が暴かれ夜を照らす。  
見開かれた女の目に 月光が淡く反射していた。  
 
封印の代償とは、かくも大きなものなのか。いや、これだけで済んだのがむしろ幸運だったと男は言う。  
逃れる術はない。もはや決められた事なのだとも。  
無礼は承知だった。だが世に興味も示さず閉じこもり研究に没頭する公爵の存在など女は気にしていられなかった。  
目も眩むほどの膨大な知識の海に溺れながら、女は男を救う術を探していた。  
戦いならどうとでもなる。相手を沈黙させればいい。それだけの力が女にはあった。  
だが、見えぬ呪いという相手にどうすればいい。剣で貫く事も、盾で防ぐこともできぬ相手に一体どうすれば――  
苦悩する間にも男の命は死へ向かっているのだと思うと尚女を焦らせた。  
 
冷静になれば、なぜ彼女がそこまでしてその男を救わねばならぬのか、  
義理や貸しなど何もない、むしろ疎ましいとさえ思っていた男になぜそうまでするのか、  
合理的価値観でそれまで生きてきた彼女なら、その事に思い至るはずである。  
だが女は気付かない。もはやその様な感覚で考査する思考回路をとっくに失っていたからだ。  
誰のせいでもない。あの男と共にした時間で知らず彼女が築き上げていたものだ。  
 
それこそが、男の強さであったのだ。  
 
「どうすればいい」  
「どうもしなくていいさ。」  
「嘘だ。何かあるはずだ…何か…」  
「そうだな…じゃあ傍にいてくれるか。」  
「違う 違う違う…それではお前は死ぬだけだ」  
「俺は死ぬんだ。大丈夫だ。そんなに苦しくはない。」  
「…私はどうなる……」  
 
――我々はこの世に対してあまりに無知で無力であるという事だ。――  
 
長が言った、いつかの言葉が女の頭を支配していた。  
その通りだ。女は何もできはしない。神に仕え世を守る事はおろか、  
たった一人、心の底から助けたいと願うたった一人でさえ 救うことはできないのだ。  
 
「…シフと なかよくやれよ さみしがりだから」  
「……何故死ぬんだ…」  
 
女が最初に涙を流したのはいつだったか。もしかすれば、この世に生まれ出で初めての涙であったかもしれない。  
雨にしてはやけに儚いその滴が落ちる音を聞き、もはや目が見えぬ男にも女が泣いているであろう事は  
分かった様だった。大きいが、もはや覇気のない手をあてずっぽで宙に掲げると、導く様に女がその手をとった。  
「泣くな」など言わない。これ以上ない時を持って死に往けるのに、彼女にはただおいていく事しかできない。  
それが分かっていながら、傍にいたのだ。そして「忘れろ」とも言えない。彼女には 忘れてほしくなかったのだ。  
 
「――キアラン…お前は…気付いてなかったと 思うが」  
「………」  
「ここで道草 してた。お前が迎えに くると 思って」  
「………」  
「すご く 厭な顔… はは してたな。結構 そ れ 」  
面白かったぞ  
 
 
遠くで狼が泣く声が聞こえた。森中に響き渡り、木霊し、  
やがて森の中に音は消えた。  
風のない 静かな夜の出来事だ。  
 
「アルトリウスっていうのはダークレイス狩りで知られる剛健だと聞いたんだが」  
突如現れた灰色の狼に追われそれどころではなかったが、静かになって見返すと大きな剣に大きな墓、  
それらに似つかわしくないものが石碑に横たわっているのが分かった。  
大昔の事をあれやこれやと考えるほどその男は暇ではないし興味もなかったが、  
それの指に光っているものは役立ちそうだったので素直に頂戴する事にした。死人に口なしである。  
何、大体の想像はつく。神に仕えた英雄の騎士もいっぱしの生き物だったという  
ただそれだけの話であろう。風が少し出てきた。長居は無用である。  
男は振り返る事もなくその場を後にする。諍いは終わり、後には月光に照らされた石碑が残った。  
森の中は今だ 静寂に包まれている。  
 
 

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