件の男に出会ったのは  
目が合えば存命を脅かしに向かってくる者ばかりの場所で、  
男は多少変人であったが私をひどく安心させたのを覚えている。  
初対面の人物に「変人」とは些か無礼であるという自覚はあったが、それを否定しようという気もない。  
そも本人自体がそう言っていたのだからその自覚はあるのだろう。男は「太陽を探している」などと  
何とも抽象的で幼稚な事を言っていた。総てにおいてこれまで出会った会話の成り立つ者(そんなに多くはないが)  
に比べて的外れな印象を受け、張りつめていた私の中のなにかがひとつほどけてしまった様な感覚になった。  
それから幾度かその男に救われる事となる。名前はソラールと言った。  
 
自分で思うのはどうかという気もするが、女というものは単純なのである。  
望みもしない永遠の命を得て以来もはや考えも及ばなかった感情だったが、努めて彼の前では女らしく  
あろうとしている自分を自覚するのにそう時間はかからなかった。重い鎧は着替えたし、乱れた髪は律義に直した。  
こんな世界だ。自分を庇護してくれるものに寄りかかりたいという弱い考えがあったのは認める。  
使命を背負った身でありながら何を悠長なと思うかもしれないが、こんな世界だからこそ希望やら切望やらが  
先へ進む糧となるのだ。彼は私にとってそれに近しい存在になっていた。  
問題は当の男がその手の事にひどく疎いという事だ。私自身色恋経験が豊富な訳では断じてなかったから  
状況は難航を極めた。先に希望や切望は必要だといったが残念な事に今の関係性にそれ以上の進行を求めるのは  
まさに失望そのものである。自分を貶めるつもりはないが、適切な表現だと言わざるおえない。  
彼が私を突き放すでもなく好きにさせてくれるのは唯一の救いだった。  
パルデル装備で決死の色仕掛けを「野性児のようだな」と笑いとばされた時はさすがに心が折れかけたが。  
 
彼は神出鬼没だった。まさか都で出会うとは晴天の霹靂である。  
何の前触れも緊張感もなしに人間性の薪に当たって寛いでいる様を見つけた時は一気に脱力し、心は逆に浮かれた。  
目の前で揺らめく火と隣に腰掛ける彼の温度は私をまどろませるのに十分な効力を発揮する。  
多少行き成りではあったが彼の肩に頭をもたげると呼吸に合わせて私の頭も少し上下する。安心する。  
いつもは笑いながら子供にする様に肩を叩いてくれるのに今日はどうしたのだろう。いつもより無口だ。  
 
「貴公に聞きたい事があるんだが」  
「はい」  
「貴公は俺の事が好きなのか?」  
「―――はい。」  
 
目の前の火が揺れる。なんて綺麗なんだろう。  
数多の人間の命を燃やす炎だというのに。  
 
 
本来一度きりである死を何度経験したかなどもう数えていない。  
心の奥深い場所で、人間が人間であるために必要な物を確実に削り取られていくのを感じた。  
こんな世界で、私は一人で、いつ終わるのか、そもそも終わりはあるのか。  
ずっと前から疲れ果てていたのだ。誰も皆、私自身さえ気付かないうちに。  
「好きです―――ずっと前から…」  
「そうか」  
「…好きです……好き――」  
「そうか」  
免罪符でも得たかのように何度も好きだと連呼する私を彼は静かに抱きしめた。  
何度も私を安堵させた大きな手が髪をなでた後首元に下り猫の様にくすぐった。とても気持ちがいい。  
この手が私だけのものであったならいいと何度思ったか知れない。  
――今どこにいる?何をしている?次はいつ逢えるのだろう。その時また、笑ってくれるだろうか。――  
疲弊する心の傍ら、見えもしない相手の気持ちを窺う事にも些か疲れた。  
ここには私と彼しかいなくて、とても暖かくて、彼は私を抱きしめてくれている。  
――甘えるのが罪だと言うなら私はずっと前から罪人で、それを贖罪する気など毛頭なかった。  
「ソラールさん――」  
声色の変化に彼は気付いたのだろうか。私の首根を捕えた手がそのままなので見ることはできなかったが  
片手で兜を脱いでいるのだろうという事はぼんやりと分かった。私はもしかして泣いているのだろうか?  
初めてみる事ができた彼の顔がひどくぼやけて見える。きっと理由はそれだけでなく、写しきれないほど  
それが近くにあるからだろう。唇が音もなく触れる。傷つけられる事ばかりのこれまでの旅路の中で、  
労られる様に触れられる事がひどく懐かしい。角度が変わり触れるだけの口づけがより深くなると、もう駄目だった。  
「ソラー…ルさ――」  
背中に床の感触を感じ、もはや言葉は不要だったので喋るのをやめた。何かを考えることも、もうやめる事にする。  
 
彼はその手の事にとても疎かった。ので何も身構えていなかったのが災いした。  
今だから言える話だが、何度か彼とそういう行為に及んだ場合を想定した事があった。  
いずれもその中ではどう転んでも自分がリーチする他ないという結論に辿りついたのだが現実と想像とはやはり違うものである。  
記憶違いでなければ既に5回ほど達し、これまでの自分の人生を振り返り一度も経験した事がないほど脚が痙攣している中  
「もう無理だ」と泣きながら訴えたら彼は結合箇所から溢れているどちらもものかも定かでない体液を  
指にからめたと思ったら事もあろうにまったく予期してなかった後穴にその指を埋め始めたのでさすがに全身の血の気が引いた。  
摩擦は多少薄れてはいるがそもそもそこはそういう風に扱われる場所ではないのだと噛みあわない口で必死に訴えようとしたが、  
そうしている間にも膣の中を犯す動きは止まってくれないので意味のない喘ぎとなるだけだった。  
前と後ろと同時に違う緩急で刺激を与えつけられてもはやなされるがままである。  
 
唾液が口の端から絶えず零れていてみっともない自覚はあったけどももはやそんな事は気にしておれず、限界を迎え何度目か  
分からない絶頂を超える。その時どうも締め付けてしまうらしく彼もいつもより少し低く、小さな声でうめいて達した。  
ごろりとうつ伏せにされ、引き抜かれる感覚に身じろぐと間髪いれず今度はそれまで慣らしていた肛門に突き立てた。  
ずぴゅ、と厭な音がした。あまりの痛さに脚だけでなく腰から腹へ伝って全身が震える。叫んだと思ったのだが、  
どうやら枯れて声はでなかった様である。どうする事もできなかったのでただ名前を呼んだ。  
返事が欲しかった訳ではなく呼ばないと不安で押しつぶされそうだったのだ。答えはなかったが、涙で濡れた目尻にキスをくれた。  
初めはゆっくりと、そのうち深く早く、される行為とは裏腹に背中に絶えず口づける彼のしぐさはひどく優しかった。  
優しすぎて、また涙が零れる。  
人体の構造とは不思議なもので、これだけ無茶苦茶に扱われても決して壊れる事はなくそれどころか慣れてしまうのだ。  
決して良い傾向とは言えないのだろうが、彼に与えられるものならそれもいいと思ってしまうあたりやはり変人なのだろう。  
彼も、そして私も。  
直腸に暖かい体液が広がるのを感じる。ほぼ同時に私もその熱で達した。床にだらしなく顔を預け朦朧としている中  
彼の大きな手が汗で湿った私の髪を梳き耳にかけた後、こめかみに口づけをおとしたのを感じた。  
隣で事の終始を照らしていた篝火を目に焼き付けたのを最後に私は意識を失った。  
――――彼と情を交わしたのはそれが最初で 最後となった。  
 
私は間違いを犯す。贖罪などしないとたかをくくったはいいが何も分かってなどいなかったのだ。  
この世の神は罪人に罰を下すのだ。決して逃げる事のできない 重い罰を  
 
ある男は言う。総てを諦めここに座っていれば楽になるのだと。  
ある男は言う。好奇心はその身を滅ぼす事になるのだと。  
 
ある男は言う。私の――助けになりたいのだと。  
 
どこかで見た光景である。あの時の情事を彷彿とさせたがそれも一瞬だった。  
眼前に溶岩の海が広がっている。異様と言えばまるで地の底へ来てしまった様な感覚に陥るこの場所もそうであったが、  
彼を取り巻く空気もこれまでに比べ明らかに異様、としか言いようがない。それに気付けないほど私も馬鹿ではない。  
数度会話を試みたが無駄だった。まるで上の空で自問を繰り返す彼を見ていると、これもどこかで見た光景だと気付く。  
あれはどこだっただろう。そうだ、王都の公爵の書庫だ。伝説と呼ばれたあの魔術師の今際に非常によく似ている。  
それだけでない。これまで幾度か、この世界に心を壊された人物を目にしてきた私の心に影がかかる。  
なにか厭な予感がした。彼の反応は相も変わらずだったが、「もういいです」と捨て起き私はその場を後にした。  
私には使命があった。それは彼も同じだ。心のどこかで、私と彼は大丈夫だという根拠のない自信があったのだろう。  
馬鹿げている。その選択を大いに後悔することになるとも知らずに。  
 
いつだったか――この地に降り立ちまだそう時間もたっていなかった頃だった様に記憶している。  
地下に巣くう者を命からがら退治した後、脚をつぶされていた私を彼が篝火まで運んでくれた事があった。  
(もう一人いたが、戦いの後早々に帰ったようだ) 広い背中の上で揺られていると途方もなく情けなくなり、  
それまで溜まりに溜まっていた弱音を嗚咽と共に吐き出していたらまたしても彼は笑った。  
「いつか俺が貴公に助けられる日が来る。その時は頼んだぞ」  
そんなのは嘘だ。私は一度も彼を助けることなどできはしない。  
「好きだから」だの「愛している」だのそんな言葉だけで状況が良くなるほどこの世界は優しくない。  
愛しているなら、どうして何も気付けなかったのか。どうして何かを察知して、救いだす事ができなかったのか。  
考えずにはいられなかった。答えが出たとしても今となっては何もかも手遅れだが、  
 
だから今、私の命を奪おうと向かってくる彼を私は救えない。  
 
向かう事も逃げる事もできずにいると彼が放った黄金の矢が脇腹をかすめる。一瞬焼けつく様な痛みの後すぐに出血した。  
傍で共に戦った時、あんなにも頼もしかった彼の一撃が今は私を脅かしている。何とも無様だと失笑が漏れた。  
惚れた弱みというやつか。このまま彼に殺され続けるのも悪くはない。  
いずれ何も考えられなくなり、私自身も彼が彼だと分からなくなるまで何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も。  
直後鈍い音がしたと思ったら床に叩きつけられていた。しばし遅れて腹部がじくじくと熱くなった時に蹴り倒されたのだと悟る。  
「――本当に女性の扱いを知らないのだから…」  
狂乱している彼と対象的にこちらの頭はもうずいぶん冷えてきた。彼が私の胸倉を掴み眼前に刃を突き立てる。  
これが一回目となるのだろう。まだ一回目なのに、もう心は死んでいた。哀しくて、苦しすぎて、もう終わらせてほしかった。  
後何回殺されればいい?一体何回殺されれば―――  
…あの時、涙で歪んでよく見えなかった彼の顔が今ははっきりと見える。もはや死に往く事に覚悟などいらなかった。  
「     」  
ふいに彼の声が聞こえた。もはや言葉ともなっていない叫び声でなく、いつもの様に強く優しく私を呼ぶ声だった。  
彼が目の前でその剣を振りおろした。  
 
目の前が赤い。世界中がその色の絵具で塗りつぶされてしまったかのようだ。  
それにひどく体が重い。あちこち斬られたせいもあるだろうが、一番の理由は自分に覆いかぶさって事切れている死体のせいだろう。  
何の事はない。世界が赤いのでなく、赤いのは私の顔が返り血で染められているからだ。  
 
その場所には一人の男と一人の女がいた。生きているのは 女の方だった。  
 
 
―――懐かしい夢を見たものだ。どれくらい昔の話かなどともう数えていない。目が覚めると、やっぱり私は此処に一人だ。  
淋しくなどない。これが使命だと分かって私はこの地へ降り、この場所に辿り着いた。未練など何もない。  
だが最近よく昔の事を思い出す。まだ自分が人間であり平凡と生きていた緩やかな時ではなく、  
命を他者と削りあい今の使命を遂行するためにもがいていた時の話だ。さも壮絶な記憶だと思うかもしれないが、  
おかしい事に思い出すのはそんな中でわずかに笑い合っていたかすかな記憶ばかりだ。  
火は燃え続け、薪は夢を見る。  
夢の中の彼は色あせず今も笑っていた。それがひどく居心地がよかったので、  
もうしばしまた眠る事にしよう。  
 

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